世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

売上・無議決権株・事業構想

立法府の長もなかなかに大変だけど、会社の長というのも誰よりも市場と向き合い続けないといけないわけで、大変だ。

その市場の捉え方と、動き方、うねり方、タイミング、原理原則、etc.etc...

 

 

進捗報告を書いていこうと思う。

前回ブログ時との差分でいうと、かなり大きな変化は、売上構成比率だろうか。

特にこの8月に入って、自身の意思決定においてコペルニクス的転回が起きたのが、キャッシュコンバージョンサイクル(CCC)だった。
ぶっちゃけて言えばアカウンティングをしっかり勉強していればそんなことは初歩の初歩っていう話なんだけど、なかなかに軽視されまくってるから、なぜかコンサルが暴利振るってバリューアップしているらしいということも本日のnewだった。



いろんな観点であんまり書きたくないんだけど、このタイミングで気づいていたということを残しておくと、後世にいい影響があるんじゃないかと思うので、書く。

 

人材事業を始めることで、一番学びになったのはキャッシュフローと向き合うということだった。次に結構いい感じになったのが、市場動向の整理。事業性質もあるが、業界トレンドをマクロに抑えないと課題特定ができないっていう状況だったから、(内部要因?外部要因?っていうのが区別できずに内部改善を繰り返すと外部要因の課題を置き去りにキャッシュ溶ける)その思考プロセスを挟まないとダメだったというのも結構いい感じに仕上がったポイントのように思う。

このあたりのことは創業初期ではまるで気づいていなかったし、2020年前後のスタートアップはもっぱら「大きく調達して、赤字を垂れ流す」のが主流だったので(僕の認識ではそう見えてる)、キャッシュフローを声高に叫んでいるVCは全然いないし、「そんなことすんな」というのが本音だろうから。シリーズA以降はユニット成立せいってなるんだろうけど、BCになってくるともう後戻りできないみたいな。

僕たちは逆張りとして(というよりも原則として)、キャッシュエンジンを作りたかったから、人材から入った。
だけど、「キャッシュフローが重要」と言っておきながら、その真髄をまるで理解していなかった。今でもおそらくキャッシュフローを磨きこむという点で、経営上重要な変数の前後関係を連結させるまでに自分の脳内が至っていないので、今後、やりながら学んでいくことにはなるのだろう。

何を理解していなかったのか、キャッシュフローの観点と市場動向の二つを書いていく。

エージェントモデルは成果報酬なので、着手してから実際に売上が着金されるまでに、大抵4~6ヶ月かかる、というのが相場だ。
なんかこの時点で説明が終了しているように思うんだけど、要するに
「お金を投下してからそのお金が回収されるまでに、少なくとも4ヶ月はかかる」
ということになる。
となったときに、
「投下してからキャッシュインするまでの期間」をどう短くしていくかというのがとても重要なのだが、
これも人材業の宿命、「膨大な変数による不確実性」「フロービジネス」によって、
安定的な拡大ができない。つまり、「売上が1000万円上がる月」もあれば「売上が0の月」もあるといったことが起こりかねない。
とにかく予実管理がむずい。自分も実務に入りまくってるし。

じゃあそれをどう解決するか、となったときに「行動数をひたすら上げていく」というソリューションになりやすい。そうすると1人あたりのアポ数だったり、なんやかんやをゴリゴリ回していくのが最強、という結論にすぐ行き着き、人件費もどう抑えるかみたいな力学になり、そうすると人を長く雇用し続けるのが難しくなり、
事業拡大において慢性的な人手不足になり、そこで天井。オシマイ。

人材紹介事業はそういったメカニズムで「10人以下の小規模事業」もしくは「100人以下の中小企業」のサイズで膠着する。売上サイズとしては単独で2億〜10億といったところなんじゃないか。

 

ここを突破するには結局想起を取らないとだよねっていうことになり、そうすると
リクルート・マイナビ・doda・エン・CDC とマス広告で殴り合うことになり、
マーケットシェアを按分する形になるが、そんな闘い方はできるわけないよねっていうことで、結局大手の総取りマーケットは覆らないと。

例外的にブチ抜くのがエスエムエスのモデルで、業界特化してCRM基盤整えるともう剥がれないみたいな感じになって、キャッシュカウの完成です、みたいな。んでそっから経営プラットフォームに大きくして海外みていればいったんはちゅいんちゅいん伸びる。


この成立条件についてはだいぶ整理した。
労働人口数×有効求人倍率×事業所数 の最大値がでかいところはそれ相応のサイズにまではいく。その順で考えると介護と看護はまじでスイートスポット捉えまくったよねっていう気持ち。

そこまでいったらじゃああとは利益率を上げて給与あげればいいんだけど、そのスキームを組んでしまうと業界に人材を横流しし続ける死の商人みたいな感じになるので、エージェント一方ヨシになって、嫌われて、どうなんだろうね、みたいな。結局剥がせないよねってなってんのかもしれないけど。

 

プラス、ここは自分の能力不足だったというか、6月にはすでに気づいていたんだけど、その遅効性を読み間違えたところがあると思う。景気変動による採用コストアロケーションの変動。
エージェントの成功報酬単価>求人広告の採用単価
の時に媒体経由で採用するっていう力学が働くのかどうかでいうと、「12月くらいまではいけんじゃないか」って思ってたら「思ってたよりもすぐにリプレイスされた」

という感じだった。

求人広告はスケールメリットがある限りにおいて採用単価が下がるから、1~2名採用くらいだったら内部コストとの兼ね合いでうまくいくんじゃないかとかいろいろ考えたりしたんだけどダメだったのと(厳密にいうとここにはまだ兆しがある)
結局求人があっても他のエージェントもその求人に群がっているので、結局しんどいみたいな。

 

 

キャッシュフローについてはあえてわかりにくく書いているけど、
資本回転数を通期で見た時の単月FCFをどの程度再投資に回すの?っていうバランスと、その投下した投資費用の回収までのサイクルをどう構築するの?
FCFはCCCをどう-n日に生み出していくかで、再投資した費用と回収までの期間が±0に近づけば近くほど、あとは再投資費用が売上に変換される倍率xが高ければ勝ちパターンに入るよねということを考えています。

 

これをめちゃくちゃきれいに構築しているのが僕はアマゾンなんだと思う。だから赤字だろうが資金調達したお金の全てを投資に回すことができるっていう、勝ちパターン。これも結局長期負債の返済期限を長く持って、その期間内までに利息込みで回収可能なビジネスモデルかどうかだけ見極めていれば、銀行も株主もいくらでも出しますよねっていう。。。
このバランスが崩れない限りアマゾンの株価は上がり続けるので、僕は1000万くらいもってたらアマゾンの株が欲しいです。(ウォーレンバフェットはコーラとかアップルとかが好きだけど)

 

結局CCCのバランスはそのビジネスの希少性と競合性によって決まるので、プラットフォーマーであればあるほど-nになるし、競合性が高ければ+nになる。

 

と、いうわけで、マーケコンサルに注力していく方針になりそう。

 

-nが構築できる限りにおいて、再投資費用はそこに投下され続けるべきなんだけど、
投資費用が採用とかになってくるとその見通しが怪しくなってくる。
アップセル・クロスセルをし続ける限りにおいては伸び続けるが、その投資効率が
マーケ<エージェント に転換する分岐点があって、DNAのような螺旋で資本運動を繰り返していくことが重要。なので採用活動もCCC+60日を切るのかどうかとか+120日なのかとか、このあたりの計算で決めていくことになると思う。

 

当然CCCが+60日以内にできるビジネスを構築していくことも重要。通期の資本回転数って製造とかだと0.7~2回って感じでしかも在庫持つからきれいにいかなくて。無形商材故に4回転5回転できるみたいな感じにできたほうが良いなと。
一方でSaaSの場合はこのCCCのサイクルがめちゃくちゃ長いので、かなり将来価値からDCF的にやるやらを決めないといけないというので、本業にするの怖すぎない?という気持ち。
ぶっちゃけフロー→ストックのビジネス転換をしたMSとかAppleとかadobeとかに勝てるわけなくって、まずフローでしっかりサイズを大きくして、売上高大きくしてからストックにするっていうのが僕は大事だと思うな〜という。。例外的に言えば、エクイティファイナンスを最大値にしてマーケット独占して、認知を撮り続ければ勝てるっていうストーリー以外はきつそう。故にスピードが最重要なんだけど、スピードを出したかったらPRをしないといけなくて、そうすると独占しているっていうことが検知されて競合が入ってくるし、採用してもなんか思ったよりスピードでないしで、絶対こんなきれいなシナリオにならなくて、故に参入障壁をステルスで築いて「側だけ真似しても全然太刀打ちできないから撤退する」というフォーメーションを初期構築しておこうねって気持ち。

 

結構やばいこと言えるようになってきたと思うんだけど、さらにやばいことを言おうと思う。

 

自分の普通株式は会社に譲渡しようと思っている。
議決権株と普通株を分けていくという方向性。

僕は資本主義の格差問題については結構第一人者なんじゃないかってくらい向き合ってきた自信があって(言い過ぎ)

その根本的な結論は相続と能力格差と運っていう。
んで今の資本主義はピケティのいう通り、能力格差によって格差が拡大している。

そこで僕が思ったのは、本来の能力格差の倍率以上の格差が生まれているんじゃないかということ。その大部分を占めるのが創業者のキャピタルゲイン。
おそらくほとんどのお金持ちランキングは、創業者の株式を含めた資産価値で計上されていて、(絶対的な確率で某家がトップで、あくまでそれは市場に流通している資産価値だけで計上した場合なんだけど)

もうちょっと現実的な話をすれば、法人と個人の格差とも言えるような気がするわけだけど、僕が言いたいのは「この方法で持続可能な法人作ったら概念統合を実現できるんじゃないか」と思っているということだ。

 

つまり僕の再出発の最大テーマは2つで
「資本主義と共産主義の概念的な統合」
「私有財産に対する欲望の否定」
この二つを解決する枠組みがこうやって実現できるんじゃないかと僕は思う。


結局なんでその問いに向き合い続けないといけないかっていうと、「インパクトを出すには資本規模が必要」ということが最低要件だからだ。

 

僕は社会のアンチテーゼとして常に生き続けるんだと思う。それはあらゆる人々にとって「無視できない存在」になる。僕や会社の存在自体が自己向き合いを強要してくる嫌なやつなのだ。

 

議決権株と普通株を分けている事例についていったん調べると、実現しているのはgoogleくらいで、そのgoogleも株主から訴訟されているという始末だった。
片手間で調べているので、もしかしたら他の事例もあるかもしれないし、そのあたりはよくわかんないけど難しいかもしれない。(上場しなきゃ話は別なんだけど)


でも金融系CVCとかだったら、会社の支配権に対して興味がないとかそういうことにもならんか?という気持ちがあり (今後想定するビジネス如何では敵対的買収に対するリスクに備えて議決権株はマジョリティを持たないとみたいなこともあるだろうし)

 

 

本当はもう一つ、とっておきの言いたいことがあるんだけど、この話はしないでおこうと思う。

 

 

さて、最後に、今なんとなくこうしていくのがいいんじゃないかという事業の枠組みについて話そうと思う。

人材紹介業はそのビジネスの成熟と過当競争により、ストレッチオペレーションによる労働者からの搾取によってビジネスを成立すると伸びるという勝ちパターンになってきてしまった。

自社のV&Mやカルチャーを考えると、この競争に乗っかると「何のためにやっているのか?」という問いに負けてしまう。
となった時に、このオペレーションでは回らない、新規性や競争優位を確立しないといけない。


かつ、お金の流れを見渡していくと、既存産業よりも新規産業に流れていくのが見て取れる。この川の流れているところでビジネスをしていくのは原則的に重要だ。

そのため、僕たちは事業の一つの柱として「マーケと採用とその他のアセットを駆使して、どんな事業も伸ばせる会社」になりたいと思う。

 

経営における重要なバジェットは採用とマーケティングである。

景気変動によって、投資回収までのリードタイムが長い採用よりも売上に直結するマーケとであれば、常にマーケティングバジェットが先行して市場に流れることになる。

 

この後続関係を捉えて、マーケの支援をしながら事業拡大し、不足した採用を補填していくという、ベンチャーのアーセナルになっていきたい。

それによって経済促進ができるのであれば、全部やればいい。

 

ゆくゆくのモデルがもしかしたら派遣に近くなるかもしれないし、コンサルの組織体制に近づいていくかもしれないし、そこはよくわからんのだけど、
この形態を志向し続ける限り、組織作りと所属理由が何にもまして重要だ。
故に僕はキャピタルゲインを諦めようと思う。

僕は僕のために働いて欲しくないからだ。

 

結果として探索行動をとったときにこういう結論になったのだけど、エージェントビジネスを諦めたわけでは決してなくて、「景気変動に大きく影響するビジネスは後回しにする」ということだと思う。主幹事業は、僕は人材であって欲しいと思うし。

 

当然、そのお手伝いに成功した時にできることは無数にあるので、
その構想については、次の機会にしようと思う。

 

 

 

 

 

僕たちは起きているときに夢をみる

 

会社を設立してから半年が経った。(少しオーバーしてしまったが)

自分たちが何に取り組んでいるかについて、そろそろ書こう思う。


僕たちは株式会社を設立した。株式会社というのは
①出資者を募り、資金を調達し、
②その原資を元に利益を出し、
③その利益を配当として出資者に還元する(これは必ずしも行わなくても良い)
というスキームを持った営利企業だ。

当然営利企業なので、一般的に言えば「従業員にベーシックインカムを配給する福祉団体」とはまるで異なるし、重要な指標はROI・ROAであるし、経営能力を図る指標はROEである。

そして大原則として、その数値を下支えしているのは売上と利益である。つまり収支のバランスを整えながらできるだけ早く資本を拡大し、資本収益率を同時に上げていくのが経営者の最もすべきこと、ということになる。つまり、「一見すると相反していたり、禅問答のように矛盾しているように見える事物」 =「複雑なもの」をマネジメントする能力が高いことがいい経営者の必須条件ということだ。営利企業におけるアセットは「ヒトモノカネ」と言われているように、ヒトのマネジメントが他のアセットと比較してとりわけ重要だ。

 

これは本来的に言えば「アタリマエ」のことなのであるが、その原則を外した言論がしばしば流布している。

 

この一般論に対し、アンチテーゼのように切り込んでいったのが「スタートアップ」と呼ばれるものである。
スタートアップの特徴は「企業価値(株式の価格)を最短で期待する金額にまで持ち込んで売り切ることで大金を得る」という例外的なアプローチだ。

この限りにおいて、「必ずしも売上収益をバランスさせる必要がない」のである。

もう少し理解を促すために単純化するとするならば、スタートアップの一番本質的な商品は株式と言って良い。(だから高値で株式を販売することができたファウンダーは営業の才能があるし、それ自体は自慢できることだと思う)

当然IPOの場合は監査が入り、「売上収益をバランスさせる経営能力が備わっているか」を見るので、n-に入ってからはスタートアップというよりもむしろ「ベンチャー企業」である。

 

なので、僕個人の意見を言えば(ここから先は原則にのっとった解釈のみ記載している)「売上収益をバランスさせている企業」はベンチャー企業であって、スタートアップではないし、スタートアップは最短でのハックが目的なので、労働の対価として株式を保有していない限り、「働く環境としての選択肢」ということには絶対にならない(と僕は思う)。
短期間で大金を稼ぐことが存在意義になっている以上、スタートアップでビジョンを掲げるということに僕個人としては少し違和感が残る。そしてスタートアップを豪語している枠組みの多くがあらゆる従業員を巻き込んでいるが、先の通りその会社は商品なので、原則を理解した上で参画していない限り、おそらくあなたは何かしらの形で騙されている可能性が高い。あるいはもしくはその社長も自分たちのやっていることに気づいていないか、もしくは、自ら望んで商品化されていくことを期待しているという見え方を僕はする。

 

僕たちが何に取り組んでいるのかについて、改めて書こう。
「僕たちは株式会社であり、営利企業を運営している。」これ以上も以下でもない。

そして営利企業である限り、常に従業員の生み出した収益の一部を企業利益に勘定していく。株式会社で働くということはそういうことなので、その前提を双方が合意し、お約束が結ばれている限り、雇用-被雇用の関係が成立する。

 

また、僕たちは株式会社というメカニズムを利用して経済成長を促進することを目的としている。なぜならば、経済の発展が社会の発展に寄与すると信じているからだ。

 

ここまでは他のどの企業ともまるで同じ枠組みを持っている。
僕たちが自分たちをユニークなものとして捉えている理由は次の一言による。すなわち、「社会に向き合い続けることで内面的な自由を獲得することを目的として掲げている」ということだ。

 

僕たちは既存の枠組みから自由になるために、既存の枠組みに則った営利活動をしている。結果としての経済成長を目指しながらも、僕たちが真に価値を感じているのはその営み、プロセスそれ自体ということだ。

なぜなら、人は社会的な枠組みから絶対に逃れることができないから。

僕たちが本質的に取り組んでいることは「抗い」だと思う。
社会に点在するありとあらゆる常識、慣習、文化、歴史、他者・・・といった相対的な全てに対して自己と照らし、疑い、脱構築をするための問いかけを行い続ける。そしてその試みを通して自分自身の運命に抗っていきたいんだと。

 

もとも子もない話をしてしまえば、「この社会に問題が存在しているか否か」は当人の主観によるものでしかない。もっと言えば「あなたはなぜそのことを問題と捉えるのですか?」ということだ。そこにあなたのトラワレが存在しているんでは?というソクラテスのような嫌がらせを自分たちに問いかけ続けている。

 

僕たちはこの問いかけなしに生きることができなくなってしまった。それは知り過ぎたことが理由になっているかもしれないし、知らなすぎることが問題になっているかもしれない、そのことはよくわからない。


農耕社会が成立してから「富」の概念は暴力的なほど重要になった。略奪を生み出したからだ。狩猟採集の生物に「富の収奪」の概念は存在しないだろう。農耕社会における略奪は「できる限りカロリーを消費せずに生存する」という力学の究極的なもので、それが争いを生んでいるし、それは今日においても変わらないだろう。

 

その争いが少なくなった要因はいくつかあるが、ここで僕が信じているのは「生存するのに必要な富の貯蓄」を満たしたからだと思う。いま起きている争いの多くは「生存を脅かされた人々の抗い」もしくは「より多くの富を収奪する欲望」のどちらかもしくは両方を出発点としているという見方をする。

社会は農耕を通して争い続けたが、テクノロジーは良くも悪くも人間を発展させた。それ自体は真だ。社会の富は「お金」にとって代られたが、この「お金」の生産量を増やしていくことがひとまず世の中を良くするということは間違ってはなさそうだ。

資本主義というのはつまり株式会社のメカニズムと同じで、資本を投下して利益を得る運動の連続体ということだ。これが僕たちの則っている「ゲームルール」ということになる。

 

生存が満たされた今、先進国に住む我々が社会のどこに問題を置くのか。「富」の概念が存在しなかった頃にはまるで存在しなかった「格差」という問題は、なぜ問題と言えるのだろうか。ライオンやチーターは格差の問題について思いを巡らせたりするのだろうか。家畜は?

 

このどうしようもない禅問答に答えを出していくために活動を続けていきたいというふうに回答すれば、少しは僕たちが会社を設立した理由についてイメージが湧いてくれるだろうか。僕たちはこの種の問いと向き合い続けることによって、現代社会の枠組みから自由になることができる。というかそれ以外に方法はない。僕たちはその抗いを通して、僕たちを縛り散らした枠組みから一つ一つ逃れていくことができると信じているということだ。

故に、僕は会社にプロレという名前の重たい十字架を背負わせた。資本主義活動の矛盾に問いかけ続けるために。

 

そういうわけで、僕たちが取り組んでいるのは「既存のゲームルールに従った株式会社=営利活動」でありながら、「僕たち自身との闘争」である。
ユニークであるが故に「既存の枠組みに対する抵抗運動」を含蓄する。


その結果、僕たちにできることは青天井になると信じている。なぜなら、既存の枠組みから逃れ続けるメカニズムと創造性を獲得していくメカニズムはまるで同じだからだ。

人材業界というのはとても面白くって、「他者理解のために自己の脱皮をひたすら繰り返さなければ価値も売上もでない」というメカニズムになっている。そして業界や企業を横断的に見ているからこそ「機会に聡く、事業選定が可能になる」ということだ。
それがあらゆる業界に事業を展開し続けることのできる理由になる。故に機会が多く人材が育つという好循環を回すところまでいきたい。そして少しでも多くの企業が模倣したらいいと思うし、輩出されていく人材が多ければ良い。当然僕も後世に機会を明け渡すことを念頭に置いて生きている。それができないようであれば、既得権の仲間入りだ。そうなったら少なくとも僕は生存理由を失ってしまう。




僕たちが中心に据える価値観は「自己の内面と向き合い続ける」でしかなく、このたった一つのことに取り組み続けている限りにおいて、社会に対して価値を発揮し続けることができると信じる。そしてそれがそのまま採用要件となる。
時には過去の自分を否定しなければならないこともあるだろう、トラワレに気づいた時には酷く傷つくこともあるだろう。でもそういったことを一つ一つ乗り越えていくことでしか、僕たちは誰かに何かをとどけることができないはずだ。

僕たちはそういう集団でありたいし、その取り組みを続けていくと決める限り、名義上雇用主である僕とあなたとの関係は常にフラットだ。馴染みのいい言葉でいえばティールを目指していると言えるのかもしれない。

 

 

現状を書いておこう。コロナによって事業計画の80~90%は泡のように消えていった。
代わりに僕たちは生存することを第一目標に計画を修正した。
5月時点で立て、銀行に提出した売上計画は、発生ベースで見てみれば6月7月と順調に達成している。これはひとえに共同創業者のおかげである。(僕は売上を上げるといったことがどうも苦手のようだ)
それでも会社の存続は常にギリギリで、毎日資金繰りのことで頭を悩ませながらもがいている状態だ。

 

僕はマルクス主義者だろうか。ピケティ主義者だろうか。ケインズを信望しているのかそれともデービットアトキンソンか、小熊英二か。誰でもいい。

とにかくgが労働生産性×労働人口で計算される限り、今の日本において労働生産性のみがgのレバーだ。これを飛躍的に高めることができない限りおそらく死ぬ。

資本/所得率β=s/g で、gが伸びずにs(ストック=貯蓄)が増える限り、国民所得αは搾取され続ける運命にあるからだ。そうなると資本収益率rはどうなる?

 

僕は2020年のコロナを皮切りに、どちらかといえば慢性的な大不況になるという前提に立ちたいと思う。恐慌によってrが下がり続ける限り、ビジネスの主役はもっぱらgで、労働収益率である。


この未曾有の不景気をr > g の格差を広げるものとして捉えない。
rはg(生産性)が上がらない限り格差を拡大することができず(これは米と日の比較で明らかになる)、できているとしたら奇妙な再分配が起きているはずだ。もし仮に今の日本でβが伸び続けている限り国民所得αは10年でしぼみに萎むだろう。消費が死ぬことでrの収益率は絶対に下がる。それが2050年に起きるトレンドかもしれないが、僕は2020-2030に起きる最重要トレンドだと読む。

 

 

僕たちは内面的な自由を獲得するプロセスを通して創造性を獲得し、
その創造性があるからこそ夢を見続けることができる。ビジョンという夢を見続けることができる。大学生の時に見えてしまった共産資本主義の合流というブループリントに少しでも近づけるために、歴史の歯車のひとつになるために、バトンを落とさずしっかり後世につないでいくために。

 

わかりあえなかったから、せめて理解しようとしたかった。

 

小学生の時から、僕は明確に「自分は人とは違った人間なのだ」ということを自覚した。両親が離婚したからだ。僕と姉は、「自分たちが普通ではない」ということが他のみんなに気づかれるのを恐れ、「母方の性」になることを拒んだ。それについては母も少しは傷ついただろうが、それでも僕たちの思いを尊重してくれた。

 

今となってはなんとも思わないことでも、当時小学5年生の僕には、とんでもない大事件のように感じられた。「普通ではない」ということがどういうことなのか、まるでわかってもいなかったのだ。ただ、怖かったのだと思う。

 

最も仲の良かった友達に、"そのこと"について恐る恐るカミングアウトしたこともある。小学校6年生くらいの時だった。彼はその後も変わらずに接してくれていた。

それからの僕は、カルマを受け入れるために生きてきた。それなりに必死に。だけど、どんなに健気に振る舞っても、自分にはどうしようもできない「普通ではなさ」を突きつけられ続けてきた。とにかく僕たちは貧乏だった。

 

中学に上がって部活動を続けるのも必死だった。スパイクを買うのだって、バッシュを買うことだってできない。試合の日にはパンを買って昼食にすることも叶わないし、おにぎり一つコンビニで買うのだって難しい。かろうじて母が買ってきているお米を炊いておにぎりをつくり、それを持っていくという生活。母親は、出来る限り僕に余計な出費をして欲しくないようだ。

友達と遊びにいくにしても困る。みんなが携帯電話を使って楽しそうに恋愛をしているのだって、僕だけがまるで無縁の生活だったし、サイゼリヤにいく時は絶対に500円以内にしないといけなかったし、そのお金は「母親が貯めていた500円貯金」からくすねる必要があったし、着る服のほしさに万引きをしたこともある。
日々の生活費は、毎年もらえる合計2〜3万円のお年玉を崩しながら生活をする。


僕にとって、「それが普通」だった。これが僕の「ありふれた日常」だった。

 

 

出来る限り普通らしさを演じていく中でも、やはり僕は自分と他人が明確に違うということを受け入れざるを得なかった。そうした思春期を送るにつれて、日に日に心は枯れていく。学校のテストでどんだけ高得点を取ろうが、素行が悪いと見做されれば、内申がよくなることはない。私立に通うことなんてとうにできない僕にとって、内申点があがらないというのは致命的だった。
「どうせ自分は頑張ったって報われないんだ。頑張ることが許されていないのだ」という学びを得てからは、先生を見下し、喧嘩を売り、同級生がみんな馬鹿に見えて仕方がなくなる。我ながら相当やばいやつだったのは間違いない。今になってわかるけど、攻撃性が増していったのは、そうして自分を守ろうとしていたのだと思う。

 

やがて僕は、上記のような「普通ではなさ」を積極的に「他の人と異なる特異性」として受け入れていくことを切望するようになる。そうやってアイデンティティをどうにかして形成しないことには、生きた心地がしなかった。

 

そんな中でも、高校生になったらやり直したいことがあった。中学の時に辞めてしまったサッカーを、もう一度真剣にやってみたいと思ったのだ。

 

当時弱小だったサッカー部が0-14といった二桁スコアで負けるのが常だった中、中学2年生の新人戦の時、キャプテンと僕が次に試合を行うチームのプレーを偵察にしている最中、僕のチームメイトが、鬼ごっこをしているのを、他校生に「なんであいつらあんな負け方をしたのに鬼ごっこしてんの?」と素朴な疑問をぶつけられていたのを、真後ろで聞いてしまったのをきっかけに、ぶちギレしたことがある。

 それから次の月曜日、放課後に僕の靴がなくなった。チームメイトに捨てられていたのを友達が広い集めてきてくれたんだけど、「そんな連中とはもう二度とサッカーなんてできない」といって、僕は退部した。
幸い、香川から転校してきたばかりの、選抜候補のバスケ部の友達が、「そんなやつらほっといて俺たちとバスケしない?」と言ってくれた。僕はなんとか「部活動に所属」することができていた。

 

 


別に自分がもう一度サッカーをはじめたとしても、プロになることができないというのは承知の上だった。それでも、道半ばで辞めてしまったことに対する後悔が、僕の何かを駆り立てたのだと思う。ブランクがあったのもあって、しっかりと走り込みだけは頑張っていたし、どんなに辛いことがあっても耐えられると思っていたんだけど、

結局またしても部のメンバーとうまくいかなかった。

 

 

部費は少なくとも3万円はかかるらしい。ユニフォーム代や遠征費は10万以上もするらしい。スパイクやウェアや、試合にかかるお金を含めると、年間で30万くらいはどうやってもかかる。
僕は甘かった。それくらい、親なら出してくれて当然だと思った。親の経済状況についてはまるでわかっていなかったけど、それでも生活ができているということだけが、そのお金を供給できる希望となっていた。

でも、母親は僕が高校生になって部活をするのに反対した。
どうしてもやるなら、自分でどうにか捻出するしかなかった。生活費も、すべて。

週一回、居酒屋でのバイトを部活がない平日の17時からいれて、800円で5時間。4000円。部活動は週に6回あるから、稼げて月に16000円、暇な時には早上がりすることもあるし、なんとなく少ないような気がするバイト代の中から、7000円近くする携帯代をどうしても払いたかった。

そうすると残るのは9000円。それは全て生活費に回す必要があったから、どう考えても部活を続けられる状態ではない。

 

それでも頑張ったと思う。朝練にいくために6時には家をでないといけないから、くたくたになって疲れ切った状態から、昼のための弁当を作っていたし、そんな生活を半年続けた。唯一、授業中だけが僕が取れる睡眠時間のようだった。

でも、もうダメだった。まるでダメだった。

 

 

僕は部活を辞めて、次第に学校にも真面目に通わなくなった。

 

 

どんなに気持ちを切り替えて、頑張ろうとしたって、なんにも報われないじゃないかと思った。中学のときにも、高校のときにも、頑張ったって、なんにも状況は好転しない。僕が未成年というだけで。親という身勝手な存在から、不自由を押し付けられて育った。

 

そんなの、頑張ってなんになる?どうせ僕は高校を卒業したらなんとなくフリーターになるか、姉がなると言っている美容師にでもなると思った。ただひたすら、出来ることなら早く大人になりたかった。

 

勉強なんてくだらなくって、誰がなんのためにやらないといけないのかわからなかった。学校の先生とはいつも喧嘩をして、その度に、クソくだらない生活をしている馬鹿な教師に暴言を吐いたりして、停学になったこともある。

 

 

コンビニでアルバイトをはじめてから、僕は次第にそのコンビニに入り浸るようになった。ジャンプやマガジンを読んで、フリーターの夜勤の人たちとずっと談笑をして、2時くらいになって帰ったり、朝になってから帰ることもあった。途中で仕事を手伝ったりもしたし、夜勤のフリーターが12時になってもこないから、それまで働いたこともある。そんなときには店長のポケットマネーでバイト代をもらっていた。

 

朝までそんな調子でいるもんだから、学校の勉強もしなかったし、成績表に1が8つついて、このままだと進級ができないという状態にもなった。僕はそれでもよかった。サッカーをもう一度頑張りたくて入った、「それなりに強い高校」のその他の長所なんて特に見当たらなかった。自転車で30分はかかるし、雨の日には制服がぐちゃぐちゃになる。

 

このまま学校を辞めてやろう。それが最もいいアイデアのように思った。

僕はこの社会から爪弾きにされているのだと思った。

 

 

 

そんな時に僕をなんとなく救ってくれていたのは、小学生からの幼なじみで、一緒に弱小サッカー部にいた友人と、僕をバスケ部に誘ってくれた友人だった。
彼らは高校受験で早大学院に入学して、1週間がたった頃こう言った。「ここにはお前みたいに面白いやつがいっぱいいるぞ」

僕は心底後悔した。「ああ、中学のころにもっと真面目に勉強していたら、自分も自分と同じような同級生と友達になれたかもしれないのに」

 

幼なじみは、僕のことを頻繁に遊びに誘ってくれていた。学院が家から近かったのもあって、L組の子たちとも仲良くなったし、学院祭に呼んでもらって、2日間彼らのナンパ活動に付き合ったりもした。

 

僕にとって、それがなによりも新鮮で、とにかく楽しかった。

「ああ、自分にはしっかり居場所があったんだ」

そう思えた。

 

 

 

初恋の女の子が豊島岡女子に進学してから、前略プロフで仲良くなって、僕の働いていたコンビニにきて、アドレスを交換して、1時間半も入力するのに時間のかかる1万字のメールも、「震えるほど好きです」と告白されたことも、全部、今の僕を僕たらしめる原動力だ。

彼女もまた、兄がそうだからという理由で、早稲田に進学したいらしいことを知った。

自分はどうしようもなく惨めなやつで、これからフリーターにでもなろうとしているポンコツなのに、翻っては高校一年生のうちからしっかり進学を見据えて学校の宿題をこなしている。僕のメールに付き合いながら。
その比較に、どうしても耐えられなくって、あなたから逃げてしまったこと、今、また会えるなら、この情けない僕をどうか許してほしい。

 

 

だから進学しようと決意した。東大ではなく、早稲田に。

 

 

高校二年生、進路説明会のおっさんが欠席も遅刻も仮進級の成績も全部、関係なしに奨学金を借りられるということを教えてくれた。僕はその時から、自分の人生をもう少し長いスパンで見てみようと思った。まるでなにも思いつかなかったけど、ただ最近覚えた「モラトリアム」という言葉が、僕の何かを突き動かしたような気がする。高校二年生の時のぼくは「自分の可能性なんて今はまだまるでわからなすぎるから、大学4年間というモラトリアムがほしい」とただひたすらに思った。

 

それと、僕は今までのこの理不尽な世の中に一つ文句をいってやりたかった。
このクソみたいな社会に文句を言える権利があるのは、フリーターなんかじゃなく、このクソみたいな社会のレールにしたがって実績を出したやつだけだと思った。
少なくとも、早稲田という大学を出てさえいれば、それなりに振り向いてくれる人もいると思った。僕は出来る限りの正攻法で自身の「普通ではなさ」を証明してやろうと企てた。

 

 

まず最初にはじめたことは、「毎日きちんと学校に通う」ということだった。
それは担任の先生に「まずどうしたらいいですか?」と聞いた時に「まず学校に毎日きなさい」と言われたのを間に受けたからだ。それから、僕はしっかりとテスト勉強をすることにした。最初は下から3番目だった成績も、21番、15番、6番と上げていくことができた。今だったら、受験勉強にフルコミットしていたほうがよかったと思うけど、当時の自分にとってはそれが一番近道だと思った。

 

高校三年生になって、受験勉強をしっかり始めるという段になって思い知らされたのは、「まず毎日2時間勉強するのも無理」ということだった。そもそも自分が今何ができていないのかもまるで分からず、安河内の英語の参考書を買っては、ちんぷんかんぷんのまま勉強をしなくてはいけなかった。4月に受けた河合模試の偏差値は30代だったし、志望校における順位は3000~5000人中、下から10番以内。

 

アルバイトも続けながらだったから、相当大変だったと思う。高校三年生の夏の講習では英作文で「you is ・・」を和訳してはぷぷぷw といって笑わられたりもした。be動詞は僕にとってB動詞だった。

 

 

高校最後の文化祭は演劇をやるのが文化だったらしい。僕は頑なに「指定校組がやればいい」と主張したが、一向に決まる気配はない。あいつらはそういう人間なんだ。僕は、煮え切らしたように「自分がでる、でもやるからには賞を総ナメにする」と言った。一般受験組が、その思いについてきてくれた。


僕はだいぶ問題児だった。演劇を途中で諦めようとも思ったし、その度にクラスメイトには迷惑をかけたと思う。だけど、7つあるうちの5つは僕たちが受賞した。主演男優賞と、総合優勝はできなかったけど、僕たちは「大人の事情」に気づいていたから、それがかえって総ナメにできていたんだと思った。

 

 

演劇と受験とバイトを両立するのは本当にきつかった。僕は何かを辞めなければ、あとの二つを成し遂げることはできないと思った。先生に言われた通り、バイトを辞めることにした。でも、バイトをしなくなったら、多分受験料がどうにもできない。

 

センターの申し込みは10月にあった。当然自分も受けるものだと思ったが、親に頼んでも2万円の受験料を支払ってくれることはなかった。

 

一般受験だけを受けることになりそうだと思ったが、当然センターを受けられないのであれば、うちの母がそのお金をどうにかすることはできない。

担任の先生は、「おれが出してやる」と言ってくれた。だけど、僕はそんなことさせるわけにはいかなかった。「いまのままでは到底受かりっこない」ということを察していたからだ。

11月、栄養不足もあったのだろう、体育の時間に足を挫き、それが理由で骨折してしまった。
絶望的だった。ここまで不運が重なることなんてあるのかと、結局、自分には頑張るということが何一つ許されていないように思った。

学校に行かなくなると、担任の先生から電話がかかってきた。

「もう、諦めちゃったのか」「とりあえず学校にきてみたらどうか」

 

僕は1週間、引きこもって考え続けたあと、なんとかして松葉杖を担ぎながら自転車を漕ぎ、昼休みの時間に担任の先生に「浪人します」と伝えた。驚いていたが、受け入れてくれた。

 

僕はきっと、問題児すぎた自分の面倒を、この担任の先生が2年間もめげずに見続けてくれたから、今もこうして前を向いて生きていられると思う。

学校を停学になった時、「そのままじゃ大人になって苦労するよ」と言われた時、「尖っていられるのが今のうちなら、尖っていた方がいいじゃないですか」と言ったこともある。苦笑いをしていたけど、クソガキを諦めずに愛情深く見守ってくれていたから、僕はそれなりに安心して学校に通えていたし、高校三年生の進路として進学クラスに行きたがった時、「お前の引き取り手がいないから俺がやるしかなかった」と言っていた。普通クラスでのらくらする予定だったのを、相田が真面目に受験をしたいという理由だけで、1年間引き受けてくれたのだ。

 

卒業式の時、担任の先生は少し悲しげだった。心配してくれているのが伝わった。

僕が「早稲田にいく」ということを心の底から応援してくれている人は本当に少なかったと思う。周りからはすごく馬鹿にされていたし、ビッグマウスだった。
でもその度に僕は「今ここがラストチャンスで、ここで頑張らなければ、最悪の人生がこれから待ち受けているんだ」ということを熱弁し続けた。僕は親を見ていたから、彼らのような悲惨な運命になりたくなかった。反面教師がいた分だけ、リアリティを持って、僕たちの将来を見通すことができた。
だけど、そんなことお構いなしに、同級生はせせら笑っている。


そんな中、ずっと真剣に応援してくれる人が本当に少ないながら、いてくれた。

それが元カノだったり、親友だったり、恩師だったり。数は少ないけど、僕は彼らに支えられてい生きていることを実感した。

 

浪人している時、6-9時のコンビニバイトと17-22時のパン屋でのバイトをを週に3~4回ずつこなし、8万円を稼ぎ続ける計画を立てた。500時間。勉強に注げたらどんなによかっただろう。だけど、僕にはそれしか方法がなかった。50万を稼ぎ、30万を貯めて、20万で乱れ打ちをする。廃棄のパンを1日3食食べ続ける。飽き飽きとしていたけど、あのパンがなかったらきっと僕はもっと険しい受験勉強時代になっていたと思う。

 

1年目に受けた大学は全部落ちた。滑り止めを受けるくらいなら2浪したほうがましだと思った。就活に影響するとか、2浪は仕事がないとか、散々言われたけど、
それしか他に方法がなかったから、それを選択するしかなかった。

 

2年目が始まった時、精神的にまじでヤバかったと思う。外を出歩けば、みんなが自分を笑っているような感覚がした。みんなが自分を馬鹿にしているのだと思った。統合失調にかなり近い精神状態だったと思う。

 

そんなこんなでバイトもうまく入ることができず、7月になっても貯金がまるでできていなかったので、時給1500円の派遣スタッフの仕事を始めることにした。これなら、3ヶ月で30万貯めることができる。


携帯ショップでの派遣バイトや、家電量販店でのアルバイトはそれなりにキツかった。電車に乗っている往復3時間と、昼1時間の休憩時間と、スタバにいる21時-23時までだけが、僕に許された勉強時間だった。11月末までかかったけど、融通を効かせてくれたおかげでなんとかギリギリお金を貯めることができた。

 

 

本当にしんどい生活だった。地獄のような日々を繰り返していると、「もう自分は十分頑張ったんじゃないか」「これ以上頑張らなくったっていいんじゃないか」という気がしてくる。

「もう自分の人生、満足したなあ」そう思った時、一気に「今死んでもいいんじゃないか」と、そんな感情が湧き起こってきた。

 

でもそれでも死に対する納得感がなかったのは、「今までずっと応援してきてくれた数少ない人たちに、自分はまるでなにも恩返しができていない」ということに気づいたからだった。だから、「僕は僕の人生に満足したけど、これからの人生は人のために生きよう」とだけ決めて、死ぬのを止めることにした。

 

 

死はいつだって僕を呼んでいる。

 

今でもたまに、そう思う。

だけど、そのたびに、僕は自分がまだ返せていないものを考えるようにしている。

 

 

 

結局、第一志望の早稲田に合格することはできなかった。かねてよりずっと、勉強がしたかった政治経済について勉強ができるのは、僕にとって少しだけ嬉しかったことでもある。僕が受験期間に考えていた「私有財産の否定」と、同じことを言っている人が過去にいたことを知ったからだ。自分の人生は、自由を掴むための人生は、人のために生きていく人生は、これから始まっていくんだと思えた。

 

 

 

 

今の僕は、過去の自分が抱えてしまった「普通ではなさ」を埋めるために生きているといってもいいのかもしれない。

 

「自分が普通ではない」ということを正当化したいがために、今の今まで走ってきたことを考えると、僕だって偉そうなことを言っておきながら、「誰よりも人にわかってもらいたい」

 

数々の場所ですれ違ってしまった人々とわかり合えなかったから、僕はせめて理解しようとしたかった。

 

だけど、みんなのことを理解しようとすればするほど、まるで自分という城を築いていくかのように、どんどん距離が離れていってしまっていくようだった。
人間というのは愚かで、生物的な本能から逃れられることはないのだと。

 

 

今、僕はそんなわかり合えなかった人たちと、わかり合うことを必要とする仕事をしている。人はきっと、「理解なんてしなくたっていい。ただ共感しているフリさえしたらいいんだ」って、そういうかもしれない。あるいは、「これはビジネスなんだから、売上があがってさえいればいいんだ」というかもしれない。

目の前の人を理解する、というのはあるいはもしかしたらおこがましい行為なのかもしれない。そんなことできるわけがないという前提に立ったっていい。

 

 

 

それでもやっぱり申し訳ないと思うのは、僕がこの仕事を通して「自分だって理解されたい」と思ってしまっているということだ。それによって僕たちはわかり合うことができていないような気がする。もしそうだとしたら、その落ち度は僕にある。

 

 

僕は今、「普通ではない」ということを正当化するための部分的な人生を、脇において進まなくちゃいけない時がきたんだと思う。

 

そうしたら、少しは人のために生きることができたって、
胸を張って言えるかもしれないから。

 

 

 

とある零細企業のコロナ禍における社長としての意思決定

5月1日に、新しいサービスをリリースした。
すぐに転職ができるオンライン完結のエージェントサービス。
この情勢の中では、「黒字化して決算をしめるには」ではなく、「自分たちが生き残るにはどうしたら良いか」が最優先事項になっていた。そのため、当初想定していたバーティカル領域からピボットし、今回のサービスを企画し、2~3日後には集客を開始した。

 

コロナ禍の中で、時流を捉えたのもあって、登録者が止まらない状況が続いていて、
現場二人の弊社ではとても捌き切れないほどの方々が、次の仕事をすぐに見つけるために、行列をなしている状態になった。

 

PRも想定を上回る速度で拡散されていった。時たまネガティブな引用リツイートが見つかったりもするが、同業者の恨みを買っているのだろう。

prtimes.jp

 

 

今回スグキャリをリリースするに至った背景を書く。

 

 

まず一個目は、初期仮説の事業進捗がまるで進まないということ。
元々は不動産管理領域周辺の人材紹介を行う予定だった。これは「PMF確立までの強固なキャッシュフロー構築」かつ「顧客接点の獲得」かつ「業界構造の理解」という、エスエムエスマフィア御用達の登り方だ。福岡に遥々旅行しにいったのは、要するにそういうことである。

 


4月より求人票集めの準備に取り掛かっていた頃、コロナの影響と、自身の営業能力の欠如によって、そもそも求人開拓が難しい状況だった。

不慣れなテレアポでの求人獲得率はそんなに悪くはなかったのだが、
そもそもコロナで採用をストップしている企業、テレワークで人事不在、新規営業お断りといった状況。
さらに、今の状況でも採用活動を緩めていない企業というのは、
紹介を希望する採用要件が厳しく、現状集客できている求職者の方とのミスマッチがギャップとして大きな壁となった。

 

そこで、再度STPを見直すことにした。この調子で活動を続けた時、売上が立つのは一体いつなんだろうと。

想定していたマーケットサイズは、職種に限定すると小さかったが、業界に広げると収益化には問題なかった。
集客自体もそこまで問題ではなかったのだが、やはり営業力=実行力=相田の確動性の低さが課題になってきた。

 

最短での単月黒字化が経営アジェンダだった。今のままでやっているとジリ貧になってしまうので、どうにかしてやり方を工夫しないと死ぬっていう状況の中で、
求人データベースを活用してCA業務に振り切った方が、自分たちのケーパを活かした事業拡大ができて良い。

という結論に至った。

 

もう一つ。
うちの姉から、「コロナの状況についてどう思う!」というラインがいきなり飛んできた。げぇ〜っと思った。もしかしたら、社会はもうすでにヤバイ状況になっているのではないかと思ったからだ。美容業界で働いてる姉は、案の定「このままだと最悪4月の給料が支払われないかもしれない」と言った。

 

最初は軽い気持ちで検討していたのだが、だんだんとコロナ状況のヤバさを、身近な人に影響がでていることからリアリティを持ちはじめてきたのだ。

 

そんな折に、前回書いたブログの内容がフラッシュバックしてきて、
なにかこう、自分の中で「これは絶対にやった方がいい・・」と確信に至って、
夕方鬱々としたベッド篭りから飛び起きて、共同創業者に、「これをやるぞ!」と力強く意思決定した。

 

まずなんとしても避けなければならないのは、3ヶ月後に起こり得る大量の失業者がクラスターを生み出してしまうことだ。
営業活動停止によって不動産家賃が支払うことができず、住む家を失ってしまった人たちは、前回のように集団生活に移行することはできないだろう。本当に感染を防ぎたいのであれば、国民の住居を補償する必要がある。

そのためには月々の経済補償が必要で、そのための給付金はマスト。じゃあ仮に国民全体に10万円を配ったとしたら、10兆の財源が必要になる。確か50兆程度の財源確保は可能だが、100兆規模は今の日本の財政状況だととても対応仕切れない。つまり、2ヶ月後に倒産するみたいな状態だ。

 

このままの調子でいくと、7月から8月のいずれかに大量の失業者がクラスターを生み出すというエックスデーが起こりかねない。それを少しでも避けなければ国家として10年、衰退し続ける。WWⅢを除いて、それがワーストシナリオだ。

 

自分なりの見解としては、「政府紙幣か国債発行で補助金を大量にばらまく」×「生活必需品については価格統制」として、社会変革に踏み込むのが取れる最善なんだろうと思っているが、おそらくそれは実現しない。今の社会に蔓延る相互監視と同調圧力による全体主義国家がすでに成立しているからだ。1984で描かれたディストピア世界は、皮肉なことに、資本主義国家でも同様に、インターネットを媒介に実現してしまったようだ。つまり、お上は「そんなことをしなくても、下々は互いに不幸になりたがる」ということをどうやら理解されているらしいので、社会が幸福になる方に舵を切るよりも、この格差を維持したほうが自分たちの儲けがでかい。ということだ。

 

 

ソ連崩壊の際に起きた、オリガーキー達による政治腐敗は、もう日本でもすでに実現しているといって良い。このままデフォルトが起きるとは考えにくいが、おそらく日本が先進国に戻ることは難しいだろう。僕は、日本が戦争に負けた時から、この未来はいずれ訪れるものだというインサイトを持ってしまった。ここに抗うというのは、日本や世界における侵略の歴史と闘う・あるいは弱肉強食という自然摂理から解脱するということに他ならず、新安保法案の際の学生運動、世界各国で起きた革命のその後の歴史をみるに、どうやら僕たちがどうにかできる問題を遥かに超えてしまっているというふうに考えざるを得ない。石原莞爾の言った世界最終戦争論という予言は、もしかしたら部分的に正しかったのかもしれない。

 

 

もし仮に、8月までにコロナが収束したとしても、その爪痕は5年は長く響くだろう。リーマンショックよりも実体経済に影響がある点、アジア圏のみ経済回復しても、欧米地域では依然、コロナの影響が残り続ける点を考えると、5年というスパンですらも短いかもしれない。シーレーンの問題で米中露が揉めているのも相まって、もしかしたら世界はもっとやばい方向に向かっている可能性だって否定できない。

 

 

そんな状況の中で、自分たちの初期戦略にこだわる必要性はまるでなかった。

社会のためにどうするかをベースに、自分たちにできることを粛々とやったほうがいいのだという閃きが舞い降りたので、なんとしてもスグキャリを少なくとも5年は続けられるよう、かつより多くの人がなんとかなるように頑張っていきたいと思った。 

 

 

 

 

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余談だが、

今回スグキャリの概念を発明した時に、学んだことを、メモ書き程度に残しておきたい。

僕が疑問に思ったのは、「なぜスグに転職ができる」ということが今までコアバリューとされるサービスはなかったのか。

ビジネス都合で言えば、(表現はすこぶる悪いが)在庫の歩留まりが解消されて、キャッシュフローが改善されて、オペレーションが最適化されていくと提供価値があがっていくはずだ。それ自体はどこでもやっていることだし、今回オンライン完結といっているが、それ自体もすでに、各エージェントでもやっているような内容だろう。

 

おそらく今までのパラダイムでは「利益率を高めるためにハイキャリをマッチングしたほうがいい」という力学だったのだと思う。年収600万円の人であれば、180万円程度、年収300万円の人の3~4人分といったところだ。

 

だけどハイキャリの内定率がそこまで高くなかったとした場合。
例えば5%だった場合、20の求職者対応が必要になる。
内定率が仮に50%だった場合、8人で済む。

今のこの状況で内定率が50%を超えることはまずないだろうが、
ハイキャリ経験のある独立エージェントが、今までのやり方に固執して思ったように成果が上がらない状態になっている可能性はかなり高い。

 

裏側のオペレーション工数を見立てることはできないが、確かに利益率を追っていくのであればハイキャリに群がるのはわかる。ローキャリを募集している企業はそもそも採用予算を確保することができていないことも往々にしてあるし、単価の高い人材紹介を使うのはおそらく難しいのだろう。求人広告よりも採用予算を組みやすいという点で魅力的だと思うのだが。

 

今後、人材業界でどのモデルが潮流になっていくかは正直わからないが、
求人広告の採用単価>=人材紹介の採用単価 が部分的に実現するような業界・職種・セグメントが発生したとしてもおかしくはない。具体的には新卒・第二新卒になるのか、建設になるのか・・・

 

市場自体も成長している業界なので、ひとまずこのコロナ禍を乗り越えた時にボーナスポイントがあるのかもしれない。それが来年、再来年になればベストだが。。

 

 

いずれにせよ、人材業界は不況により、変化に対応できないところは人件費が固定費として重くのしかかり、存続が怪しくなることもあるだろう。
一方の我々はバーンレートがかなり低いので、しぶとく生き残ることができるかもしれない。パラダイムの変化がしっかりと起き、その潮流を逃さなければ、一気に突き抜ける可能性もある。

 

ただ、この調子で爆発的な買い手市場が長く続いた場合、辛く険しい冬の時代の中、低利益率の状態で耐え忍ばざるを得ないことだって起こり得る。幸いなことに、売り手市場の楽さを知らない我々は、この地の底から経験学習をしていくことで、亀仙人の甲羅を背負ったまま修行をしたサイヤ人のような状態になりえるかもしれない。

それでも、やっていくことは変わらないはずだ。

 

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最後になるが、 

今回の自分は、様々な困難にぶち当たることで、自身の意思決定能力を高めていくことができたのだと思う。

 

困難に打ち当たらず、そのままのらりくらり進んでしまっていた時のことと、いまの状況を比較して、

「どうして自分はもっと早くこの意思決定を取らなかったのか」ということを考えていたのだが、そのことを同居人に相談してみると、「むしろ、どうして今この意思決定ができたのかについて考えた方が学びがありそう」と言ってくれた。

 

自分がしていたことを振り返ってみると、ビジョンミッションに照らし合わせながら、今後起こりうるシナリオをパターン化して、それぞれが起きた場合のアクションプランをしたためるという進め方をしているだけだったと思う。

 

なんとなく、それを「戦略性があるから」と片付けてしまうのはもったいないような気がしている。

困難に陥った時、意思決定に大きく影響するのは「今までどうやって生きてきたのか」に尽きるんじゃないか。

 

「思想」や「人のために生きる」といったことを10年以上磨き続けてきて、それが今回の結果につながっているといったほうが、自分としては納得感がある。

加えて、4年前から思考の柔軟性をあげていくことに意識して取り組んできたのもあって、
意思決定ミスに陥る認知バイアスを取り除くことができつつあるのかもしれない。

 

つまりこれからの僕というのは、2016年までに生み出してきた僕という玉鋼を柔らかく、しなやかに美しくしていく為に、何回も、何十回も信じ、疑うプロセスを繰り返していく必要がある。そうして出来上がった、決してブレないが、しかし柔軟な自分が成し遂げることとその可能性に希望を見出したい。大きなことを成し遂げるためには、どうやらそういう人間にならないといけないらしい。

答えを出すというのは疑いうるものを信じることによって達成される。しかしそれはあくまで暫定解にしか過ぎないことを心に留めておく必要がある。そうでないと傲慢であるし、朝令暮改を繰り返すと信用も失ってしまう。だがしかしこの営みは全ての人間に必要かと言われると、僕は必ずしもそうは思わない。それが出来る人に任せてしまっても良いのではないか?と思う。
ではそれが出来る人の宿命はなんなのか。僕という人間はもしかしたら、この問いに答えていくことを必要としているのかもしれない。

 

 

 

この社会を少しでもお金がなくても豊かになれる状態に近づけていくことをビジョンに、

僕たちは全ての労働者に優しくありたいという気持ちと、
自分たちが常に労働者側であり続けたいという気持ちから、
プロレという名前を会社につけることにした。

 

自分が今までどうやって生きてきたのか、どうして今この選択を続けているのかについては、また別の機会にまとめさせていただくとして、

 

今はとにかく、新サービスのスグキャリが人手不足により求職者を支援できないオソキャリになってしまうことをなんとしても避けたい。

 

正直に言えば、スグキャリのコンセプト的には、コロナ収束とともにクローズしてしまったほうがいいと思う。それができるかどうかは、今後の社会情勢と相談しながら進めていくこととしたい。

 

そんな私たちのことを手伝ってくれる人がいるなら、
最後まで読んでくれた人がいるなら、
気軽に僕のアドレスに連絡してほしい。

 

ryuichi.aida@prole.co.jp

 

 

 

 

新型コロナに対する振り返りと、長期化による最善シナリオの考察

おそらく緊急事態宣言は5月6日に解消されることはないだろう。
可能性があるとしたら、引き続き感染元となる三密を引き起こす営業活動は休業し、その他に関しては自粛を続けながら経済活動は再開するといったところか。・・・本当か?

 

経済活動が止まっている状態は、本当に不幸だ。
一度動き出していたものを急に止めると膨大なストレスがかかるように、経済もまた、急激な停止にめちゃくちゃ弱い。
内部留保を2年分蓄えていた経営者は本当に素晴らしいと思う。2017~2018年にかけて、世論では「内部留保に税金をかける」といった言説が飛び交い、大胆な金融緩和を中心としたアベノミクス以降、大企業を中心になぜか投資活動をしないことが問題視されていたが、リーマンショックのようなブラックスワンに対処するために最適という判断をとっていた企業は、結果として雇用維持するだけの社会的責任を果たしている。
これを皮肉と捉えるか、慧眼と捉えるかは自由だが、少なくとも今回の国としての対応を見るに、自社生存の方針を取った企業は結果論として正しかったと言えるだろう。

 

 

対する僕は経営者としては失格なのだと思う。この事態をまるで想定できなかった。

だけど、このような歴史的状況なので、今の自分がどう感じているかをしっかりと残しておきたい。そして今後の自分を戒めるために。

 

 


中国でコロナ感染が生じた時、クルーズ船で感染が始まった時、
僕は楽観的に、日本に上陸することはないか、感染源がわかっているのであれば封じ込めることはできるだろうと思っていた。
しかし政府は、ある種僕の予想通りに、まるで国内にウイルスをばらまくかのような対策をとった。
それら一連の対策をみて、僕はこのコロナというものを当初、どう捉えていたかというと、
「この新型コロナを契機に、オリンピックを中止にし、不景気が回復できなかった理由をすべて新型コロナのせいにしたい」のだと思っていた。
そして致死率でいえば、高齢者が肺炎で死亡してしまうリスクが高く、若年は比較的軽症で済むといったことから、

これは少子高齢化を事実的に解消することになるのだろうなというふうに勘ぐった。

 

 

そんな日和見の生活を送っていたところに、テレビのテロップで「ダウ暴落」が起きた。恐慌が始まったのだろうか。
当初は原油価格の影響によるものという発言をトランプがTwitterで行っていたので、「金融不安を招かないようにそういうしかないだろうな」というふうに思っていたが、

つい先日、原油が史上例をみない状況になった。マイナス価格。マイナス価格!?

リゾートマンションなど、維持費+固定資産税がとんでもないような一部の不動産でマイナス価格というものはどうやらあるらしいということを知っていたが、
金融商品になる原油がマイナス価格になるとは。。きっと金融市場に少なくない影響を与えるだろう。

 

そしてオリンピック延期がWHOとの間で取り交わされた翌日に急激な感染者数の増加。待ってましたと言わんばかりに。そして緊急事態宣言が発令されていく。

 

 

 

陰謀論にも勘ぐりを入れた。米国が武漢にウイルスを撒いたのか、あるいは中国が世界中に感染することを見越していたのか。。。

武漢のロックダウンはとんでもなく迅速に行われていた。更地に病床を10日で作ってしまうくらい、とんでもないスピードだ。もしかしたらそれが中国スタンダードなのかもしれず、日本がとんでもなく遅いだけなのかもしれないが。
このスピードは、「ウイルスによる戦争状態」を想定していない限り実現できなくないか?というふうに思っていた。

ヨーロッパへの感染が広がり始めた時、仏首相マクロン氏がいち早く「これは戦争状態である」と宣言をした。やっぱりとんでもなく優秀な人なのだろうと思った。ドイツフランスはロックダウンを迅速に実行し、休業補償を手厚くしている状態だった。


ビルゲイツは2015年にはすでにこの状況を予想していたようだ。「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」とだれかがいったように、十分に発達した知性は未来予知と見分けがつかない。

 

 

いずれにせよ、米中戦争の引き金になるには十分すぎるほどの恐慌状態になってしまった。トランプは中国にずっと戦争を仕掛けているし、中国はこの状況下で領土拡大に勤しんでいる。
今回のコロナ影響で中国史に興味が湧き、少しだけ勉強してみたりする。僕は日本史で受験をしたので、世界史をあまり勉強してこなかったのもあって、中国が統廃合+侵略を繰り返してきた歴史を抱えていることに無頓着だった。

シナリオとしてあるとするならば、中国共産党政権悲願の世界共産主義化計画の佳境とでもいうのだろうか。もし仮にそのような崇高な理念のもと、習近平氏が目的のためなら手段を選ばないタイプのサイコ意思決定をしているのだとしたら。可能性はなくはない。

 

 

 

他方、非常事態宣言が発令されてから、営業活動はまるで難航し始めている。
そんな中でも取引に応じてくれる企業があるのは本当に幸運なことだ。
政策金融公庫も2月にはすでに動き出していたというのに、審査が大幅に遅れている。
すでに動き出していたということもあって、安心して今年いっぱいはなにがあっても大丈夫という状態を作りに行っていたのだが、状況が変わりつつある。

しかも創業が1月で、売上が立っていない状況なので、コロナ融資を活用することができない。
こればっかりは運が悪かったとしか言えない。どう生き延びていくかにもっと注力していかなければならない。生き残る手段はいくつもあるが、常に最善を打っていけるように、考え抜かねば。

 

正直言えば、当初ホリエモンが言っていたように、「インフルエンザとどう違うの?」と思っていたし、純粋な致死率でいったらインフルの方が高い。ワクチンがないのは問題だけど、すぐに治療法が確立されると思ったし、メディアのプロパガンダなんではないの?というのが当初想定だった。自分たちへの影響は軽微か、むしろポジといったように。

一方で1月末くらいから、コロナの長期化を予想して、銀行融資を全て行いきっている経営者もいる。読み違いだ。思慮の浅さを恥じた。これはつらい。

 

 

おそらくだけど、このコロナは戦時中と思って舵取りを取らないといけない局面なのだと思う。放置戦略を取らないのであれば、僕が考える政府対応はこのようになる。


生活必需品+不動産価格の政府による統制を行いながら、国民全員に一律給付するための政府紙幣の発行

もしくはベーシックインカムのようにお金を配るしかない。
財源を賄うことができないので、今こそお金を刷るべきなのではないかと僕は思う。

 

今後の対策を検討するにあたり、過去に起きた事例を調べた。
例えば、WW1後のドイツ。マルクを大量に刷って軍備費支払いと賠償金に充てたが、供給が増えていないのでハイパーインフレが起こった。その後ヒトラーによる公共事業の展開(具体的にはアウトバーンなど)により、経済の立て直しをした。これはその後のケインズ政策にも継承されていくのだろう。

戦時中は日本でも配給を通して必需品の政府コントロールが行われた。

 

また、リーマンショックによる、日本の影響。当時は非正規雇用の解雇が相次ぎ、日比谷公園で派遣村が生まれ、年越しには炊き出しが行われた。

 

今回のケースでいうと、おそらくそれぞれの事例を横展開しても成果はでないだろう。

まずなんとしても避けなければならないのは、3ヶ月後に起こり得る大量の失業者がクラスターを生み出してしまうことだ。
営業活動停止によって不動産家賃が支払うことができず、住む家を失ってしまった人たちは、前回のように集団生活に移行することはできないだろう。本当に感染を防ぎたいのであれば、国民の住居を補償する必要がある。

そのためには月々の経済補償が必要で、そのための給付金はマスト。じゃあ仮に国民全体に10万円を配ったとしたら、10兆の財源が必要になる。確か50兆程度の財源確保は可能だが、100兆規模は今の日本の財政状況だととても対応仕切れない。つまり、2ヶ月後に倒産するみたいな状態だ。

 

そうなったら国債を発行するか、紙幣を刷るくらいになるだろうが、懸念されるのはハイパーインフレ。当然富裕層は反対するだろうが、僕は基本的にはハイパーインフレのようなある種のデフォルトは定期的に起きていれば格差是正に役に立つという過激派なので、歓迎している節はある。
また、ハイパーインフレを気にして政策が断行できないのもどうかと思う。

しかしもっと言えば、「なぜハイパーインフレは起きるのか」である。
紙幣とモノの需給バランスというのは高度に複雑化したグローバル経済下において、だれがどのように管理しているのだろうか。

生産者は国民の紙幣が増えたことを見越して物価を本当にあげるのだろうか?
確かにニンテンドースイッチは、その需要に応じてメルカリで高額販売されているが。

もし仮に生産者や卸や小売業者がその価格を不当に釣り上げるのだとしたら、
政府主導で価格統制を行うべきだと思う。例えば豚肉は100gあたり200円以上で販売してはならないと言ったように。
これを「ノーインセンでできるわけなかろう」というのであれば、おそらくノーインセンの自粛はまるで効果がないだろう。

また、この政策が全体主義を助長すると言った意見に関しても、「全体主義はその必要性において最善だったからそうだった」としか言えず、認識を改めて、「今は戦時中と言って良い」としたほうがよかろう。全体主義は生存における結果論でしかなく、ベターな選択肢だったから、流行ったのである。

 

価格統制のオペレーション自体は、おそらくそこまで難しくないだろうと思う。
むしろ、大量失業者によるハロワ崩壊、生活保護システムの崩壊の方が恐ろしいし、そのオペレーションを回すくらいだったら、一律で商品価格を規定したほうが楽だと思う。また、肉には肉のランクがあるのだろうから、その辺はよしなに価格レンジを決めていくのがよい。多分、それよりも高い小売価格で販売されていたらどうせ弊国民が通報するだろうから、心配無用なんである。

 

では生産者側や小売側は利益享受できるかでいうと、できると思う。
生産者側は利益率をあげるために生産性をあげるきっかけになるだろうし、
品質を下げて生産したものは、最終消費者が購入しなければ小売も仕入れなくなるはずなので。

不動産価格についても、緊急事態状況での家賃引き上げの禁止としていくのが良い。
失業によって家賃が支払えなくなってしまった場合は猶予を設け、行政で運営している都営住宅、市営住宅に引っ越すことになるだろう。当然地方に住むことも含め。

 

マイナンバーを活用して政府紙幣であったり、電子決済が可能な配給を行うこともできるだろう。小売業者はてんやわんやになるが。
政府紙幣を刷るにもだいぶ大変なので、どうなるかは不明だが、今からやれば7月までには準備できるのではないだろうか。

 

計画経済は盲目的に悪だとされやすいが、先進国においてはすでに混合経済だ。これは市場の失敗に対処するために不可欠であるから。
その中でも特に、価格統制による半官半民のような状態をとることに違和感を拭えない人たちはたくさんいるだろうが、事態は戦時中なので、しのごの言っている場合ではないと僕は思う。

 

スペインがすでにBI移行したように、これから続々と、コロナによる社会変革を余儀なくされる国々が続出するだろうが、それは中国政府にとってとても都合のいい状況であるとも言えるわけで。
日本はどうなるのだろうか。社会主義と資本主義が半々で動いている状態。

そういうこと考えていると、現実っていうのは本当に、小説よりも奇妙で、まるでフィクションのように感じられる。

 

 

 

 

 

 

 

自分が代表取締役じゃないという選択肢

予め断っておきたいんだけど、僕はどちらかと言えば「納得のいかない指示に従えない」タイプの人間だ。逆に言えば、「納得の行く指示であれば従える」ということでもある。

納得のいかない指示に従ってほしい場合は、「ここは折れてほしい」っていうせきららなことを言えるかどうかだと個人的には思う。

 

自分がサラリーマンのときはその意味がよくわかっていなかったけど、雇用されている以上「上司の言うことには従わなくてはならない」のであって、それができないなら辞めるしかないし、サラリーマンとしては失格だ。社会人として失格かどうかはともかく。

そんなこんなで自分で決めて仕事をすることを余儀なくされている身分なので、
はっきりいって、ダメダメなのである。(従業員が意義申立てを行うことのできる前職のような会社というのは本当に寛容だなって思う)

 

そんな体たらくの自分が、お陰様で、「相手のハッピーはどうやったら実現できるか」という点に立って考えることがめちゃくちゃに増えた。


ポジショントークになると思うけど、仮に僕が自分の会社じゃないところで働くことを選択するとしたらどうするかについて、考えていきたいと思う。

 


まずそもそも僕個人のスタンスとしては「いかにクソみたいな社会を少しでも前に進められるか」という点に集約されると思っているし、世の中の人達もそう思ってもらわないとやべえんじゃねえのって思っているタイプなので、そこを中心にしか話さない。その方法として、結局お金が必要なのであって、そのお金を集める手段として、どうやるかだと僕は思ってる。


 

まず大企業でやるということについて。
これについては前職でうまく実現できなかったので、今となっては多分、よほどのことがない限りそうしようとはならないと思う。たとえば40くらいになって出戻りとか。そういうのはあるかもしれない。

20代後半としては機会も限られているし、国内事業売上成長率の維持がいよいよ厳しくなってきたので、一生懸命コストカットしたいのだろう、のらくらとしては高待遇、成長機会としてはいまいちだなーと思う。

特に、連結売上>時価総額みたいな会社に入ったら正直地獄だと思う。ていうか20年後ののらくら生活が保証されていないということだと思うんだけど、のらくら目的の就活生がそういう会社にバンバン押し込まれていくと「おいおい正気か?」ってなる。

 

次に、ベンチャー規模の会社。
未上場なら選択肢。上場後は完全に安定成長がメインになるので、よほどのことがない限り選択肢としては難しい。
経験として足りない身分としてはよさそうだが、正味、どんな経験があれば何が十分になるのかとかよくわからないのでスコープアウト。

 

次に、創業まもない会社。
これは超リスクあると思う。だけど今回はここに絞って会話していこうと思う。

 

まずみんなが気になる点として「株はもらえたほうがうれしいんじゃないの?」論争。この比率については諸説ある。スタートアップ的な場合、ストックオプションのプールは「10%が相場」「多くても15%だけど、まあ例外的」「20%は配りすぎ」
という感じなので、1%保有できるメンバーの上限値は10人程度だ。
当然、経営者としては「後から入ってくる超期待できる人材に株を残しておきたい」というふうにも思うだろう。一方、企業価値が高まっていれば比率が小さくても納得してくれる可能性もあるが。

というふうに考えていくと、できる限り創業期フェーズに入ったほうがキャピタルでのリターンは大きいということになる。理想は創業メンバーだ。株式会社設立にあたって生株を出資金含めノーリスクで取得できる。

 

 

 

まあでもはっきり単刀直入に言えば、僕が創業メンバーだったら「社長、本当にIPOしたいんすか?」って聞くはずだ。もっと言えば、「IPOしなくてもいいんじゃないんすか?」とも。

とした場合、「僕、別に株とかいいんで、インカムゲインでください」っていうことにもなる。だって、株なんてマジョリティ出ない限りいくらもってても売っぱらうほかに仕方ないし、ストックオプションだったらM&Aされたらおしまいなので、そんなに嬉しくない。

僕はもし社長がガンガンに「IPOすっぞ!」と言ってても、多分本音では信用してないと思う。なんですんの?ってところに明確に答えられるだけのファクターが語られていない以上、せいぜい「VCとそういう約束になってるから」とかそういう感じにもなるだろうけど、そんなんは投資契約の内容による。

 

なので、「いや〜〜絶対IPOしないほうが幸せになれると思うんスよね〜〜」って言う。

 

それでも(生)株をもらいたいとしたら、それは「自分もその会社の一員となって、社長の描いてる世界観を実現したい」と思えるとき。
僕はその限りにおいて、くださいっていうと思う。

 

ってなってくると、「自分が誰に使役するか」の論点は「自分のリターンがどの程度入ってくるか」ではなく、
①その社長の目指している世界観のデカさ
 →これはマーケット選定と市場規模の大きさが重要かもしれない。
  未成熟市場でポテンシャルあるところで戦うのは本当に難しい。資本体力が全てだなあと思う。
②社長の本気度と一貫性 
 →これについてはどう判断したらいいのかわからないので、割愛。一貫性についてはその人の生涯からなぜその結論に至ったのかを聞くしかないのかな〜。多分3時間あっても話足りないくらいの濃密な歴史が始まる。

③その実現可能性
 →これは僕は思うのは、少なくともキャッシュフローで判断するのがいんじゃないかと思う。キャッシュフローが黒である限り会社としては(ひとまず)死なないし、内部留保を蓄えつつ積極的にお金使えるかっていうバランスこそが経営だと思うので。
個人的には、古くから続いているビジネスモデルには市場から必要とされる理由があると思っている。新しいビジネスモデルが成立するかどうかはまじで博打。新しい市場を作れるかどうかも博打。博打が好きなら乗るべき。結局その博打が成功するかどうかは、「会社が存続し続けられるだけの時間」>「市場に受け入れられるまでの時間」で決まるし、その時間は燃やせる株とその価値で決まる。株が燃やせなくなるということも含めて。

 

一方、スケール構造を持っているかどうかも判断ポイントだと思う。
リクルートが看護人材紹介から撤退した点、エス・エム・エスがランチェスターとストレッチオペレーションでゴリゴリにぶち抜いたのを勘案すると、スケールメリットがあるかどうかやストックの収益かどうかはあくまで一つの攻め方でしかないんだなって思う。あそこは徹底されたオペレーションが強みだし、すごく悪い言い方をすれば従業員の徹底した機械化とも言える。かつ、表向きはフロービジネスだけど、きちんとアセット化すべき点を見極めて剥がしきれない状態を作っている点で、商才がやばい。

 

 

 

 

その3つを満たした結果として「株があるとなお嬉しい」の順序なのかな。でもなくてもいいとは言わないと思う。なので「これくらいはほしいな〜」は言う。
「目指している会社の規模そこなんすね、僕もそこ目指したいっす。とはいえ社長に株式寄ってたほうが100%いいし、自分が他の人よりもバリューでるかわかんないんで、一旦○%くらいで検討いただけるとうれしいです」

自分が世の中にいる社長たちよりもデカイ世界を描ききることができないのであれば、自分が「いやまじでそれは実現したほうがいい」って信じられるだけの世界観を描いてる社長およびそのメンバーたちと一緒に、その世界を作っていくことを目指すべきだ。

ただ「いやおれだってそれくらいできる」と思っている限り、それは難しいと思っていて、そう思っている限りは「じゃあ自分でやってみなよ」ってなると思っちゃうし「じゃあ自分でやるか」ってなると思う(し、なっている)

でも、ほとんどの人にそれは難しいだろう。特に、何事も順調に生きてきた人にそれは何もなかったところからいきなり打ち出の小槌を出すくらい難しい。結局、僕たちは経験の奴隷であることを忘れてはいけない。自分の中のストーリーを紡いできた結果でてくるなんかよくわからない無根拠の欲望の抽出作業だ。その辛く険しい試みの先にしか実現したい世界は現れてこない。

というわけで、自分では描けなかったけど、誰かの描いた世界は本当にそうだなと共感して、その世界の立役者として心からオーナーシップを持てるかどうかのみが、僕が創業メンバーに入る唯一の理由だ。その限りにおいて、堂々と「株ください」と言うし、そうでない限り、「別にいいや」となる。

 

 

 

 

 

創業者としてはオプションプールでやりくりしようと思うだろう。となると、「ベースライン(会社の価値)をあげ続ける」ことだけが全員でハッピーになる唯一の方法だし、それがこの資本主義の匠の技である。

ただし、そのベースラインは地に足がついていないと意味がなくって、そうでない限りは「株主からの搾取」もしくは「従業員からの搾取」「取引先からの搾取」になっていることに留意しなくてはならない。とはいえ、売上が上がり続ける限り、正当化されてしまうとも思う。ここは難しいんだけど。
目線として、株式のリターンの仕組みについて、そういうもんだっていうことを理解してもらいたいなとは思うと思う。とはいえ、当然証券取引である以上、全てが悪いとは言わないけど。

 

社長の目線で語らせてもらうとするならば「別にインカムでもいいわけじゃん。IPOするって決め込んでるわけでもないし。じゃあ、この貴重な株式をあなたに渡すとどんだけ社会よくなんすか?」っていう話だと思っている。こういうと「こいつは何を従業員に期待しているんだ」って話にも聞こえるかもしれないけど、「従業員に期待している」んではなくて「その会社のオーナーに期待していること」なので、妥当だと思う。


以前までは「キャピタルゲインで上がり決め込む気ないからこそ、その人が持っていると社会がよくなると思える人に渡したい」って思ってたけど、リスクとして「本当にその人にその株式を渡してもいいのか」という点、思っているよりも慎重に考えたほうが良さそうだというふうに思ってきた。これは組織カルチャーを破壊するだけの魔性を帯びている。

ってなってくると、会社に譲渡したほうがよっぽどマシだなみたいな気持ちになる。

 

いやていうかなんか株とか自分の利益とかどうでもいいから、「お前はこのどうしようもなくクソみたいな社会をどうしたいと思ってるのか」教えてほしい。「お前なりのアプローチが自社を大きくすることでもいいからさ」

その後に話すべきだと思った。株の話は。

 

本心、「従業員の退職支援を手厚く+部分的に出資」がいい。
でもそれでも社会をどうにかするっていう思いの中では「うちの会社で実現したほうが初速考えてもそうなんじゃないの?」になると思うので、わかんないんだけど、やっぱりなんか株を持っているかどうかってあんまり重要な論点じゃないんだと思う。
「あいだにはお世話になったけど、自分の城つくりてぇっす」みたいなときはある種「あいだのマネジメントだりい」ときだと思うので、「げぇ〜」ってなる。

 

アガリ系人材は5億ほしいってなると思う。5億ほしいって言われるとドキドキする。
そしたらストックオプションでいんじゃない?て気持ちになる。

創業初期から会社が大きくなるところまで経験した上で、自分でやるっていう人を僕は応援したいと思う。だけど、機会としての魅力さだけでいったら随分とギャップがあると思う。多分、「思ってたのと違う」ってなると思う。大企業の部分的なKPIだけを追っている部署でのらくらしているのとは勝手が違うので、「自分、社員番号若いからマネジメント〜」みたいなミスマッチが起きると悲惨だ。

最近、よく「今何人くらいいるの?」みたいなことを聞かれることが多い。それは「自分が何番目に声がかかっているのか」を表す指標にもなるし、「自分がどれくらい必要とされているのか」を測りたいのだと思うし、「自分が期待できる働き方ができるかどうか」を検討しているのかもしれない。

はっきりいって、何番目の社員かどうかはその後の裁量には間違いなく影響していないと思う。リーダーはリーダーたるべくしてリーダーになると思っているので、それはやっぱり現場にとって納得感のある登用したほうが良いと思う。そういう「創業初期からいる」っていう理由だけで既得権化するのを自分含めて許していないし、自分よりも良い人がいたら積極的に降格するっていうそういう緊張感があったほうがみんなにとって都合がいいと思う。なので、どのタイミングで入るかによって経験できる機会が変わるかもって思っている場合は「間違いなくそうではないので安心して活躍してほしい」というふうに言わせてもらえたらと思う。逆に「関係値に甘んじてだれてんじゃねえよ」っていうこともあると思うけど。


「何番目に声がかかっているか」については完全に「事業フェーズとその人のケーパビリティによる」し、「どれくらい必要とされているか」でいうと「そこに優劣はない」と答えると思う。ただ、双方にとって適切なタイミングっていうのは間違いなくあって、僕の場合はそのタイミングが1年後でも2年後でも5年後でも、一緒にやりたいと思っている人には一通り声をかけているつもりだし、継続してそうすると思う。
タイミングが今じゃないかもしれないっていう人には口説きが足りないかもしれないが、「なんでもやる」って決め込んでくれたら「創業メンバーの恩恵」を受け入れられると思う。

あと、メンバーが増えていくことによって起きる問題は、自分とメンバーの関係性よりも、全体の関係性と得意領域の全体最適が何よりも重要になるので、「誰と一緒にこの山を登るか」ということは逆に言えば「どうやったらカニバリを起こさずに経験の最大化を提供できるか」ということだ。それを毎日真剣に考えている。「この人と一緒にやりたいんだけど、ボランチは3人もいてもなあ〜」みたいなときに、どう折り合いをつけるか、の判断がまあまあむずかしいと思う。

 

 

 

まあ、というわけで、ものすごく真剣に考えているし、これからも真剣に考えるので、信頼してくれたらうれしい。

「人は経験の奴隷であり、その延長線にしか自分の人生は成長しえない」って話と、「そのポテンシャルに確変を起こしたかったらバグを起こすしかない」という話を最近しているんだけど、外部要因で確変を起こす唯一の方法が「確変が起こってるバグった人と出会うこと」だと僕は思う。青い鳥は至るところで飛んでいるが、あえて自分をバグった人間だと言わせてもらえるならば、「そういう機会はそんなにあるわけじゃないと思う」と言いたい。




本音で言えば、「この人に100億あったら社会変わりそうだな〜」って思えたら、そうなったら幸せだなって思う。その期待値で接されるのがだるいこともあると思うから、それは事前のすり合わせと、その後のすり合わせかなと思う。間違いなく、その覚悟と責任の限り、僕たちは間違いなくこの長く険しい修羅場を乗り越え続ける対等なパートナーだ。



とはいえ、現実としてその見極めができていない以上、
僕がこの問いを解くのはまだ早いのかもしれない。

 

 

 

会社設立してから1ヶ月経った

 会社を作ってから1ヶ月経った。
免許交付のための手続きが先日無事に受理されたので、これまでに考えてきたことをそろそろ棚卸ししたくなってきた。備忘録を記載していく。また、最近考えていることをアウトプットしておきたい。

 

やっていることはただひたすら事業開始までのクリティカルパスを最短で走ることだけで、それに関して言えば順調に推移できたと思う。2月に入ってからは1月にダラダラしたツケのおかげで一人ストレッチオペレーションのタイムラインだったが。


一方、反省しなければならない点もいくつかでてきた。人によっては大したことない内容かもしれないけど、後になって「こうすればよかった」が発生するということは「その時点での検討不足」があったというふうに捉えている。僕に関して言えば、その要因を振り返っていくと「思考をサボって招いた熟慮不足」がその理由になっていることが多い。なので、その最速で検討をしながら手戻りがないように進むことをもう少しリキみながらやるべきだし、その能力はその積み上げでしか養われないので、頑張って行きたいと思う。

 

 

1月某日

 

12月〜年末にかけて、有給消化を活用して増資のための資金調達に奔走していた。奔走と言っても、ドサ回りではまったくなかったので、大したもんじゃないと思う。初めてのことでいろいろよくわからないことだらけだったが、納得の行く形で着地することができたと思う。
ただ、このときに考えていた初期仮説はよく外した。そこから、「自分たちが思ってる仮説は大体外れるもんだ」と気を新たにした。とはいえ、僕は「外したときの対応まで見越して検討するタイプ(本来当たり前なんだけど)」なので、だめだったときのオプションは常に持ち歩くことができた。
その後は登記申請であったり、初めての投資契約の確認であったり。

投資契約のくだりのおかげ(?)で、投資家との飲み会では「相田さんはめんどくさい笑」といわれてしまったが、その感想が出る理由は純真、本当に真っ当だからだと思って、逆に安心できた。

ただ、油断すると一人振り返り会が発生する。それ自体はあまり建設的ではないが、まあ、だいたいみんなそんな感じだろうと思う。
僕はやっぱり、「たられば」は必要悪だと思う。悲観的にも楽観的にもならず建設的に振り返り、次のアクションに活かしていくことを愚直にやっていけばいいの正論だ。だけど、その過程でグニグニしたっていいと思う。人間なんだから。

 

ファイナンスについては正直、11月からずっと検討をしていたのだが、事業開始のためには(負債ではない)資本がどうしても必要だった。なので今回の調達はその資本をどう賄うかについて。
この間に(サボって)徹底的に調べて学んだことの多くがその後のファイナンスリテラシーを底上げしていると思うので、割に良い。

 

この時期、僕が2週間をかけて (なんだったらその後も尾を引いていたと思うが)徹底的に悩んだことは、「果たして自分は自分の力で変わり続けることはできるだろうか?」ということと、「僕は本当はどうしたいのだろうか?」ということだった。2週間をかけて・・・というと短いように聞こえるかもしれないが、これらの問いは10年前からの延長線上にしかない。

特に、「果たして自分は自分の力で変わり続けることはできるだろうか?」の問いには本当に頭がちぎれるほど考え続けた。この問いは今もこれからも、重力のように僕の行動を規範していく。

 

 

僕の出した結論は、「こんだけ考え続けられる限り、僕は変わり続けられる」だった。
それは同時に、僕に対する僕からの約束でもある。

 

 

 

1月某日

 

12月から1月にかけて、もしかしたら僕はあまり人には言えないくらいの体たらくだったように思う。だけどそれは僕にとって必要だった。言い訳かもしれないが、長い時間をかけ、一つのことを複合的な視点から検討し続けた上で、避けて通れないトレードオフに腹をくくり行う意思決定は本当に大変だ。これがベテルギウス級の重量でのしかかってくることを考えると、気が重くなる。。

 

 

 

 

1月某日

 

重い腰をあげてノコノコ東京労働局に出向くと、1月中の書類審査にはどうやっても間に合わないことが明らかになり(増資の決算書に監査証明をつけなければならなかった)

2月末に受理をスケジュールに、再始動することとなった。

時間に余裕ができたので、偵察がてら、エージェントに登録をして面談を受けるなどしてきた。
割にいい経験を積んできたらしい。前職のときは「ここを辞めたら自分はいくところがないんだ!」と本気で思っていたが、どうやらそういうわけでもないみたいだ。

 

 

1月某日

 

それぞれの書類作成やオフィス契約、本店移転や増資後の登記など、周囲を見渡すと代理店を活用したり人を雇ったりしているみたいだが、僕はすべて「まずは自分で」で行いたかった。
理由は、「自分がハイパー各論者になることがリーダーシップにおいて重要な要件だと考えているから」だ。

これはバックオフィスに限らずフロントにも言えることなので、それ自体は当然やりきっていくスタンスだけど、バックオフィスは割に見逃されている気がする。間接部門は優先度が低いが、僕は逆に、自分がそこにハイパー詳しくなることを目指しているタイプだ。現状の複雑性でいえば、GKとDFは自分がやりつつ、FWは積極的に任せていくみたいなふるまいになる。

 

結局、できない人にやんややんや言われるのは割に腹が立つんですよ。これは僕がひねくれているからそう思うのかもしれないが。一方、中途半端にわかっているもそれはそれでだるい。

 この辺の塩梅はスキルの有無よりも、「この人に仕事を任せても安心だ」という信頼関係によってしか醸成されない。というふうに考えると僕の一番身につけるべきスキルは「仕事術」ということにもなってくる。いかに信頼関係を双方から築いていくか。
これを第一だとすると、ベースとなる仕事術は
「建設的な会話に必要なロジカルさ」と
「タスク消化の優先順位付けプロセスの適切さ」と
「納期厳守度」になろう。
考えてみれば、これは僕が新卒時代に上司から言われていたような内容だ。
これは部下としてはすごく理解しにくい問題だったのかもしれない。

 

 

 

2月某日

 

マネジメントの問題について、同居人の古澤と会話。
マネージャーの存在意義について、自分の考える方針を明らかにする必要を感じた。

例えばgoogleでは、マネージャーはマネージャーというロールであり、マネージャーというスペシャリティである。
日本ではマネージャー=役職者=出世 と捉える風潮があり、この概念に馴染みがない。

僕も同様に、マネジメント職には権限の委譲が行われるものだと認識していた。背景として、「異職種間での相互理解を促進するための仕組みを考えたい。マネジメント職には事業理解のための経験を積んでほしいと考える」という発言をしたからだ。


権限の委譲とマネージャーは明確に区別するべきかもしれない。
もしくはそれを兼任することを明確に示したほうがいいかもしれない。
マネージャーはあくまでプレイヤーの生産性を最大化するためのロールでしかないという認識の状態で、役職者のロールを意思決定の権限を委譲されている人間というふうにしていけたら良いと思う。

たとえば仮にプレイヤーに役職者のロールがついている状態があることはあるだろうかなどを考える。

割にワークしそう。面白いテーマである。

 

 

2月某日


一緒にやりたいと思っている同期にこんなことを言った。
「あなたにはきっと、これからも様々な機会に恵まれると思うし、その一つ一つは俺からみても素敵だと思う。でも、俺が共同創業者に対して考えているのと同じくらい、あなたのことを考えている。確信を持って言えるが、あなたのことを一番考えているのは間違いなく俺だと思ってる」

これはまじでそうで、どうやったらお互いがハッピーになるかということを突き詰め続けなければ、多分誰も幸せになれない。だから僕は多分ずっとこのスタンスでいるんだと思う。

この前起業家の同期に(彼はぼくよりも1年先輩だが、1人で粛々と事業を推進してきた)「巻き込み力が弱みになりそうだ」という相談を受けたときに
「これは絶対にわかりあえるけど、これはもう採用者側の覚悟の問題」と言った。
多分これは、巻き込むからには絶対に幸せにするという覚悟なんだと思う。

当然、僕という人間は一人しかいないので、一緒にやるメンバーにはみんな、そういうふうに思ってくれたら良いなと思う。

 

 

 

 

2月某日

 

組織文化の言語化をしていく必要性がでてきたので、公器として将来的に実現したいことと、その人材要件を考えていくと、リクルートロクヨンスキルに酷似してしまった。

なんべんも話している内容なのだが、僕は雇用-被雇用という関係値はできる限りなくなればいいと思っている。橘玲の言っているようなマイクロ法人を1世帯に1法人、こんな感じでもいいし、国民総自営業でもいいかもしれない。
そもそも日本社会の自営業者は10%前後の550万人弱だ。それに対して一部上場企業の従業員割合が300万人なので、どちらかと言えば自営業者のほうがマジョリティなのである。
僕たちは国内でも少数派の価値観に従って生活をしているということに気づかないままよくわからない社会のレールに従っているが、実態としてはそんなもんねーよっていう感じだ。
というふうに考えていくと、サラリーマンっていうのは実は割に合わないんじゃないか?と思い始める。
雇用されるということを選択して会社の持ち主からの指揮命令に従わないと業務不履行である。「やれ」といわれたことが嫌だったら辞めるしかない。辞めたくないんであれば、しぶしぶ我慢して働き、妻子のために田園調布の満員電車を耐え抜き、控除もろくにされない状態で高い税金を払って得られる特典は、せいぜい、住宅ローンが組めるとかそういう程度のものなのかもしれない。

 


一方、個人能力の限界を突破するためには組織しなければならない。できる限りこの雇用-被雇用の関係性に力の不均衡が発生しないような工夫をしたいのは、思想が染み付いていると言っても良い。

僕がこのように考えている以上、人材輩出の大義名分を余儀なくされる。
会社を伸ばした実績と経験と報酬を携えて、目指したい世界の重なる形でネットワークビジネスのように公器を増やしてくれたら良いんである。そう考えていくと、オーナーシップに溢れた(リクルートでは圧倒的当事者意識と呼ぶが)人材が緩衝しすぎずに能力を発揮できる環境を創るのが僕が今後、最も力を入れてやるべき仕事となる。 

リクルートが本当にすごかったのは、データ人材がこぞって一次情報を取りに行くことの重要性を理解して「営業同行にいかせてほしい」と言っていたところだ。
「そんなもん当たり前だ」と思っていた自分も外れ値なのかもしれないが、その環境が当たり前だったのは、実はとにかく色々すごかったのかもしれない。どこで見極めてどうやったら採用できるんだよ。

 

 

2月某日

 

投資家のお誘いで日本でもデカ目なVCの方とご飯会をさせていただいた。
はしょるが、僕が一番気になっていたことを質問する機会があったので、質問した。

具体的にはSaaSのマルチプル 10倍の妥当性について。

IPO時にマザーズであれば、PSR100倍ついている企業もあるし、平均を見ても30倍くらいは割に行くイメージだったので。
結論から言えば、マザーズの性質上、企業価値ボラティリティがでかいという話だった。
これは市場が果たす役割として、「個人投資家のホームラン狙い」によって起きている事象なので、ベンチマークにしないほうがよさそうということだった。

2022年に向けて株式市場の再編が起きるが、それは近年起きていた赤字上場やスタートアップの上場ゴールによってマザーズ市場の価値が下がっていることが理由だろう。

 

 

 

2月某日

 

はっきり言ってしまえば、僕はすでに「今の環境に慣れてしまった。」
というよりも、雇用者としての僕がひたすらに不自然で、むしろ今のほうが僕にとって自然なのかもしれない。
人間っていうのは割に簡単に環境に順応していくみたいで、面白い。

そして環境が変わっていけば、自分の考え方も自然に変わってくる。

この一ヶ月を経て一番驚いたことは、「法務局に書類を提出する」「法人携帯の契約のために最適なプロバイダーを探す」「労働局に提出するための書類を作成する」といったひとつひとつの仕事をはっきりいってしまえば「雇用者時代にはやりたくないと思える仕事」も、今の僕にとってはまるで新鮮で、楽しかったということだ。人によっては泥臭い仕事も、清潔な泥に感じられた。
僕にとって泥臭い仕事というのは「誰かがやりたくないといって押し付けているその事実」によって塗りたくられているものなのかもしれない。

 

 

2月某日


初めての給料を自分に対して支払った。税金関係、うまくできているか不安だ。

これからしばらくは会社の口座から自分の給料を自分で支払うことになる。憂鬱だけど、自分の給料を年に一回、自分で決めることができるという点で、楽しみでもある。そのためにも、気張っていきたい。


2年目の目標はもう少し自然ゆたかな環境に引っ越し、犬を飼うことだ。

 

 

 

最後になるけど、最初に触れたちょっとした反省点を書いておこうと思う。

法人登記は1年くらいは変更する予定のないところにやらないと、管轄外への本店移転に6万かかってしまうので、登記前にしっかり検討しておいたほうがよかった。着金を急いでえいやで(オーナーにはナイショで)賃貸の自宅にしてしまった。すぐ変えたけど。ばれないといいな・・・

 

あと、会社の名前、読み方と発音をもっと意識したほうがよかった。
公証人役場に行ったときに「プロールですか?」といわれたときに、「やばい!」と思った。
電話口だと「え、クロエ?」と聞かれる。「誰が財布つくんねや」ってつっこみたくなるが、仕方ない。誰もが間違えなくなるくらいのブランドクエリをこれから取るんやっていう気持ちで頑張る。

 

 

スケジュールにかんして、もう少し周囲の情報収集をしておくべきだった。営業開始と同時に着金をしているところも一部あるみたいで。
一旦スケジュールを巻けるように準備してるけど、相場感がわからないとやだな。
特化型の管理システムの資料請求をしたら営業電話がかかってきたので、片っ端から話をきいてみようと思う。

 

あとオフィス、最安で契約したけど、事業の性質考えて、もっといいところにすればよかった。幸いレンタルオフィスで、移転はすぐにできるので、JFCの融資がおりて、6月くらいに変えられたらいい。

 

 

とはいえ・・・何よりも、思っていたよりも楽しくやってる今の自分が好きだ。

 

 

会社を辞めることについて語るときに僕の語ること

2016年の12月からこのブログを始めて、かれこれ4年目になる。おおよそ月に1度という更新ペースでここまでやってきた。これは僕自身が始める前に「自分がしんどくならないペースでやりたい」というふうに思っていたこともあり、心地よい頻度がそのペースであったのだろう。

僕は社会人という新しいステージに突入し、数々の選択をしてきた。
その選択の一つ一つに後悔したことは全くないし、これから選択することに対する不安があるというわけでもない。僕は「僕自身が何を感じ、どう考え、何を選び、何を選ばないのか」を眺める営みが好きだ。その営みをより円滑に、わかりやすくするために、一本の線を引く。こっち側とあちら側、という基準があれば、より理解しやすくなるといったように。
僕がしていることは記録だ。記録を通して、僕は変化を線的に捉えるということを試みている。ミームの死骸で語られている「記憶」の正体と図々しさに対して「記録」の必要性について自覚的になったことがその由来だろう。そして今のところ、その試みに成功している。変わらなかったものと、変わったものが明らかになっていくからだ。
そして今からここに書くことは「歴史修正主義のような見方によって記憶を改ざんし、できる限り明快かつ正確に記録をしていく文化的な雪かき」そのものだ。

 

僕が今までした決断の中でもより大きなものがあるとするならば、それは「就職すること」を選択したことだと思う。
そして、「会社を辞めること」という選択をもって、僕は「自分が下した決断の中で、より大きなもの」を更新した。

 

ところが、旧友と会うにつけて、「やっと辞めたのね」という反応をいただくことが多い。僕自身もそう思われているだろうことに違和感はないのだが、なにか不思議な感覚がするのだ。「自分が思っているよりも、自分よりも他者のほうが自分のことを正確に認知している」という風に感じるからだ。彼らはやっぱり「僕よりも、僕が今一番欲しい言葉を知っている」ように。

 

 

長々とした前置きをもって、退職した理由について書いていこうと思う。

「なぜ辞めたの?」という質問を受けたら、僕はこう答えるようにしている。
「だって、仕事が辛かったから」

何が辛かったのか。

調査兵団だと思って異動した先が憲兵団で、憲兵団だと思っていたそれが駐屯兵団だったから」だろう。

憲兵団で修行を積んでいたとしても、巨人は倒せるようにはならない。ましてや巨人の正体を掴むこともできない。もっと強大な敵が存在していることにも気づけないまま死んでしまうのかもしれない。

調査兵団に行くことは一般的に言って、悪手なのかもしれないし、なんの成果も得られないかもしれないが、 そんなことはどうでも良い。誰かのお膳立てでご飯を食べていくのは性に合わない。少なくとも今はそう思っている。  

 細かいことを書くことはしないでおこうと思う。今回僕が学んだことはたくさんあるが、それについて語ることはコンプラ的に避けたい。他方、仰々しく自分のした選択を正当化し、それ以外を悪しとするようなことはないように心がけたい。キラキラとした、他者から応援されるようなそういうきらびやかなキャリアを装うことに本質的な意味はないし、その内側にある気持ちは部分的にはドロドロと鬱屈としたものであると思うし、そういう感情をできるだけ隠そうと取り繕ったところで、それはもはや僕じゃない。できる限り素直に、等身大の自分でもって接したいという気持ちが本心だから、背伸びしない言い方として「仕事が辛かった」と表現しているし、これからもそう言い続けると思う。

 

 

では今回、自分が新しいステージに進んだと思っていた「社会人編」について、どうラップアップするかについて、書いていきたいと思う。

 

まずそもそも、僕は雇用されるということに対してものすごくネガティブな印象を抱いていることが見えてきた。加えて、そのフィールドで活躍できることは今の段階で言えばないと思う。「自分の能力が発揮されていない」というふうに感じてしまうことは、仕事が辛い理由にもなるだろう。しかし「雇用されたくない」というふうに言ってしまったら炎上してしまうかもしれない。それに対してどうして炎上するのか、よくわからないけど、それでも僕はそうらしいし、周りからもそう見えている。先輩に「僕、マーケティング向いていないと思うんです」という相談をランチ中にしたことがあるが、一緒に働いて数ヶ月の人でさえも、「相田くんはマーケティングが向いていないというより、社会人が向いていないからなー」と言っていた。

僕から見えている僕の認識で言えば、僕は対人関係において、「上下」や「立場」というものをあまり認識していないように思う。後輩からいじられたり、タメ口で話されたりすることに抵抗感を持つ人や、それが自分ではなく他者に向けられたものでも嫌悪感を示す人がいるが、僕は後輩からタメ口で話されようが、いじられようが、なんとも思っていない。度が過ぎたものは「人間として」アウトだと思うが、そういう矮小な自己顕示欲を持ち得たくはないのだ。同様に、「上司だから」という理由で態度を変えたり、媚を売ったり、評価されようとしたりはしなかった。これは僕の「変わらなかった」部分であり、「変えられなかった」部分である。

僕は僕が思う価値基準に従って生きている。それと社会的なものをうまく融合させながら、うまく塩梅をとっているつもりだ。当然、多様性を持ちたいと心がけているが、僕は「多様性は善。故に多様であることを認めなければならない」というふうには考えない。「双方にとってより善い状態になるために、どういう統合的なアプローチで合意形成をしていくか」こそが社会だと思っているし、そういう信条で生きているから「多様性故に、人は何をしても寛容的であらねばならない」というような傲慢さを赦したくないのだと思う。という点で言えば、だれよりも秩序を重んじているのかもしれないが、周りからはアナーキーアウトサイダーだと思われているだろう。

 

そもそも根本的に「目上の立場の人にはほげほげ」というような行動規範は「目下の人には不躾でも、無礼でも良い」という誤謬を生み出している。それがいわゆる「体育会系」という枠組みなのであれば、部活動という「日本人が古来もつ道の精神の教育」に失敗しているし、敗北すらしている。

翻って、「雇用」という枠組みにおいても、同様であるように思う。それに対して批判的な姿勢を取っていることは、社会的な規範に対する僕なりのアンチテーゼでもあるし、その枠組みで活躍できない自分の僻みなのかもしれない。その点で、サラリーマンとして失格だったのだ。僕は僕の入社した会社として、そういう力学が「日本の上場企業の中で言えば相当マシ」だと思っていたし、それ自体は間違っていなかったことが確かめられた。それでも「ウチの会社の実態は"政治的"な能力の有無のほうが、よほど重要であった」ということだと思う。それについて、「じゃあなんで入社してしまったのか」という点で言えば、別に実態について理解や仮説がなかったわけではないと答える。問題は、「それでも合理性があればうまくやっていけるのではないか」というふうに思っていたことだ。その仮説を僕は外したし、それが問題だったと思う。

 

就職した背景は、「大資本パンチを打つことができるから」という理由だった。

目的から言えば、僕が今の会社に入った一番の理由は「大資本パンチを打つことができるから」だ。結論で言えば、「1年目で打つことはできなかった」ということになる。

 

僕は今の時流を「大企業に有利な時代」と読んでいた。日本で言えば、アベノミクスに始まる金融政策によって資本力のある企業は内部留保を貯めやすくなっていたし、そのお金を使って投資活動を活発化していくことができる。銀行はマイナス金利のためにお金を貸したくて仕方がない状況だった。 

 

この会社で長く働くつもりはなかった。周囲がそう思う通り、自分が雇用され続けるということに耐えきれないシーンはきっとくるだろうという予見は常にあった。

あるいはそろそろ自分を崖から突き落とすような勇気を持つべきなのかもしれない。もしかしたら崖から突き落とされたとしてもケロッとした顔で「なんとかなったわ」とか言ってるのかもしれない。

結局、どっかでそうしないといけないことは薄々わかってきている。それが明日であるか、5年後であるかの違いにどれだけ差があるのかはわからない。ただ、まずはそれがいつになるかについて答えを出す必要があることだけはわかってきている。

2年目になって、この答えが明確に出た。2020年の4~9月の間に自分たちで始めようという仮の答えを立て、そこに向けて準備を進めることにした。その理由は「この会社で大資本パンチを打つよりも、自分たちでやったほうがその可能性とスピードが早い」と判断するに至ったからだった。おそらく、1000倍近い確率差だろうと僕は思った。

 

やりたいことは根本的に変わってしまったわけではない。グローバル資本主義競争下における国内経済成長の下げ止めと推進からはブレることはなかった。資本主義のプレイヤーは国家であり、国家間の競争により富の成長を実現するという見方をしているからだ。実態としては国よりも一企業のほうが権力が集中しているというふうにも言えるが、それでも立法や行政、もっと言えば通貨発行という機能は現段階では国家が保有しているし、その枠組みが「50年後はわからないが10年20年で抜本的には変わらんだろう」という仮説を信じて動いている。仮想通貨が国家権力に喧嘩を売っていると、不穏な動きが見え隠れするかのように、そう簡単に崩せる牙城ではどうやらなさそうだ。そしてそれは株式市場も同様だと思う。ただし、この泥舟と一緒に沈没していくかどうかについては、これからの自分が慎重に検討してくれるだろうと期待しておく必要がある。

そういうわけで僕の暫定解は

「社会的富の総生産量をテクノロジーによって増やしましょう」

ということになった

僕は、生を肯定する生き方を選択することにしました。僕は経験の奴隷であり、環境に依存した存在であることを認めながら、その要因を分析し、選択可能性を広げ、その中でも現存社会の課題を本質を明らかにし、実証主義的な解決を国家単位で実現するという歴史的な偉人の系譜を継承するという使命を選び、全うしようとすることにしました。

今はとてもいい時代です。思考実験でしか問題解決の方向性を示せなかった偉人たちは、今の時代をとてもうらやましく思うでしょう。

だからこそ、彼らが築きあげたこの豊かさの恩恵を被っている限りにおいて、偉人の歴史的な功績を後世へ繋ぐ歯車のひとつとなることを積極的に選択してみようと思うのです。

 

そのアプローチに従って生きていこうと思ったときに、簡単に言えば経済成長は労働生産性の向上によって実現されるのだから、労働者の生産性が向上されれば裾広くインパクトが出るだろう、それを実現したときの総量という安易な観点で、前職に入社した。

基本的な判断基準は、「インパクト総量の大きいところから始める」で、あとは「実現性とその実現スピード」を検討しているに過ぎない。あらゆる業界に展開している企業に入社することで、それぞれのプレイヤーの動向について知り得るきっかけがあったという点で、非常に恵まれたと思う。具体と抽象を行き来するかのように、様々な業界の様々なプレイヤーの様々なビジネスモデルを収集し、模倣し、シミュレーションをしていくうちに、「レガシー領域でのIT業務効率化」には白地がまだまだあるし、ケーパを活かした戦い方ができることが見えてきた。「労働者の生産性を向上する」というアプローチに対して「労働者の内的な能力開発」と「労働者の外的な能力発達」の2つのシステム化という着眼点があり、前者は前職でやるべきだが自分たちでやるべきではないと判断し、後者は前職がやりにくく、自分たちでも勝てる余地があると判断した。

 

ラクスルをベンチマークとした企業が、キャディというきらびやかなスタートアップを中心に乱立し始めていることも大きい。その点で言えば、ほんのり後発なのであるが、セグメントの切り方を変えれば直接競合はしないという点で、 ―大きいところから順に検討していくとしたら、自動車→医療→建設→不動産という順番になるのだろう― 僕たちは「製造」と「不動産」に着眼した。(本当のことを言えば、直近10年で成長することが見込まれる市場をすべて洗った。その結果見えてきた市場は3つしかなかった。当然、僕たちはそのうちの1つを狙っている)

製造に関しては「グローバル競争における勝ち目薄」「国内競合における勝ち目薄」「ケーパ不足による実現性低による勝ち目薄」が理由で、初手マネタイズ性がないと判断した。

不動産に関しては「レッドオーシャン化」「地域性や独自性の強い市場環境」「商慣習の独特さと資本集約による独占性」という点で難度が高く、そう簡単に参入できそうになさそうだったが、「集約し、解析しきれていない必要情報がある」ことが見えてきた。「このセグメントでニッチにIT化をし、情報集約・技術集約することができればその後の他事業展開で圧倒的な優位性が持続的に保有できる可能性がある」ので、上場後の資本集約型ゲームにおいても強烈なチャレンジャーになるための初手・二手目・三手目のおおよそのビジネスモデルを見立てることができた。当然、2手目が鬼門であり、仮説を外すと最も痛いところである。ダウンサイドリスクヘッジは検討済みだが、ここに最も精神を削がれるだろうと思う。

 

 故に、僕たちがなによりも重視するべきは「強固なキャッシュフローによるPMF確立までの延命」だった。仮説は洗い出しているとはいえ、複雑性が高い市場で業界課題とコアバリューをしっかり特定するためには、それなりに時間がかかるというのがその理由だ。

 

また、僕は人の働き方というのは経営と同じように、大雑把に4つの集約にしか分類されないのではないかと認識するようになった。「労働」「知識」「技術」「資本」の4分類である。
当然資本集約的な働き方が最もレバレッジが効くわけだが、プアな僕たちは取りうる選択肢が少なすぎる。故に、わらしべ長者のように集約すべきビジネスモデルをうまく組み合わせて登っていく他にないのだと思い始めた。その戦い方がうまく作用するかどうかはわからないが、これがもし正攻法として確立することができれば、他領域にも同様に展開するプレイヤーが増え、国内GDPの底上げにつながるだろうという夢が見られる。当然労働集約型のビジネスモデルから登っていくことになるのだが、それ自体は線形な成長しか望めないため、「いかにしてアセット化し、知識や技術を集約していくか」という戦略性が重要になると読んでいる。

 

僕はあくまで自身を「高尚な愛国の理想論者」であるよりも、「極めて実際的な未来想像者」であるとみなしたかった。結局のところ、近代国家の成立までに描かれてきたことを統合的に考えれば、人類はすでに青写真を手にしている。アカデミアという解釈者からのインプットを血肉に、僕個人としてはその青写真を実現あるいはその通りに近づける橋渡し的な存在でしかない。それに、今からその青写真のアップデートを試みたところで、時間切れになることは目に見えてる。だから、僕は「実践者」であることを通じて、歴史的な偉人たちのフィードバッカーになるべきだし、それによって少しでもアップデートに寄与することができれば本望なのである。
そういう観点で生きているから、僕はスタートアップを志向しない(スタートアップ的でありたいとは思うが)。長期で持続可能なシステムが「公器」として装着され、その器が対外的な発信手段になることを好む。当然日本国内の少子高齢化というボトルネックや、日本人のナルシズム的な病理に対して目を向けることはあるが、「評論家」や「思想家」として責任逃れや批判者になることなく、常に自分がプレイヤーであること、もっと言えば、国家における労働者足り得ることが、僕のすべき初志貫徹だと思う。その点で僕はかなりリベラルというラベルが似合うと思うが、それでもやっぱり「合法的な現代のプロレタリア革命」というラベルを期待し続けている。

 

 

というわけで、僕は「自分自身は雇用されるよりも雇用する側になったほうが自分の可能性が拓けるかもしれない」という可能性と「というよりも、自分はサラリーマン失格だから、ネガティブな理由で自営に回るしか他に手段がなさそうだ」という諦めが僕の実態だと思う。つまり、僕にとって社会人生活というのは、「自分のあらゆる可能性を限定的にするものでありながら、自分にしかない可能性を最大化する準備期間」であった。その点で、本当に前職に携わった人たちや会社に対して感謝してもしきれないし、迷惑をかけまくったことについて、改めて謝罪をしておかなければならない。

 

 

僕はおそらく、人よりもリスクに対する捉え方が異なる。もしかしたらそれが共通する自営人間の考え方なのもしれないが、僕は借金をすることに対する抵抗が他の人よりも薄いように思う。
大学時代に奨学金を借りていたが、「大学時代に労働を切り売りするようなアルバイトに精を出すよりも、自分の価値にレバレッジがかかるように過ごしたほうがよほど良い」という言い訳と「奨学金の返済期限の長さとその年利を考えたら、もはやノーリスク」という言い訳を活用し、大学時代の時間を"買った"。改めて、今、会社を興すという点で出資や融資について詳しくなっていけばなっていくほど"ノーリスク"だと思うようになった。

そしてリスクの感度が他の人と違う理由も、大学受験時に2年間もあくせく働きながら勉強をしていたこと、家庭環境の荒れ狂った状態で精神的な心労があったこと、それを乗り越えて今こうして生きているという自覚により、現実的かつ実際的に実現性を見極め、コツコツと実行していく"したたかさ"が養われているのだと思う。あれに比べたら、大学以後のどんな体験も虫刺されみたいなものだろう。

 

 

ある種の生活圏内で安定をバランスさせながら、世の中をゆっくりと見渡していくことで手触り感をもって見えてきたことが沢山あった。その感覚をフル活用して今回の選択をしたと思っているし、それ自体は不思議ではないことだと、「僕の記憶」はそう言っている。

「記録」を通して、内定者のころには全く予想もつかなかったことがいくらでも起きた。とするならば、「今、僕が見ている未来の記憶」はおそらくその通りにはならない。その学習により、僕が来年には中国で仕事をしていたとしても、もはや驚くべきことではない。できれば上振れて続けてほしいものだが、それは僕が今どうするかにかかっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インナージャーニー、そしてホワイトクリスマス


12月某日

久々に会った友人には「これからどうするの?なぜするの?」と聞かれる。もはや定型文と言って良い。僕もきっと同じことを聞くだろう。
「本当にクソみたいな社会で、どうしようもないと思うんだけど、もしかしたらちょっとクソまでは持っていけるかもしれない。本当にやりたいことかどうかなんて、僕にはどうにもわからない。仕方なく、やるしかないと思ってる。やるしかないんだと思う」

 

今まで、僕はだましだまし生きてきた。
もしかしたら僕が僕に対して騙していたことを以って、人を騙してしまったこともあるかもしれない。だけどそれでもきっとそうやっていかないことにはどうにも前に進まない。これからはそっと土と戯れながら生きるのも良いかもしれないと思えば、「抱いた欲望に責任を持てよ」という一言がゴツンと僕を殴って、そのたびに、やるしかないんだ。奮い立つような気持ちになる。


「自分を偽ること」
どうやら僕にはあまり向いていないと思う。大学生の頃は、自分の将来価値を現在価値に換算して、そのポテンシャルを含め現在の自分なのだという感覚がしていた。ところが、今の自分は将来価値的な自分に目を向けることは極力せず、等身大の、身の丈に合った自分をできる限り正確に眺めたいという欲求のほうが強くなっている。
その意味で、「向いていないと思う」というよりも、そのように変化をしていったと捉えるほうが正しい。その影響は、社会から受けたことかもしれないし、自分の気づきから生まれたものかもしれない。おそらく、社会を眺めていく中で自分の中にある欲望を取り出せたといったほうが正しそうだ。


どうして?僕はきっと、誤解をされることを極端に嫌がっているのだろう。

 


12月某日

大学3年生のころまでのほうが、今よりも割に生きやすかった。理由はおそらく。

自分の弱さと向き合うことをできる限り避けるよう生きてきたからだ。

 

 

 

12月某日

福岡に行く。理由は、ある人に会うために。東京に住んでいてくれたらと思うも、シンガポールではないだけマシだろうと思った。LCCでなるべく安くして、往復で20,000円。新幹線で大阪に行くよりも安いから良いことにしよう。

17日から20日まで滞在することにした。21日に予定があったので、それまでは福岡で過ごそうと思った。宿の予定なんてなんにも立っていないけど、なんとかなるだろう。満喫に泊まるでもいいし、車中泊でも・・相当寒いからやめた。

 

AirBnBで泊まれるところを探すと、天神・博多周辺には格安で泊まれる部屋ばかりだった。1DKの築浅マンションが2000円で泊まれる。清掃代と含めると4000円だったけど・・・・
平日オフシーズンの福岡はとにかく安く泊まれる事がわかり、ほっとした。これであれば、何泊でも居られるんじゃないか。


北千住の武蔵屋で昼食を済まし、鈍行に揺られながら成田へ向かう。その道中、「どんな話をしたらよかろうもんか・・・」と考え込む。iPhoneが笑うんじゃないかってくらいメモアプリとにらめっこした。


Q:あなたはどんな人間になりたいですか?

「できるだけ自由になりたい。その対象は、経済・文化・歴史・社会・生物・経験と多岐にわたる」

「その結果、社会的な価値観を微力ながらアップデートすることができるような人になりたい」

そう書いてある。

 

 

12月某日

ある人はPHと書かれた最上階のフロアに住んでいた。管理人のおじいちゃんが中庭の清掃から戻ってくるや、僕を見つけた。「これから◯◯さんのところでも行くのかね?」と言ったので少し驚いたのと同時に、やっぱりどんな人がどう住んでいるものか、知っているものなのかと思った。「そうなんです。・・・やっぱり、僕のような若い人間が訪ねてくるのは珍しくないことなのでしょうか?笑」と訪ねてみると「ええまあ、今日そのような予定があると聞いておりましてね、こちらで待っていると良いでしょう」と言ってロビーの椅子に座らせてくれた。


ある人の声が玄関から聞こえてくると、想像の割にしゃがれた声で、親しみやすい。歳の割に老成している印象だ。僕にとってはもはやおじいちゃんと言ったほうが正しい。

 

福岡に住んでいるのは子供の環境を思ってのことだと言っていた。

今回の面会は、僕が見ている世界について、質問をされ続ける機会となった。話していく中で、こんなフィードバックを頂いた。

「自分にとって居心地の良い環境を作ると、そこに甘んじて自己正当化を始めるでしょう。人のせいになんていくらでもできる。そのうち求心力を失っていき、長期で持続できなくなる」


図星だった。僕にもその懸念があったからこそ、「痛いところを突かれました」と言った。「相田さんはどうしたいのですか?」という問いの奥深さにはまったく、仕方がないなという気持ちになるばかりだった。

 



「所有と実行は明確に分離をする必要があります」 

これはそのとおりだと思った。簡単なことのように思えるかもしれないが、実際に実現できている会社は極めて稀なのだと僕は思う。それはまるで権力分立がうまく機能していない日本のように。権力分立の機構は、世俗的な価値観で利己主義な東アジア、日本において、腐敗を生み出しやすい。その話は一旦おいておくが、政治経済を専攻してしまった僕から見えている世界は要するにそういうことなのだ。

はっきり言えば、上場マーケットと未上場マーケットの調達ロジックがまるで違うことに無学だったのは僕の勉強不足だ。時価総額を300、600、1000と上げていく中で最もレバレッジの効くことは僕自身のアップデートをし続けることだ。必要であれば、適役に引き継いでいくことも視野に入れて。

「急成長には必ず痛みが伴います。僕は、V&Mの実現を前提としたときに、誰も割食わないことを目指したい。その実現のために時間軸を長く引くことと、実現スピードを上げること、金銭的な報酬を得ること、それらをバランスしていきたいと考えています。」

 

結局のところそれは非常に難しい。PMI統合時には必ず伴う痛みがあるし、ディスラプトの先には必ず、少なからぬ不幸がある。物事には適切な順序と、適切な時間軸というものがあることを僕はソ連から学んだ。マルクスのようにキレイなことを言うことはとても重要だが、その実現を急いではいけないのだと僕は思う。

 

「システムが倒されるとき、新しいシステムは新しい既得権ですよ、その問題にどう対処しますか」 

とても難しいイシューだと思う。そのことには自覚的だが、答えは見つけられていないのかもしれない。

罪深いと思うのは、僕自身が既得権化した組織に属し、一定の給料をもらっていたことだ。だましだましというのはその意味で、僕自身もまた、システムの一部であることを棚上げしているということを示しているようだ。

 
これはジョージ・オーウェル動物農場で語っている普遍的な構造だと思っている。もし仮に答えがあるとするならば、「神の見えざる手に身を委ねる」なんじゃないか。

100年続く持続可能なシステムを構築したかったら、常にそのシステムが改善し続けることを前提としていなければならないと思う。それが資本主義の美徳であり、僕が乗るべきゲームルールだと思っている。問題の本質は、その不健全な競争体制により不当な搾取が発生していることで、僕がかろうじてできることは、僕の改革的な精神を市場に持ち込んで競争を発生させることに他ならない。故に、競争の決着がついた市場は僕にとって魅力的な市場ではない。
そうして集まった資本を最も効率良く、新規市場創造もしくは既存市場の代謝に活用していくことができさえすれば、持続可能なシステムに足り得るのかもしれない。

 

「何がどういう状態になったら、相田さんはやったな!って思うのでしょうか?」

「市場規模が想定通りに伸びず、むしろ減少に転じたとき、僕は市場の構造変化を実感すると思います。」 


この限りにおいて、僕のエゴイスティックな欲望を正当化する唯一の手段だ。

そしてもっと言えば、合法的な現代のプロレタリア革命だ。

 

 

 

12月某日

「人を変えることはできないんです。変われるのは自分だけで、僕はつくづくそう思いますよ」
ある人との面会を調整してくれたその人が東京に帰るまでの時間で、福岡らしいご飯を食べに行ったとき、僕に向けて、とても哀しそうにそう言った。

人は自分の弱さを受け入れることができない。僕もそう思う。そのことに対して僕の感じる感想は「寂しい」だった。26年間生きてきた僕の孤独感の根源を、彼から僕は教えてもらっていると言っても良い。

僕が思うのは、かの偉大なカーネギー先輩がおっしゃっている通り、人は自分の弱さを指摘されたくないと思っているということだ。それで仮に信頼関係が崩れたとしても、それ自体、どちらが悪いなどと言うつもりはない。むしろ、僕たちのような正論パンチの使い手は「善いか悪いか」の判断に深く寄りかかってしまっている。そしてその価値基準をスパーキングのように自身に浴びせ続けているから、その痛みに慣れてしまっていて、サイヤ人が加減をできないように、軽く触れただけで関係が壊れてしまうのだろう。

僕たち人間はどこかで「確かに自分が悪いんだけど、それでも相手に問題があるのではないか」という慰めを抱えきらずにはいられない性分で、それは正論パンチャーの僕たちでさえも同じなのであるということを認めざるを得ないのだろう。

僕たちが傷つかないためにできるささやかな試みは、それでも相手の弱さを受け入れるということなのだろう。それがもし仮に自分たちの価値基準に照らして間違っていると感じてしまったとしても、「これから一緒に成長していけるのだ」という希望を胸に抱えていくことだけが、お互いを不幸にしない唯一の方法であると今は感じている。それは、ある人のエピソードを彼自身から聞くにつれて、より深くそう思うようになった。

だから、自分の欲求よりも、他者や社会を優先できたとき、僕は成長を実感できるはずだ、そうやって生きていくことを選択しようと思う。

 

「そろそろ恋人の一人や二人でも欲しいナァ」とかいうそれらしい言葉を発したとて、まったくそのつもりがないことについては自覚的で、その理由は上記に書いた通りだ。だけど本質的には瑣末な、部分的なことでしかなくって、問題の大部分は、おそらく、深い人間関係をまた新しく築いた時に見えてくる自分の弱さと向き合わなければならないこと、それによって自分が傷つくことを極端に恐れているだけにすぎない。

 一年前に書いたブログ(好きっていう気持ちは全くあてにならない話 - 世界の輪郭に溶ける)のその答え合わせとして。

 

 

 

12月某日

車内のスピーカーから春野の楽園が流れてくる。

「ねえこのままじゃあきっと、消えて忘れてしまうわ。ならこのままさ、いっそ、終わって仕舞えば?此処じゃとうに目を奪ってかなわないから。」
「じゃあこのままでずっと、確かめて腕を取って。かなしみには相応の救いを以って。
此処じゃない何処かへ連れ去ってあげるよ。ちゃんと聞かせて。」

 

途方もなく、太宰府天満宮に行ったり、行くアテもなく佐賀や長崎に行き、その道中で「僕が抱えてしまっているエゴとコンプレックス、その欲望の矛先」を眺め続けた。

 

「結局のところ、これは結婚でして、その基準は、時間軸の長さと成し遂げたいことに尽きるんです。」 

 

 

僕はどんな時間軸で、何をどうしたいと思っているのだろう、どうしてそう思うのだろうということをひたすら考え続ける必要があった。

僕は、人の持つ欲望というのは、濃淡の個人差はあれど、およそ同じものを持っていると思う。僕は人よりも「伝えたい」という気持ちが強いし、だからこうして定期的に文章に遺していると思う。

それは理解されたいというプリミティブな欲求から発露したものかもしれないし、過去の人生を振り返って、「誤解されている」と感じていることが多いからこそ、「自分は自分のことをこういうふうに思っていて、その通りに理解されたい」と思っていたと思う。
ところが、自分の理解されたい欲望を僕の駆動エンジンとして認めてしまえば、社会的な意義を度外視した、富の収奪を肯定してしまうように思った。時間軸のスケールをどんどん拡大していけばしていくほど、世界は弱肉強食のシステムで動いていることを認めなければならないし、拡大すればするほど、個人に集中した資産の意義など、誤差の範囲内でしかないと正当化できてしまうからだ。

とするならば、僕が感じているこの違和感の正体は、その原始的な欲求から生み出された動機づけではないと言えそうに思う。

つまり、僕が常々自分に対して懐疑的だった「僕はただ、自分のエゴやコンプレックスを正当化したいがために、大義を掲げようとしているにすぎないのではないか」という問いは、少なくともそうではないことを確かめられたと言える。

「自分ができる限り楽に、自由な環境を求める」という合理の通りにしたかったら、きっと「内面的な課題や弱さと向き合う」ということをわざわざしようとは思わないだろう。経済的な自由を得るための手段であれば、今の僕にとって、それなりに選択肢があると感じられていることも大きいだろう。

そういった漫然とした生を送ることを、最後の選択肢として取っておいている理由を考えると、その選択の意味するところは、死の忘却を避けているということなのだろう。

 

僕は僕が必ず経験しなければならない「死」という最期を、どう納得の行く形で迎えたいか、なんだったら「死」すらも手段として、どうしたいのか。という問いと向き合っているからこそ、時間軸を伸ばし、大義を掲げ、苦難を超えていく覚悟を拵えているのではないかということに気づき始めた。思えば19歳の頃に「自分の欲望に従っていくことには十分満足したから、死んでもいいんじゃないか」と本気で考えたときにでた結論とあまり変わっておらず、紆余曲折をしているのは、社会の現状を目の当たりにしたことによる影響を、知らず知らず受けていたからと言ってよさそうだ。


時々、そのことを忘れて漫然とした生を中心にしてしまうことがあり、そういうときに迷いが生まれているのだろう。「死」を意識するたびに、スゥっと自分のすべきことに集中できるような感覚がするのは、今に始まったことではない。

人は自分の弱さと向き合おうとはしない。だけど、死と弱さを天秤にかけると、弱さと向き合わざるを得ない。「死に対する納得を得る」というエゴイスティックな欲望ただ一点においてのみ、僕は僕らしく生きていくことに取り組み続けなければならない。

 

そしてその僕の納得や意味性を、できる限り整った形で、後世へのバトンとすること。
その手段の一つとして、僕は文章を書き続ける。

 

 

 

拝啓、各位

 

今からとりとめもなく書こうと思う。
これはもしかしたら起きているかもしれない誤解を説くことができていないことに対するもどかしさから発した動機かなと思う。
別に僕自身はなんとも思っていないし、みんな自由にしたらいいと思う。だから僕も自由でありたい。

なんだけど、コミュニティに対しては実は居心地の悪い思いをしており、それに対するスタンスを表明しておくことで、どこかの機会で会ったときや、会うときに気まずくならないようにする、コミュニケーションを円滑にするものがほしい。

もう一つ

そろそろ行こうと思う。
その前に書いておきたいことが山程あるけど、今は一旦部分的に書いておきたい。
他意はある。でもやましいものではない。


伝えきれなくて後悔していることは2つだと思う。
一つは、1516の成功要因について。これは歴代の積み上げた経験と、3年が主体となって一枚岩で組織運営ができたことだと僕は思っている。
転換期というものがあるとしたら、それは3代前から始まっていたものだと思う。
まさにベンチャーと呼べるような空気感で、僕たちもそれなりに真面目に活動してきたし、それなりに全力で向き合ってきたと思う。
そして組織一丸で毎年KPIを改善してきた。僕が改善したKPIなんてたかが知れてると思う。ただのごっつあんゴール。MVPは松村だし、それはずっとそう思う。
各代の積み重ねの中で、僕ができたことは、その思いの系譜を汲み取って、しっかりアロケできたことだけだと思う。
一番感謝しているのは同じ代のメンバーで、彼らの決断にしか助けられていないと思う。一番力のあるメンバーがどうやったら活動してくれるか。それだけは本当に、誰よりも考えたと思う。

僕が嫌がっているのは、その意味で、決してあいだの代と括ってほしくないということ。強いて言うなら、相田(を代表とした)たちの代と言ってほしい。

 



2つ目は、内面的な弱みに向き合うことが事業の停滞を防ぎ、成長の礎になるということ。大学生にそれはいささか難しいことだとは思うけど、それを一番学ぶべきだと思うし、僕たちはたまたまそのことについて直感的な理解があった。

 

僕もまだまだ幼稚だったし、事務局に対して敵対的だったけど、はっきり言って、事務局の単年度計画への理解度と、計画の落とし込みと実行は一番できたと思う。それはなんでかっていったら、良いものは素直に良いと受け入れるだけの素直さがあったから。人間的な好き嫌いだけで、その人の一部ではなくすべてを跳ね返してしまう愚かさを、メタ的に認知できないといけない。

どうしてだろうと思うのは、メンバーや先輩後輩と仲違いをしたときにちゃんと対話してきたのかなっていうところで、かなり気になってる。当然、自分もインターフェースはトゲトゲだったし、今だったらもっとうまくやれるのにって思うことだらけだけど、委員会オールでみたときにも、それぞれの各代を見ても、人間関係構築がネックで事業が前に進まない状況を山程見てきた。それは別に会社に入ってもずっとそうで、同じ問題がいたるところで横たわってる。

 

 

後輩たちがとても苦しい局面に突入しているのは、僕たちも十分わかっていたし、
ただ脳死して数だけを追い求めていたとしても、セールスフォースとオフィスキャパに直面するだけなのは顕在化した課題だった。インセンティブが生じない中で、100人規模のマネジメントは難しすぎるし、正直、数値的な限界を迎えていた。

だからどこかで方向転換しないといけないことは明らかに見えていたし、だからこそ、今までの成功体験に囚われることなく非連続の成長をしていかないといけないという意味合いでは、数以外の指標を重視するということは部分的には正しかったのだと思う。

衰退とあえて言わせてもらえば、その成否を分けたのは、確実に誰かのせいじゃない。成長を放棄した企業が新興勢力に倒されていくように、ステークホルダーの多すぎる組織の大きな舵取りは、正直現役だけでは厳しすぎる。
次の代の方向性として、非営利組織の中でいかにお金を生み出し、そのお金を使っていくかという点において、唯一衰退を免れる方向性を感じた。それ自体は間違ってないし、営業事業をキャッシュエンジンにして、学生に再投資をしてコンテンツを充実していく。ただそれだけをやっていけば、とてもおもしろい組織になったんだと思う。もっと言えば、プログラミング教室と組んで、格安でMarCoをフロント開発組織にしても良かった。そしてミラーリング組織をつくれば、公認化の問題は一瞬で解決する。

そのための値上げと、ファイナンス制度の見直しは事務局の管轄だから、1組織がどうにかするには答申をあげないといけない。正直それは現実的ではない。

よく頑張ったと思う。だけど、こればっかりはみんなが望むべくしてそうなったと言うしかない。

 

学生では思いつかないけど卒業したらクソほど知恵を蓄えたアルムナイはいくらでもいる。だけどアルムナイは決して自分たちから手ほどきができるほどの余裕はない。むしろ自分たちのことで精一杯だと思う。それでもそいつらのコミットを引き出せるかどうかは、現役のパワーにかかってる。僕は少なくともそう思う。

もっと言えば、自分の仕事ややりたいことにコミットしていない先輩なんて、ダサくて嫌なんじゃないか。僕は鼻が高かったから、正直に申し上げて、先輩とかそういうのは苦手だった。こればかりは各代起きる発作みたいなもんだから、きっとみんなもそうなんだろうな。まあ、そうやって対立して中長期ちゃぶ台返ししてやりたいことだけやって散らかって衰退していく組織もちらほら見受けられるんだけど。

 

 

はっきりに言えば、僕はみんなが活躍している報告を聞くのを心待ちにしているし、そういう話を聞くと、純粋に応援したくなるし、応援しているつもりだった。
さらに、自分自身もそうなりたいという気持ちが強い。それをあえてプレッシャーとして煽るとするならば、もっと頑張っていかないとなあということで。
でもそういう気持ちをくじくようなことが起きてしまうのも確かで、それ自体は仕方ないことだとしても、そういうところからうまく脱却したり、そういう傷の舐め合いこそを大学のうちに卒業していてくれたらと思う。

 

もう何度言ったかわからないけど、どんな形であれ、またいつかどこかでみんなと一緒に仕事ができたらどんなに素敵だろうと思う気持ちはずっと変わらない。それがどこかで実現できそうな活躍ぶりを聞くことも、そういうめぐり合わせを予感するような飲み会も、まだまだきっと、青春なんだろう。

 

 

最後に、僕の話をしておこうと思う。
僕はご存知の通り、社会の現存体制に異を唱える側の人間だと思う。
大学の残りの1年間をつかって、しっかり勉強をして、そこから大まかな方向性を基礎づけて、継続して勉強に取り組んできた。
資本主義の成功がP&Fの実現と同じベクトルなのであれば、その歯車をほんの少し早めることができるかどうかが僕の挑戦になる。

生産性向上の白地の大きさ、市場規模、潜在市場のポテンシャルと格差是正
その意味で、不動産はとても魅力的な市場だと思う。
将来の夢は小説を書くことだけど、そこまでに至る時間で、日本にチャレンジ精神の旺盛な若者が集まる街が作れたらどんなに素敵だろうと、そんなことを考えて最近は生きている。

 

 

敬具

 

 

 

社会人になって2年が経った

前回の振り返り記事(社会人になって1年が経った - 世界の輪郭に溶ける)に続き、今年も振り返り記事を書いてみようと思う。

 

このテーマは主に「能力開発」や「発達」を主軸とするためのものであると思う。

その前提に立ってみたときに、大きな結論を先に言ってしまうとすれば、
僕がこの1年で学んだことの中でも、特に有意義なことは、
「能力は環境に依存-限定的である」
「能力はそれ自体がフラクタル構造を帯びている」
「特定ハードスキルに対する向上が自身にとってさしたる方向性になりえないキャリアパスになった経験が、環境が能力の方向性が限定的であることを裏付けている逆説と、僕の心情さえも決定付けている皮肉となっている」
というそれぞれの回答を基礎づけ、僕自身を腹落ちさせたことだと言える。

言ってしまえば簡単なことだし、予見していた内容であるものの、それを自分の中で腹落ちさせない限り起きうるリスクは、「青い鳥を探しに彷徨い始めてしまうこと」だ。

 

つまり、僕の浮き足立ったその足が、辛くも地面に着地し、しっかりと踏みつけて歩き始めたことを意味している。
だからと言って、目先の担当業務に対して理解や知識を深めることを諦めたり、不要なものとして捨象を始めたということではない。むしろその逆に、その目先の専門性の奥深さを注視し、そのエッセンスを獲得するまでのプロセスを重厚長大に扱うことと、その途方もない道のりに辟易とせず、着実、堅実に一歩一歩歩みを進めることを明らめたと言える。

 

その精神性の獲得こそが、僕が求めている成長=発達の方向性であることに、ようやく気づくことができたという意味で、この1年間は価値のある一年だったと思えている。

 

正直な話を言ってしまえば、僕がこの一年(特に直近半年)で感じたことの中でも大きな気づきは他にもたくさんある。例えば「人間個人の能力差は(一般的にいえば)たかが知れている」という明らめとか、「人間の能力開発は当人の価値観が色濃く反映される」とか、「抽象度の高い問題になればなるほど、教養の重要度が上がることに対する経験的な理解」とか。

また、弱みの克服というテーマに立っていえば、とても苦労をしたことも告白しないといけない。恥ずかしい話だけど、「相手の立場に立ってコミュニケーションをとる」ということが苦手だ。僕が設定した問いは「相手に対して敬意がないと感じさせてしまうのはなぜか。どうして相手の理解を難しくさせてしまっているのか」ということで、対する暫定解は、「自分が楽をするために、互いにとって既知情報や既知文脈をできるだけ省くというコミュニケーションスタイルを取っている」ということが見えてきた。

社会人として当たり前のプロトコル「質問や依頼の際には目的を明確に伝えることが重要である」ということも、「互いの関係の質や依頼する目的は極めて限定的だ」と判断してしまうと、「省エネの魔力」が働く。
もっと言えば、「仕事において独断が多い」ということでもある。自分にとって合理的なことが組織で働く上では実は致命的らしい問題となり、仕事を前に進めるという目的に照らし合わせると非合理になっているという残念な経験をした。
これは逆にいえば、「自分で判断をして行動をすることが得意」であることを示唆しているとも言える。この点については深堀りは現段階ではしない。ただし、物事は常に裏表、トレードオフがあるし、曖昧で、複雑なことに対して自覚的でないといけないということには触れたい。

弱みの克服に触れて話す限り、もう一点、触れておかないといけない気づきがある。
弱みの克服は必要か不要かの論争に対する自身の暫定解について。
僕の結論は、「赤点をとっている限り、克服をすべき」だと思う。
現状、僕にとって僕の今の弱みは赤点であり、克服すべき課題だと思う。
幸いなことに、その点について上司や先輩から適切(?)な指導やフィードバックをいただいているので、なんとか前向きに取り組むことができていること、
担当業務でその能力がなければ前に進まないという局面が多く存在しているということで、「つらいけどできないと仕事ができる人にはなりえないやつ」に対して前向きに取り組んでいる。

さらに、弱みの克服は僕の方向性にとって、切っても切れない取り組みテーマとなることについて自覚的だ。抽象度の高い問題やマネジメントレイヤーの業務になるにつれて、組織の責任を担うポジションになるにつれて、マネージャーの弱みが組織やチームに影響を及ぼす度合いが高まる。これは経験的にも客観的にもそう予感している。

 

ビジネススキルを簡単に、ジュニアとシニアに切り分けて語るとしたら、ジュニアを卒業する用件は、「すべての科目で赤点を取らない状態」のように感じる。その科目が5教科7科目のように画一的なものなのかどうか、家庭科や美術も含まれるのかどうかについて、あまり関心はないけど、おそらく5教科のことを指しているのだと思う。そしてそれがおそらくロクヨンスキルと呼ばれているものなのだと思う。その点でいえば、さっさとジュニアを卒業しないといけないと思う。


最初の結論に戻るけど、ロクヨンスキルのようなソフトスキルの発揮は、環境に依存-限定的だと思う。であれば、できる限りそれが発揮されるような環境に身を置くことができているかどうかを判断しなければならないという話にもなる。一方、仕事というのはフラクタル構造であり、ロクヨンスキルという一つの構造は、仕事の難度によって重層的になっているにすぎない。つまり、「能力が最大限活かされているとは言えない状況=仕事の難度が高い」ということになり、ゆえに、今の目先プロセスの連続の先にしか能力開発の未来がない。
その気づきから、「ふわふわ夢見がちのシンガーソングライター」から「しっかり地に足がついたマラソンランナー」に転職することができたということなのだと思う。ただし、上記はあくまで僕のリップサービスであり、ただの正論だ。
(正論について、一言で語るとしたら、「正しいことに意味があるとは限らない。」ということで、それはそれで重要な学びだ。正論に疲弊し尽くした日本人に対して想いを馳せていきたい)

 

僕の悪いクセについて語る。
僕は獲得したことに対してあまり関心を向けない。その性格が周囲に対する手厳しさにつながっていることに対して自覚的ではあるから、その問題でいえば徐々に赤点を取らなくなっていると思う。ただ、まだ自分に対してそう思えていないだろうと思う理由が、上記内容に「社会人になってから学んだこと」の能力開発に触れられていないことだ。(前回内容はその点を含めて自己肯定感をあげることが目的になっていたが)

ハードスキルに対して横並びに見たときに、全科目で60点をとることができているかどうかでいうと、それは適切な評価者に委ねるとして、僕の感覚で答えるとすると「次どしたらえんやろか」について明確に「これまだ経験していない」と「これ獲得しておいたほうが良い」の方向性が見えていない。理由は、「それなりに学ぶことができた」ことが理由なのかもしれない。およそ及第点、足りない点は都度補填、という前向きなスタンスをとるという腹決めのあとは、目の前の業務を淡々とこなすハードボイルド野郎をペルソナとして抱えていきたい。そしてそれが第三の結論に書かれていることの意味合いだ。僕は新規事業部署に異動したことにより、専門性向上という方向性から足を洗い、都度補填の姿勢を極めていくスタンスを磨き込んでいくことを決定づけられた。そして逆説的に、環境が僕の能力を限定的なものにしたとも言える。

 

能力開発に言語化能力は不可欠で、能力の抽象化と構造化を絶えず繰り返していかなければならないと思う。専門性に依存しない働き方を僕が選択する限り、僕の専門性は能力開発スキルだ。それはまるで「一貫していないという点で一貫している」ようだ。

能力開発スキルは他者のエンパワメントだ。より遠くに行きたい人間にとって、自己開発は他者開発スキルの土台としてうまく作用する。人は他者支援によって効率的な発達が可能であり、効率的な発達は組織をスピーディに強くする力だ。

 

 

最後に、僕の今の心情について語る。
僕の最近の口癖は「30代の後半から、鎌倉の海近くに住んでゴールデンレトリバーを飼いながら車で通勤がしたい」だ。

僕は今も昔も、できる限り自由になることを望んでいる。能力開発や教養を身につけるということはおそらく、自由の切符の意味合いがあるのだろう。
そのひとつの具体的かつ簡単なイメージとして、「自然豊かだけど交通の便が良い」という贅沢な土地柄を求めていて、居住選択の自由を行使したいのだろう。もしかしたら国内でもないかもしれない。
30代後半と言ってるのは、それまでは冬の時代でも耐え忍ぶ覚悟を意味しているのだろう。当然、30代後半から希望も野望も捨てて晴耕雨読な生活を謳歌するということを意味しているわけではなく、一つのライフスタイルとして選択したい。

 僕が嫌いなものは理不尽・悪意・不自由の3つだ。こういうものに対して誠実に向き合って、自分なりに納得のいく着地をしたい。


3年目、僕にとっては一つの集大成で、あまり先の未来は見えないのだけど
人間としての発達について、引き続き取り組んでいきたい。

 

 

 

 

トーキョー・ミッドナイト・レイン

  

真夜中の中でも特に25時は、ひどく孤独にさせる魔力を帯びていると思う。そんな時、僕はiPhoneを手にとって、LINEの友達リストを繰り返し眺めるのだけど、目的もなく連絡を取ることが苦手な僕は、ただ彼らのアイコン画像から今の状態を推察して、理解に努めようとすることしかできなかった。

それではいけないと思って、ほんの少し勇気を絞り、旧友をご飯に誘った。一緒に地元で浪人をしていた同級生は、4月から福岡に転勤になったから、LINEでのやり取りだけだったけれど。
彼は今クレーンを売る会社で営業をやっている。向いていない仕事も数年もすれば、彼の人格に少なくない影響を与えているようで、当時からは想像もつかない調子で言った。
「本当に連絡をくれて嬉しいよ。いきなり電話をかけてごめんね。でも本当に嬉しかったんだ。リュウも元気にしてるのか?仕事は順調か?きっとお前は今も活躍に活躍を重ねていて、回りに感謝されて仕方ないんだろうな。お前は昔から、誰よりも頑張ってたもんな。」

意外な反応だった。僕はきっと妬ましく思われているのだろうと思っていたけど、そうは思っていない人もいたのだ。彼は僕の孤独がただの思い込みだったと教えてくれた。

今の僕は周りに感謝されるというよりも、文字通りお荷物のような存在だと思うけれど、彼が力強く伝えてくれた「嬉しい」という言葉は僕を前に進めてくれた。残すのはきっと、あと一人。

 

 

 


 

「本当にごめんね。今仕事の方が炎上していて、ずっと会議だったの。トイレに行かせてくださいって言って、ようやく連絡できる状態だったから、待ち合わせのギリギリの時間にかけることになっちゃったけど・・」

2年ぶりだった。彼女が待ち合わせに遅れると言ったので、僕は新宿の紀伊国屋で小説を買って、それから近くのスタバでアイスコーヒーを買って時間を潰していた。
「実はこの本、ずっと読みたかったんだけど、なかなか読む時間が作れなくて。ちょうどよかったよ。冒頭からすごい面白いんだ」
「誰の本?」
村上龍だよ。五分後の世界っていうんだ。パラレルワールドの日本の話。」
「そう言ってくれてよかった」
「予約してたお店、さっきキャンセルしちゃったんだけど、行ってみようか。」
そう言って僕は氷が溶けきった残りのアイスコーヒーを流して、不燃物ボックスに捨てた。

 

予約をキャンセルしてしまったワインのお店は新宿3丁目にあった。幸い、予約をしていなくても入れるくらい穴場だったから、僕はホッとした。

「今職場は新宿からは近いんだよね?仕事はどんなことしてるの?」僕は聞いた。
「営業だよ。営業って言っても、クライアントにヒアリングに言った内容を社内各所で調整するだけだけど。これできる人いませんか〜?って。そのアサインで今難航しててね。」
「いろんな人に迷惑かけてない?大丈夫?笑」
「かけまくりだよ!もうはわはわしてる笑 まあ、だいぶ慣れてきたけどね」
「仕事は楽しい?」
「私は仕事楽しいとかそういうの、全くわからないからね、早く帰りたいよ笑」

 

仕事に楽しさを見出そうとすることはもしかしたら部分的な偏りで起きていることなんだろうなと僕は思った。

 

 

 

 


24時を回った。大学時代の話から、社会人になってからの話、趣味の話や最近聴く音楽の話、好きな小説の話。そういう話をひとしきりしていたと思う。
彼女は僕が誕生日プレゼントに買った香水を、毎晩寝る前に部屋に振りまくようになって、そこから香水が好きになったと言っていた。


「この前ドライブに行った時に、こんなことがあってね」
「あいちゃんはもう少したわいもない話とかできないの?笑」
「全く、手応えを感じたくなるとダメだね。議論始めちゃうから笑。そういえば俺たちってドライブしたことあったっけ?」
「あったじゃない。ほら、猪苗代湖見なかった?楽しかったよ」
「あ、そうかあの時か。あの時は楽しかったな。なんの目的も決めなかったけど」
「そうだね」

 

「・・・他にもさ、実は特に印象に残ってて、こびりついて離れないことがいくつかあってさ。」
「どんな?」
「うん、誕生日か何かを祝ってくれた時、俺なんでか覚えてないんだけど、怒って帰るって言い出しちゃってね。会計して、改札でお別れする時に、今日はあいちゃんと一緒に居たかったって言われて」

「・・そんなこと言ったね」

「あれとか、なんで俺・・・追いかけなかったんだろうって。」

「うん」

「他にもね、ゴムが破けて一緒に朝一で病院行ったじゃん。あの後ガストでさ。今でも鮮明に覚えてるよ。俺はメロンソーダを飲んでた。もうあいちゃんとはエッチしないって。どうして?って言ったら、だって、責任取れないでしょう?って。なんであの時、何も言わなかったんだろうって。」

「あいちゃんは友達だよ。」

「うん。じゃあ、ずっと居てくれない?」

「いいよ。とりあえず、飲もう!」

「ええ、まだ飲むの?笑」

「そうだよ?グラスワイン、オススメってついてるやつ、下まで全部飲むの!」

「ええ、もう結構、無理なんだけど笑」

 

僕はきっと、あの時の後悔をずっと引きずって生きてきた。大学2年生の冬だったと思う。
なぜずっと会えずにいたか、そしてなぜ今会いたいと思ったのか。
その答えは、いまだ僕にもまだわかっていない。

 

その日の会計は2万円を超えた。最高新記録だった。

 

 

 

 

 

 

 

25時を過ぎた新宿は、僕たちを阻むように雨を降らしている。

彼女が行こうと言って立ち上がった。傘を持っていなかった僕は、彼女の小さな折りたたみ傘に入れてもらいながら、近くのコンビニでビニール傘を買うと、彼女の折りたたみ傘を畳み、それをバッグにしまった。そうして左手で彼女の左肩を寄せて、互いに小さくなりながら歩き出した。
新宿通りの3丁目の交差点を渡る途中、僕は込み上げてきた何かをぶちまけるように、ごめんねと言った。
「あの時、好きって言えなくてごめん。」
交差点を渡りきった時、僕は彼女と向き合って言った。
「好きだよ」
「どうしてそういうことを言うの?どうして・・・」
「どうしても、言いたかったんだ。」
「どうして今になって言うの?」
「どうしても、今伝えたかったんだ。」
「私どうしたらいいの」
「どうもしなくていい。ただわかってくれていさえすればいい」
「ねぇ、チューして。」

僕は傘を放り投げると彼女の頬を両手でそっと包み込んで、顔をほんの少し上向きにした。僕は少しだけ前かがみになって、少しだけ顔を右に傾けて、優しく目を閉じた。

25時を過ぎた新宿の雨は、僕らを包みこむように汚していった。

 

 

 

 


 

金曜日。外はもう白んでいる。

彼女の首筋から指をつたっていると、胸元に消えかかった痣を見つけた。
僕はクスっと笑って、その痣をふわりと撫でると、彼女が言った。
「あいちゃんは今、どんな気持ちなの?」
その鋭い一言は全てを見透かしているように感じられた。僕はおもわず閉口してしまった。
「う〜ん。複雑な気持ちがするね」
苦し紛れの言葉だった。
「なにそれ笑。複雑な気持ちかあ」
「うん。複雑な気持ち」

僕はその跡を見て見ぬフリをすることもできた。でも、その時に僕が彼女に発見したことを示唆したことは、確かに不可解な行動に映ったと思う。

「さっき俺は複雑な気持ちがするって答えたじゃない?その時のことを思い返していたんだけど」
「うん」
「今までは、自分のことを無条件で受け入れてくれる存在を必要とした。その時は、相手の意思に関係なく、自分が受け入れてもらえていると感じられさえすれば良いと思った。でもそうではなくて。自分が無条件で受け入れられる存在さえいれば良いんだって。思えた」

「なんだか急に哲学的だね」

「うん。だから、今のは忘れていいよ。」
そう言って、僕は彼女の白い背中を後ろからそっと抱きしめた。

 

本当の事を言えば、僕はその質問の意味を理解していた。
彼女は僕に「マナー違反だよ」と言ったのだ。
でも僕があのとき伝えたかったのはそういうことじゃない。少なくとも僕が失礼な事をしたわけではないことだけでもわかってほしかったのだと思う。

僕がその時伝えたことは、僕がじっくりと時間をかけて大切にしなければならないことだと思った。

 

 

 

 

 

新宿の雨はすっかり止んでいた。歌舞伎町を抜けて東口に向かう道すがらは、以前よりも静寂だった。
信号が青になるのを待つ。僕の左手は彼女の右手を握り、寂しそうに爪を撫でている。綿よりも軽く、だらんとした右手をそれ以上強く引くことはしない。きっと、これからも。


改札を抜けた僕たちは「じゃあね」と言ってそれぞれのホームに向かおうとする。僕が中央線の方を向こうとするも、それができなくてほんの一瞬立ち往生したのを逃さなかった彼女は、まるで子供をあやすような表情で、手を振ってきた。
「そういうところだよ」と思った。相変わらず、君は僕のことを知っている。


僕は仕方なく手を挙げて、力なく振り返した。彼女がホームに向かうのを確認してから、背中を向けて、ゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

紫陽花を見に鎌倉まで行った時の話

 

人に関心を持つことについて、それなりの矜持がある。
なぜか。それは僕が胸に秘めている人生のテーマを明らかにするのに、最も重要な心持ちだと思っているからだと思う。

 

 

 

6月某日



その子は僕の会社に転職してきた。友達の友達だったので、同僚として紹介を受けた。
彼女はしきりに「人に興味があったから、今の仕事を選んだ」と言っていた。その心持ちはきっと仕事に活かされるだろうと思っていたのだけど、一抹の物足りなさを覚えた。

僕はコミュニケーションを通じて「目の前の人をより深く知ること」を志向していると思う。僕にとって質問をすることは、相手に対し、「私は今あなたに関心を寄せている」ことを示していることに他ならないし、それが人に興味を持つということでもあると思っている。

一方、彼女とのコミュニケーションでは、質問が一切されていないことに気づいた。だから、「人に興味があるって言ってるのに、○○や俺について知ろうとしないのは、どうして?」と聞いた。デートというには骨太すぎる内容かもしれないが、それは僕にとって重要なテーマだった。

彼女は「自分が聞かれたくないこともある側なので、開示されるまで自分から聞くことはないし、それは人とのコミュニケーションで大事なことだと思う」と言った。

だけど、それは詭弁だと思った。もし本当に大切にしているとしたら、きっとそれは相反する価値観を抱えていることになる。そうでないならば、興味の対象が異なるのだろう。

それよりも、「開示できないほどの大事にしている尊大な自分」に意識を奪われてしまったから、「どうして人に開示したくないと思うのか」を問うてしまった。

それに対する明確な回答は得られなかった。


帰宅してから、一通のLINEが届いた。

そこには、自分の弱さと向き合うことはしないし、そこそこ誤魔化して逃げ、社会のことも、他人のことも、なるべく考えずに生きていたいということが記されてあった。

 

 

 

7月某日

 

大学時代の友人からランチに誘われたので、最近の僕を悩ます問いについて聞くことにした。
彼女は「変わらないことへの恐怖心」を抱いていると言った。
僕もきっと、同じ思いを抱えて生きている。当然、生得的な部分もあれば、環境がそうさせてきたこともある。ただ常々、「変わらないことへの恐怖心」を抱くことはもしかしたら強欲なことなのかもしれないと思っていた。彼女は「強欲なことは悪いことなの?」と言った。
もしかしたら悪いのかもしれないし、もしかしたら悪くはないのかもしれないが、ただ、「執着をすること」の是非をまともに回答することができていないまま生きてしまっている。このブログのドメインにもしたくらい、執着は僕を悩ます関心事の一つだ。この社会の枠組みは、強欲=執着を持つ事によって成長していくように思えて仕方がないからだ。

変わりたいと願う事の動機が、瑣末な欲望から抱かれているとするならば、僕はその欲求を否定したい。 それを抱く動機が、数式上に落とされるような、純粋な成長を希求している限り、僕は僕の動機を高潔だと思う。だから、もし成長の志向が、瑣末な欲望によるものだとしたら、きっとそれが他者であっても、否定したくなってしまうのかもしれない。

問題は、この複雑化した社会が、内発的な動機が瑣末な欲望によるものであることも前提として仕組み作られているのではないかという疑問だ。そんなこと、知る由もないんだけど、ただ僕は僕なりの解釈によって、審美を判断したいと思う。

 

 

 

7月某日

 

僕はきっと、納得がしたいんだと思う。

暫定的に出している結論が、何かが明らかになることによって覆ろうとも、前に出した暫定解と同じに結論が出ようとも、一歩でも真実に近づいていることが、僕にとって、僕の人生にとって、重要な過程なのだと思う。

僕は社会や相対する人々を通して、自分を知ることを人生のテーマとして掲げている。
その意味で、自我の檻に囚われてしまったようにも感じるし、日本人にしてはひどく西洋的なアプローチだ。もしかしたら次のステージに、自我との決別がくるのかもしれない。あるいは明月院の紫陽花のように、土壌に影響を受けて咲く花びらの色を選べないのかもしれない。

 

 

 

7月某日

 

人のことを知りたいと欲望していながら、中高の同級生とろくに連絡を取らないまま、26歳になってしまった。
同級生に対して思いを馳せど、「彼らは僕に会いたくないのだと思っているに違いない」と思って、そっとiPhoneを置いてしまう。僕が浪人していた頃、東大に進学した同級生がディスられているのを目撃したからかもしれないし、僕自身が、嫉妬のような感情をぶつけられるのを経験してきたからかもしれない。僕にとっては名誉で、勲章とも言える傷跡も、見る人からみれば、唯一攻撃し得る間隙に映っている。その辛く長い道のりを乗り越えたから、多少の自由を手に入れているというのに。

自分が下に見ていた人間が努力して成り上がった時、人は「自分も頑張ろう」だなんて思わないという事を知ってしまった。19歳の僕は「自分が成り上がることで、光明たろう」としていた。きっと、周囲も活気付くに違いないと思った。
現実は、ただ周囲を惨めな思いにさせているだけだった。もちろん、地獄のような日々を知っている人は、尊敬の言葉をかけてくれることもあるけど、大多数はそうなのだ。

そして(高校生の時から啓蒙家のように振舞っていたが)事実上の強者となってしまった。考え方も、社会的にも。

僕にとってそれは酷い孤独だった。

 

 

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僕は彼女に、わかってほしかったのだと思う。なんの不幸も、不運もなく、恵まれた環境で生き続けてきた彼女と、社会的なつながりを求めたかったのだと思う。わかり合いたいと思ったのだと思う。環境が違ったり、考え方が違ったとしても、同じ会社に所属する以上、何かしらの共通点があるに違いないと思った。それを知ろうとする過程で痛みが伴うものだったとしても、それを乗り越えていきたいと思ってもらいたかった。

明月院から車に向かう道中、彼女は僕に「分かり合えないと思います」と言った。

僕の口から零れ落ちた「寂しい」の一言は、
彼女の耳に響くことなく、蒸し暑い雨と共にアスファルトを濡らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボドゲの能力とビジネス能力は比例している

 

 

6月某日

 

シェアハウスで3人で住むようになってから、帰宅後にはボードゲームをやるのが日課になってしまった。1時に帰宅してから3ゲームをすると2時半にはなってしまうので、今日も寝不足だ。

僕たちはおそらく一般的ではない方法でカタンをプレイしていると思う。

僕たちは盤面と出目が決まった段階で、「どこに置いたらどんな戦略になるか」を3面配置の期待値が高い順に全員で考察している。次に、「1番目のプレイヤーが置いた場所に対して2番手が取るべき戦略はなにか」を考察する。2番手は3番手の置き方を想定した上で、3番手が置きにくくなるような場所に配置しつつも、1番手よりも有利に置く必要があるため、勝率は1番よりも高めだが、もっとも難しい順番であると考えている。3番手は自分の戦略をもっとも色濃く反映させられることに加え、1番手と2番手の戦略を配置から推察し、差別化を測ることができる。その時点でもっとも有利なので、僕たちの中では3番手がもっとも勝率が高くなる。

今僕たちが取り組んでいるテーマは「1番手がいかに勝つか」であって、現状パターンでいうと「最も重要な拠点を持てることを活かした最大交易×最大騎士力の早期獲得」が1つの解となってきた。もう一つは「港の活用検討」で、2:1拠点の2面から資源が算出されるところの期待値が高いところは相当強いことが確認できつつある。

戦略の大筋は「最大交易の獲得」か「最大騎士力の獲得」の2つであって、この二つのうちのどちらかもしくは両方を獲得できないと勝利することは相当難しい。そのため、最初の拠点配置では、大雑把に、「発展野郎ゲー」にするか「交易路伸ばし野郎」になるかのどっちかである。現状でいうと「発展野郎ゲー」をした方が勝率が高い。理由は「交易伸ばし野郎」は盗賊の対処ができないので、妨害を直に喰らいやすいこと。開拓地と道を序盤から伸ばしまくれるので、初速がよく、勝っているように見えやすいのだが、だいたい都市化に苦戦するのである。3:1港や2:1港がなければ岩麦の枯渇が目に見えており、開拓地を無思考に置きすぎると6点から先で失速する。


対する発展野郎は騎士カードを持ちやすいので、攻防両立しながらポイントを積むことができる。さらに発展野郎ゲーにすると岩と麦が出やすくなるので、都市化が捗る。都市化は期待値の高い初期拠点を強化することができるので、最も合理的だ。
最初の拠点2つを都市化し、最大騎士力を獲得するだけで6点となるので、残りの勝利点は開拓地を作って都市化するか、勝利ポイントを引くかで簡単に10点を獲得することができる。騎士カードを湯水のように使うことで、木や土の獲得は可能だし、最初の拠点からの道の伸ばし方をミスらなければ、木と土は2つずつ獲得するだけで済む。独占カードを岩算出枚数に合わせて使用すれば、ほぼ勝ちが確定したと言ってもいい。マーケティングでいえば独占カードはTVCM相当の効力を発揮する。


この基本戦略に加えて「港戦術」「都市化戦術」などを組み合わせることで勝利点を増やしていくのだが、初期配置のタイミングでそれぞれの戦略の方向性を見定めた上で、お互いがどこでどう戦うのかをその上で考察する。


勝利に重要なのは、初期戦略を定めたらその戦略を途中でブラさないことだった。最大交易戦略から最大騎士力戦略に方針転換しようとすると、大抵うまくいかない。最大交易と最大騎士力の両方が獲得できるパターンは、今の観測範囲では街道建設によって最短で5本にする場合だけだった。

 

そして僕たちが最も時間をかけるのは感想戦で、それぞれの戦術実行の意図や、勝因敗因の分析、勝てなかった人たちはどうしたら勝てたのかをシミュレーションする。

これを繰り返していくことで、少しでもカタンでの勝率を高めていくための改善に努めている。

 

 

 

 

 

カタンはとても良いゲームだと思う。ビジネス上の優秀さとおよそ比例するのではないかと思うほど、ゲームを繰り返していく中でどう学び、次に生かすかの見立てて検証して振り返るという基礎的なサイクルから、どれだけ学びとれるかの総量を高めるための工夫ができているかが問われている。さらに、交渉や結託のセンスが問われる。相手の状態を勘案した上で、提供価値を明確にし、相手に理がある形で交渉できる筋があるかどうかまで、最初の盤面で考察する。これはいわばアライアンスだ。そして、戦略策定能力の高い人間が勝利する。

とは言ったものの、もう少し正確にいえば、僕たちがカタンをそういうものとして捉え直していると言った方が良い。初期配置から市場特性を掴み、どういう戦いになるかを予想した上で、取るべき戦略を決める。僕たちがカタンで行なっていることと同じことを、一流の経営者たちがまるでカタンのように実社会で行なうことができているとしたら、僕たちは危機的だ。だからこそ、最低限カタンで見えているレベルまで、実ビジネスでも見通すだけの力が欲しいと今は思う。そういうシミュレーションのもと行う本気のカタンは、とても実りがあって、面白い。

 

 

 

 

・・・偉そうに書いたものの、我が家で最もカタンが強いのは下田で、僕は毎日反省会ばかりである。どうやら僕は、ブルーオーシャン戦略や独占は得意なのだが、競争戦略は得意としないらしい。

 

 

 

 

2019/04/28_雑記

 

 

4月某日

マーケ担当になった。
自分のキャリアっていうものはどうにもあてにならないもので、サラリーマンとして生きている限り、偶発的に発生することを受け入れた方が何かと負荷が少なくて良いのだと思った。
マーケティングを担当すること自体にはとても前向きで、サービスグロースにおいてマーケティングは切っても切れないものだなということを痛感した。というより、自分の認識の甘さを恥じた。僕自身に言われたことではないのだけど、「マーケターたるもの、社長同等の権限を持ってるくらいの気持ちでいろよ」というフレーズがなかなかにヒットしている。営業さんが汗水垂らして稼いでくれているお金を経営戦略上、湯水のように使わなくてはならない局面に、肝を冷やすような気持ちになれど、それもあくまでファンクションの一つなのだと割り切らなければどうにもならない。もしくは、援護射撃を打つくらいの気持ちでいた方が良い。

とはいえ無益な競争を煽り、プラットフォーマーのみが潤う構造に対しては辟易としかしていなくて、戦いには常に乗り続けないと大敗し、戦いに乗り続けるとエンドユーザーが搾取される構造は健全ではないので、平和協定はすごく大事だなーと思う。

とにかく今はマーケティングのマの字からきちんと勉強せねば、ということで、
デジタルマーケティングに閉じずに理論と実践を高速で回していきたい。
多分だけど、入力したインプット量と入力速度を最大化することによって出力量を最大化することこそが、事業開発を一つの上級スペシャリティとしたい自分にとってもっとも重要な資質であり、ケーパビリティになるのだろうと思った。

UXとマーケはサッカーでいうところの点取り屋で、この二つのスペシャリティ(UXを自身の専門分野と呼ぶには経験が圧倒的に不足していると思うけど)としていくのがなんとなくいいんだろうなと思う。4月上旬にはまごまごしていた自身の方向性に対する認識も、1ヶ月経ってくると、じゃあこういう風に考えていこうかと視界がひらけてくるのはまあまあ良い。想定している成長角度をグイッと引っ張り上げてくれるのは、会社における育成方針によるところも大きい。だからこそ、今はその期待を打ち返すのに必死だ。

チームにはとても恵まれたと思う。意外というかやはりというか、新規事業部署にいる人たちはおそらくヒトクセある人たちなのだろう、既存事業ではうまく噛み合わない人たちが独立的に働きながらも、それで成立しているような印象を受けた。誤解のないように捕捉しておくと、これは最大の賞賛であって、自分を棚上げしているわけでもない。
僕は社内ではどうやら「ヤバい奴」という評判だが、自分としては「自分は世の中的にかなり真っ当な人間だ」と信じている。むしろ日本社会っていうのは慣習に従うことに心地よくなって、自分の意思で生きられなくなってしまったゾンビたちが跋扈している国だと思っているくらいなので、その意味で今の部署の人たちは真っ当だなと感じる。僕の場合、どこに属していたとしても、ゾンビたちの平和を脅かすアウトサイダーだっただけで。

自分が一番下っ端ということもあって、アゴで使われるようにタスクが積まれることもあるけど、「なんでもやります」と言ってしまった手前、後に引けない。でもそれもまた自分の限界を理解するという意味で一つ挑戦したいことでもあるので、限界までやってみようと思う。

心配なことといえば、運気がこの10年で最も悪いということだ。きっと辛い日々が待ち受けているんだろうけど、全部運気のせいと割り切って、穏やかに過ごしていきたい。

4月某日

引っ越しが決まった。八丁堀のシェアハウスには1年半お世話になった。そこは民間で運営されているところで、家賃がまあまあ高い。それでも初期費用がかからずに会社の近くに住めるのは、僕にとってとても魅力的だった。
会社から家まで歩けば40分くらいで帰れるし、タクシーを使えば1000円ちょっとだ。終電以降も働いていたかどうかについてはいろんな観点で回答を伏せるけど、自分は割とワーカホリックなタイプで、だけど休息もそれなりに必要なので、無理のない範囲でそういう生活を一定することがある。
家からもっとも近い繁華街がオフィスのある銀座という皮肉い感じだが、学生時代の習慣から、金曜日や土曜日にはちょっと夜更かしをしたい性分で、その度に六本木のスタバまで駆り出て、閉店をすぎたら始発までウェンディーズで過ごすという生活スタイルの変更を余儀なくされてしまうのは、少し寂しい。

最近そのシェアハウスに引っ越してきた22歳の女の子は、看護学校を休学して、1年分の学費を出稼ぎに上京したキャバ嬢だそうだ。僕の人生はなにかとキャバ嬢に縁がある。
その子から言われたことで学びが深かったのは、簡単にいえば「UXが良い」ということだった。僕はてっきり「そういう時のUXの話」だと思ったのだけど「サシで居る時のUX」が絶妙らしい。言語化され尽くされていないところに研究の余地があるが、そんなことを言われたのは初めてなので、少し嬉しい。
例えばもしかしたら、夜道を歩きながら飲んでいるビール缶を取り上げて少し振り、「まだ持ってたの?早く空けてよ」と言ってその中身を相手が飲み干そうとした時に「ああ、そっちじゃなくて、こっち」と言って手を握ってしまうくらいにはUXがいいのかもしれない。
会話の時の絶妙な間、と言われたこともある。独特のテンポがあるらしいのだけど、それが良いのか悪いのかはよくわかっていない。

 

 

 


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次に住むところは北千住の荒川付近の戸建で、3月からずっとルームシェアのできる物件を探し続けてようやく見つかったのだ。ほぼ会社の同期と4人で住むことになる。
全員の希望をとって日比谷線沿線で探していたのだけど、ほとんどの物件がルームシェア不可ということで断られ続けていたので、念願叶って最高の居住地だ。
六本木まではドアドアで1時間弱かかってしまうけど、始発で一本だし、僕の次のオフィスまでだったらドアドアで40分以内、エレベーターが混雑することを除けば最高に良い。今はドアドアで25分で、電車の中で本を読もうとしてもせいぜい10分くらいしか読めなかったのが何かと不都合だなぁと感じていた。通勤時間が短くなったからといって満足度が向上されるわけでもなかったので、僕にとっては街の面白さが重要なのだと思った。美味しい飯屋と商店街と、おしゃれなカフェと、土手沿いの豊かな風景。高架下にビニールシートの家を建てることが穏やかに許されていて、休日には本気でバンド練習をしている学生たちがいる。自転車で集団を作っている高校野球部とすれ違うと、今度はランニングをしているおっさんが僕を追い抜いていく。なんて平和で丁寧な生活なのだろう。夏の夜には花火をして、次の朝には君の実家の犬を連れて歩きたいと思う。



2.5年目になった僕の社会人生活は、年号が平成から令和に切り替わることに加え、オフィスの変更と住居の変更によって、アップデートされていくのだろう。気の良い友人と住むルームシェアも、前途多難なこともあるかもしれないけど、きっと楽しくなるに違いない。

GWはおそらく積読された本を読み潰しながら過ごす予定だ。
時間の都合があえば、たまには懐かしい人たちと近況報告に花を咲かせてみたい。