世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

成果発表で負けた話と新規事業に異動する話

昨日、成果発表大会に負けた。

勝ちにいくことをしないと高らかに宣言しておきながら、プレゼン資料の作成をしていると、徐々に心境の変化があって、「これで勝てなかったら自分の頑張りが報われないんじゃないか」という気持ちになった。
結果でいえば全くそんなことはなく、ただの自分の思い違いだった。昨日は同期とパーッと打ち上げをして、その後早めに寝てしまったのだけど、夜中の3時に目が覚めてしまい、そこから7時まで寝ることができなかった。

その時に考えていたことでもかけたら良いのだけど、うまくかける自信がない。ただ、書いてみようという動機だけは湧いてきたので、その気持ちの赴くままに書いてみる。

 

 

それともう一つ、環境の変化があったのでそろそろブログを書きたかった。ベースは以前の記事「 明日には昨日思っていなかったような成長があってほしい」の続き。4月から新規事業Gに異動することになった。

前々から、「この仕事が終わったらバックオフィスの方か新規の方にいきたいなー」みたいなことは思っていたけど、この仕事の終わりを待った方がいいのか?でいうと答えはNOで、同期や友人が続々と新環境にチャレンジしていく中で、停滞感を味わいたくないし、それ以上の成長角度を実現したかったらアンコンフォートな環境でもがいた方がいいと思った。「きついと思うよ」っていうGMの言葉は正しいのだけど「そんなこと言ってられない」のが本音だ。

 

なんともいえない喪失感は、まるで長年付き合っていた彼女と別れてしまったような感覚に近いのか、初恋の女の子のことを思い出している感覚に近いのか。あるいは学生団体の代表の任期が満了したときの喪失感に近いのか。高校や大学を卒業した時の感覚に近いのか。。とにかくそんな心持ちだ。

 

 

今の思いは2月に書いた時から変わらず、「今この仕事をやりきることを重視するか、それとも今経験しておかなければならないことを経験することを重視するか」の二択でしかなかった。面白いのは、僕は「この時は必ずそうなる」というものと「これはもしかしたらそうならないかもしれない」の区別が直観的についているように思えることだ。例えば後者であれば「第一志望に合格しない」ことを直観していたり、「成果発表で勝てない」ことを直観していたり。前者であれば「必ず今の会社に入社できる」という根拠のない確信だ。今回でいうと、「僕は必ず異動になる」ということを直観していた。まるでスクワラが自分の死を直観しているように(この例えは今のシーンにそぐわないように思うけど、おそらく僕も自分の死に際を直観することになるのだということを言ってみたかった)
その直観はブログの書きっぷりに現れていて、それを振り返ってみるのがちょっと楽しかったりする。

僕はこの自分の確信を企画に対しても直観しているような気がする。もし仮に、そんなことができたら100発100中なのだけど、「無理そうだ・・・」と思っているものが本当に無理かどうかを確かめるためには「実際にやってみる」以外にないので、この直観の精度を高めるためには必ず失敗を経験しなければならない。
逆に、自分の場合は「自分の直観を外した」時に謎の脳汁が出ているような気がしていて、それを必要以上に求めているようにも思う。以前誰かが「仮説検証ジャンキー」と表現したように、あらゆるものを検証しながら生きるというのは僕の生き方のうちの一つになっている。

 

 

一つ、新人時代を経てわかったことがある。それは「自分がその時はできないと思っているもの」は「意外とすぐにできるようになる」ということだった。

ちょっと無理そうだな・・・と直観していることは、「その時点での直観」であって、「3ヶ月後の自分の直観」ではない。この認識のズレを起こしていくことが僕が体感できる成長となっており、その認識のズレを一つ一つ検知していくことで、何ができるようになって、何がまだできていないのかを解像度高く理解していくことができる。

それはもちろん、自分が明確に定めている"登りたい山"とその旗印と照らし合わせていくことでしかフィードバックされない。


うちの会社でよく語られるキャリアの考え方は、大きく二つに大別されており、"川下り型"と"山登り型"と表現される。
川下り型はその時々の状況に応じて柔軟に行き先を変えていくようなイメージで、

山登り型は目標から逆算して今必要なことを選択していくイメージだ。

僕の場合はどちらかというと山登り型に大別される。なんだけど、具体的な選択肢は川下りのように、その場その場の状況に応じて変化しうるものだ。イメージとして適切なのは、「山の登り方にもいろいろある」ということで、崖から登るのか、それとも既に舗装された道を行くのか。ロープウェーを使うのか。その選択肢の中からどれを選び取るのかは、僕が定めたコンパスに従うにすぎず、合理性や感情というものは影響していない。それ自体が他流試合を見ているような心境だ。そして必ずその道中で金ピカを拾うことができると思っている。今回の僕の金ピカは商品企画だった。

僕の喪失感はもしかしたら、「我が子のように育ててきた企画商品を手放してしまう」ということからも生まれているように思う。「会社サボって京都に行った」あの時、新規事業立案の企画を辞退して号泣したように。僕が育てた企画はまるで第二の自分のように僕の想いを投影している。とはいえ、自分のコンパスが違う方向を指してしまった場合、僕は非情な決断を下さなければならない。それは周りからみて一貫性のない奴だと思われるかもしれないが、僕の中では至極真っ当な道のりだし、きっとこれからもそうやって生きて行くのだと思う。

逆にいえば、第二の僕が一人歩きをし、そのまますくすくと成長していってくれるかもしれないことを直観したからこそ、今回の成果発表会に対してある種の目的達成を感じているのだと思う。また、「僕自身が経験した綺麗なシナリオの裏側にある何度も折れてしまいそうになる壁」を審査員である役員の方々がとても深く理解してくださっていることを実感したこともあるだろう。新人バッヂのついた1.5年目程度の僕が苦しんだ経験の何倍もタフな失敗経験。その時のドロドロとした感情、それを飲み込んで戦って、それでもうまくいかない、というリアリティ。役員の方々と会話した時にその体験談がまるで手に取るように伝わってきた。それは自分が過剰に孤独を感じていた痛みを分かち合ってくれているようだった。

「君には企画マンとしての才覚がある。企画者において一番大事なのはめげずに自分の企画を突き通して行くこと。自分が実現したいことのためだったら靴でも舐めてやるといった覚悟。そういうのを感じる。もう少しズルさと我慢を覚えると良い。ズルさっつーのはテクニカルなものでしかないから、すぐに身につく。我慢は優秀な企画者が周りからボロクソに叩かれている時にどうしなやかに対応しているか。時には周りの意見を全く聞いていないくらいがちょうどいい。そういうのを見させてもらうといい。」

"目的のためになら手段を選ばない"までの気迫は実のところまだ今の自分にはないと思う。それが自分のコンプレックスにもなっている。もう一つ、めげずに突き通す力って言われても、裏側では何度も弱音を吐いていたと思うし、その度に周囲の人にはもしかしたら迷惑をかけていたかもしれない。ただ、それでもやるんだと僕が奮い立つのは、登りたい山があるからに他ならない。

もしかしたら勝つことのできなかった僕を慰めるための言葉だったのかもしれないし、それ自体を疑うことを否定はしない。ただ、僕が感じた「本気で言ってくれている」あの熱量は僕だけのものだし、僕がそれを大切にしていけたら良いと思う。

また、企画っていうのは10戦1勝で御の字という風にも伺った。その1勝でさえもクローズになって、手柄が残らないのだから、企画者として生きて行くというのは本当に胆力のいる仕事だ。だけど、未来を作れるのは、限られた優秀な企画者だけなのかもしれない。もっといえば、限られた創造性を持った人たちだ。

 

僕はきっと、そのようにして生きていきたいのだと思う。企画という仕事は僕が「第二の自分」と表現したように、生き方こそが企画なんだと思う。
その実現能力をより高めるために、修羅場経験を必要としているのだと。
もしかしたらこれから行く部署は修羅場にしては甘いかもしれないし、本当にきついところなのかもしれないし、起業家が命の次に大切とも言える株式を燃やして生きているのと比較したら、生ぬるい話なのかもしれないし、そういうのはよくわからないけど、


「なにがなんでもなんとかする力」をどういうソフトスキルな形で落とし込むかを自分なりに考えながら、一つ一つ進んでいけたらいい。今の上司には「コンセプチュアルなスキルを磨け」と言われていて、それ自体がよくわからないけど、あいまいで複雑性の高い状況から勝ち筋を見出していくような経験ができたらいい。あるいは、本当にしんどい時に粘り強く戦い抜く精神力が身につくといい。

僕が仲良くしている同期はみんな転職したり、新しい挑戦をしにうちの会社を卒業していった。すごく寂しいけれど、辛い時に慰めてくれたり、時には厳しいことをいって奮い立たせてくれる彼らと一緒に、日々高め合いながらお互いの補完関係を強固なものにしていけたら、もしかしたらそれだけでいいのかもしれない。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日には昨日思っていなかったような成長があってほしい

 

前回のブログ、社会人になって1年が経った - 世界の輪郭に溶ける から自分の心境に変化が起きたので、それについて引用しながら書く。

 

それと、成果発表も控えているため、この1.5年の振り返りは頻繁に行うのだけど、中でも1年目から1.5年目にかけては自分なりにまあまあ頑張ったような気がする。
あのブログを書いた当時はまさか自分が某バイトwebサービスから某バイトアプリに異動するとは思ってもいなかったんだけど、某バイトアプリに異動してから結構いい感じだったので、コンプラを遵守しながら頑張る。

 

成果発表に関してはまあまあ戦えるネタがある気がするんだけど、いろいろあって、勝つための発表をするのはやめようと思った。それは自分の生き方に反するし、もっと自分がどうしたいかっていう気持ちを大切にしないといけないと思った。

ここで記載するうちの一部が発表されると思ってくれたら良い。

webマーケティングに関して

「サイト全体を俯瞰した上でデバイス比較から白地を発見し、打ち手方針に繋げる」というもので、それ自体難度が高いため、相当力が付いたんじゃないかと思う。しかもこのお題目ではどうしても流入に着目せざるを得ないため、UXに閉じずに集客に染み出そうとしていることはいいことだ。webマーケティングのケーパは無料集客にしろ有料集客にしろ、「どんな施策があって、チャネルの特性はどうで、最適に運用するにはどうしたら良いか」を具体的に言えるレベルにはなっていない。

 
アプリに異動してしまったため、流入分析に関しては正直あまり成長したことはなかった。
ただ、流入に関しては弊社サービスの重要なKSFのうちの一つなので、小耳に挟む内容からおおよそのことは察せられている。大枠で言えば、流入施策に関しては効果検証に小回りが効かないという欠点があるため、大変そうな印象を日頃から受けていた。効果検証の設計が重要でそこしくると回転しにくいっていうのはあるとはいえ、今直面している問題はお察しの通り、もっと大きな話なので、書きたくてもかけない。

また組織構造的に改善ポイントがありそうなところについて、現場メンバーの社内UXに寄り添うことができたのは、組織施策を考えていく上で重要のように感じた。優秀な人材が気持ちよく働くために、経営課題の整理と現場までの下達は手を抜いてはいけないところだなと思った。なんもしてないけど。

 

BQについて

「BigQuery触って事業ログまでちゃんと見に行くくらい深い分析をする」か、「新しいことでROI的にもいけてるやつオラる」のどちらかあるいは両方の力が必要になっている。SQL自体は研修でも触れたので、去年ほど抵抗がないのが幸いしているのと、「3ヶ月の研修から帰ってきたら同期がBQ使ってオラついてた」ことへの焦燥感みたいなのがほどよくブレンドされて「やんないとアレだわ」感が湧いている。

これは分析が得意ないぶし銀の人からBQについて勉強をさせていただいたので、短期間で結構いいかんじにオラれるようになった。本当にありがたい。
sql文法が問題というよりも、弊社ログの複雑さが分析の難度を上げているだけなので、それを加味すると初手初手からいい感じにアレできるようになった気がする。あとは場数なんだけど、仕事の方がパツパツになってしまったので分析に時間をかける余裕がないのが実力不足。

でもまあとりあえずいけてるデータサイエンティストから「SQLも叩けないリーダー()」とディスられることはなくなったのが精神衛生上良い。「SQLが叩けるのであればpythonも覚えて欲しい」と注文を受ける分にはまあ、良いでしょう。たしかにできた方がモニタリングは楽だけど、そこまでケーパを侵食させるかどうかについては寿命と相談する。本音で言えば、僕が1ヶ月かけて実装するより半日でモニタリングできるようにしてくれた方がいいんじゃないかと思うので、できればやって欲しい。

関係構築のためには、歩み寄りの姿勢が重要だと思って日々勉強。ビジネスの話にもう少し興味関心を持って欲しかったら、自分の方から関心を寄せなきゃだよねっていうのが自分が大切にしていることで、多少苦手意識があったとしてもそこは頑張ろうと思って入社して、実際にその通りにできているから良いと思う。

 

 

UXデザインについて

デザインから企画まで一気通貫して見れる

アプリチームにきてから、企画段階からデザイナーさんとブラッシュアップするような体制だったので、体験についての考え方や、デザインで考えるべき着眼点など、様々なことを勉強させてもらっている。そもそも弊社デザイナーさんが企画面からも考えることができるっつーのは結構異次元なことだと個人的には思っていて、そういう環境にいられるのは純粋に良い。
切れ味の良いFBを受けると、「くうその観点はなかった!でもこれが気持ちいンゴ!」ってなる。
企画をしていくと打ち手の部分でデザイナさんがウルトラCを提案してくれることがあるんだけど、そういう時にチームでもの作っていくのは本当に重要なことだなと感動することがあるので、大切にしていきたい。
あと、デザイナーさんが大切にしている価値観や、目線が合うコミュニケーションスタイルとか、仕事の依頼の仕方とか、荒削りとはいえまあまあつかめてきたので、満足している。くしゃくしゃな状態でパスされるのにストレスを感じる人とやりがいを感じる人がいると思うんだけど、弊社デザイナーさんは後者の方が好きなので、パスの出し方がくしゃくしゃ一辺倒にならないように丁寧さもTPOに応じて使い分けられると良い気がする。

 
インフラ・環境構築について

インフラやアーキに関しては無知もいいところだろう。もし自分が意思決定をしていく立場であれば、アプリケーションに明るいこともさることながら、インフラや環境構築もカバーできていた方がいいことは確かだろう。

 ここに関してはなにもできなかったので、まだまだ課題だと思う。
最近になって、データを活用したR&D系の企画を担当しており、「ハッチを運用してホゲホゲの外部APIとDBを連携して障害を起こさないようにリリースしゅる」っていうのを開発DIRの人に依頼させてもらっているので、そういう人とコミュニケーションを取る過程で論点とか、SLAの観点とか勉強させてもらいたいなーとぼんやり。
ここに関しては「またフロント軽視の話してる・・」というコメントをいただいてしまった。僕の知識理解不足で誤解を生んでしまったのは申し訳ない。

 

 

スケジュール管理について

研修では自分の作りたいものを優先してしまいやんなきゃなことを後回しにする習性があり、それじゃ多分うまくいかないだろうってなってからスケジュール管理に厳しくなった。 

 
仕事のしたため癖があるのに関しては様々な要因があるので、そこに関しては検閲するけど、最近働いている時に「過去の自分が仕事進めておいてくれたから、80点から100点にするのに時間をかける余裕がある」っていう状態が頻発して、まあまあ良かった。
とはいえ下期に入ってから毎週「今日がヤマだ!頑張るぞ!」っていってそれが今日まで続いているのがツラ気持ちいい。仕事を前もって進めておくことの重要性は精神衛生を担保するのに大事。差し込みに動じなくなる。もしかしたらまだ暇なのかもしれない。優先順位の付け方は相変わらずそんなにうまくないけど。
でも最近社会人になって「仕事パツってて終わってないですすんません・・」っていう発言初めてした。「いつまでにやります」っていうのはなるべく確実に終わるスケジュールで申告しないとよくない。反省ポイント。

 

定性リサーチについて

定性リサーチに対して自分が担当する業務というものはないが、積極的にUTに参加させてもらうことによって「だいたいこんな感じで設計してモニタリングすれば良いのか」を知る機会をいただけているのがありがたい。実際にやってみないことには肌感覚もわからないので、新機能検討の案件があればその業務フローを一旦担当してみるくらいの機会を作ってみたい。

新機能の検討で定性リサーチを行った。
設計段階から実行段階まで担当の方に業務を依頼する形だったのだが、設計から実行まで参画させていただいているので、「検証したきは何で、それをどうコミュニケーションしたらリサーチ結果として引き出すことができるのか」っていうのを学ばせていただいた。やっぱ設計大事。ミスコミュニケーションでリサーチが無駄になってしまうのはプランナー側にも問題があるので、僕も真剣。
データ活用をしてほげほげをするっていうことも確かに大規模サービスならではの打ち手ではあるんだけど、デプスはプロダクト開発においてとても重要。ややもすると「定性調査はあくまでサンプル数n件でしかないから、、」と蔑ろにしがち。確かに「定性調査に時間をかけるならスループットあげてABで検証しようぜ」も言い分としては理解できるし、僕もどちらかといえばそちらの派閥に所属しているのだけど、
データからは見えてこないもっと感性的な、その場にいないとわからない手触り感があって、その手触り感から体験価値を再考したり、手応えと自信を感じていくといい企画に磨きこまれていくと思う。

ユーザーインタビューの機会は個人的には結構好きで、自分が担当している案件がない時にでも積極的に顔を出すようにしている。僕の場合、自分の考えと異なる意見に触れることで激昂してしまうことも時にはあるんだけど、ユーザーのことを知る際には全然別で、「その視点はなかったな〜」の数だけ学びがあるので、そういうものを得られると「また今日も少しだけ人のことを知れたな〜」と楽しい。
また、自分が持っている仮説に対して「こういうのがあったらすごい使うと思う!」と企画の意図をすぐさま理解してくれて、嬉しそうに語ってくれるのも、とても嬉しい。伝わったな!感がある。
そういう体験をしてしまうとtoCサービスをやり続けたくなってしまうので、つらいところがある。というのも、toCサービスは真っ赤っかなので主戦場じゃないよねっていう風に考えているのだけど、そのことをブログに書いたらはてブのメンテナンスによってかき消されてしまって残っていない。一定数興味がある人がいたら書く。

データと定性リサーチは有機的に絡み合わせることでその効果を最大化できるような感覚があるので、どちらか一辺倒になるのはよくない。何事も偏っちゃいけないんすよ。恋愛も、人間関係も。しらんけど。このバランス感覚は大切にして進んでいきたい。

 

 

資料作成に関して

ただ提案資料として、「複数シナリオが明瞭に描かれた上で定量目標に対して必要工数と開発方針を打ち立ててロードマップを引き、GMや部長レイヤーと承認を取る」にはあと3ヶ月くらいかかりそうな印象がある。

商品企画の検討をさせていただいていたので、部長やGMに承認をいただくための提案を何回かさせてもらった。個人的に自分が苦手意識を持っているところがここの「伝えるべきことを伝える」ところで、苦手意識がありすぎるから資料が分厚くなって言いたいことが逆に伝わらなくなったり、時間をかけすぎて本来できたはずの検証まで到達できなくなるといった反省ポイントが発生した。

下期に入ってから資料作成や伝える部分に関して研修を受け、その研修内容をアウトプットするまでの期間がとても短かったのが良かった。ただ、勉強濃度が高かったのだけど、なんだろう、「意思決定者が気にする論点がわからないから万全を期す」ことも確かに重要なんで「どんな切り口からも対応できるようにする」ための準備は営業提案だったら確かにそうなんだと思う。だけど、社内で必要なんだっけ?でいうとNO。偉い人だとビクビクするのではなく、その辺ほっつき歩いてるおっさん捕まえて「資料の枠組みこうなんですけど、どうすか?」を30秒で聞けばいいだけなはず。「企業に所属して企画とか通したかったらかくあるべし」みたいな固定観念に囚われているのは僕の方で、別におっさんの方はなんとも思っていないので、最善を尽くすべきだったと反省がとんでもない。
そこからは「資料枚数をいかに減らして伝えるべきことを伝えきるか」に注力してほげほげした。ここもバランス感覚が大事。何事もバランスなんだなー。

「自分が考えている枠組みは往々にして相手の大切にしている枠組みではない」っていうのは結構な学びポイントで、人間と一緒に仕事する上での8割の問題はここから生じているのではないか?くらいの気持ちになる。「これこれこうだったらこうなるからこうしたほうがいいに決まってんじゃん」って思っていたとしても、相手の枠組みに寄り添った会話しないとまあだいたい伝わらないのを散々経験した。一方で「相手の枠組みってなんなんだろう?」の部分についてはマジで答えがないので、相手の大切にしているものや仕事に対する姿勢とか、過去の決定とか、配偶者のこととか、至る物事に思考を巡らせて日頃からコミュニケーションしていかないといけない。
ここが僕のJDPで見えてきた根幹にある課題で、僕は相手の枠組み御構い無しで自分の枠組みを話すのでウザいらしい。自分なりに協働を追求する姿勢は持っていたつもりなんだけど、それはあくまでスキルに対する敬意でしかなく、コミュニケーションのインターフェースがトゲトゲしているので触ると痛い。確かに自分は仕事において相手の立場や考え方に配慮することは優先度ひっくいなって思って過ごしていたのだけど、その考え方だと全然ゴールに到達できないので気をつけないといけない。この歳になってそんなこともできないのは本当に情けないことだけど、民度が低いから仕方がない。おかげで他の人よりも他のことに時間を割くことができたのだと前向きに考えたい。反省しているので石と火炎瓶を投げつけるのはやめてほしい。

僕がUXをやっていてものすごく感じたのは、「UIUXで競合優位を確立するのは難しい。であれば二択で、[真似されにくい技術優位を確立する]か[開発からビジネスに染み出した動きをする] ということだ。事業にクリティカルな貢献をするにはまだまだできないと行けないことがあるだろうし、その機会を任されるだけのクレジットもない。クレジットとか政治とか、ダークサイドスキルはあまり好まないけど、「スキルがないからやらないこととスキルがあった上でやらないこと」は天と地ほど違うと思うので、頑張らないといけない。

開発からビジネスに染み出した動きが本当にできたことが、10月時点での自分が想像していなかった成長角度を生み出すのに貢献したと思ってる。ここに関してはひとえに上司のおかげで、上司に恵まれて本当によかったと涙が出るほど感動している。「なんか起案してやってみなよ」っていって1週間後に持って行ってめげずに考えてたら本当に検討させてくれた。

クレジットとか、政治とか、小手先のテクニックを身につけるためにほげほげをするっていうことよりも、商況や事業課題から必要なものを嗅ぎ分けて、その課題に対してクリティカルに振りにいけばホームラン出るなっていう感覚がつかめた。それができたのも日頃からCSCLに対してインプットをして課題認識を深めていたからだと思う。それができたのも、現場の営業さんにすぐ連絡をして課題認識や困っていることを聞ける環境になっていたからで、営業現場の同期に限らず、いたる部署で毎日頑張ってる同期に、サクッと話を聞きに行っても嫌な顔せず教えてくれるから本当に感謝している。そういうフットワークの軽さから解像度の磨き込みができたことはこれからも継続していきたいし、自分も頼られる側になっていきたいと思った。

もちろん、うちの会社にも確かに「ええ、そんな筋悪な企画はそのスピード感で進んで行くのに俺の方はこれっぽっちのスピードしかでないの?」みたいなところに政治力とかクレジット力とかの一面を感じることはあれど、「新人だから」っていう理由でやらせないみたいなことが一切ないところはフラットだし、それも含めて実力不足のところは否めないし、持って行けばみんな真剣にFBしてくれるところはいいところだなって思う。



恥ずかしいエピソードで言えば、営業代理店のパートナーさんにヒアリング行った時に名刺交換で手が震えて「大丈夫ですか」って心配されるみたいな4月の新人みたいなことやらかしたけど、抜刀ネタに続いてまたしてもウケるネタができたとポジシンする。

反省ポイントもいっぱいある。「今の事業環境がこうで、社単or社数の枠組みでいうとこっちが重要で、なぜならこうで、しかもセグメントでいうとリテよりも大手の方が重要で理由はこれこれこういうリプレイスを食らってる、シェアでいってもこっち落とすとしんどいから、こっちに関してほげほげの施策をすることで中長期的なアップセルを見込むのに加え、主戦場がほげほげになったときに売上毀損を起こさないためのリスク管理としても重要なのだ〜〜」と自分の枠組みで話しても大抵理解されないので、論点は切り出して、なるべく簡素化しないとだめ。

また、仕事の難度は関係者の人数とほぼイコールなんじゃないかと思った。
「アプリっていいよね〜」とかいうと「どうしてwebじゃだめなの?」と無邪気な質問をされたり「これってほげほげの値上げでよくない?だとしたら優先度あがらなくない?」とか質問をされると、「(そこに関しては検討済みなんだよな〜)」と思いながら「これについてはこういう風に考えていて・・・」って説明しないといけないのが大変。自分一人で検討をしていくつもの重要な論点に自分なりに構造を捉えて答えを出していくと、その企画において社内で自分が一番詳しい状態になっちゃう。そうすると説明コストに対する精神的な疲弊がとんでもなくなってしまってもどかしくなってうがーってなるから、1つ1つの論点について関係者と目線を合わせながら合議を取っていく方が結果として早いっていう。

そのことに気づいてから仕事進めるのが上手い人を見渡してみると、なるほど確かに定例MTGを設けてそうやって進めてるのねっていうのが解像度高く見えてくる。ぼくはそういう「THE日本が戦争に負けた理由」 みたいな進め方に対して抵抗があって、なんとかうまく進めることはできないかって思っていたのだけど、結局新人が大玉企画をリリースしきるのは北村社長に直談判するとか、自分で作って売っちゃうくらいの裏技を使わない限りまあ無理なんだなっていう肌感を得たので、それはそれとして今後の論点としても磨いていこうと思う。

 

 

プロダクトマネージャーという機会について

ディレクションも現場の開発メンバーに頼りつつも、気合いでなんとかなるだろう。ただ、ゼロからPMをやれと言われたら「ウッ」ってなるのでまだまだ力不足だと思う。

 

 当時の自分はプロダクトマネージャーをやることに対してまだまだ抵抗があったのだけど、今の自分はその機会を取ることを切望していると思う。

 

JDPの結果に関してGMとよもやまをしている中で、「あいだくんってどうしたいんだっけ?」と弊社のよくあるアレがでてきたので、「こうこうしたくて、超えたき人はこういう人たちで、、、だからいまこうしたいんです」みたいなことを話させてもらった。

そのやりとりの中で「あいだくんは高速道路で最高速度を出すよりも、道がないところに自分で道を引いていく新規事業の環境の方が合ってるかもね」というアドバイスをいただいた。

自由と責任は僕の重要なテーマのうちの一つだと思う。限りなく自由であることは、其れ相応の責任を負うことだと思うし、雇用をするということは言い方を悪くすれば人を拘束しているということでもある。自分の自由を拡大していくことに対して欲求があるわけではないが、自分がこういうことをしたい、それに対して人を巻き込む必要があるのだと思うのであれば、その代償としての"責任"は、文言として深く沁みる。

 

思えば僕は権力構造に対する憤りを抱えて生きている。内面に飼っている虎とも龍とも言える、自分でも捉えきれていない存在がいることもわかっているし、希望の国エクソダスや愛と幻想のファシズム、コインロッカーベイビーズという村上龍の炸裂的な思想に触れることで現環境では得られない栄養補給をしているようにも思えてくる。

僕が政治経済学を学ぶことになった要因はマルクス主義思想にあるが、経済成長を一義的に考えているし、自由主義的であると思う。卒論テーマでも取り扱った通り、共産vs資本の対立構造ではなく、マージナルな、理論化されていないなにか新概念的なものが自分の中に構築されていて、そのなにがしかを世の中に実現することに興味関心が寄っている。原初的だが、先鋭的な何かだ。


また、僕がビジネスにおいて重要だと思っていて、しかも自身の課題だと思っているものはスピードだと。そのスピードを高めることに対してある種の焦りのようなものを感じているのだけど、現環境がそのニーズを満たすものであるかでいうとどちらかで言えばそうではなく、広義な運用組織でもあると言える。

 

っていう中、上司からのアドバイスから「確かに今、高速道路を時速180kmで走ってきたとは言え、そろそろ下道に降りてサバンナサバイバルした方がいいんじゃない?」という気持ちが湧いてきた。前々から、「この仕事が終わったらバックオフィスの方か新規の方にいきたいなー」みたいなことは思っていたけど、この仕事の終わりを待った方がいいのか?でいうと答えはNOで、同期や友人が続々と新環境にチャレンジしていく中で、停滞感を味わいたくないし、それ以上の成長角度を実現したかったらアンコンフォートな環境でもがいた方がいいと思った。「きついと思うよ」っていうGMの言葉は正しいのだけど「そんなこと言ってられない」のが本音だ。

結果本当にきつくて、へたってしまうみたいな懸念は確かにあるのかもしれないけど、今の自分にはどうでもいいと思えていることに成長を感じる。

あるいは不満分子には修羅場経験を積ませた方が良いのだろう。だけど、上司の采配に期待することなく、自分から志願したほうが良い。明確な意志と覚悟が相応に必要だと思うからだ。

 
憲兵団で修行を積んでいたとしても、巨人は倒せるようにはならない。ましてや巨人の正体を掴むこともできない。もっと強大な敵が存在していることにも気づけないまま死んでしまうのかもしれない。

調査兵団に行くことは一般的に言って、悪手なのかもしれないし、なんの成果も得られないかもしれないが、 そんなことはどうでも良い。誰かのお膳立てでご飯を食べていくのは性に合わない。少なくとも今はそう思っている。

 

 

「数十億の商品企画なんてやってもお前のやりたいことはできるようにならない」とハッパをかけてくる同期には「おまえも3QのMVPとかで満足してんじゃないの?」と煽り返しておくのだけど、そういうプレッシャーがなんとも心地よい。

 

「あの時想像してなかった角度で成長ができた」こういう心情の連続の中で生きていたい。とりあえず。悔しい思いをしたら「ダチュラ」を唱えてみたらいい。

 

 

 

 

 

ラジオアプリで大阪の女の子と出会った話

 

同期の古澤がラジオ配信なるものを趣味ベースでやっているのを見て、楽しそうだなと思った。ならばいっそやってしまえばいいと思っていたのだが、なかなか踏み込む気持ちになれず、ぼーっと過ごしていた。そんな矢先に、ツイキャスのようなリアルタイム配信ができるアプリがyoutube広告から流れてきたので、思わずインストールしてみた。

 

美鈴という女の子がいた。彼女は今日はじめて配信を始めたのだと言っており、僕はたまたまその枠を覗いていたのだ。配信者であるDJにはリスナーの方からコメントが行えるので、リアルタイムでのやりとりはこのコメントと、DJの音声ですることができる。僕のコメントの何が彼女の琴線にヒットしたのかはわからないけど、そこからいたく気に入ってもらった。お互いの素性をなんも知ることなしに、お互い顔を合わせたこともなしに、彼女が「いまから凸するわ!(凸というのは配信者に対して電話をつなぎ、そのやりとりを配信すること。さながらラジオのような配信ができる)」と言うので、僕はlineのidを教えた。美鈴は4つもあるline idのうち、本アカのidを教えてくれた。

 

美鈴は大阪の高級住宅街に住む事務あがりの社長秘書だった。IT系のweb関係なので、同業に近い。

「秘書といってもパシリみたいなもんよ。あたしの席なんてないし。その辺で作業してんのよ。スケジュール管理とか、顧客対応とかさ。あとはもう、『カップ麺買ってこ〜い』っていう社長の言いなりよ。せやからそないなこと言われたらもう本気でチャリかっさばいて、近くのコンビニまで買いに行くのよ。自腹で。自腹よ?おかしない?なんで自腹ねんと。泣けてくるわほんま。まあいいんだけどさ」

地声が低いので、最初に声を聞いた時は男だと思った。関西弁で面白おかしく最近のエピソードを語るのは、なにかにつけて退屈しがちな僕にとって爽快だった。

 

美鈴がクリスマスプレゼントに買ってもらったらしいDL版のポケモン金銀を配信するのに僕は付き合っていた。最初にもらえるポケモンにはヒノアラシを選び、かきのたねというニックネームをつけた。ポッポにはやきとりと名前をつけ、ウパーにはマグロと名付けていた。ネーミングセンスはさすがといって良い。かきのたねはどんなインスピレーションが美鈴の脳内に働いたのかと不思議に思った。きっと彼女の脳内はマトリックスの世界のようになっているのだろう。笑いにおける最適解はマトリックスを通じて現実世界に具現化される。

ヒワダではロケット団ヤドンを捕まえているといい、コガネシティにはミルタンクに苦戦をしていた。美鈴一人ではコガネシティにたどり着くのも大苦戦で、ウバメの森すら突破できずにいた。スキあらばワカバタウンに帰ってお母さんからお小遣いをもらっているので、「ホームシックかよ」といって小馬鹿にした。その後も「変な木がいあいぎりで切れない」と言うので、「ウソッキーにはじょうろが必要」だとアドバイスをした。ウソッキーの手前の草むらでは塾帰りのマナブがユンゲラーを使っていた。ユンゲラーユリゲラーのパクリなのだと中学生になって気づいた。大学生になってネットでユリゲラーユンゲラーに対して訴訟を起こしたのを知った。任天堂の弁護士は「ユンゲラーは超能力が使えるので、もしユンゲラーユリゲラーが同じだというのなら、いまこの場で超能力を使ってください」といって勝訴してしまった。嘘か本当かはわからないが、僕は本当だった方が面白いと思う。

 

 

 

年末年始も仕事がたまっていた僕は、いつものポケモンラジオ配信に付き合いながら、六本木のスタバで作業をしていた。当然あまり捗るものではなかったのだけど、休日にダラダラと仕事をすること自体は好きなので、それもそれで良いなと思った。配信中に美鈴が「りういちくんあたしちょっとコンビニでタバコ買ってくるわ〜」と言うので、「んじゃ今のうち仕事進めておくわ」と言った。配信が終わるや否や、美鈴が電話をかけてきた。と思ったらすぐに切れてしまった。慌てて掛け直した。

「すまん取れなかったわ」

「せっかく"愛してるぜ"って囁いてあげようと思ったのに、電話にでなかったから台無しだわ」

「別に言ってくれてもいいんじゃないの、こんなにポケモンに付き合ってることだし笑」

 

僕はコートを手に取り、スタバの外に出た。真冬の夜空はいつにも増して寒かった。ヒーターに火をつけ、寒さを紛らわしながら電話をした。

 

 

「あんなあ、昨日あんまりに風邪を引いてたもんだから、迎えにきてもらったんよ友達に。車で来てたもんだから、運転してもろてな。熱出すぎて頭おかしなったんかしらんけど、日産の車指差して"ホンダァ!"言うとったらしいわ。アホみたいな声で笑 ほんでな、その友達があたしのプジョーちゃんこすりよったんよ。ミラーをバキバキにこすられてな。15万すんねんて。限定車をこうててん、部品を輸入せないかんねん。もうほんまに」

ちょうどけやき坂を眺めていた僕は、次々と通りかかる高級車から若い男と若い女が降りてくるので苦虫を噛みちぎったような気持ちになっていたところだ。

「いやなんだあのセダン。多分スカイラインなんだけど、若い。乗ってるやつが、なんか悪いことしとるんやろか。うあ、今度はランボルギーニかよ。やってられんわ」

「なんやりういちくん、車好きなんか」

「ああ、うん。あんまり詳しくはないんだけど、車好きだよ。ドライブが好きなんよ。よくカーシェアしてて」

「買ったろか?」

「え?」

「買ったろかって。プリウス。さすがにポルシェとか言われたら無理やけどな。プリウスが日本車で最高峰よ」

「えっ、いや、車いやほしいけど、あの、おねがいします!!!おねがいします!!!」

「ええで、私名義でMTにしてマフラー改造したるわ。そんかわし車庫証明とナンバーは自分でとりいや?」

「いやでも、美鈴、そんなお金どこからでんのよ。貯金が4桁でもあんのか」

「いやあ、まあそれくらい余裕よ」

「おいおいまじかよ」

 

彼女は元キャバ嬢だった。今は身体を壊して引退したというが、当時はバッコバコに売り上げていたらしい。ナンバーワンの売れっ子は億単位で稼ぐと姉が言っていた。さすがにそこまでではないと思うが、1日に200万も売り上げる彼女にとってはプリウスなんて造作もないことなのだろう。お金に余裕があると言うので、来年あたりに受験をして東京の大学に通いたいと言った。「モラトリアムを取り戻しにいくねん。自適悠々よ。こうみえてあたし、高校はそこそこいいところの出なのよ。数学が得意で、現役のときに明治は受かってたんだけど、うちのおかんが入学金払えないって言ったから行かんかったわ。だから高卒〜」

彼女はそのことについて、母親に怒ることもせず、社会に対してヘイトを向けるわけでもなく、ただあるがままにその事実を受け入れていた。僕にとっては不思議な光景だった。僕はそのヘイトを努力に昇華させることで、なんとかここまでやってこれたのだと思う。そしてその努力は日常化し、きっとこれからもこうして生きていくのだと思っている。村上龍の言うように、「コンプレックスは一生消えることのない歪みみたいなもの」なのだろう。その歪みを矯正するには多大なパワーがかかるし、残念ながら、一度虫歯になった歯は元どおりになることはない。いかれてしまった部分を削って、被せ物をするだけ。醜くなってしまったその銀歯が元に戻ることはない。セラミックにして醜さを隠し切ることが多少できるくらいだ。

美鈴にもきっとある種のコンプレックスが蝕んでおり、そいつが夜の世界へと駆り立てたのだろうと推察したが、それを彼女に問うのは筋が違うと思った。その後、いつかのラジオ配信者に向けて「あいつ、きっとお金に不自由もせずに甘やかされて育ったんだろう。そういうのをみると腹が立ってくる。私情だけどねこれは。」と言ったのを聞いて僕は安心した。

「美鈴はきっと俺のことそうは思わないかもしれないけど、それに関しては、"我々"だと思ってくれていいよ」

「我々だね。わかるよ。」

 

美鈴は社会へのヘイトや親に対する憎悪を自傷に向けていたのだろう。それはリスカみたいな低俗なものでなく、ファッションだった。高尚でえげつないファッションだった。僕はそう解釈した。男に生まれた僕は経済力で一発逆転をするしかなかった。というより、まだ僕にはラストチャンスが残されていたし、高校生の僕もそう言っていたはずだ。当時の僕にとってはその道のりは困難だったが、僕はその選択肢しか知らなかった。美鈴もその選択しか知らなかったのだと思う。

「背中はばっきばきだけど、太ももとか顔とかもやばかったのよあたし。がはは笑 今はもうレーザーで消したけどね、背中はまだ残ってる。なあ、綺麗に消えてるやろ?痕跡も残らんかってん」

 

 

後日、プリウスについては断りの電話を入れた。

 

 

 

一部の老獪は「若者の物欲が減った」などといって嘆いているが、確かにそうなのかもしれない。「プリウス買ったろか」を契機に、欲しいものがあるかどうかを自分に問いかけてみた。のだが、今欲しいものは車とバイクを除いてしまったらあとはせいぜい全自動洗濯機だけだった。悲しいことに、僕に物欲はなかったのだ。

 

糸井重里が「ほしいものが、ほしいわ」といった通り、人々は欲求を欲求している。

だけど僕はその欲求への欲求もそこまであるわけじゃない。今一番欲しいのは僕の物語をより豊かにしてくれる経験であり、自分の人生を面白おかしく物語るためだけに、生きているように思える。

 

全自動洗濯機だって、「干すのがめんどくさい」という怠惰だが、本質は可処分時間を増やすことだ。今一番必要なのは最低限生活ができる収入と、できる限り無駄な時間を削ぎ落とし、好きな事に時間を回す余裕だ。

そして、仕事以外の残りの時間を好きな人と出会い、話し、経験していく中で輪郭を掴んでくるその物語を僕は知りたい。

 

 

 

 

 

 

「美鈴が車買ってくれるっていうから、あれから自分の欲しいもの考えてたんだけど、広い家と広いベッドとあったかいお布団と多少の服と大量の本があれば、なんかべつに欲しいものなんてないことに気づいてしまったよ」

 

「おいそりゃお前、あたしが養ってやれば一瞬じゃんwwいくらでもこうたるわwww

うーん本を大量にっていうのは大変やな、どうやって搬入しようか・・・」

 

「え、ちょ、美鈴はうちに本屋でも作る気?笑」

 

数十年後、まるで本屋のような自宅の書斎を感慨深く眺めるたび、僕は美鈴のことを思い出すだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きっていう気持ちは全くあてにならない話

 

「なんで結婚したんですか?」「なんで付き合おうと思ったのですか?」みたいな質問の回答にはおよそ「好きだったから」が選ばれることが多い。僕たちはなぜかこの好きという感情に対しては幸福を呼ぶ壺と同じくらいの信仰を寄せている。

正直に言うと、僕は好きとかいうなにがしは全くあてにならないと思っている。

 

最近の僕はなんとなく恋愛を強いられることが常態化しているな〜と思いながら生活をしている。きっとクリスマスが近いからなのだろう。近所のお祭りで大勢の男子が神輿を担いで汗を流している。それを横目にフランクフルトを頬張るタイプの僕は、恋愛祭りに消極的な毎日だ。

 

例えば女の子とご飯を食べに行った時、「もうしばらく彼女なんていないよ」なんていうと「ええ〜どうして〜〜」というAI的なご反応をいただく。そのお礼といわんばかりに、AI的にキザな小童を演じてやろうと思い、「好きとかもうよくわかんなくなっちゃったんだよね〜」といってあははと笑う。

 

何回か「好きとかいう感情は全くあてにならないものだよ」というテーマを壇上にぶちまけたことがあった。今からこのテーマでディベートしたろって思ったとしてもどん引かれるのが関の山だった。その経験から「こんなテイストで伝えておけば、とりあえずなんか深みのある余裕系男子ぶってるヤツぶれるな」みたいな打算を企てるも、特段採算があるわけでもなく、その振る舞いは虚空を描くばかりだ。

 

 

結論から言ってしまえば、好きっつーのは建前の話だと思う。なんでかって言われたら、「自分の経験上、何人かに対して好意を持ったことがあったから」ということになるのだろうか。あるいは「一度に複数の人に好意を持ったことがあるから」ということになるのだろうか。

もちろん、他者に抱く好意の気持ち自体は否定するつもりはない。そうではなくて、恋愛において、好きという気持ちがあてにならないということが僕にとって重要なテーマのように思うのだ。それがなんだろうな、例えば恋人関係になるとか、夫婦関係になるとかそういう人間同士の関係を繋ぐファクターとして、好きという感情はあまりに脆すぎやしないかしら、と言いたいのだろう。あくまで一般論として。

 

仮に1組のカップルがいたとして、そのカップルは両者の好意から恋仲になったとする。大抵2年もあればその口約は破棄されており、どちらかあるいは両方から漏れるのは、相手のダメなところだ。その程度なのだ、好きという気持ちは。オセロのようにいとも簡単にひっくり返るのがミソなのだ。だからかろうじてできることといえば二つで、僕が盤面にしこたま丁寧に並べた白の碁石を、たった一手の悪手によって全てひっくり返されないように慎重を期すしかないのだろう。あるいは振られた後に「あいつはとてもいい女だったよ。僕がひっくり返ったんだ」と言えるか。

 

強靭なタフネスを持っていさえすれば、「恋愛とはね、自己成長の機会なんぞい」とかいって、修験僧よりも厳しい戒律で熱いムチ打ちを日々打ち続けることができるのかもしれない。それもそれで素敵なことだと思う。ただ僕は多分そこまで強い人間ではないと思う。

 

もしくは、恋愛というのは利害関係の話なのかもしれない。秩父三峯神社までドライブに行った時、助手席に座っていたある女性は「恋愛は可処分精神の奪い合い」と評していたが、言い得て妙だと思う。可処分精神とはとてもいい言葉だ。
結局のところ、「私はあなたの時間を不躾に奪うことが許される。その代わり、あなたも私の時間を奪っても良い。」という口頭契約を交わしているにすぎないのではないか、と思うことがある。精神と言ったほうが確かに正確に表現されていると思う。相手に割いている思考時間とそのストレスも含めることができる。もう少しわかりやすく表現をするならば、可処分時間なのだろう。大抵のケースでは片務的最恵国待遇となっており、特に女の子側は「あなたの時間は私のものだけど、私の時間は私の時間なのよ。そうでないと私は愛されていないとみなす」と思っているらしいことがなんとなく会話から透けてくる。

こっちは石油を持っているけど、相手はせいぜいバナナくらいしか生産していないとか。そういうこともあるだろう。潤沢な石油を湯水のように使い、別に欲しくもないバナナを口の中にねじ込まれるなんとも胃もたれのする話。。恋愛が利害関係で成立しているとしたら、全くもって貿易赤字だ。これではトランプも激怒するに違いない。僕たちは常にテロ撲滅という名誉活動に召される弱者の側に立っているのだと。

 

ああ、これが恋愛なのか。と思うとなんだか疲れてしまった。

 

幸いなことに、僕は今までの人生を振り返って、上記のような恋愛を経験したことがない。ひょっとしたら修験僧のような生活はしていたかもしれないが。
じゃあ僕がどうして恋愛をしているのかといわれたら、実はそれもまだわかっていない。今までの経験でいえば、少なくとも「好き」とかいう儚い繋がりだけで恋愛をしようとはしていないように思う。
とは言うものの、自分が恋愛において数え切れないほどの失敗をしてきた。その中でも一つだけあげるとするならば、「自分が好きだったのはその本人ではなく、僕自身が生み出した幻想でしかなかった」ということだろうか。

僕が相手に対して何かを期待する分だけ、そうならなかった時に苛立ちを覚えたり、不快感を抱くが、それは僕の思い描くあるべき像とギャップがあるからに他ならない。
実のところ、僕は一人の他者と対等な恋愛をしているようで、まるで独り相撲をとるかのような滑稽な経験しかしていなかったのだと。

特大ブーメランがぶっ刺さってしまってしまうのは、きっと僕だけに限ったことじゃない。ただ、その右頬を叩かれたかのような思いの後は穏やかに、そして謙虚に暮らしているつもりだ。それはそれはとても丁寧な暮らしである。

 

誇大な幻想を胸に秘めながら相手を思い通りにしようなどという駆け引きなんかよりも、「そういえばこの前の研修で村上春樹の話をしていたじゃない。それで久しぶりに読んでみようと思って、パン屋襲撃事件を読んだよ」と言われて、「それで、その男はスパゲッティを茹でてた?」みたいな軽やかな口ぶりでキザったらしいことを言っているのが好きだ。

あるいはパエリアを食べながら、一通りの過去の恋愛談に花を咲かせた後に「好きっていう気持ちは全くあてにならないね」と言ったときに「わかる」と言ってくれるくらいがちょうどいいのだ。別にネイルサロンに週一で通わなくても良いし、料理教室に通わなくたって良い。
日本社会が男性中心的で、その分だけ女性の生存を難しくしていることを棚上げにして話そうなんて気持ちは一切なくて。ただもしネット言論でバズっているようなフェミニン闘争とかジェンダー論争とかを槍玉にあげて攻撃をしてくるのであれば、「まずはあなたのそのゲタを脱ぐところからはじめよっか」というしかないのだ。話はそれからであって。

その点でいうと、戦略的女性性の活用について、思うところがある。僕はできることなら自身を消耗品か、あるいは商品のように取り扱って欲しくないなと思いながら、主体者として活動することもなく、ただ傍観している。それ自体が彼女らの生活のために仕方ないことだとしても、または、それ自体が職業であること自体にはなんら偏見はないにせよ、ただ自分のことを安売りして傷つくのだけはもったいないよなあという気持ちでいっぱいだ。

"女"を武器としないというのはとても難しい生き方だと思うし、強いることはしないんだけど、僕にとって、そうやって生きている女性はとても魅力的だ。

 

女性に限らず、優れた、あるいは強靭な精神でもって自立をしているか、もしくは自分自身の弱さに対して見つめ直すだけの器量がある人のことを僕は人間として魅力的だなと思う。その点において僕の中に男女の区別は存在していない。ただなんだろう。女の子、男の子だとして無意識に思ってしまう人と、男性、女性として認識している偏見は存在している。その基準は、傍若無人な自己愛を相手に押し付けているか否か、となろうか。

 

「そろそろ恋人の一人や二人でも欲しいナァ」とかいうそれらしい言葉を発したとて、まったくそのつもりがないことについては自覚的で、その理由は上記に書いた通りだ。だけど本質的には瑣末な、部分的なことでしかなくって、問題の大部分は、おそらく、深い人間関係をまた新しく築いた時に見えてくる自分の弱さと向き合わなければならないこと、それによって自分が傷つくことを極端に恐れているだけにすぎない。

 

 

 

 

 

社会人になって1年が経った

1年目から年収が僕の3倍もある外銀で働く超バリキャリウーマンや、 誰もが憧れる外資系の戦略系のコンサルや超有名IT企業で活躍するエリートサラリーマン、投資家から数千万の投資を受ける起業家たちがいる。

17卒の同期や大学からの友人は、年収1200万円でHRテックのCOOでオファーを受けたり、webマーケターとして1000万のオファーを受けていたりする。それ自体が当たり前であるかのように。そして一人はちょうど昨日会社を辞めた。億単位の投資を受けるとかなんとかで、新しく会社を始めるそうだ。

18卒の同期は東大で物理の研究して表彰されていたり、東北大でNLPの博士だったり、MENSAの会員でスマドラ中毒だったり(それを優秀と言っていいのかわからないが、少なくとも彼の影響で脳の健康を意識し出したのは事実だ)

社会人になって、彼らのようなきらびやかな経歴を持つ人たちと出会い、仲良くなる機会が増えた。いずれも僕が出くわすことのなかった世界に住む人々だ。彼らは人生をフルスロットルで謳歌しようとしている。少なくとも僕からはそう見えている。

 

 

 

社会人になって1年が経ったということは、大学を卒業してから1年が経ったということだ。僕に限らず誰しもが大学卒業後1年間は少なくとも激動の時間を過ごしているのだろうと思う。大学を中退してからの1年間もまた、激動の時間を過ごすことになるのだろう。


特に変わったことを一つあげるのはとても難しい。あまりにたくさんの出来事がありすぎたからかもしれないし、心の変化があったからかもしれない。 

なるべく多くの人を対象にこの文章を書きたいと思っているのだけど、今回はどちらかというと大学時代の後輩たちに向けて書いていこうと思う。最近になって、僕たちが現役だった頃の話がどうやら伝説の代として有名になっているという噂を、人づてに聞くことが多くなってきたのだ。それ自体は喜ばしいことなのだけど、別に僕自身たいそれたことを成し遂げたつもりはないし、他方で、僕がまだ社会にでて活躍していないことに申し訳なさを感じているため、「尖り散らしてブンブンしてたりゅーいちさんの社会人ライフ」をそろそろ誤解なく伝える時分なのかもしれない。


目的から言えば、僕が今の会社に入った一番の理由は「大資本パンチを打つことができるから」だ。結論で言えば、「1年目で打つことはできなかった」ということになる。

僕は今の時流を「大企業に有利な時代」と読んでいた。日本で言えば、アベノミクスに始まる金融政策によって資本力のある企業は内部留保を貯めやすくなっていたし、そのお金を使って投資活動を活発化していくことができる。銀行はマイナス金利のためにお金を貸したくて仕方がない状況だった。これは何も銀行に限ったことではなくスタートアップ界隈にも言えることだ。現に今はエンジェルの貸し手が増えている。ただし、動かせる資本力と人材力の総量でいえば、仮にスタートアップが先行者優位を築こうとしても大企業が後発でブチ抜けてしまうもしくは買収できてしまう。それが大企業に有利な理由だなと。というわけで、今国内投資家たちが何を考えて動いているかでいえば、「大企業が簡単には真似できない領域=そこに参入すると既存売上が毀損するリスクがあるため容易に意思決定できない領域で専門技術者に大型投資する」ということになる。既存事業モデルをディスラプトする技術優位を生み出すことはindeedの事例からいって、高火力というもんじゃない。「求職アグリゲーションモデルのじげんがなぜindeedを生み出せなかったのか」という問いは「求職領域のKSFの読み取り(原稿量×原稿表出性能)と戦術としてのロングテール支配」という各論を極限まで高めなかったことなんじゃなかろうかと。話はそれてしまったけど。

 

うちの会社に関して言えば、僕の読みはおおよそ間違ってはいなかったが、視界が悪すぎたということを告白しないといけない。簡単に言えば「国内SBUの成長率108%をする国内新規市場はもはやほぼ存在しない」ことに加え、「3000億の投資資金力を国内事業開発に投資するよりも、海外企業の買収をしたほうがROIがよほど良い」ことが理由となる。弊ホールディングス経営陣の関心ごとはもっぱら「欧米機関投資家へのプレゼンスをどうやって高めていくか」に尽きるし、グローバルでの注目度を高めることが重要で、そのためには「2020年までにHRで世界1をとるための1000億規模M&A」が手っ取り早い。

なので、僕が今活躍できていない理由は(大前提として見てる視座が高すぎることに加えて)「国内市場でバリュエーション300億規模に成長する市場を選定し、初手から10億レベルの投資決裁を承認してもらうだけの能力がない」以上だ。

 

というわけで、僕は「そりゃそうだよね」とつぶやきながら、「どう考えても技術力によってしか社会は進歩せず、しかも競合優位は生まれないのだから、自分が技術知見がないことがボトルネックになってしまってはいけないのだ」という観点から「まあ今はひたすらベーススキルとネットビジネスに携わっているのだからネットスキルをひとまず磨いておこうか」と決めるのだった。当然、ネットビジネスはGAFAプラットフォーム上での戦いを余儀なくされている以上、「GAFA上で秀逸なビジネスモデル構築する難しさ×真似されやすさ=市場が成熟した」ということになるが。

 

技術の優位性が重要になるのはレッドオーシャン市場においてと言って良いだろう。
ブルーオーシャン市場において技術優位はさほど重要な論点じゃない。ブルーオーシャンの時点で「自分たちよりもその市場領域における知見を持っているプレイヤーが存在しない」からなので、若手であればあるほど「成長×成功角度の高いブルーオーシャン市場を発明して、秀逸なビジネスモデルと馬力で急成長を遂げる」ことが重要になる。重要になるとは言ったものの、新市場創出のためには誰よりも新市場に対してオタッキーな知見が必要になるため、ブルーオーシャン戦略は逆説的に、技術優位であるのだ。そのため、「若い研究者に億単位のお金を渡してC向けプロダクト開発をやってもらって、ビジネスに関してはインキュベートする」が今も始まっているけど、2020年にかけてトレンドになるだろう。

ことExitゴールに関して言えば、「レガシー領域でインバウンドのような新市場創出」もしくは「レガシー領域のITディスラプト」が主流で、バリュエーション30億ならベットが妥当なのだろう。

 

持続可能性と利益率の高いビジネスモデルが事業成長率のKSFであることは間違いなくて、そのためには市場選定が重要になるが、それにもまして僕が重視しているのは採用力をいかに高めるかだと思う。今の会社に入ったもう一つの理由は、優秀な同期や先輩後輩がいることで、それ自体はとんでもない価値になっていると僕は思う。特に古澤のような人材を見てると、「技術に明るい人材には機会が浴びるように降ってくる」ことをまざまざと突きつけられるのだ。17卒の新人成果発表は相変わらずデータサイエンティストの独壇場で、僕のひもじいITスキルをみて愕然とすることも一つの成長として受け止めている。


一方、若手のスタートアップ村を見ていると、鬼の首をとったかのように大企業ディスをしている光景が頻繁に見受けられる。僕個人の意見だけで言えば、優秀な人材を獲得したかったらまず間違いなく大企業出身の優秀な人材を獲得することに注力すべきで、彼らの心情を察するべきと考えている。
というのも、いけてるスタートアップのボードはベンチャーや大企業でぶいぶい言わせてたおっさんオールスターズで構成されていて、初手から高い成長率で成長して一気に上場するケースが多く、そこと自分たちがどう戦うかを考えると「まあ結構大変だよね」という話になる。そこと人材の取り合いをして勝てる理由がなければならない。

若手起業家でメガベンチャーまで行った企業は数えるほどしかないが、「スティーブ・ジョブズビルゲイツ、イーロンマスクやザッカーバーグ」を題材に学生起業を煽ることで「なんか自分もいけんじゃないか」って気持ちがしてくる。根拠のない自信はとても重要だが、これは確率論と因果関係の話ではないかと思う。今をきらめくSHOWROOMの前田さんだって、人生の勝算を緻密に計算する人だし、睡眠時間3時間で血反吐吐きながら仕事するやべえ人だ(D社でインターンしていた時に聞いた話だから本当かどうかわからんけど)

なので、よくある「大企業か、スタートアップか」みたいな不毛な議論もしくは採用イベントには参加せず、粛々とプロダクト開発をするのが僕は良いのだろうなという風に思う。この心情はおそらく「大企業に就職しなければわからなかったこと」という意味では、とても良い恩恵を受けている。

採用力が自分の能力や実績に紐づいているのであれば、今の「なんかちょっと小賢しいことを言ってるイキった新人」をいち早く卒業し、優秀なエンジニアやデータサイエンティストたちが「こいつと一緒に働きたい」と思ってもらえるように努力し続けなければならないというのが、僕が入社する前から今日に到るまで、ずっと大切にしてきた価値観だ。当然彼らがいかにすごいかを理解するためには自分も専門分野を知らなければならないし、彼らには持っていない強みを発揮していかなければならない。


その意味でこの一年間をスキルベースで振り返ると、自分の確たる強みがどこにあるかは相対的に理解できたのかもしれない。部で40人以上が参加した2日間の経営シミュレーション研修(孫正義が好きなやつ)で役員やGMを差し置いてぶっちぎり優勝を果たしたことで「市場特性をいち早く読み、どういう戦いになるかを想定し、その上でどうすれば勝てるかを考えて大胆に実行するのが得意っぽい」って言えるきっかけになった。弊HDボードレイヤーと比較したら新人に毛が生えたようなもんだけど(というより僕は新人に毛が生えた程度だ)

一方、新人が参加する3ヶ月の開発研修では自分が思い描く品質のサービスを作り込むことができず軽くパニックを起こしたりと、散々な結果だった。

とはいえJavaの基本的な開発の流れは抑えることができたし、フロントもサーバサイドもエンハンスにおける要件定義くらいなら問題なくこなせるようになったと思う。
ディレクションも現場の開発メンバーに頼りつつも、気合いでなんとかなるだろう。ただ、ゼロからPMをやれと言われたら「ウッ」ってなるのでまだまだ力不足だと思う。
エンジニアになる気があるにしてもないにしても、テックキャンプでRailsの研修を受けた手応えで言えば、JavaでなければそれなりのQCDで作れるようになったのかもしれない。研修では自分の作りたいものを優先してしまいやんなきゃなことを後回しにする習性があり、それじゃ多分うまくいかないだろうってなってからスケジュール管理に厳しくなった。
JSはそこそこ苦手意識があるし、フロントは思っているよりも奥が深い。データの子達がReactを使った実装をやってる中で「数行のJSが動いたっしゃ」とか「モーダルの実装コピペしたの動かした」とかその程度しかできなかった。JSの実装をあまりリッチにやれなかったのは正直残念なところなので、UXの人であればフロント実装もそれなりにできるようになったほうがよさみではある。なにより優秀なwebサーバサイドエンジニアにフロントを書かせては勿体無いという気持ちが強い。とはいえフロントはフロントでプロフェッショナルがいるのだから、デザインから企画まで一気通貫して見れる小宮みたいなやつに任せるべきだ。

インフラやアーキに関しては無知もいいところだろう。もし自分が意思決定をしていく立場であれば、アプリケーションに明るいこともさることながら、インフラや環境構築もカバーできていた方がいいことは確かだろう。

 

グロースにおいてはどうだっただろうか。
集客の研修ではリスティング予算を持ち、手動で運用するという機会があったので、考え方みたいなのは理解できたかもしれない。webマーケティングのケーパは無料集客にしろ有料集客にしろ、「どんな施策があって、チャネルの特性はどうで、最適に運用するにはどうしたら良いか」を具体的に言えるレベルにはなっていない。それでも考え方としてはUXと似た部分を感じているため、「やれって言われたら気合いでなんとかやれる」くらいなら大丈夫だと思う。弊社はどちらかというと代理店とのコミュニケーションとモニタリングがクソ重要で、後者は分析力が問われる。
Adobe Analyticsはもはや定常業務で触らない日がないくらい使っているので手慣れた感がすごい。今自分が挑戦しているお題が「サイト全体を俯瞰した上でデバイス比較から白地を発見し、打ち手方針に繋げる」というもので、それ自体難度が高いため、相当力が付いたんじゃないかと思う。しかもこのお題目ではどうしても流入に着目せざるを得ないため、UXに閉じずに集客に染み出そうとしていることはいいことだ。

アウトプット自体もそこそこ筋の良いものが出ているような気がするし、方針自体も間違っていないと思う。ただ提案資料として、「複数シナリオが明瞭に描かれた上で定量目標に対して必要工数と開発方針を打ち立ててロードマップを引き、GMや部長レイヤーと承認を取る」にはあと3ヶ月くらいかかりそうな印象がある。

 

UXは僕の職務範囲なので、それなりに成長したと思う。
サービスデザインと言うとケーパがかなり広い。プランナーの枠でいえば企画者としてもっとも重要なのは分析力になるので、サイト課題を発掘する作業はこなれてきた気がする。とは言え担当サービスがそこそこツルツルに磨きこまれている以上、「BigQuery触って事業ログまでちゃんと見に行くくらい深い分析をする」か、「新しいことでROI的にもいけてるやつオラる」のどちらかあるいは両方の力が必要になっている。SQL自体は研修でも触れたので、去年ほど抵抗がないのが幸いしているのと、「3ヶ月の研修から帰ってきたら同期がBQ使ってオラついてた」ことへの焦燥感みたいなのがほどよくブレンドされて「やんないとアレだわ」感が湧いている。
とは言え今の担当サービスのチームは非常に恵まれた環境だ。成金出身のパートナーさんからはいぶし銀な分析スキルを盗み、チンピラなのに開発の課題を解決して成果を出すクソ優秀なパートナーさんと壁打ちさせてもらうことができるという謎環境。来週からはもっと身を引き締めて修行に取り組んでいきたい。



WF設計自体はスケッチを使うことが多かったが、慣れ親しんているパワポでサクッとやっちゃうことが多いので、デザインをゼロベースで作ること自体にはまだまだ成長の余地があると言えそうだ。そこまでやりたいかどうかは事業の状況にもよるのだけど、せっかくだからXDも使ってみて「リリースに耐えられるレベルでビジュアルデザインを作れる」くらいにはパワーアップしたい。
定性リサーチに対して自分が担当する業務というものはないが、積極的にUTに参加させてもらうことによって「だいたいこんな感じで設計してモニタリングすれば良いのか」を知る機会をいただけているのがありがたい。実際にやってみないことには肌感覚もわからないので、新機能検討の案件があればその業務フローを一旦担当してみるくらいの機会を作ってみたい。


僕がUXをやっていてものすごく感じたのは、「UIUXで競合優位を確立するのは難しい。であれば二択で、[真似されにくい技術優位を確立する]か[開発からビジネスに染み出した動きをする] ということだ。事業にクリティカルな貢献をするにはまだまだできないと行けないことがあるだろうし、その機会を任されるだけのクレジットもない。クレジットとか政治とか、ダークサイドスキルはあまり好まないけど、「スキルがないからやらないこととスキルがあった上でやらないこと」は天と地ほど違うと思うので、頑張らないといけない。



 

 

 

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この一年間の中でもとりわけ京都ブログが話題になったが、あれは実は各社の新事業立案制度にエントリーしていた企画を辞退した時の話。その後も5つ起案した企画が全滅したのもあり、「何かを変えないとこのままではまずい」と考えるきっかけになった。そっから時間の使い方を本格的にハックし、集中力を高めるための食事・運動・睡眠の管理に徹底し始めるようになった。おかげでタスク処理速度は上がったし、筋トレを週に6回することによって「いざとなればワンパン」が口癖になり、凶暴性が増した。

 


そのほかで言えば、
ファイナンスとか事業とかそういうのは業務外でオラついてるのと、
教養的な部分も着々と見えてきている部分が増えてるのはいいことだなと。
同期や友人と壁打ちして「どうやったら勝てるか」を四六時中シミュレーションしてるのはいいことだと思うし、そういう時間の使い方は嫌いじゃない。

 

ただ、そろそろ本格的に内に引きこもってスクワットしてるだけじゃダメだな〜みたいなことも感じている。
先日インフラ系企業に就職した大学の友人と一晩飲み明かした時(自分はアルコール摂取しないようにしてるのでお茶だったけど)に日本の伝統的な会社の実情をいろいろ教えてもらって「いかに自分が無知であったか」を知る機会になったのは本当に楽しい経験だった。

とまあ自分の一年間でできるようになったことや感じたことをつらつらと振り返ってみたが、既存のネットスキルを身につけることはもはやベーススキルでしかなく、そこに専門性を築くのではなく、「未知の領域だがしかし社会実装に近い成長産業」に築くのがおそらく重要で、その大局観を磨くことがもっと重要だ。

 

自分の能力不足で後輩たちが喜ぶような派手な成果を出すまでに至っていないことは自分にとってひどく苦しいことだし、申し訳なく思う。
あいだを担いでる同期が一人いるのだけど、そいつが「お前が本当に勝ち馬か見極めるから来い」と言われて四柱推命の占い師さんに占ってもらった。彼がいうには「2018年と2019年の2年はこの10年で一番しんどいから現状維持で行きな。勉強の機会をいっぱい作るといい」らしいので、今は一旦自分の実力を養う期間にしようと思う。

 

目標を定め出したのもちょうど最近で、大まかな方針だけ決めて、あとはそこに向けて足りないものを集める作業をしていくことになる。僕は行動先行型の人間じゃないから、周りの優秀な同期や先輩がブイブイ言わせてるようなことはできないだろう。「用意周到な準備によって大胆に行動する」タイプだと信じて、力を蓄えたい。奨学金の返還もあるし。

 

ぶっちゃけて言えば、いきなりAirメイト作っちゃう会社の先輩とか、自分が実現したかった事業が僕と同じ9293世代の某AIヘッドハンティングサービス立ち上げてオラる人たちと比べるとまったくもって嫌になるなっていう気持ちしかしてなくて、毎日indeedの創業からスケールまでをシミュレーションして「やはり天才か・・・」ってなって落ち込んでいる。ただ、そういうのも含めて刺激的な生活を送れているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学時代にそういう関係になった時の話

世の中を支配しているのはお金ではなく、プロパガンダなのだと思う。

真実はそれによって覆い尽くされているから、そう簡単にたどり着くことができない。
政治的に生み出されたそれは集団によるものかもしれないし、単独なのかもしれないし、もしかしたら僕自身なのかもしれない。僕たちは何者かによって生み出された文化的規範の上にただ形作られているに過ぎない。だとしたら、僕たちが今こうしてなにかを考える際の素地というものは、常に何かしら誰かしらの意図を反映した結果であると言える。
僕は常々、どこからが僕で、どこからが僕でないのかの境界線を探らんという、イーロンマスクもびっくりするほど無謀なプロジェクトをローンチするのだが、甲斐無く失敗に終わる。デカルトはもしかしたら最高のプロジェクトマネージャーで、そこから一つの真実に行き着いたのかもしれないが、僕のようなポンコツプロジェクトマネージャーでは真実にたどり着くことはないだろう。原因は僕たちがあまりに多くのことを知り過ぎたからかもしれない。あるいは知らなすぎるからなのかもしれない。

 

 

 

大学一年生の秋、僕はとある授業を履修していた。教室はよくあるような大講義室ではなく、ちょうど高校の教室くらいの、主に語学の時に使われるようなところだった。
僕は毎回席の一番後ろにあるコンセントの近くを陣取って、授業中にMacを開いてカタカタしてしていたので、相当浮いていたと思う。しかも目的がない限り自分から話しかけにいくことがほとんどないという人見知りがアドオンしていたものだから、僕に話しかけてくれるということだけで、孫正義に投資されるくらい嬉しかった。
政治学科の僕が経済学科の彼女と出会うのはこれが初めてだった。

 

 

彼女はとても洒落たことを言う子だった。
僕が当時付き合っていた彼女に振られ、消沈し、「どうして浮気しているかもしれないと疑ってしまうんだろう」言った時も、「想像の世界と現実の世界に、どれほどの違いがあるの?」と、あの正確無比のカントも朝起きれなくなるレベルの問いをあっけらかんとした顔で突きつけてきた。もしかしたら落合陽一かもしれない。
彼女のおしゃれな物言いはおそらく小説が好きなところから来ている。「ノルウェイの森を読んだことがある?君もマルクスを読むけど、そういう意味では彼とは違うよね」と彼女が言ったことがあって、僕が「どういうこと?」と聞くと、彼女はクスっと笑って「自分の意見ははっきり言うけど、相手の気持ちがわかってないというわけでもないんだろうなってこと」と言った。
彼女の世界で笑う瞬間がとても印象的だった。それは僕がたとえその世界を共有できなかったとしても、許してくれていることを意味しているようだった。

その時の僕は小説というものを高尚な俗物だと思っていたから、理解する気がどうしても起きなかったのだ。恥ずかしい話だけど、僕は24歳になってようやく文章に隠されたストーリーをかろうじて読めるようになった人間だ。ノルウェイの森を読むことにしたのも、彼女との記憶を思い返した時に(僕は男性にはそういうある種の発作が一定の周期でくるように設計されていると信じているのだけど)その本のことを思い出したからだ。その時に、彼女の引用した言葉が緑の発言を元にしている内容だったことを知った。

『あなた頭おかしいんじゃないの?英語の仮定法がわかって、数列が理解できて、マルクスが読めて、なんでそんなことわかんないのよ?なんでそんなこと訊くのよ?なんでそんなこと女の子に言わせるのよ?彼よりあなたの方が好きだからにきまってるでしょ。』


たしかに僕はマルクスを勉強していたし、英語は仮定法くらいならわかると思う。数列は怪しいが、少なくともあの場面で、どうして?など聞くことはないと思う。もしかしたら以前言ってしまったことがあったかもしれない。でも彼女がそういうのであれば、きっと僕は"そういうこと"を言わないタイプの人間だと思われているようだ。そして彼女は少なくとも緑のような子ではなかった。

 

 

 


彼女に比べて僕が歩み寄ろうとしたことは多くないと思う。
二人で箱根までドライブに出かけた時、一号線で江ノ島まで帰ってくる帰り道にシャッフル再生でYou outside my windowが流れて来たのだけど、その時に僕が「俺きのこ帝国わりかし好きなんだよね」と言ったことがあった。
あくる日、彼女が下北沢で古着屋に行きたいと言って僕が駆り出された。授業終わりに明大前から下北沢まで井の頭線に乗って、僕もなんだかんだ2万円分くらい服を買い、夜ご飯を食べた帰りに終電を逃してしまうのだけど、僕がお金おろしたいからといってコンビニに寄った時、彼女は缶ビールと酎ハイを僕と自分の分を1本ずつ買っていて、それを一本レジ袋の中から取り出し、僕に渡して「クロノスタシスって知ってる?」と聞いてきた。僕が当然のように「知らない」と言うと、彼女は嬉しそうに「時計の針が止まってみえる現象のことだよ」と言った。
きのこ帝国の一曲をオマージュしたものだった。しかも下北沢の0時過ぎというMVのワンシーンを忠実に再現した上で。

 

もしかしたら僕たちは、時計の針が止まって見えたから終電を逃してしまったのかもしれないし、もしかしたら時計の針は本当に止まっていて、それが原因だったのかもしれないし、もしかしたらもっと別の恣意的な、色情的な理由だったのかもしれない。でも間違いなく言えるのは、彼女はきのこ帝国を知らなかったということだ。僕が彼女のことをどれだけ理解できていたのかはわからないし、もしかしたら僕からの歩み寄りを彼女が必要としていなかったのかもしれない。でもそうじゃなかったとしたら、僕は彼女に何かを与えることができただろうか。今となっては知る由もないことのなのかもしれないけど。

 

 

 

大学二年生になった僕たちは、昼休みにご飯を食べた後の空きコマで、キャンパス内のカフェのテラスに腰掛け、飛行機雲が大学を横切るようにして飛んでいるのを眺めていた。「また、あの暑い夏がやってくるんだね。長い夏になるといいね。」と彼女は言った。4月の肌寒い季節が終わって、これから暑くなるかなって時の温暖で平和な空気が僕も彼女も好きだった。僕は「あだち充のヒロインが言うようなことを言わなくていいよ」と言った。すると彼女はニコッと笑って「でもあいちゃんは喜ぶでしょ?」と言った。僕も「そういうところだよ」と言ってあの漫画の主人公を演じることにした。

僕は彼女の「そういうところ」が好きだった。でも僕が彼女に伝えたことはなかった。それを言うことを必要としない関係だと思っていたからだ。

僕にとってそういう関係はたまらなく尊いものだった。僕たちは沈黙しているが、了解している。そこには事実とかいう、解釈によって容易に捻じ曲げられてしまうものの入り込む余地などない。僕たちに事実は必要なく、僕と彼女とその距離とで居ることができればただそれでよかった。 何が好きで何が嫌いかなんて、本当の意味で僕たちが知覚可能なのだろうか。パブロフの犬のように、僕たちはすでに何かを学習してしまっていて、その反応に従って生きているだけなのかもしれない。その疑いなくして、どうして僕たちは想いを共有することができるのだろうか。相手の意味するところと、僕の意味していることに乖離があるのは当然で、だからこそ、互いの想いを伝えきらないことに優しさというか、美しさがあるように思えた。

 

 

当然彼女もそう思っているものなのだと僕は思っていた。

 

 

 

真実は多く語られず、沈黙している。
たとえば僕たちがそれを言わないように。
  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会社サボって京都に行った時の話

 


「どうして人って自分が理解できないことに対して寛容になれないんだろうね」

会社をサボろうと思ったわけじゃなかった。今日だけは一人になりたいと思った。
自分の割り振られている仕事はこっそりやっておくつもりだった。
なんだけど、昼すぎには東京駅から広島行きの新幹線に乗っていた。
大学生のときはこんな簡単に乗れなかったのに。少しだけ大人になった気がした。


なんで京都だったのだろう。多分、その意味は無意識の自分にはわかっていて、
意識の自分にはわかっていない。
思えばいつもそうだ。いつも無意識の自分は答えを出している。
懐疑的な僕だけが、無意識に出した答えを理解できずに苦しんでいる。
無意識の僕は僕よりも僕のことを理解している。なんでなんだろう。僕はいつも僕に負けている。


京都についたらとりあえず清水寺に行こうとだけ決めていた。
京都駅から歩くと30分以上かかってしまうけど、歩いていきたかった。
ただ歩きたい時もある。その時はそういう気分だったのだ。

 

 


清水寺は植民地になっちゃったよw」

Tは、「清水寺に日本人が全然いない」と驚いた様子の僕に向かってそう言った。
京都についた時、一応連絡しておいたほうが良いだろうと思った。
Tから「急にどうした?」と返信が来たので、 
「確かに急だったわ。なんか一人になりたくて」と言った。
するとTは何かを察したように
「19時から会おうよ。なんか食べたいものある?」と聞いてきた。
僕が「お好み焼きかもんじゃ」と注文したら、「もんじゃは東京の食べ物やからw」と笑われてしまった。

もんじゃは東京の食べ物なのか。
もんじゃとかお好み焼きとかはなんとなく関西発の食べ物なイメージがある。
本場のお好み焼きはやっぱり広島なのかな。
よくわからないけど、関西に来たら食べるべきものってその辺なんだろうなって思っていたのに。

 

 

 

「よくわからんのだけど、多分おれ社会人向いてないわ」

Tは呆れた顔で「今更?」とだけ答えた。
僕は恥ずかしくなったのを隠すようにビールを飲んだ。
「そんなことはわかっているんだけど、なんかほら、そういうことじゃなくてさ。向いていないことなんて百も承知だったよ。だけど自分はそれが自分の課題だと思っていたから。克服すべきものだと思ってた。昔から社会性のなさで怒られてばっかりだったし、大学入ってからもそれは変わらず指摘を受けるばかりだったから」
「りゅーちゃんにそれは無理だと思ってたよw」

僕もそう思っていた。だけどそれでもきっと何かを変えるためには、多種多様な方々と協働することが求められるのだと。そう考えた時、社会性のなさは致命的だった。
「・・・まぁ確かに、いまこうしてここにいる時点で克服できるとは言い難いね。笑
 Tはどうなの?こうして今自分の事業やってるわけだけど。俺と似たような課題感じていたわけでしょ?」
「もちろん全くできないよね。絶対無理!ってわかってたから半年で辞めるつもりだったしね〜。
 ただ私の場合は成功体験があったからさ。大学時代に。それでイケる実感があったよね。まあ、最低限のお金さえ回っていれば潰れることはないしね。」

僕は店員さんが焼いてくれたお好み焼きに青のりをかけてから、ヘラで4等分にした。
「絶対無理かあ。それ、いいね。俺も決め切れたら少しは楽だったのかもしれん。だけどやっぱ、難しいわ。」

Tは4等分にされたお好み焼きをひとつ取って、息を吐いた。
「なにがあったの?」

 

 


 

お店を出てから、「これからどうするつもりなの?」と聞かれたので
「漫画喫茶に泊まるつもりだよ。あ、それか温泉の付いているホテルとか、今から入れないかな?」と言った。
「明日みんなで温泉いくよ。学生の子達連れて合宿すんのよ。宿泊費とか食事代とかはうちで持つから、メンターやってくれない?
明日には帰るつもりなんだっけ、帰るの明後日になっちゃうけど。」
「温泉・・・宿泊費タダ・・・」
すごい魅力的だった。でも急に押しかけてそこまでしてもらうのは申し訳ないと思ったので、
「いやさすがにおれなんかがメンターとか、大丈夫か?これ・・・なんかみんなきまずくしちゃいそう。。」気を遣ってみたのだが、
「なにさっきからうるさいわ!こういうのは流れで行くもんだろ!そういう旅なんじゃないの?今回は!」と怒られてしまった。
こんだけ勢いのある感じなら、確かにスパパーンと会社を辞めて事業を興すくらい容易いんだろうなと僕は思った。
今日はTの家に居候させてもらうとして、合宿に参加させてもらうことにした。

 

 


「自分のやりたいことを実現するためだったら、政治的な動きだっていやだと思うことないって言ってる人がいてね。その人の気持ちがよくわかる。
 今京都の行政トップの人たちとお話する機会あるけど、そういう人たちの理解をいただくのとかって、自分の事業のためだったら苦じゃないよ」

いつから僕は人から好かれることが苦手だと思うようになったのだろう。
いつのまにか、目上の人はみんな自分のことをいけ好かないやつだと思っていて、
余計なことを口走るくらいなら、会話せず穏便に済ますほうがいいと思うようになった。
みんなから気に入られて、それでコトがうまく進むのなら、どんなに生きやすいだろうか。

自分は人からどう見られているかに対して無頓着なままだった。
ものすごくくだらないことだと思っていたし、気にしても仕方がないに決まっていると思っていた。
みんなが意識せずに行っていることを全くしてこなかったから、まわりからどう思われているのかを意識することがまるでできないらしい。
それに今だって、心底どうでもいいと思っている。自分の価値を人に決めさせてしまって良いのだろうか。それは僕に対して最も無礼な態度に思う。

 

でも多分、目上の方々は僕が苦手だと思っているほどには僕のことを苦手としていないのだろう。
きっと僕が歩み寄り方を知らないだけで。

 

 

 


奥嵐山から望む京都の景色はとても奥ゆかしくて、いつまでも眺めていられた。奥嵐山にはちょっとした小屋があって、ベランダみたいなところから景観を味わうことができる。
ボケーっとした顔で座布団の敷かれたベンチに座っていると、住職のおっさんが僕の隣に座り、京都のことや奥嵐山のことについていろいろ教えてくれた。四条にある木造カフェでブレンドにウィスキーを入れて飲むとか、でもおっさんはウィスキーを水割りにしてそのまま飲むとか。ブラタモリで紹介されたとか、夏目漱石がここで昼寝して帰ったとか。
14時になった時、僕の隣で法螺貝を吹いてくれた。宗派によって吹き方が違うらしいのだけど、どこがどう違うのかまではわかりそうになかった。


比叡山に行きたいの?今が一番のチャンスだね。本場の比叡山を体験できますよ。」住職のおっさんは言った。
「本場ですか?本場というと・・・」
「修行僧が登った比叡山だよ。2月は寒いし、ロープウェイが動いていないからね。バスも出てるけど、864mを歩いて登るんだ。修行になるよ。」
「それは過酷ですね・・・いまから行くと登り切れなさそう。」僕は残念に思った。

これは無意識の僕と意識の僕が対話をするための旅なのだから、もっと旅らしいことをしていいのかなって思った。さすがに歩いて登るわけにもいかないから、ひとまず夜行バスの予約をして、それから京都駅でレンタカーを借りて比叡山を登ることにした。

 

 


「これからどうするつもりなの?」僕は言った。
比叡山の頂上から見える夕暮れの景色の美しさに言葉が出なかった。
奈良まで続く京を一望できた。
この景色こそが権力を象徴していた。
僕はこの平地に思いを馳せた当時の人々のことを思った。
ある人は太平を願い、ある人は戦乱を望んだ。
比叡山を焼き討ちするくらいの器量は僕にはないだろうな。
僕は彼の方がバグっていることに少しだけホッとした。
「それよりはいくらか、だいぶマシだよな。」

京の反対側の景色も好んだ。どこまでも山脈の続くような予感が僕の想像の世界を掻き立てた。すぐそこに琵琶湖があって。つくづく京都はいいところだなって思った。この景色をいつでも見られるなんて。

これから東京に帰る。
そう思った時、 Tの家のドアを開けた6階からの景色を見て
「うわ、すごいねこれ、Tにとっては見慣れた景色かもしれないけど、俺にとってはすごい貴重なものだよ」と言ったことを思い出した。

Tは「知ってるよ」と満足げに笑った。

 

 

 


Tの部屋には今だに世界史の教科書や政治経済の用語集が置いてあって、僕たちはそれを手にとって
「うわあ、いまやったらすげえ理解できるのに。。東インド会社とかって、もう、そりゃそうするよね・・・」
「政治経済もやってたの?あれ、二次試験って、文系2科目? うわ、すごい、ケインズの説明。みてこれ。この一文にケインズ政策とその課題点書いちゃってるよ。」
と盛り上がっていた。

知らないものに対して関心を持つことは難しい。
僕は勉強が苦手で、覚えなければならないことを覚えることができなかった。
そんなことよりも日本史のwhyを解き明かして行くのが好きだったのだ。
「なぜこの絶望的な状況下で戦争に踏み切ったのか。教科書では陸軍の勢いって書いてあるけど、それだけで本当に説明つくのかな?」

いまだからわかることが受験時の記憶から解き明かされるのが面白い。
アームストロング砲を答えとして書かせる大学があって、当時は「なんだこの重箱クソ問題」と思っていたが、
その答えを書かせることで戊辰戦争の真意を解き明かすきっかけになっていることに後から気づくことがあるといったように。

無駄なものっていうのは実はそんなにないのかもしれない。
それを解釈、活用する力がないだけで。

 

 

 

 

国際会館駅からバスで30分ほどの旅館から帰ってきた。
改札前で「これからどうするつもりなの?」とTは言った。

「ん〜どうしようかな。帰りのバスまでフラフラしたいな」

「いや、そっちじゃなくて。辞めちゃいなよ。会社」

彼女は僕よりも僕が今一番欲しい言葉を知っている。

 

 

自分が描いているレールの行方は思っているよりもあてにならない

2016年は自分の見えている世界の限界に絶望して、どうしたらいいかわからなくなった年だった。

人間が生み出した言葉というコミュニケーションツールは不完全であり、僕たちはこの不完全なコミュニケーションを続けているからこそ、おおよそ人間関係に問題が起きたり、悩んだりしているのだと。世界を構築している最小単位は言語であり、言語によって生まれた合意形成であり、合意形成によって生み出された人力であった。これが今の僕たちの社会を豊かにしているモノ、具体的にいうと家やビル、道路や線路を敷設している。iPhoneもそうかもしれない。アイデアを持つ人だけで商品を生み出すことはできず、そこには必ず役割を分担し、組織総出で動かすパワーがなくてはならない。その意味において、合意形成は社会を構築しており、その最小単位はひとつひとつの言葉なのだと。
合意形成は時に暴力が用いられることもあった。現代はもうちょっとマシだが、本質はあまり変わっていない。合意形成は高尚な文脈による、言葉を選ばずにいうと"政治的"な合意形成が主役であり、それは決める者と決めることを扇動される者の見えない長く深い階層が横たわっていることを意味しているのかもしれない。それが悪いことであるかどうかはおいておいて、そのような解釈は存在しうるだろう。つまり、僕はそういう類のバイアスでもって、社会を眺めている。

 

 

2017年は、それでもブレない自分の芯を持ちたかった。なんだけど、ブレない軸を決めるということは、その時点で「もしかしたらなれたかもしれない自分の未来」を捨てることを意味するんだと思った。僕はそのことに後髪を引かれながら生きていた。
そこには少なからぬ痛みが伴った。海辺のカフカで言われたような砂嵐を耐え続ける期間があった。この砂漠の社会で巻き起こる砂嵐に埋没していってしまう人もいるかもしれない。それほどに、かなりキツイ体験だった。
僕は、この激動の1年間に思う「ねばならない」によって、思っている「ねばならない」ほどには「ねばならない」わけではないことを知った。

というより、おそらくだけど、「自分の思うこうなっておいたほうがよい」あるいは人のいう「できたほうがいい」ことは、大抵あてにならない。なぜならそれは、環境に大きく依存してしまうからだ。

 

僕はいまUXプランナーという職務に就いているが、職務がざっくり決まった当時の僕はUXっていう言葉のニュアンスを履き違えていたと思う。「それは自分が向いていることのなのか、自分がやるべきことなのか」をあまり理解していなかったし、それ自体は狭義なビジュアルデザインを指していると思っていた。でも今僕が担当している役割は、ビジネス的だけど、それよりももっと概念的な仕事であることを知ったし、その意味ではもしかしたら今社内に存在している仕事の中でも伸び率が高く、向いているのかもしれない。特にUXには専門的な学問分野が存在しているわけではない(現状の日本では)し、エンジニアリングに比べて専門的に尖っているわけでもないから、未経験の僕が「ITサービス業」に開発側として携わるとしたら、ポジションとして都合が良かったという意味もあるだろう。

そもそも、僕たちは社会的に定義されたスキルの概要をあまりよく理解していない。しかも、それらを理解するのは割と難しい。だから見かけ上の「フロントエンドは割とできた方がいい」的なこととか、そういうものはたしかにそうなんだけど、「そんなこといったらおよそスキルを冠する定義上のそれぞれは全て出来たほうが良いと言ってしまえるのでは?」という話になってしまう。

ということは、僕たちができることとというのは、「環境による必要性に応じて身につけた何かを応用していくことしかできない」のではないか、という話になっていくか、もしくは、「必要性を要する環境を自ら構築するか」のどちらかでしかないかもしれない。

 

環境による必要性に応じて身につけるスキルは学習効率が良い。大抵この手のスキルは必要性のハードルが高いからこそ、自分にとって本当に身についているものなのかどうかわからない。しかも相対比較によって自分の立場が決まるとなると、「自分ってまだまだだなぁ」と思わされる。だから後になって、「あー自分はここまで登ったんだ」って気づくものなのだと思う。山登りに集中している時に背後の景色を見ようとは思わないのと同じように。

それと同時に、型があるとその後の成長角度を上げられる。なまじ我流で通用してしまうということは、パワーだけでホームランがでるが、手首をこねるクセによって、変化球に対応できないとか(かなり適当に言ってるけど)右足でシュートが打てないと大事な局面で点が取れないとか、そういうことにつながってしまう。
一年目がまず学習にコミットすることを求められるのはそういうことなのだと思う。我流で短期的に出せる成果はあるが、その成果にあぐらをかくといずれ挫折してしまい、そこで躍起になってしまうともう最悪のスパイラルになる。

僕たち新人は、自分が出来るということにあまり自信を持ちすぎると大抵どこかでコケるように出来ているのかもしれない。勿論、そうでない人もいると思うけど、あくまで一般論として。

 

後者の機会創出は、前者のような、学習の型が存在していないというリスクがある。だからこそ、自分自身がこの守破離を堅実に律することが必要になる。当然、そうするのもよいかもしれないが、もし世界に突き抜けたいのであれば、多分だけど、後者を選択したほうが良いのかもしれない。その世界にレールを敷いてくれる人は存在しないし、自分で敷かなくてはならないのかもしれない。でも、多分世の中に存在しない価値や俗に言われるイノベーションといわれるものは、そういうあいまいさや不確実さに耐えた集合体が生み出しているのではないかと僕は思う。もしかしたらうまくいかないかもしれない。というより、うまくいかないものだと思う。

こうして環境は僕の意志とは無関係に変動し続ける。一発留年してしまったら、今のこの状況が生まれてなかったように。


だからこそ、この後者の選択には覚悟が必要であり、その覚悟は明確な目的と強い意志が必要になる。僕は今、2016年の自分がそのための助走をしていたことを知った。自分が今何をしているのかということは、今その時点ではよくわからず、後になってここにつながったって言えるものなのはどうやら本当らしい。

 

「開発がわからないと開発の人が集まらないんじゃないか。だから自分ができるようになるんだ」って思って動いていることは僕にとって、あてにならないことだった。

 

 

 

ただひとつだけ、本当にあてになったことがある。

 

それは、こうして自分と向き合い続けることと、それによって自分の器を広げ続けられたこと。その一つ一つの価値観が、僕の血肉となって生きていくこと。

開発の為の開発スキルというような打算的な思惑から湧き出た気持ちよりも役に立つものは、僕が僕として生きる理由の開発だった。

 

僕は今、なれたかもしれない未来の可能性に生きる自分と別れを告げ、僕が僕として生きる理由と共に生きることを選択している。

 

 

 

 

今回の衆議院選挙に対して思うこと

衆議院議員選挙に行ってきた。僕はお世辞にも政治に詳しいというほどのものではない。でもそれでも政治については出来る限り自分が納得のいく投票を行いたい。そうでなければ、投票したくてもできないだろう。本音を言ってしまえば、『どの政党を支持すればいいのか、もし自分の意志に反した政党に投票してしまっているのであれば、それよりは投票しないほうがいくらかましだろう。』そういうことをしげしげと考えていた。とはいいながら、今回の選挙の争点は明らかに見えたし、歴史的な局面に政治参加しないなんてもったいなさすぎる。そういう思いから、悪天候の中にも関わらず母校へ投票しにいくことにした。

予め断っておきたいのだが、僕はまだ、どの政党を支持すべきかがわかっていない。おそらく有権者のほとんどが僕と同じような状況にあるはずだ。あるいはそうでない人もいるかもしれない。勿論、わかることに意義があるのかどうかはわからない。集合知が最も確度の高い正解とする言説も勿論存在する。国民が利己的な判断を下すことによって世論を捉えるということもあろう。
時々思うのは、人間社会における真実というものは常に存在していないものなのではないかということ。
特に、誰がどういう意図で動いているのか、何がどういう思惑で動いているのかというのは仮説は立てど、これが当時の真実なのであると言い切ることはできない。
例えば「なぜ日本は敗戦濃厚な最中で戦争に踏み切ったのか」その通説を問い直す営みは今日の意味上における「歴史修正主義」とされてしまうのか。今回の選挙は憲法改正が大きな争点でありながら、大きな問いとして立てられていたのは「立憲主義とはなにか、民主主義とはなにか」という問い直しだったのではないか。だとしたらその問い直しは「歴史修正的」なのだろうか。それとも「本質的な社会の在り方に対する健全な再考なのだろうか」

 

ぶっちゃけてしまえば改憲が行わなわれるのは明らかだった。というより、今回の衆議院の解散は「改憲を行うために行われたもの」と捉える方が適切だとさえ思う。
それ以外の公約に関しては政治パフォーマンスのネタでしかなく(言い過ぎだけど)教育費用の拡充や原発再稼働、消費税問題というのは悪く言えば「国民の感情論を焚き付けるテーマだから扱われているに過ぎない」と言ってしまったほうが良い。


例えば消費税をあげたほうが良いということが、仮に学者の研究によって明らかにされていた場合、すぐにでも増税したほうが良いかもしれない。しかし国民の理解が得られないことには増税は難しいし、世の中は信用という幻想によって動いているのだから、「消費税が増税した」という事実によって「消費凍結が起き」、「経済成長に陰りができる」という因果は起こりうる。


簡単に言えば、政治において重要なのは、「国民の感情をどこまで理解して、大局的な戦況を読むか」であって、これが行き着く先は「国民の感情を如何に扇動するか」ということになる。だからメディアが力を持つ構造であった。
SNSやインターネットがその役割を代替する勢いにある昨今では、メディアの持つ役割は鈍化し、役割を果たしきれていないという批判も目立つようになってきている。
一方、SNSという玉石混交ツールは多様な意見を反映している。だからこそ「どの情報が事実を述べているか」という取捨選択、いわば国民のリテラシーが上がっているのではないか。
今まではテレビや新聞でしか情報を取得できなかったが、情報経路が拡大することによってテレビや新聞の社会的地位は揺るがされた。そして情報過多になったことで、逆説的にそれぞれの媒体を「疑う力」が養われ始めた。「情報選択の見極め」が自然的に向上したのである。この傾向はこれからも続いていくだろう。それはおそらく人類にとって良いことなのだと僕は思う。政治というのは「大衆扇動的に決められる」ものではなく「民主的に決められる」ことが正義であると信じているからである。

今回の改憲はどうだろうか。これは本当に国民の意見を反映した状態になっているのか。
僕から述べると、逃げ腰だけど、「改憲に反対でも賛成でもない」という立場を取っている。
なぜならば、「改憲によってこれからの社会がどうなってしまうのか、全く予想がつかないから」である。

僕なりに立場を考えてみると、改憲派は対外関係(特に北朝鮮)に対して強硬路線を取りたいという感情的な立場であるとみる。あるいはそうしないと自国防衛が不可能であるという風に考えるのだろう。
一方で護憲勢力日米安保自衛隊の存在が対外的な緊張を煽るものとしてみているのではないか。「日米の関係がなければ、そもそも自分達が戦争に巻き込まれることはない」と考える立場をとっているとみる。
それに対して改憲派は、「日米の協調路線が解消されるということは他国からの侵略に脆弱になるということであり、現段階でそれはできない」と考える。
そこで護憲派は「憲法9条を守りながら自国防衛力を身につけることは可能である」と考える。
この考え方の違いは大した差ではないと思ってしまう。問題なのは、
自国防衛に対して「九条に対する解釈にどのような影響があるか」でしかなく、
憲法を改正したことによって起こりうるリスクの列挙とその可能性についてどのように考えるか、が焦点であると僕は思う。となると問題なのは、
改憲によって日本が侵略の危機にさらされるリスクはどの程度あるのか」
「護憲によって日本が侵略の危機にさらされるリスクはどの程度あるのか」
という点を比較することなる。
改憲によって行われることはおそらく「銃を持つ」ということである。
もし私達がマンションに住んでおり、その隣の住民が銃を持つと知った場合、「私が狙われるかもしれないから私も銃を持たねばならない」と思うだろう。
護憲は「銃を手放す」ことになるだろうか。隣人は「アイツは殴っても殴り返さないから殴っていい」と思うだろうか。あるいは「アイツは殴ると結構イタイくらい殴り返してくるから殴らないでおこう」と思うだろうか。
独裁国はどんな大義で日本に殴り込んでくるのだろうか。どんな意味があって侵略を行うのだろうか。
最善のシナリオは、「殴られてから対処する」ということではない。殴られないことが重要だ。でも核による抑止力が日本にどれほど必要なのか、僕にはわからない。

護憲派の立場に立ってみると、国際的な緊張関係に日本が巻き込まれているのは、米国との関係が同盟国としてみなされているからではないのかと考える事もできる。
米国からしたら日本はアジアへの玄関口であり、地政学的に確実に抑えておきたい「拠点」である。
以前までは米ソ対立の緊張関係からなんとかして日本や韓国を資本主義陣営に取り込む必要があったし、ソ連への経路としてその領土を拡大する思惑もあっただろう。米ソ対立によって朝鮮戦争という代理戦争が勃発した。北朝鮮という独裁国の暴挙は覇権国家の権力争いに巻き込まれた代償として、引き裂かれた結果として生まれた歪みだ。
雪解けの後、その対立関係は今は中国に向けられている。いずれにせよ、覇権国家としての地位を揺るがすことは起きてはならない。独裁者は常に寝首を掻かれることを極度に恐れる。スパルタが奴隷にそうされることを極度に恐れたように。

これは北朝鮮内でも同様に起きていることだろう。「独裁者としての地位を確保するために武力を誇示することで権力を維持したい」構図はどの時代にもみられることだし、おそらく北朝鮮の挑発的行為は支配力の低下によるものだと考えてもよいのではないか。すべて仮説でしかないのだけど。

だとするならば、論点は、
「支配力の低下により対外的挑発を繰り返す北朝鮮が、日本への武力行使をするメリットはなにか」
である。このメリットの如何により、「日本も武装すべきだし、時にはこちらから強気な姿勢を見せることも重要」なのか、「護憲的な立場をとりながら、防衛力を高めることに終始する」ことを選択することになる。
正直にいってしまえば、北朝鮮の無茶苦茶ぶりに憤りを感じない人はいないだろう。腹立つこともある。対話が必要といっても対話が成立しないようだとしたら、強硬手段をとるしかないという気持ちになるかもしれない。「強豪校のレギュラーで正捕手をやってる自分が万年ベンチにも入っていないアイツにすげー舐められた態度を取られている」状況は、すげえムカつくだろう。感情的になってはいけないと思い、うまく対応をしてきたが、温厚な人間も堪忍袋の尾が切れるというものであって、強行路線に走りたくなる気持ちもわかる。このバランスを取るのは難しい。
とはいえ、この論点にしたがって議論をするならば、答えはひとつに収束しそうなものである。事実や予測、リスクによる冷静な分析によって、どうすべきなのか、自ずと答えが出そうな気もする。


しかし「共謀罪の成立」「特定秘密保護法」「安保法」に対して採決を強行したという印象が強い。これはまさに来るべき時への先駆けと映ってしまう。
これらの法案は果たして本当に民意が反映された結果だったのだろうか。これは本当に自民党の意志によって決定されたものなのか、あるいは大きな圧力がかかっているとみるべきなのか。

僕がわからないのはまさにその一点である。自民党を応援すべきか否かは、「自国防衛、独立」に対してどのような立場を取っているのかがわからないのである。

それでもやはり、アベノミクスの功罪と裏にある日銀のアヤシイ動きについてはもっと考察を深めていかなければならないし、真実を追求することを止めては行けないと思う。参院選では「自国利益を守る為に日本企業を強くする必要があるし、トップアップでおこなわなければならないこともある」と思っていたし、それは間違いないだろうと思う。しかし蓋を開けてみれば、異次元緩和によって金利は歴史的な低水準となり、銀行は少なからぬ打撃をうけたにも関わらず、それでも「企業がお金を借りてくれない」

企業はというと、「これから起こる不景気に備えて貯蓄しよう」という流れが膨れ上がる内部留保から見て取れる。アベノミクスが当初期待していたような動きが起きなかった。企業が儲かったお金が投資に回されることがなく、労働者の賃金があがらなかったのだ。これでは一部の富裕層と労働者の格差の拡大を招いてしまう。

日産や東芝、シャープがバタバタと倒れていく中で、神戸製鋼が今度は倒れることになりそうだ。もし僕の仮説が正しく、「アベノミクスによって自国の企業を再成長させる」ということが目的であったならば、結果としては失敗しているといえるのだろうか。きらびやかな日本を彩った伝統的産業は危機に瀕しているにも関わらず、国民の意識はどこに向いているのか。

経済的にも判断が難しく、外交関係も凄まじくヤバイ状況の中で、最善のシナリオを選択していくためにはどうしたらいいのだろうか。


そのひとつの観点として、憲法に立ち返るという動きはどうだろうか。
権力が濫用される組織や国家は必ず滅びる。これを定説とするならば、どのようにして権力の集中と不敗を防いでいくのか。監視と抑制に対して明文化されたルール、約束が扇の要として機能した状態で権力を行使されている状態を目指すべきだし、そう簡単に豊かな国にはなれないかもしれないけど、それでも多くの人が納得できる決定をすべきだと僕は思う。憲法が「多様な考え方、価値観を持つ人々が共存するために明文化された基本的枠組み」として機能することを期待されて制定されているものだとするならば、「どんな手段を用いても正解を引く」ことよりも「予め決められたルールを遵守することで納得解を生み出す」ことを重視することが「暫定解としての確からしさ」を保障してくれるのではないか。少なくとも民主主義なのであれば、「有権者の納得解こそが正解」といってしまっても良い。今起きていることは、言うなれば「政治権力の在り方が変わることで国家の在り方それ自体が脅かされている」状態になってしまうかもしれないという風にも言える。

 

権力に対する抑止効果が失われ始めている今だからこそ、政治の意思決定プロセスへの問い直しは有権者が考えるべきテーマのひとつとなればと思う。

それとはまた別に、最近は日本人論が個人的にホットなので機会があれば書いていきたい。

 余裕ぶっこいてたら留年しかけた話


8月からおよそ二ヶ月くらい働いてみて感じたこと。
昨日と同じような一日が僕の意志とは関係なく流れていくようなそういう感覚。もしかしたらそれは清流かもしれないし、濁流に呑まれていることに気付いていないのかもしれない。僕は今、その人生の流れみたいなものをパシッと捉えきれていないことに不安を感じている。僕は経験に隷属しているが故に、経験から切り離して今起きていることをあるがままにみることができない。それでも僕は必死で考えてみる。それはあるいは無駄な試みかもしれないけど、そうしないと残機切れになってしまうような感じもしている。

働きだしてからの一週間は思っていたよりも早く過ぎ去った。その1週間の密度は僕が想像していたような、1日ごとにレベルアップが実感できるようなものではなかった気がする。あるいはレベルアップしているのかもしれない。だけど、昨日と今日の僕を比べてみてなにが変わったのかみたいなことを考えて、なんとなくこれっぽいみたいなことを言ったとしても、これが変わった所だと言い切るのがとても難しいのは確かだ。でもこの微小な変化を逃さずに記録していくことはポケモンの世界でレポートを書いておくくらい重要なことのように思う。さもなくば、マサラタウンからやり直さないといけなくなるのかもしれない。僕はだからこそ、出来る限り内省に時間を取りたいと思っている。

 

 

 


今までの僕は、なんとなくだけど、人生には節目のようなものがあって、その節目を迎えることによって「僕の物語」第二章が始まるのだと思っていた。今考えてみると、大学生から社会人になるという変化は思ったよりも自然だったし、大学生であることと社会人になることに何か違いがあるようにも思えなかった。まるで成人式を迎えたからといって成人になったという実感がなかったように。良いのか悪いのかは別として、そういうものなのだと思う。

言ってしまえば人生に節目みたいなものは存在していない。僕たちが節目を付けたがっているそれはあくまで儀式なのだ。今までの僕は節目が存在していて、その節目を迎えることで日常が反転することを期待していたかもしれないけど、そうではなくて、節目がないからこそ、節目を設ける必要があったのだろう。昨日とは違う自分に変わるきっかけを必要としていて、その理由付けとして節目となるような儀式を期待するのは僕だけに限った話ではないと思う。

とにもかくにも、劇的な生活の変化をどこかで期待しているところがある。それは日常に退屈した物語の主人公がある日突然非日常に巻き込まれていくような映画のようなもので、だけど現実にはそんなことは起こらない。当然僕もそれが幻想だということを理解しているつもりだ。
なんだけど、それでもなお、どこかで幻想的な非日常を期待しているがために日常が退屈に見えるみたいなそういう生活を送っているような感覚がある。

だからそういう意味では、僕は留年したほうが幸せだったのかもしれない。少なくとも、心のどこかでそれを期待していたことは否定できない。勿論、それが周囲の人々に多大な迷惑をかけてしまうことになることは理解しているつもりだし、起きてしまったことに対して全力でリカバリーをしたつもりだ。でもそれでもどこかで理不尽な宣告を受け渡され、その不条理に対して憎しみを燃やしながら生きていく人生をどこかで期待してしまった自分がいた。もしここで本当に留年してしまったとしたら、僕はこれからどう生きようか。それはひどく悲観的な思考実験だけど、今よりもよりよい未来を描く為に必死こいて想像した世界線は、思ったよりも悪くなかったように思う。生活を続けていくことが困難であるということを除いたとしたらだけど。

 

 

 

アリストテレスは倫理的徳を重視した人だと僕は認識している。僕たちは善を目的として人生を謳歌しようとしている種だとする。その善の最高形は政治であり、人々の政治参加はそれ自体が善なる活動であり、徳のある生活なのだと。
民主的な政治参加によって人々が成長し、理性的でより人間的な進歩をするのだと。そしてそれ自体が幸福な営みなのだと。
簡単に言えばそういうことだと思った。僕はマキャヴェッリアリストテレスの違いについて言及しても、マキャヴェッリアリストテレスのどの点について批判を述べたのかについては言及しなかった。僕が単位を落としたのはそういうことだった。僕にとってこの事件は、まるで車に乗るのに免許がいることを法で定めていないにも関わらず無免許で捕まったようなそんな出来事だった。

大学というのは王政で、独立小国の融合体で、そこでは独裁政治が繰り広げられているのだ。国同士の争いは互いの不利益になることをわかっているから、お互いの国に干渉することはない。僕たちは独裁者である王様に対し懇願し、許しを請うことで学士の資格を得る。長期的に返済しなければならない負債を抱えながら。これはいわば税金だ。


勿論自分の非を認めていないわけではない。簡単な話、余分に履修申請をすれば済んだ話なのだ。ただ僕はどこか、何か腹にくくったことがあるとリスクヘッジをしない傾向がある。就職のときだって一社しか受けなかったし、最終学期で単位を落としてしまう可能性があるとわかっていながら、「今期受ける授業ではSをとってやるぜ」と意気込んでしまえば、リスクなんてものに目を向けない。言ってしまえば超めんどくさがりで、最小の労力で効果をあげたいという欲求が人よりも強いのだと思う。だから自分にとってやる意義を感じられないものに対してはトコトンやらないし、それで怒られるし、文句も言われる。それでもなぜかこの変わらない悪習を変えようという気になれない。流石にそろそろどうにかしたいとは思いながらも。


あいにく僕はホッとしている。どんなに非日常を期待していたとしても、日常の延長に描いた自分の人生からズレることなく生活を送れることへの吸引力は僕が思っているよりも強いものだ。それが安定と呼ばれるものであるかはわからないけど。

思ったよりも僕は自分の意志で自分の人生を切り拓いていないのかもしれない。そういう意味で、結局何が起きたとしても僕はその生活範囲に限定された思考をし、その限定的な生活範囲から出ようとするようなことはわざわざしないらしいことがわかってきた。だから少なくとも起きたこと、この生活範囲においては最善解を出すことに腐心していくべきだ。

あるいはそろそろ自分を崖から突き落とすような勇気を持つべきなのかもしれない。もしかしたら崖から突き落とされたとしてもケロッとした顔で「なんとかなったわ」とか言ってるのかもしれない。
結局、どっかでそうしないといけないことは薄々わかってきている。それが明日であるか、5年後であるかの違いにどれだけ差があるのかはわからない。ただ、まずはそれがいつになるかについて答えを出す必要があることだけはわかってきている。

 

自己超越的な試みは自己破壊という痛みを伴う

最近自分の考えていることがみんなとズレ始めているような気がしてさみしいのと、いつからどうしてどう変わってしまったのかっていうのをまとめておきたくなったので書いていきます。ベースとなる考え方は変わっていないと思うんだけど、自分を含めた人間をあんまり信用しなくなったようなそんな気持ちです。

 

最近の変化①かなり駄々こねてバイトはじめました。

銀座にいます。刺激的な同期に触発されて楽しいです。適当にランチでも行きましょう。

 

最近の変化②大学終わりました。

単位取れてれば無事に卒業できると思うのですが、問題は学費が払えなさそうでちょっと困っているっていうのがあって、節約生活なうです。

4年生の最終学期に履修をミスって選択必修科目を4/12しか取っていないっていう悲しい事態が起き、同期に「やーい1単位落として留年BBAww」と言ってた自分に大ブーメランが刺さりました。頑張って8単位履修しました。日本政治史と政治学説史と、メディアと世論っていう政治学科っぽい授業だったのですが、大変興味深く授業を受けることができてハッピーでした。特に政治学説史はイチオシで、日本政治史もすげー面白くて、メディアと世論も考え方がダイナミックに変わったし、、、この辺は語りだすとキリがないのであれだけど。

あとは語学と卒論なんだけど、フランス語が致命的に不安です。死にたい。
言語と関するモノがことごとく苦手な理由について誰か教えて欲しい。railsとか・・

 

最近の変化③卒論書いてみました。

前回のブログに簡易版が載っていますが、基本的にみたいと言ってくれれば喜んで送っているので感想とかくれると嬉しいです。

 

 

 

最近考えていること

結論から言えば、最近の自分のやりたいことっていうのは、人間行動の科学的な実証を明らかにした上で、新しい労働の在り方を生み出していきたいということです。
なので、ポジティブ心理学進化心理学はイチオシの学問領域なんですけど、ここらへんって日本語の文献が中々なくて困っているって感じなので、面白い本があれば紹介してほしいです。

 

 

 

考えてみれば、村上春樹エルサレムで壁と卵のスピーチを披露してから、僕も卵の側に立ちたいと思い、ずっと「なんか出来ることないかな〜」と思い続けてきたわけです。社会というシステムを僕たち人類の手によって生み出しておきながら、そのシステムがかえって人々を苦しめてしまっている。僕の考える根本的な立場はまさに共産党宣言であり、革命的であったわけです。

ところが今の自分が考えていることというのは、どちらかというと人間に対する諦念の方が強く、福祉は新陳代謝を悪化させることもあるという学習から、救済が必ずしも善いことではないことを実感してきた。良かれと思うことが実は退廃を招いてしまうことに対して慎重になり始めた。そういう変化があったのです。

今までは「そうはいっても搾取はよくないだろう」というふうに思っていましたが、最近は「いうて僕も自己複製子のうちのひとつであり、自分というのは壮大な人類の自己拡張的な試みのうちのひとつにすぎない」ことへの諦めを感じずにはいられません。では、この感情的な反応はなんなのか。それは根源的には資本階級へのルサンチマンであり、身分不相応に対する不平でしかなかった。となると、「民主政は衆愚政だから、人類に民主主義はまだはやい」と言っていた自分に大ブーメランが返ってくるわけです。悲しい。

だから僕は、このブーメランを回避してみたい。出来ることなら、人間としての自分を構築することによって、脱構築したい。

 

人間について僕が思うこと 

人間が人間らしいと言われる時、それは伝統的な行為の発露によるところにあると僕は思うのです。根源的な欲求、例えば食事、睡眠、性

こうした欲求に忠実であることは人間らしいと言われています。
感情的な人々のことを「あの人は人間味があるよね〜」などと言うことは多いでしょう。感情の起伏のないひとを「サイボーグみたいな人」と言ったりもしますよね。
ここで言われる人間らしさというのは、生物学的に普遍であるということですから、動物的であるとも言えるわけです。
となると、人間が人間らしくあると一般的に思われている事物というのは、実は動物的であるということになります。だとすると、人間らしいというのはもともとは脱生物学的であり、超動物的な行為のみが人間を人間たらしめるはずだったにも関わらず、人々は喜々として動物たろうとするわけです。 

これは僕からするとチャンチャラおかしい話です。人間らしいというのは、欲求を理性でもって抑制できるところにあったはずです。人類が資本主義という生産様式を生み出した際にも、ウェーバーによればその精神の根源はプロテスタント的な禁欲に美徳がありました。しかし実態はそうではなかった。

どうしてこのような事態になってしまったのか。可能性としてありえるのは、人間が自制できないことへの正当化なのではないか。つまり自己利益の最大化を正当化がしたかったのではないか。自己利益は広義に用いられます。経済活動も含まれるでしょうし、社会的な地位や立場を獲得するといった欲求も含まれるでしょう。
こうした行動原理を人間らしい行動と呼ぶことによって正当化を試みた。しかしそうすることによって動物らしさと紐付いてしまった。 これでは、人類の不完全さを許容していくことが善いとされてしまう。おそらく、それでは社会は退廃する。進歩というのは常に、自然→不自然の方向へ流れていくものだからです。

 

 

人類とテクノロジーの話

人類は、人類の持てる能力が他の種よりも劣っていたからこそ、運動能力を外化することで生存確率をあげようとしたといって良いでしょう。力がなかったから落ちている石を投げるようになったり、木の棒で殴ったり、殺傷能力を上げる為に尖らせたりしたわけです。

人間能力の外化作用の結果として生み出された生産物がテクノロジーだとしたら、人間は自己能力を拡張するためにテクノロジーを生み出し、テクノロジーによって自らを進歩させてきた種だと言うことができます。

だとした場合、人類の進歩的な生活行動は、テクノロジーによって自らを進歩せしめんとする点に尽きます。今の人類はインターネットを活用することによって溢れんばかりの情報を仮想空間に外化し、保存することが可能になったわけです。僕たちはその引き出しを自由に活用しながら、日々進歩しているとします。

狩猟採集民族の生活行動が自然的であるとするならば、テクノロジーを活用した行動原理というのは、不自然的な動きをしているといえます。

さきほども言ったとおり、伝統的な生活行動は動物的です。一方で、進歩的な生活行動は人間的なわけです。つまり進歩とは常に自然からの超越に向いている。自然的な生活行動から不自然的な生活行動へ変異していくことになります。


人間社会も自然的な状態から不自然的な状態へ進歩してきました。近代国家の成立はまさに不自然的な状態なのです。
しかし、資本主義の生産様式は、自然的な生活行動、つまり自己利益の最大化を正当化している。
自然→不自然の方向が進歩であるならば、
自己利益の最大化は自然→自然、もしくは不自然→自然の流れとなります。
これは長期的にみて、異常が起きることになる。ではどうしたら良いか。

 

自己超越=私欲の否定が生きる意味となるとき

人類の進歩的な行動が人類の伝統的な行動への逆行だとしたら、理性はその逆行にあたります。
僕はまさに、だからこそ、人間という枠内を理性でもって超越してみたい。ニーチェのいう超人に向かう道を選択したいと思うようになりました。

 

夏目漱石は近代人類の本質的な性向であるエゴイズムを描き、大衆化することを目指していました。人間行動の原理を追求したとも言える作家ですから、僕はそういう意味で好きなわけですが、100年前(もっと言えば2000年前くらいから始まっていますが)に人間行動の構築が始まって、現在は自然科学がその実証を果たすところまでやってきています。

 

政治哲学の系譜がプラトンに始まるものだとした場合、ようやく政治の根本的な課題である権力の集中と腐敗という問題が、哲人王の出現によって解決可能になるかもしれない未来が近づいてきている。
僕という自己複製子の一部が、人類の構築と脱構築を通じて超越的な存在になれるかどうか。生きる理由というのはまさにこの一点にある。

 

おそらく僕は19の時から生に執着がありません。だからいつ死んでもいいと思っているのですが、しかしそれでは未練が残る。それは結局のところ感情機能の発露でしかないかもしれないんだから、理性で克服するならば未練など関係無しに死んだほうが良いです。だけど、「そこに問題があることを知っておきながら、お前はなにもしないのか」という僕の根源的な生き方を否定することになる。
「もしお前がそれに取り組まないのであれば、お前は今すぐ死んだって良いだろう。」
「今死なないことを選択している限り、お前はお前の思う問題に対して何かしらの行動をとるべきだ。」
この生き方でさえも、結局は未練という感情でしかないかもしれない。
となった時、僕を含め、人類の理性獲得はどこまで可能なのか。克服できていないからこそ、自分という自己複製子を使って壮大な実験を試みる。それは僕の生き方にフィットしているわけです。

理性は私欲の否定を可能とします。それは公益主義に発展します。

人類の自己利益の否定が可能なのか。もし僕がそれを全うすることができたら、まだ人類に希望はあるかもしれない。
これが人類に対し諦めた僕が生きる唯一の理由になりそうだ、というわけです。

 

人間というのは経験の奴隷であって環境に服従しています。
ではそこから自由になるにはどうしたらいいか。
この自由の有限性に自覚的でありながら、自己のあり方を模索していくこと。それが今の自分の答えです。

 

自分のあり方を模索していくというのは、比較検討を通して根拠を探り続けるということでしょう。しかし問いというのは最終的には無根拠に到達します。そこに自分のこだわりが現れる。感情機能です。
そのこだわり(感情機能)を取り出して、比較の段に上げることで、自己客観視ができる。こうして絶えず比較を繰り返していく生き方は超人への段階的な試みであるし、僕はそういう人を信頼できる人間であるとみなします。

 

 

同期の哲学人とこんな話をしていました。もし僕たちが永劫回帰していることに気づけないとしたら。生きる意味と言うのはまさに偶然的な非意味的形態に過ぎません。だとした場合、虚無に陥る生を選択するか、生を肯定する生き方を選択するか。そこにおいては僕たちの自由が存在しえます。

 

僕は、生を肯定する生き方を選択することにしました。僕は経験の奴隷であり、環境に依存した存在であることを認めながら、その要因を分析し、選択可能性を広げ、その中でも現存社会の課題を本質を明らかにし、実証主義的な解決を国家単位で実現するという歴史的な偉人の系譜を継承するという使命を選び、全うしようとすることにしました。

今はとてもいい時代です。思考実験でしか問題解決の方向性を示せなかった偉人たちは、今の時代をとてもうらやましく思うでしょう。

だからこそ、彼らが築きあげたこの豊かさの恩恵を被っている限りにおいて、偉人の歴史的な功績を後世へ繋ぐ歯車のひとつとなることを積極的に選択してみようと思うのです。

 

 

 

共産資本主義の合流

ようやく卒論がほぼほぼ完成した感じになってきたので、1年かけて自分が何を明らかにしたくて、何を言いたかったのかについて書いていきたいと思います。
以前のブログでも書いてたんですけど、もうちょいわかること増えました。

abhiniveza.hatenablog.com

 

この時の僕は「うわー資本主義に敗北したわーこれもう正しいわあ無理だわぁ」
ってなってました。暫定解として「社会的富の総生産量をテクノロジーによって増やしましょうがまあ正しいよね」っていう風に思ってたんですけど、「じゃあどうしてそういう風に言えるの?」っていうところが実はぽっかりと抜けてて、自分的にもそれで納得してもいいんだけどなんか腑に落ちねーなってなってたので、その後もずっと考えてたんですよね。
それと、この時の自分にとってじゃあ何のためにそれを突き止めたいかっていったら、「これから社会人になるにあたって"俺なんで働いてるんだっけ?"って思ったらダメな気がする」っていう危機感がずっとあって、それをなんとかして「僕このコンパス持ってるからブレません」になりたかった。とりあえずまあ技術革新に貢献してればそこそこハッピーになるなって思ってたんですけど、考えたらきりがないんですよね。「じゃあなんで日本はマイナス成長になったの?」とか「アベノミクスはうまくいったと言えるの?」とか、「成長ってなんなの?」とか「ぎじゅつかくしんってなんなの?」とかfぁfぁkjdf;jヵ

 


んで最近でた結論として、「あ、こうだわ、このまま行くとこうなるわ」っていうのがわかってきました。それが共産資本主義の合流です。

つまり、僕が最も言いたいのは「資本主義が成功すると同時にその社会は共産主義みたいになってるよね」
っていうことなんです。
これだけいって「あーね!それな!」ってなる人と「ばーかこの観点抜けてんだろ」ってなる人には多分僕の記事あんま価値がないと思うんですけど
経済成長ってなに? くらいの人には価値があるんじゃないかなと思ったので書いてみたいと思います。

あと、「みんなわかってないよね〜」ということをわかることってすげええええ大事だと思います。日本政治史を専門?にしてる大学の先生に「経世会の総理大臣ってみんな悲惨な感じになってますけどそれって陰謀的なアレが本当にあったんですか?」って聞いてみたんですけど「わっかんないよね。本当なのか笑」って言ってたんでまあみんなわかってないし、経済成長がなんでしなくなったのかとかも意外と専門家も「まあ多分こうだと思うけど本当かどうかはわっかんねーな?」ってなってるんで、やっぱみんなわかってないっていうのが持論です。





前置きはこんな感じで、以下要点を纏めていきます。
全部僕の意見なのでそうじゃないというところもあると思うんですがこんな感じです。

・資本主義の問題点は格差拡大や貧困というよりもむしろ、公正な競争と倫理観のある経済活動が出来ていないこと

・資本主義が現状最善な理由は経済成長の効率が最も良いから

・現行体制は実は混合経済体制

・経済成長の停滞理由は人口動態もあるけど規制(政府の介入とか)によって首を締めていることが理由と考える人達がいる

・自由市場化したらいけない市場はあるだろう

・資本主義に公正な競争は原理的にほぼ無理

・資本主義の成功には欲求の充足が必要

・共産資本主義化する未来は存在する


資本主義の問題点は格差拡大や貧困というよりもむしろ、公正な競争と倫理観のある経済活動が出来ていないこと

 

資本主義ってなに?っていわれると「う〜んなんだろう」って僕もなるんですけど、一番理解しなきゃいけないことは「資本主義は生産様式のひとつである」ということなんじゃないかなと思います。生産様式というのは、モノを効率的に生み出す仕組み、と考えたらわかりやすいと思います。その前提の上で、「労働者の剰余利益を資本として自己増殖していく仕組み」というのがいいんじゃないかなと思います。
剰余利益っていうのは僕達が雇われて働いてるとき(労働者)に実際に生み出した価値の何割かを雇い主(資本家)に奪われているアレです。
僕が1個100円のりんごを一日で100個つくってもし全部売れたら10000円になります。
この10000円は丸々僕の手元にはいるわけではないです。いいとこ1000円くらいの時代もあれば5000円の時代もあります。ビジネスモデルにもよるんであれなんですが、つまり、自分が働かずにお金と人を動かすことによって利益を得て、その利益をまた動かすことによってお金を儲けていくやり方でいこうねっていうのを資本主義って呼んでます。
もっといえば「あなたにはあなたが生まれたときから有している権利があるので、もしあなたが何かを欲しいと思ったらそれをあなたの財産として認めますよ」っていうのを相互承認している社会でもあるということです。この思想にもとづいてアダム・スミスパイセンが言ってるような市場原理を導入してます。市場原理っていうのは「人々が好き勝手商売したら受容と供給を満たすように勝手に人々が動くように出来てるからほっといていいんだよね。」っていうやつです。神の見えざる手が人々を動かしているっていうアレです。こういう考え方を自由主義って言います。
資本主義は自由主義と仲が良いので、よく曖昧になりがちです。資本主義は生産様式であるのに対し、自由主義はルール・約束に近いです。

なんでじゃあ今どこの国でも大抵資本主義を導入しているかっていうと、これは諸説あるし言ってしまえば資本主義陣営が社会主義陣営に勝ったって話なんですけど笑
なんで勝ったの?ってなったら経済成長の効率が社会主義国よりも良かったからだと僕は思ってます。なにがあったかは正直まだ僕にはわからないけど、一般的には社会主義国の自滅と言われています。
社会主義っていうのはどういう生産様式かというと(社会主義は経済体制であり生産様式であるし、自由主義のようなルール・約束でもあると僕は考えてます)大きく2つのポイントがあります。それが
私有財産の否定計画経済体制です

私有財産の否定というのは、いまから大体100年前くらいにマルクスエンゲルスっていうおっさんたちが「資本主義を導入したせいで格差が生じるわ。労働者は奴隷のように扱われるわ、こんなんハッピーな社会じゃない!労働者はもっと抵抗しないと!」「人間がなんでハッピーにならないかっていったらブルジョワジーが富を独占しているからや!ハッピーな社会っていうのはみんなが平等で富の偏りのない状態なんだ!」
みたいなことを言ってたらみんなが「いやーほんそれな!」「ほんとマルクスパイセンの言うとおりだわおれらでこれ実現しね?」っていって制度化したんですね。
つまり、「お前のものはみんなのものだぜ」っていうのを中央政府が管理して、均等に分配したら、みんな平等でしょ?
っていう考え方です。

計画経済っていうのは「モノを生み出すのに市場原理に頼るよりおれらが管理して動かしたほうが安定するよね」ということで、「食料はこれくらいつくってね、衣服はこれくらい、家はこんなくらい」みたいなことを政府で決めて働いてもらうんですね。
それで「Aさんの給料はいくらいくらで、Bさんの給料もいくらいくらです」っていって感じで働いてもらうんですね。

まあ、みなさんのお察しの通りうまくいきません。だいたいみんなサボります。
でも「社会主義って頑張った分だけ報われないからダメだよね〜」ってだけだと2点くらいしかもらえないと思います。社会主義がどうしてだめだったのかの本当の理由は「独裁」だと思います。


政治権力っていうのは長い間維持することってすごい難しいんです。歴史上では大まかに民主政・貴族政・君主政の3つの政体があったんですけど、どれも大体うまくいきません。なんでうまくいかないのかっていったら、権力の集中と腐敗が起こるからです。

あんだけ「平等の社会を実現すんぜ!」って言ってた政治リーダーたちは実は、こっそり莫大なお金を儲けていました。
これはほんとダメですね。ソ連でいうとオリガルヒ(政治学科ならダールのオリガーキーを知ってるはずですそういうアレです)っていう新興財閥について調べるといっぱいでてきて楽しいです。
んで、このオリガルヒたちがまあ、自分達の思い通りにしようといろいろ画策してるんですね。規制を強めたり、自分達に都合のいいルールを敷いたりしちゃいます。
となるとまあ、みんなおこりますよね。ばかやろー!ですよ。
そこで出てきたのがプーチンなんですけど、ちょっと話が長くなるのでプーチンについては調べてみてください。参考でいうと、

blog.livedoor.jp

これが最高でした。
簡単に結論を言えば、社会主義っていうのはうまく経済成長できなくてみんな貧しくなって爆死したんですね。でも一方で人類初有人宇宙飛行に成功したのはソ連ですし、世界で一番深い穴を掘ったのもソ連で、実は技術力は凄い高かったんです。まあそれもなんでそんなことできるかっていったら政府の権限がとてつもなく大きかったからという話なんですが。

というわけでこんな感じのロジックで資本主義が現状最善な理由は経済成長の効率が最も良いから
ということになってるのが現状です。
ただ、ぶっちゃけると社会主義は経済成長するに相応しい生産様式ではなかったよねっていうのが僕の持論なんです。

つまり簡単に言えば、
資本主義=豊かになるけど徳のない社会
社会主義=貧しいけど徳のある社会
のどっちを選択するか、の話だったはずなんです。だから社会主義に近い一部の国では国民の幸福度が高かったりします。あと江戸時代とかもかなり社会主義に近い感じあります。なんだけど、社会主義は貧しくて徳のない社会になっちゃった

社会主義がそうなっちゃうんだったらまあ、人間って本当にダメだよねぇ、だったら、まずは豊かになろうじゃん?」
っていうのが資本主義だと認識してオッケーだと思います。

豊かになることが第一目標だから、経済成長が必要になるということです。

じゃあ豊かになるってどういうことやねん?経済成長ってなにをもって経済成長っていうねん?

って話になるんですけど、これはもう一言でいえば「生産性の向上」です。
言い換えると「技術革新」となります。

生産性の向上というのは、僕が今年りんごを一日100個つくったとしたら、来年は120個作れるようになる。ということです。虫の除去の仕方とか、水のやり方とか、「なんかこうしたらもっとうまく言ったかも〜」を改善することによって僕達の技能が上がるわけですね。すると同じコストで20個余分に作れるじゃないですか。20個余分に作れたら1個あたりの値段も下げられるし、より多くの人にりんごを食べてもらえます。そうするとより多くの人がハッピーになります。
これが大雑把にいえばGDPが上がるということで、去年より豊かになったね!ということになるんです。
「経済成長のためには外貨を稼がないといけないよねぇ」っていうのもよくある話だと思うんですけど、それだと△なんですよね。なんでかっていうと、輸出入を繰り返しているだけだと生産物増えないんですよね。だから重商主義は批判されたんです。
簡単に言えば
Aさんがりんごを100個もってて、Bさんがパイナッポーを100個もってたとして
Aさんはりんごを100個渡すけど、Bさんは80個しか渡さない。
そうするとAさんは20損をして、Bさんは20得をするわけです。
これはたしかに「やったー日本は豊かになった!」だし、そういえばそうなんですけど、社会全体の富の総量が変わらないから、日本が得した分だけ損をする国がでてきちゃうわけです。だから貿易っていうのはなるべく輸出入のバランスが取れるようにしないと「お前の国だけ儲かってるのだめだぞ!」っていわれて車とか壊されちゃうわけです。
この仕組みを回すのがとにかく上手だったのが資本主義の経済体制というわけです。なんでかっていったら「頑張った分だけハッピーになるから」ということになります。

なんだけど、結局人間には能力の差っていうのがあって、お互いに競争しあってより良いものを作ろうぜっていうルールだと圧倒的に勝つやつと圧倒的に負けるやつが出てきます。これが経済格差ですね。
圧倒的に勝てるやつはとにかく頭がいいから、どうしたら出し抜けるかがわかるわけです。そうなると「いやそれはおまえやったらダメだろ!」みたいなことでも「いやでもこれやるとめっちゃ儲かるんやで」っていう事態が起きてくる。

リーマンショックは何が起きたのかっていうと社会的信用のない人でも家を買えるようなローンを作ってめちゃくちゃ売ったんです。
社会的信用がないっていうのは、「こいつにお金貸しても返ってくるかわかんねーな?」って状態のことです。つまり「この人の所得だと多分ローン組んでもお金支払えないよねえ」って人たちなんですけど、この人達にとにかく売った。証券も売った。

その結果としてリーマン・ブラザーズの株価が暴落して経営破綻になっちゃったんですね。詳しい流れは僕もよくわかってないんですけど、簡単にいえば

金融機関「家のローンはらってください〜」
1さん~10000さん「いやちょっと今月はきついっす」
金融機関「ちょwお金戻ってこないから会社経営できねえw」
投資家「あれ、この会社の経営ちょっとやばくね?今のうち株売却しといたろ!」
って流れだと思います。

よくよく考えてみたら「いやそんなことすんなよ・・・」みたいなことなんですけど、未然に防ぐのはまあ無理です。明日もしかしたら競合のD社がきわどい手を使ってくるかもしれない・・・ってなったら囚人のジレンマみたいになります。どっかがキュレーションサイトを大量生産したらうちもそうしないと負けちゃうわけです。負けちゃったら株主に「おまえんとこもうお金だしてやらねえ」ということになっちゃいます。というわけで資本主義に公正な競争は原理的にほぼ無理ということになります。

これはかなり言い換えると
「資本主義に公正な競争と適切な倫理観が備わっていたら、最強」
ということになります。ワールドカップみたいにしたらいいと僕は思うんですけどね。


富の再分配の話も、資本主義にどう倫理観を備えるか、という問題と言って良いでしょう。公正な競争をしても圧倒的に勝てるやつがいっぱいいるってなると、問題は変わらないですよね。そこで「ほんと申し訳ないんだけどみんなの為にちょっとお金わけてくれないですか?」っていう方式を取るのが現状最善なんじゃない?って言われてるんですけど、これもタックスヘイブンとかをみれば「多分うまくいってない」ってことになると思います。ピケティは「お金が国境またぐときに税金かけようぜ」って言っててビル・ゲイツは「いやそれだとちゃんと使えるやつのお金まで(ちゃんと使えないと思ってる)政府の財源になるやん、それだったら累進消費税にした方がよくない?」って言ってて、どうしたらいいのかは多分まだ結論でてないと思います。資本主義の格差拡大に関してはどうやって再分配するのが良さそうか、っていうのを知の巨匠がしっこたま考えてる最中ということになります。

ちなみにベーシック・インカム(BI)が世の中を賑わせていると思うんですけど、あれはリバタリアン(自由至上主義)の思想なんじゃないか?って僕は思ってます。なんでかっていうと、BIの出発点っていうのは「いろいろ税制生まれて複雑になっちゃって、何がどうなってんのかわっかんね〜よ」「これ管理楽にしたらもっと効率よくお金回せるんじゃね?」って感じです。
これはつまり「政府の機能を縮小すること」を目指しているのではないか?
とも言えるわけですね。自由至上主義の立場というのは「市場原理が不活性化しているのは政府の余計な介入と規制があるからだ!」「全部市場に任せたらうまくいくから余計なことすんなよ!」っていう古典派経済学の流れを脈々と継いでいるというか「神の見えざる手」をめちゃくちゃ信望してますね笑

僕はどの立場かというと、

①目指す所は共産主義
②現実的には経済成長重視
なので自由放任に対しては一部賛成で一部反対でどちらかというと結構反対です。
なので折衷案として、「政府が守るべき市場は政府が守りましょう」「基本方針は規制緩和」「じゃあどこなら自由放任がよくてどこは政府が守ったほうがいいんだっけ?」っていうのを考えていくのが大事だよねっていう風に思ってます。自由市場化したらいけない市場はあるだろうということです。
自由至上主義って格差広がっちゃうんですよ。強者の論理なんですよね。経済成長の停滞理由は人口動態もあるけど規制(政府の介入とか)によって首を締めていることが理由と考える人達がいるというのはリバタリアンのことです。僕は日本人なのでコミュニタリアン寄りだと思っています。

 


現行体制は実は混合経済体制

資本主義VS社会主義っていって、資本主義勝ったから日本は資本主義〜
ってなると思ったら実はそうではないのが面白いところで、
ほとんどの資本主義体制の国家は混合経済体制です。
混合経済体制っていうのは、「市場原理だけにまかせたらなんかうまくいかねーよ。独占する企業でてくるし、倒産した企業立ち直らせないとまじやべえし、負の外部性は起こるし、公共財はどうすんだし、宇宙人くるかもだし、みんながみんなホモ・エコノミクスじゃね〜し」ってなったので「じゃあ政府がなんとかしないとだよねえ」ということで金融緩和をしたりお札刷ったりしてちょっとインフレさせたりするのをやってみるっていうわけですね。市場の失敗に対処する必要があったわけです。
経済政策っていうのは計画経済の孫みたいなもんで、社会主義のいいところと資本主義のいいところをハイブリッドした体制を敷いているのが今
って感じです。
ぶっちゃけいいとこどりって今のところ最強です。共和制とかもハイブリッドなんですけど最強です。間接民主主義もハイブリッドなので最強です。ハイブリッドは最強ということを覚えておくと良いと思います。ただ最強っていっても現存体制の中で最強なだけでダメなところもいっぱいあります

 

 

共同体主義が日本らしくていいよ

僕は日本人なのでコミュニタリアン寄りなんですけど、コミュニタリアンっていうのは共同体主義と訳されてます。
自由っていうのは言ってしまえば個人主義なんです。
「俺に構わないでくれよ、おれも構わないから」だから「お互い自由を尊重してるんだからお前が今お金なくてもそれはお前のせいだろう」
になっちゃうんですね。これ、日本人には合ってないんです。日本人っていうのは和を持って尊しとなしですから、みんなに合わせて生きたいわけです。空気を読みたい。
今の日本人の承認欲がお化けになっててTwitterでは日常的に炎上してるしインスタにはアレだしアレなのは自由=個人主義思想が戦後注入されて人々がバラバラになっちゃったからだと思ってるんですよね。
昔の日本はわりと地域社会で、連帯してたんです。助け合って生きてた。
家にはおばあちゃんおじいちゃんいたし、おにいちゃんの家族も一緒に暮らしてるみたいな、サザエさんみたいな社会だったわけです。
ところが日本は工業化して核家族化が進んで、地域社会も分断されて、人々の所属場所がどんどんなくなっていった。
終身雇用とか年功序列っていった制度も、日本人らしいなって思っていて、所属・連帯の先が企業になっていったんですね。
でも今の日本って、終身雇用制度が崩壊して、中途採用とかも増えたし、非正規雇用が増えて、結果として「自分がどこに所属しているのかわからない」人が大量にでてきちゃった。

そうなるとみんなひねくれちゃう。自分の存在を認めてほしいですから、ちょっと攻撃的になっちゃう。
これが今の日本の現状なんじゃないかなーと僕は思っています。


だからこそ今の日本には地域性というか、連帯が必要だなって思っているし、
会社以外の居場所が必要なんだろうなっていう風に思っているし、
それこそシェアハウスが大ブームしているのも、新しいコミュニティの成立を人々が求めている証拠なんだろうなって思っているわけです。

ただ、共同体主義も自由が好きな人からするとちょっと窮屈です。
共同体の中で生活するためには、みんながちょっとずつ我慢することを強いてしまうからです。
ちょっと我慢することを強いるのが共同体主義だとしたら、
日本人が出る杭を打ちたがるのは「俺がこんなに我慢してるんだからお前もちょっとは我慢しろ」
って潜在的に思っているのかもしれないですよね。


あと共同体主義の致命的なポイントは、自由主義ほど市場原理が働かない
っていうところだと思います。だから今専門家は「お金以外のインセンティブってなんかないんだっけ?」っていうのを科学的に探っている段階になっている。というわけです。ポジティブ心理学ですね。the science of happinessっていう学問があるらしい。

この辺は不勉強だからこれから勉強していくとして・・・・



共産資本主義化する未来は存在する

僕が一番いいたかったのここなんです。

共産主義思想は元々人類の理想を示したものだと僕は思っています。人々は社会主義国という苦い思い出を痛感しているから、共産主義思想は権力の独裁と労働者の意欲を低下させる最悪の政体のひとつなんじゃないかと思われている気がするんですけど、

強引な共産主義国を実現した結果として、社会主義国家が誕生し、全体主義思想を強制させる結果となってしまった。

のがボトルネックだと思います。
じゃあどうしたらうまくいったのか。
僕は必要な富(=技術革新によって生み出された生産物)の生産量が充足したらうまくいくと思っています。

例えば

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 人間が政治を行った場合、権力の集中と腐敗が起きてしまうことが不可避であるならば、人間が正しく政治を行うことは不可能である。この立場に立つとするならば、AIというリヴァイアサンを生み出し、すべての人民が社会契約を行うことで理想的な社会に到達することが最も善いということになるだろう。そのような社会が仮に成立した場合、政府の存在は最小化されるか、もしくは最大化される。

 限界費用がゼロの社会ではもはや財産の所有に価値が置かれなくなる。富の価値は希少性によって決定されるものであるとするならば、富の総生産量が無限に限りなく近づいた社会では富の私的所有にもはや意味がなくなる。

 共有型経済や複合社会といったように、公益を尊重した徳のある社会が実現された場合、それはある種共通した思想を持つということになる。自己利益の追求という利己主義が現代の共通思想であるように、公益の追求が生産様式となる社会では、倫理観や道徳性がなによりも重視される。

  • 高度な分業化

 人々はテクノロジーの進歩により、専門が分岐し、より複雑な分業を敷くことになる。人々は自身の潜在能力を理解しており、自己実現の為に自らの才能を最大化する術を知っている。その為お互いの能力や職能に対し尊厳が生まれている。また、雇用の概念は溶け、人々は人に雇われる必要がない。

  • 知性の獲得

教育の効率が最大化された社会では人々は人々の持ちうる知識に差がなくなる。理性的な判断が可能となっており、理想的な直接民主主義が実現可能である。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

簡単に言えば、
「限界費用がゼロに限り無く近づいたら所有の概念溶けるよね〜」
「そんな社会が実現したら私有財産とか価値なくなるよね〜」
「そしたら人々って共産主義思想を持つようになるんじゃないの〜?」

って感じです。
限界費用ゼロ社会からかなりインスピレーションうけてます。

www.amazon.co.jp

 

皮肉にも、資本主義は成功と共に新しい時代の幕開けを迎えることになります。それが忌み嫌っていた共産主義の時代なんじゃないか。
ということなんです。

もし共産主義と資本主義が手を取り合うような時代が僕の生きているうちに訪れるのであれば、それほど楽しいことはねーなっていうのが最近の夢です。

「じゃあこれを実現するために、政治機構が腐敗する前に技術革新してなんとか資本主義を成功させるのが現代人の役割だよね〜」

が僕の目指す所となりました。

肌感なんですけど、次の政治的な支配者に徳がなかったら多分もう人類の敗北なんじゃないかなと。そう考えると僕たちは人類史上最大の激動時代にこれから突入していく可能性があるわけです。そう考えると結構楽しいです。

僕たちにはテクノロジーを人類の反映と幸福に向けて適切に使えるだけの徳が必要とされているのではないか。
そうなってくると、もっともっと哲学をして人類はどうあるべきなのか〜っていうのを
多分みんなで考えないといけないんだろうなって言うふうに思います。

直近でやんなきゃいけないことは人々の欲求を充足させること。
マズローの5段階でいうところの自己実現者をテクノロジーを活用してなんとか増やす
ってところになると思うので、
やっぱマルクス好きだし労働者の立場からなんかできることないかな〜っていうのをぼけぼけ考えていきたいと思います。


卒論をギリギリで書き上げて「共産資本主義っていう新しい概念あるじゃん!」
って気づいたんですよね。「これまじでフィジビリ研究したらおもしろいことになるんじゃね?」「てかむしろそのフィジビリを卒論で書くべきだったのでは?」「いやでも学士の人間にそこまでできるキャパないよねw」ってなって終了したのですが、なんでもっとはやく到達しなかったのかっていって落ち込んでました。
とはいえ考えなきゃいけないこといっぱいあると思うので、社会人になってからもほそぼそと研究していけたらいいな〜って思います。


PS.本当はホッブズロックルソーあたりにも触れて書きたかったのですが、体力がなくて断念_(:3」∠)_

 

最後に参考文献載せて終わります。

 

トーマス・セドラチェク(2015)『善と悪の経済学―ギルガメシュ叙事詩、アニマルスピリット、ウォール街占拠』(村井章子訳)東洋経済

アマルティア・セン(1989)『合理的な愚か者―経済学=倫理学的探究』(大庭健川本隆史訳)勁草書房

カウシック・バズー(2016)『見えざる手をこえて:新しい経済学のために (叢書“制度を考える")』(栗林寛幸訳)NTT出版

橋本 努(2008)『経済倫理=あなたは、なに主義?』講談社

樋口 均(2016)『国家論―政策論的・財政学的アプローチ―』創成社

飯田 泰之(2014)『図解 ゼロからわかる経済政策 「今の日本」「これからの日本」が読める本 (ノンフィクション単行本)』角川書店

重田 園江(2010)『連帯の哲学 1 フランス社会連帯主義』勁草書房

ジェレミー・リフキン(2015)『限界費用ゼロ社会 <モノのインターネット>と共有型経済の台頭』(柴田裕之訳) NHK出版

ユヴァル・ノア・ハラリ(2016)『サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福』(柴田裕之訳)河出書房新社

エーリッヒ・フロム(1965)『自由からの逃走 新板』(日高 六郎訳) 東京創元社

 

 

佐藤航陽のブログ(最終閲覧日 2017/07/06)

http://katsuaki.co/?author=1

共同体主義の批判検討(最終閲覧日 2017/07/06)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/47/3/47_3_320/_pdf

混合経済体制論(最終閲覧日 2017/07/06)

http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170706194201.pdf?id=ART0008304808

カール・ポランニーの「複合社会」と国家の役割―福祉社会における公共性―(最終閲覧日 2017/07/06)

http://jshet.net/docs/conference/77th/kasai.pdf

nandoブログ(最終閲覧日 2017/07/06)

 http://nando.seesaa.net/article/155722930.html

Philosophy Guides(最終閲覧日 2017/07/06)

https://www.philosophyguides.org/

苫野一徳Blog(哲学・教育学名著紹介・解説)(最終閲覧日 2017/07/06)

https://ittokutomano.blogspot.jp/

内田樹の研究室(最終閲覧日 2017/07/06)

http://blog.tatsuru.com/

 


 

 

 

初恋の女の子が家の近くに越してきた

最近といってもおそらく2年くらい前から、家の近くに初恋の女の子が引っ越してきた。

彼女は社会人なので、通勤のために実家から通っている。僕の方は取りこぼした単位を拾う為に今期から真面目に1限に出席するようになって、そのおかげで朝の電車が同じになることがたまにある。今までは1限なんかにとてもじゃないけど出席することもなかったから、まさか1限に出ることで同じ電車のしかも同じ車両になることがあるなんて思いもしなかった。
確かに地元は一緒だったし、なんだったらどの辺に住んでいるのかも知っていたから、僕の最寄り駅にも自転車を使えば通えないこともない。彼女の大学が高田馬場から東西線で一駅のところだったから車両の一番後ろに乗ることを知っていて、僕の方は西武新宿で乗り換えて中央線に乗っているので、一号車に乗る。だから思いもしなかったっていうのはさすがに言いすぎかもしれない。ただ同じ車両になるというのはひどく窮屈だ。緊張しさえする。こちらとしては彼女の姿をこの目に収めておきたいのに、あの羞恥心が邪魔をしてしまう。職場が青山にあるというので大江戸線に乗りたいのだろう、彼女が中井で降りる気配を感じる。夏目漱石のこころをiPhoneにインストールしているkindleで読み直しているけど、様子が気になって内容がちっとも入ってこない。
こんなことになるなら、引っ越すとしても元の家から徒歩で15分くらいのところじゃなくて、もっとこう"シティ"な感じのところにしてくれたら良かったのに。パパが僕たちの地元を大変お気に召しているのだろうけど、大したもんはココにはない。ジョギング中の夫婦が「ヨーロッパに来たみたい」なんて言っていたのを聞いたことがあるけど、僕は地元に"ヨーロッパらしさ"を感じたことは一度もない。ヨーロッパらしいってしかもアフリカっぽいと同じレベル感なのがグッとくる。フランスもドイツもスイスもフィンランドも"ヨーロッパっぽい"のだろうか。日本はアジアっぽいのだろうか。


それにしたって彼女のほうだって気まずくないのか。もしかしたら彼女の方は全く気にしていないどころか、僕なんかに微塵も興味を感じていないのかもしれない。そうだとしても不都合だ。朝の通勤時間に小説やビジネス本を読むような彼女には東横線か、あるいは田園都市線がお似合いだと思う。青山の広告代理店でパリッとクリエイティブな仕事をしているのなら、意外と二子玉川や武蔵小杉なんかも良いかもしれない。トレンディがある。そんな彼女の住まいが閑静なローカル線の住宅街で僕の家から走って2分だなんて。


初恋の女の子が僕の通っている小学校に引っ越してきたのは4年生の時だ。
学芸会の準備で役を決める際に視聴覚室か何かに学年で集まる機会があって、僕はその時三組だったから、二組に転校してきたその子を見かけるのはそれがはじめてのことだった。僕は一目惚れをした。

控えめにいって、ものすごく可愛かった。もしかしたら可愛くないのかもしれないとかそういうことを思うことなんか一切ない。疑いのない可愛さ。とにかくものすごく可愛かった。広末涼子のような清涼感にしかしどこか影のある、もしかしたら深田恭子かもしれないようなミステリアスさ、とまではいかないけど、こう、幸の薄そうな、アンニュイな佇まい。目が合っているようでどこか僕よりも遠くを見ているようなそういう雰囲気のある女の子。きっと心臓に包帯を巻いているに違いない。
そんな少女の横顔を偶然にもあの場で拝んでしまったその日から、僕の好みの女性のタイプが確立してしまった。確実に言える。初恋というのは実に恐ろしいものだ。

僕は地元の公立中学に進学することを決めていたし、彼女が日◯研かどこかの塾に通っていてそれで女子中学校を受験するというのは友達から聞いていたから、中学に上がったらこの思いも終わってしまうんだなと思っていた。金輪際のお別れになるんだろうなって思った。なんでかわからないけど、また会えることを期待したお別れであったり、悲しさのようなものを感じないまま中学生になった。今思えば、そういう感情が終わってしまうということが当時の僕にはよくわからなかったのだと思う。小学生の頃の僕たちはただ誰が好きだ誰と両思いだとかそういう秘密を"バクリョー会"と名付けたなんだかよくわからないグループでこっそり共有しあって、それでその子と廊下ですれ違うたびに肘で突き合うといった交友関係を楽しんでいただけだったのかもしれない。一度も話したことのないにも関わらず、これは初恋なんだって確実に言えるそれは小学校卒業と共にお別れしたかのように見えた。

 

 

 



高校1年生のとき、僕たちの間で前略プロフィールが流行った。
僕もその当時ノリノリでプリクラをプロフィール写真に設定し、好きな異性のタイプのところに「幸薄い子」って書くくらいにはエンジョイしていた。
今でいうTwitterのようなタイムラインは「リアル」と呼ばれていて、幼稚園の同級生だったモデルの女の子は「りさのりある」とかいって人気を博していた。

「ぼくのりある」もささやかな人気を誇っていて、"ねっとりとした"自分語りとますだおかだの岡田のような芸風がウケて意外にもいろんな人に見てもらえていた。
ゲストブックというのが前略プロフの中の機能にあって、そこに知人がコメントを残すことが出来るようになっている。そのときに現れた nさんが話題になった。彼女は僕のゲストブック=足跡 にミルクキャラメルが欲しいと言った。
僕が高校にあまりいかず(行ってなかったことはしらないだろうけど)近くのコンビニでバイトをしていたことを彼女は知っていた。
彼女の言うミルクキャラメルがうちのお店にあるかどうかの話を聞かれて、多分あるとかいう適当な返信をしていたのを覚えている。そのうちみんなが僕とnさんのやりとりに興味を持つようになって、学校に行くと「あのn ってだれ!?ww」とか言われるようになった。 
僕とnさんとのやりとりが130件を越えたあたりで、nさんはバイト先に来た。

僕は度肝を抜いた。まさかこんなことがあるのだろうか。あの女の子だった。
バイト中にも関わらず連絡先をその場で交換した。夜勤のお兄さんと一緒に夕勤に入っていたのだけど、事情を説明したら怒られなかった。むしろ茶化された。
そこから僕たちは小学校を卒業してから今までの4年弱を埋めるかのようにメールをした。

当時の携帯は文字数制限というのがあり、1万字を越えると入力ができなくなるのだけど、僕たちは文字数いっぱいになるメールを1時間半かけて丹精に返信した。そりゃ50~100個にもなるトピックを全て覚えられるはずもないから、3つくらいの返信を書いたら下書きに保存して、次のトピックはどんなこと話していたかを確認して・・っていうのを繰り返す必要があった。内容で言えばニコ動が面白いとか、彼女は御三家クラスの女子校に通っていたので、自然とヲタい趣味を持ちやすいのだと思うけど(偏見)、時かけMADがあーだとか、あるいは東京事変だどうだとか、そういう話もした。彼女は軽音部で、家にはドラムセットが置いてあって、透明人間をコピーしたりしていたらしい。椎名林檎が好きな女の子だった。高校1年生にしては早熟しているという感想がある。

返信をするのは一苦労だった。でもそれが楽しかった。真面目なのかわからないけど、分岐した話題には全て返信したし、彼女も返信してくれた。そういう色恋を僕は純粋に楽しんだ。
 

 

次第に僕達の仲は縮まっていく。バイトから上がって、電話がかかってくる。僕はそれには返事をしない。その代わり、デートに誘う。


正直にいって、僕は彼女に対して劣等感があった。先程も言ったとおり、これは羞恥心なのだ。尊大な羞恥心と言っても良い。彼女は1時間半かかるメールをしながら、僕が必死に入力している時間に勉強をしている彼女に対して僕は恥ずかしい思いをしないでは居られなかった。大学入学に向けて自主的に勉強をしているような子だった。
僕は偏差値が50もない都立高校に進学して、あまつさえ学年ワースト10の人間だったから、そういう天上人の姿を目の当たりにして惨めな思いがした。

「勉強なんて、くだらない」
「どうせやったって役にたたない」
「学校の先生が馬鹿に見えて仕方がない」

僕はみんなが僕と同じようにそう思っているに違いないと思っていたから、ボイコットと言えるような授業態度を取ることもあったし、それがきっかけで停学になることもあった。そういう人間なのだ。そういう貧困家庭で文化資本微塵もない人間が彼女のような幸福に溢れる少女と関わるなんてこと、あってよかったのか。
僕は気持ちに応えたかった。けど、自分の無様な境遇を誰よりも理解していたからこそ、彼女の気持ちに応えることもなく、返信を止めてしまった。

「あの時いったこと、なかったことにしてください」

これが彼女から送られてきた最期の言葉だった。




僕が勉強に対してひどいコンプレックスを抱えていたのは、進学した環境へのミスマッチもあったけど、それよりも大きかったのはきっと彼女へのコンプレックスが勉強に向いていたからだと思っている。僕はそうやってここまでやってきたのだ。

幼馴染いわく、彼女はAO推薦で入学したらしい。
ものすごくモテるけど、性格が奇抜らしく、恋愛に発展することはそう多くなかったと聞いた。
彼女は3年生になって、イェール大学に1年間留学した。留学費用は親から借りて、社会人になったので、親に返していると言っていた。

 


彼女はきっと大学でケインズハイエクを勉強するような感じではなかっただろう。
きっとホロコーストに関心を持って西欧政治史を学ぼうとしたのだ。ハンナ・アーレントのようなそんなイメージがある。"アンシュルス"という響きが彼女を形容する。留学ではどんなことを学んだのだろう。

僕の方はどうだっただろうか。
見えない格差に悩まされないことはなかったし、この断層をどうにかして上り詰めてやろうと思った。もしかしたら届かなかったかもしれないし、もしかしたら届いたかもしれない。
でも、ある種の上流に来て思った。僕は平面的な世界しか見ていなかったことに気づいた。ここには奥行きがあって、階層が同じになったように見えても、生きる世界が交わることはないのだと。
彼女の生きてきた歴史を僕が覗くことが出来ないことが、たまらない不安となった。彼女の見える世界と僕の見える世界はブラウン管に映る「カサブランカ」と最新液晶で見る「君の名は」くらい違うに決まっている。僕はこれから出会う数々の人々に対し、僕と過ごすことのなかった埋めることの出来ない時間に苦しみから逃れることは出来ないというのか。僕にとっての特別に入り込む余地のないように、僕が彼ら彼女らの過去の特別に取って代わることのできないことを知ってしまった。世界の連続体は人によって異なる。見てきたもの、感じてきたもの、そこから学んだこと。それぞれがそれぞれの世界のかろうじて交わった範囲でしか交友出来ないのであれば、それほど虚しいことはない。



努力というのは貧しいものに必要とされるものであってほしい。
恵まれた家庭に生まれ、愛され、そうして社会になんの疑問を抱くことなく生きてきたのであれば、どうかそのまま幸せになってほしい。
社会人になって、通勤中にビジネス本を読んだり、コピーの勉強をする必要なんてきっとない。いつかきっと、おそらく今も付き合っているであろう彼氏や職場の人と結ばれて、2児の母になって、幸せになっていってほしい。
彼女のそれはエリートに他ならないではないか。もしそうであるならば、世界の溝はますます深まっていくことを受け入れなければならない。

彼女が政治経済学部に進学したように、僕も政治経済学を学んできた。
彼女が広告代理店に就職したように、僕も卒業したら広告を生業とするのだろう。
どこかで交わってもよかったはずの世界が、どんなに類似共通する点があっても交わることのないこの世界の片隅で僕はまことに勝手に息苦しさを感じている。

おそらく10月までに引っ越すことになるだろう。
僕が24年間生きてきた思い出深い地元を出た時、僕と彼女を結ぶ共通点がついに無くなる。
それは小学生のときにはわからなかった別れのような感情を僕に芽生えさせるのか。
あるいは僕の眼前を照らす原動力として、ずっとこころのどこかに仕舞われたまま生きていくことになるのだろうか。


 

1-1 理想の社会が存在する場合、それはどのような社会か

私たちの生きている社会では、常に何かしらの問題が発生している。人類が誕生してから今日に至るまで、その問題の本質は変わっていない。すなわち、人間関係における問題である。
社会における問題の全てを人間関係だけに置き換えてしまうのは些か難しいのではないかと思われるかもしれない。日本で言えば、地震や台風といった天災の被害を問題とすることもあるし、人類以外の動物との関係、病気や障害といった健康や生命に関わる問題も問題である。だがしかし、課題設定を”理想社会を達成する上でその障害となっているもの”という制約の上で考えていくこととすると、人類の病を克服することや、技術革新によって生産性があがり、食料危機を乗り越えるといったことは人類にとって共通の目標と呼べる。勿論、病気のない世界もまた理想の社会ではあるのだが、人類が理想の社会を実現できていない理由にはならないということだ。


人類が文明を持つようになってから5000年~10000年、もしかしたらそれよりももっと長い歴史があるかもしれない中で、なぜ人類は絶えず争いを繰り返してきたのか?個人から見て非常に長いと感じられるその期間の中で、どうして人類は理想社会の実現に至ることができなかったのか?そのような社会が実現していたらしいという証拠が単に見つかっていないだけなのかもしれないが、ある特定の期間において成功と言えるだけの社会を構築することは本当に出来なかったのか。あるいは出来たのか。


この問題を紐解いていくのは非常に難しい。なぜなら、その当時において成功したと言えたとしても、成功を持続することが非常に難しいからだ。
例えば専制君主制は君主が自由に権力を行使していた時代であり、その時代における権力の維持機能は他の政治形態と比較しても長い期間権力を維持してきた。しかし専制君主制における民衆の生活に幸福があったかと言われると難しく、自由を奪われ、労働を強いられるといった隷属が常であった。こうした人権を無視した政治権力は集中により腐敗し、民衆による革命により倒されるといったことを繰り返している。日本においても同様だ。長期に渡って権力を維持してきた江戸幕府も、権力の集中と監視、税制の緊縛化を通して各藩に武力を持たせないようコントロールしたし、百姓や武士の意見を取り入れ、合意形成を取ることによって政権の長期化を実現した。しかしながら結末は、外的要因にもよるとはいえ、黒船来航以来ほぼ鎖国した状態を貫いてきた幕府が開国を迫られるようになった。フランスやイギリスの財閥が藩に武器を与え、力をつけさせ、さらに薩長同盟を実現させ、強力な藩が力を合わせることによって幕府は大政奉還を余儀なくされた。
このように、政治機能の維持の観点でみればある期間においてこれほど成功を収めている社会はないと言うこともできるかもしれないが、どのような政治体制を取ったとしても、陳腐化が起こってしまう。完璧な人類が存在しないように、完璧な政治が存在しない。それに、例え政権の維持がうまくいったとしても、それが民衆にとって理想の社会であるかどうかに関しては疑問である。ロールズのいう”無知のヴェール”によって民衆が他者の状況や自国や他国の比較をしないがゆえに幸福度が上がるといったケースも存在するが、それが果たして本当に理想と呼べる状態なのか?

 

 

 

人類は貨幣制度を本格的に導入することによって非常に強力な技術革新力を手にすることとなった。それが資本主義である。資本主義体制を導入する以前の原初的な社会状態においては、労働の蓄積と土地の所有によって富を増減させていた。その為、労働によって生み出された富は全て労働者の富となっていた。ところが、その富を資本と交換できるようになってから、資本を動かすことによって労働せずに富を得ることができるようになった。この金融モデルの強大化によって労働者階級と資産階級の格差が生まれ、労働成果の一部を資産階級が搾取する形によってより大きな富を得ることが可能になった。

この資本主義の制度は産業革命と共に始まり、それからというものの労働の効率化と生産手段の獲得に貢献し、人類史上最速の発展を遂げることとなった。

 

 

 

いずれにせよ、これらの問題の根本にあるのは、対人間における富の収奪にある。人間の争いの大本は今も昔も変わらず、いかに労働をせずに他者の富を得るかという点に帰結する。それは自然なことかもしれない。サバンナのライオンがシマウマを狩り、食料を得ることで生存するように、生物の根本は自分以外の誰かの富や生命を奪うことによって生存することを選択することがある。
このような状況下で、人類は農耕によって食料自給を学習することが出来た。火を扱うことを偶然にも学習した人類が調理によって今まで消化することの出来なかった食料を手に入れられるようになった。そして調理が可能となった食料、たとえば米、麦などを保存することによって人類は必ずしも動物の生命を奪わなくても生存できるようになる。農耕によって労働の概念が形式化していく。人が富を生産し、その富を蓄積する働きがこの頃から生まれ始めた。
ところが今度は他者の労働によって生み出された食料を強奪するものが現れる。食料の強奪を第一義的な目的となっているが、食料という富をより多く保有することが人間の尊厳の現れにもなった。人間は農耕によってコミュニティを形成し、領土を決定していく。その領土にも生産のし易い土地といったものもあるし、その土地の拡大によってより多くの富を生産することが可能になる。こうして人間は本来自分達の所有物ではないはずの土地を奪い合うことを始めるようになった。富の概念は人間の生産した食料にとどまらず、装飾品や武具、土器や石器も含まれるようになっていく。そうして人類は奪うべき富を拡大していくことになった。

 

 

争いの根源は収奪の攻防である。誰しも、自分の労働対価を奪われることを望まない。自らの意志で分け与えることはあるかもしれないが、理不尽に奪われることをよしとしないだろう。ましてそれが生命であればなおさらである。人類は最低限の富を獲得していくことによって社会性を築き、収奪の攻防を平和的に行えるシステムを発明することとなった。それが法である。これによって社会のルールが明文化されることになった。人間は信用と信頼を行えるようになった。法を破ると罰せられるという不利益が収奪の抑止となり、より複雑な社会を構成できるようになった。

 

さて、失敗と改善の連続の中、人類は一部の国においては最低限の生活を保証し、争いや収奪をほぼ抑制している状態を生み出しつつある。この状態からさらに改善へと文明を発展させるとしたら、私たちはなにをボトルネックに設定し、そのボトルネックにどう対処していくべきなのか。

思うに人類は理想社会という青写真を既に手にしているのではないか。人々が幸福である為に生活の保障と自由と尊厳、これらを高次に満たしながら他者への公益性を労働の意義とできるような社会が実現されたとしたら、それは限りなく理想に近い社会なのではないか。もしそうだとしたら、私たちに不足しているのはその理想社会に対して前進する力なのではないか。人類は社会を構築しているが、その構成員の思想は多様であるから、必ずしも全員の利害が一致するとは限らない。更に、私たちが意志決定をしていく際に、必ず少数派の意見を封殺してしまうことがある。民主主義の本質は合意形成にあると思うが、多数決にその本質があると曲解されてしまうと、どうしてもマイノリティを排除する動きが生まれてしまう。このように、より社会が高次になるにつれて、問題が人間関係に帰結していく。

 

 

abhiniveza.hatenablog.com

 

わからないが口癖になった日

「わかんないんだけど、〜〜かもしれない」って言うことが増えた。おそらく、その前に口癖になっていたのは「それって本当なの?」だったと思う。

それって本当なの?

ほとんど全てのものが本当にそうじゃないかもしれない。

でもほとんど全てのものが本当にそうじゃないかもしれないのは一体どうしてなんだろう?


大学1年生のときに、波頭亮さんの『思考・論理・分析』という本を読んだ。
かるとは分かること、分かるというのは分けること。物事を分けて、その違いを認識することの繰り返しによって僕たちは理解している。一般的な学問も、比較に出発点がある。
この本は後輩に貸してから行方不明になってしまったので、手元にない。思えば論理的思考の本、いっぱい持ってたんだけど後輩たちに貸してから手元に戻ってきている本がない笑 数ある論理的思考の本の中でも特にオススメを教えてくれと言われたら、僕は考える技術書く技術よりもこちらをオススメすると思う。内容、殆ど思い出せないんだけどね。

悲しかったのは、論理的思考やなぜなぜ思考といったアレも、突き詰めるとキリがないということ。なぜを5回繰り返せ!っていうトヨタ的なアレは5回という一区切りを付けている点で◯だと思う。なんだけど、じゃあそれを後輩達にやってみてっていうと、論理の階層が飛躍したり、同じ階層の段階で同語反復になっているだけだったりする。
問題の分析になったとき、例えば新規事業を始めたいとして、現状の課題を分析してみようとなると、最初の課題設定に置かれるのは大抵「メンバーの企画力がない」
となる。ここでなぜなぜ思考としてそれはなんでなんだろう?と考えるのは簡単だと思う「メンバーの企画力がないっていうのはなんでなの?」と問えばよい。すると、「メンバーに論理的思考がない」的な答えが返ってくる。
どうしてこうなってしまうのか、僕にはよくわからなかった。おそらく僕も同じようなミスを行ってしまっているだろう。問題発見、課題解決が難しいのは、適切な課題設定と適切な課題分析と適切な仮説を立てるのがひどく難しいからだと思う。

ここで問わないといけなかったことは、「メンバーの企画力がないってどういうことなんだろう?」「その仮説は数ある問題の中で最も重要な課題なのか?」なのだと思う。大抵の場合僕達の思考というのは暗黙知に包まれた範囲でしか思考していない。人間の認識というのは割と雑魚くて、ここからは思考しなくて良いよね〜っていう自動化が常に起きている。だからこそ、「問うべきお題はなにか」という点を考えなくてはならない。しかしそれを意識して思考するのはとても難しいのだ。だから僕ができるささやかな抵抗は「自分たちが気づいていないことは何か」と問うこと。それこそアプリオリに「あーこれだね」なんてわかれば一番いいんだけど、大抵の場合は経験的認識に依存しているため、経験的な認識や思考のクセ、思い込みやバイアスを外す訓練をするという意味で問いの角度を変えるというのは結構重要だと思っている。

話はズレたけど、論理というのも結局、ゼノンのパラドックスのように、どこまでも細分化できてしまうキリのなさが存在している。僕たちが物事をより確からしく理解する手段として信望されていた理性や論理たちが自らのうちに脆弱性を秘めているという危うさに自覚してしまうと、それ以上に手段を持ち得ない僕は困惑してしまう。
それってどういうこと?それってなんで?この2つの問いは悪魔的だ。問いは重要でありながら、僕達の生を脅かす。だから僕たちはどっかで打ち止めしないといけない。だけど、それっぽい課題で打ち止めする根拠みたいなものがないことがほとんどだ。じゃあ僕たちはどうしているかっていったらその集団や組織のリテラシーがうまい具合に合致している点で「まあこんなところでしょう」という集団的な合意によって決めるか、もしくは、「定量的に分析するとこうなので・・・」というデータ的なアレで決まる。
集団的な合意っていうのはバイアスの宝庫だったりする。多くの場合、関係者の利害が意志決定を阻害していることが多い。どうしてそうなるかというと、集団での合意によって責任者がいなくなるからだと思う。だから、決定は責任者が一人で行ったほうが良い。
そういうわけで意志決定というのはとても孤独な仕事だと僕は思う。誰にも頼ることのない中で何を拠り所にしたら良いというのか。とても孤独なその仕事を全うしたいのであれば、思想をひたすら磨くしかない。というのが僕の結論だった。


僕が大好きなおっさんが「すべては疑いうる」といったんだけど、わからないが口癖になってしまった理由はまさにここの点にある。その気になれば、存在も時間も、疑いうる。本当なんてものは存在せず、あるのは形式的な解釈が具現化した社会のみであるということに絶望した時、「あ〜これからどうやって生きていこうかな〜」って思った。
このまま死ぬのもいいかもしれないし、このまま生きてみるのもいいかもしれない。
でも死ぬことへの恐怖が僕の意志とは関係なく抵抗することからいまだ逃れられていないので、「あ〜雑魚いな〜自分」と思ってしまう。

僕が村上春樹を愛読している理由は、彼が小説という物語を通して、この問題に対し懸命に取り組んでいるからだと思う。「自己の存在を疑い、問い直し、殺してみる」
そうやって頑張って自分自身をよりよく理解しようと努めているのだけど、毎度失敗する。本人がどう思っているのかわからないけど、成功した試しはおそらくないのだろう。おそらくこれからも成功することがない中で、しかしそれ以外に方法が見当たらないまま新たな物語を規定し、擬似的に死んでいく。根源的な、プリミティブな欲求を取り出し、捨象してみる。そして失敗する。失敗して収集がつかなくなってしまったからこそ、村上春樹の小説には結論がない。でもそれで何がいけないというの?
読者の期待を裏切るかのように、主人公の僕は日常的な生活に戻っていく。その点において、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドスプートニクの恋人では唯一その他の小説とは趣きが異なる。これもきっと彼なりの取り組みなんだろうなーと思って読んでみる。


与えられたレールの上を走るのはとても楽なことだ。就職し、働いていれば、大抵の場合、よく生きているとみなしてもらえる。でも本当にそれは「より良い生き方なのだろうか?」「わからない」

自由からの逃走という本の取り組みは衝撃的だった。結論から言えば、人間は自由であることに不自由さを感じてしまう。
自由と責任という二項対立の問題はハイエクも取り上げていたけど、大衆は自由であることを実は好まないのだ。生きるという自分の生への責任を自分で負うことはとても大変なこと。「だれもお前の為に死んでくれないのに、どうしてお前は自分で生きようとしないの?」


 

ヘーゲルに言わせれば、僕達が得られる自由の範囲は「選択自由性」にあるという。
僕たちが自由を想像する時、もしかしたら「自分の思い通りにいくこと」を自由と呼んでしまっているかもしれない。僕が生きていた中に限っていうと「空を飛んでみたい」と思って飛べたことはなかったし、「お金持ちになりたい」と思ってもすぐにお金持ちになんてなれなかった。自分の思い通りにいく人生なんて僕は経験したことがない。

おそらく自由というのはそういうことではないのだろう。僕たちが享受できる自由というのは、「2つか3つの道があって、君はどの道を選ぶか?」くらいなんだと思う。
「多分だけど左の道も真ん中の道も右の道も、君とって同じくらい苦しいことが前提だよ?どうする?」
「わかんない。わかんないんだけど僕は左の道に進むことにするよ」

今までの僕はわからないことがないように生きていこうとしすぎていたのかもしれない。そしてそれは僕だけじゃないように思う。
今もわからないしこれからもわからないなら、せめてわからないことを選択して生きていくことにしよう。