世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

社会人になって5年が経った。

僕が新人の頃に想像した、未来の理想的な6年目に果たしてなれているだろうかと思うと、おそらく、想像していたよりも遠いところにいるような感覚がある。
会社は3期目。今年もあと3ヶ月を切っている。会社の状況はその自分達の手応えを反映させてくれるだろうか。

 

2017年9月

思ったよりも僕は自分の意志で自分の人生を切り拓いていないのかもしれない。そういう意味で、結局何が起きたとしても僕はその生活範囲に限定された思考をし、その限定的な生活範囲から出ようとするようなことはわざわざしないらしいことがわかってきた。だから少なくとも起きたこと、この生活範囲においては最善解を出すことに腐心していくべきだ。

あるいはそろそろ自分を崖から突き落とすような勇気を持つべきなのかもしれない。もしかしたら崖から突き落とされたとしてもケロッとした顔で「なんとかなったわ」とか言ってるのかもしれない。
結局、どっかでそうしないといけないことは薄々わかってきている。それが明日であるか、5年後であるかの違いにどれだけ差があるのかはわからない。ただ、まずはそれがいつになるかについて答えを出す必要があることだけはわかってきている。

 

 

2017年12月

こうして環境は僕の意志とは無関係に変動し続ける。一発留年してしまったら、今のこの状況が生まれてなかったように。
だからこそ、この後者の選択には覚悟が必要であり、その覚悟は明確な目的と強い意志が必要になる。僕は今、2016年の自分がそのための助走をしていたことを知った。自分が今何をしているのかということは、今その時点ではよくわからず、後になってここにつながったって言えるものなのはどうやら本当らしい。

 

 

2018年10月

目的から言えば、僕が今の会社に入った一番の理由は「大資本パンチを打つことができるから」だ。結論で言えば、「1年目で打つことはできなかった」ということになる。

 

2019年10月

僕は今も昔も、できる限り自由になることを望んでいる。能力開発や教養を身につけるということはおそらく、自由の切符の意味合いがあるのだろう。
そのひとつの具体的かつ簡単なイメージとして、「自然豊かだけど交通の便が良い」という贅沢な土地柄を求めていて、居住選択の自由を行使したいのだろう。もしかしたら国内でもないかもしれない。
30代後半と言ってるのは、それまでは冬の時代でも耐え忍ぶ覚悟を意味しているのだろう。

 

2019年12月

「本当にクソみたいな社会で、どうしようもないと思うんだけど、もしかしたらちょっとクソまでは持っていけるかもしれない。本当にやりたいことかどうかなんて、僕にはどうにもわからない。仕方なく、やるしかないと思ってる。やるしかないんだと思う」

人は自分の弱さと向き合おうとはしない。だけど、死と弱さを天秤にかけると、弱さと向き合わざるを得ない。「死に対する納得を得る」というエゴイスティックな欲望ただ一点においてのみ、僕は僕らしく生きていくことに取り組み続けなければならない。

 

2020年10月

一方で、サラリーマン時代に自分が受けていた恩恵を、同じ立場を経験することによって、自分が踏みにじってしまっていたことに対して自覚的になってきた。
当時の自分は一体何と戦っていたのか、まるでわからないのだけど、それでも自分は多分目の前の事業や市場をなんとかしたかったという気持ちは変わらない。

 

2021年8月

暫定的に出している自分の見解は鄧小平とだいたい同じ。「過程がどうであれ、結果が良ければそれに従うべきだ」と思う。
当人が間違った欲望をもっていたとしても、本人が無自覚であろうと、そのことに触れず、ビジネスのインテンティブ構造にハマるよう導くことができれば、それでいいんじゃないか。過程ではなく、結果を常に見続ける。それによって現実はどうだったのか。

 

2022年1月

キミはこれから降り起こる数々のことに傷ついたり、ひどく落ち込んだり、人間不信になることもあると思う。そしてその傷を癒すのに途方もない時間がかかるかもしれない。もしかしたら、どうしようもなくなるかもしれない。離婚するとわかっていて結婚するようなもんさ。でもそれは僕が選んだことなんだ。

 

 

 

 

 

2022年10月某日

会社を立ち上げてから2年と数ヶ月の間に、たくさんのことを経験してきた。本当にたくさんのことを経験してきた。その間、ビジネスを知った。より多くのビジネスということを体験してきた。感覚してきた。人を知った。人間を知った。人間を理解しようとしてきた。意味を理解してきた。構造を理解してきた。現実を理解してきた。

 

それは僕が選んだことだった。全て僕の選んだ選択の結果だった。

それでも僕が望んでいることは変わらなかった。今もこれからも変わることはない。


だけど僕は変わろうと思った。僕自身を変える必要があることを知った。

僕はあらゆる人々の敵として君臨するにふさわしい人間だった。

 

 

 

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社長というのは大抵、なんでもできる。
営業・採用・マーケティング・企画・デザイン
法務・労務・人事・総務・経理・会計・財務

 

僕は大抵のことであれば、ちょっとしたキャッチアップを挟めば大体のことができるようになってしまった。
ひょっとするとそれは元々そういうものを生まれ持っていたのかもしれないし、
自分が高校生の時からずっとアルバイトをし、10年にも及ぶ長い期間の中で、さまざまなことを経験してきたものがアナロジーとして利いているからかもしれないが、社会人になって2年が経ったタイミングで言語化したことがその象徴だと思う。

「専門性に依存しない働き方を僕が選択する限り、僕の専門性は能力開発スキルだ。」

これは、自分の専門性なのだと。

 

自分がすべきことは、ここに対して新たに学習するケーパビリティを決めていくこと。
そのそれぞれの各論をより深く理解しようとすること。その能力をもとに協働していくこと。その能力の外化によって法人のケーパを拡大していくわけだが、結局法人のケーパが増える前兆に社長の能力の上昇が必ず発生する。

 

どんなに自分がその一つの各論について、あらゆるものに劣後すると思ったとしても、
それが社会的に見て高い水準であるかもしれないことについては考慮が必要だ。

 

ただし、スキルなんてものをいくら磨き込んだとしても、我々のような人種にとって些末なことでしかない。

 

自分達が究極的に極めなければならないことは、不確実性の高いものを決断すること以外に存在していないから。

 

不確実性の高いものを決断する際に、リスクやダウンサイドを極力下げていくことは当然可能だし、その選択によってより安全な経営をすることは比較的容易だが、

 

それを自分達が望むのかというとそうではないし、むしろ、一見安全だと思われる選択をしてしまうことで長期的に見た時にそれが最も悪手な打ち手であったと明らかになる可能性もある。

 

あらゆる物事を統合的に踏まえた上で、わからないことを一つ一つ仮決めしながら前に進まなければならないことが前提となる中で、わからないからといって行動をしないことを選択してしまうと、会社が傾く可能性があるということを理解してほしい。

 

 

自分はどちらかというとリスクを嫌うタイプの人間だ。決断したことがうまくいかない可能性のことをリスクと呼ぶのか、あるいはその選択をし、それが失敗してしまった場合、会社に対してどのレベルの毀損を招いてしまうのかという点が明らかになっていないものに対して積極的にお金をかけることはしないということだと思うが、

これは産み出た利益の使い先として妥当性を感じられないものに対してはひどく警戒することも同時に孕んでいる。

 

うちの会社のお金の流れとプロセスの流れ、何かが行動されてからお金として現実的に受領できるまでの流れを自分は把握している。
キャッシュインとキャッシュアウトがあるが、ストックビジネス的でありながらキャッシュインが先行して、後からアウトがついてくるモデルであることを踏まえると、
ある程度のキャッシュがあれば十分リスク回避ができていると言えるはずなのに、
分厚く単月利益を持ちたがる。

 

これはもちろん2期目までに発生した繰越欠損金を打ち消して、自社の利益剰余金を蓄えてから踏み込みたいという気持ちの表れでもあり、現実的に受領されて期末でキャッシュがどれくらい残るのか、本当に現実的にキャッシュが残った上で来期以降はその資産を踏まえて積極的にキャッシュアウトを増やしていくということを実現したいからという至極合理的な感覚なのだが、経営の時間軸と自分の気持ちの面での時間軸が合っていないことによってストレスになるシチュエーションが続く。

 

スモールビジネスでありながら、急成長を目指したいが故にこのような感覚に陥っていることを理解していきながら、たとえば新規で入社した社員がオンボーディングされてから実際に活躍するまでに半年かかるとなった場合、その半年間は我慢を強いられるということになってしまうのか、と言ったように、

 

あらゆる物事を並行して処理しておかなければならない中で、並行的に処理をしていく中で、それぞれの成功失敗を評価し、次策につなげていかなければならないが、
その施策の結果に対する評価に主観が入ってしまうこともあるし、適切に評価ができないせいで意思決定を間違えてしまうことだってある。


本来であればうまくいっていたはずの施策を、なにか一つのインシデントによって全てがダメだったと評価してしまった場合、間違った選択を続けてしまうことだってある。

そうした物事に対してものすごくシビアな視点で、事実に基づいて、客観的に評価をしていかなければならないが、並行して走っている施策が増えれば増えるほど、その難度が跳ね上がっていくのだ。

 

 

となると自分にとって重要なのは、「その施策を客観的に評価し切るまでに必要な現実的なタイムラインを、施策を実施する前段階であたりをつけた上で、撤退基準を定量的に踏まえていく」ことになる。これもう少し全体性を持たせていくとするならば、
「今期着手することと着手しないこと」を決めることと「来期着手すること」を決めることになる。

 

現実的にはなにかしらの会社にとってテーマとなることが浮上した場合、そのテーマをクリアしない限り前に進めないといった意味で、今期や来期といった単元でそのテーマの締切を設けることがナンセンスになるケースが存在している。そうではなく、そのテーマをクリアした場合に次のテーマが存在しているが、そのテーマをクリアするまでに現実的にどの程度時間がかかるのか。そのテーマをクリアするまでにどの程度の収支がかかるのかを想定しながら、たとえ期限内にクリアできなかったとしても継続していく勇気を持つことが重要だった。

 

僕はこれを、利益が発生する力だと思っている。
むしろ、ここができないと会社に利益をもたらすことは難しい。
コストリターンを見極める力を養うことができれば、大規模な資金調達だってしたらいい。その際に金利がいくら高くなろうとも強気の姿勢を持つことができる。

 

 

自分達は創業一期目に2500万円の借入を引っ張ってきた。
創業3期目で4行と新規取引をしている実績だけでも年商50億レベルの社長に「すごい」って言われるのに、それを自分達は1期目で行ってきた。
会計士さんには「理想すぎる」と言われてきた。
当時の事業計画のような、2億の売上をだすところまでは到達していないが、
確実に「利益を生み出す力」を自分達は手にしている。

 

自分が今身につけなければならないのは調達したお金をどんな時間軸でどう支出していくことができればトップラインを底上げすることができるのかを考え抜く力だ。

利益を生み出す源泉は組織の仕組みに備わるので、利益を生み出す源泉を仕組み化できていることが条件になるが、それも合わせて現実的なタイムラインを設定していく。

 

日本はあらゆる諸外国の中でも最も金利が安いといっても過言ではない。
こんだけ金利が安い世界は他にないんじゃないかと思うが、他方で、借りにくさもあるだろう。創業融資は特に、難しかったのではないか。

自分が次の資金調達を行う際の目的は財政基盤強化とし、
ICRから考えて現実的な手元資金を準備しておくことでどんな想定外が起きても当座会社を潰れにくくすることが重要だと思っていた。

金利を下げ、利息を利益から払っていくことができれば、元金に手をつけさえしなければ良いという考え方だ。自分達は安心や保険にいくらお金をかけたいのか、ということになる。

 

これは返済実績を積む上でも重要な考えだと自分は思った。誰かにそう言われたわけではないのだが、自分は経営をしていく上でそれが安全なんだと思った。

 

それは現実的に必要だとしても、それだけを続けていては会社の急成長に資することはできない。リスクを減らす考え方とともに、適切なリスクを取る考え方を同時にしなければ、自分達の理想とする世界に到達することができない。

 

 

 

とにかく自分が思うのは、リスクリターンを勘案する全体性、マーケットや世界情勢を含めた時間軸の適切性、あらゆることを包含してアクションプランを並列させる同時性をどれほどまでに高次元に卓越させたかによって、会社の急成長は成り立っているということで、その決断までにかかるスピードを上げることができれば、倍々成長が実現できるといったところだろうか。

 

1000万円を支出した場合にその1000万円が1000万円以上の営業利益を持ってくるかどうかなど、考え抜くことによってそもそも実施しなくても良いことを検証するコストを支出しなくていいなど、シミュレーションが経営の効率性に寄与することもあるが、そのシミュレーションを行なって蓋然性を上げるまでの時間をトレードオフに、どっちが適切なアプローチかを考えていくことはそう簡単ではない。それを単純化して決断力という言葉で丸めていくことになるが、やはり会社に利益をもたらすのはその力であるかと思う。

 

利益が出ていさえすれば、あらゆる物事に対する交渉のカードが増えていくのであれば、それを最大化するに越したことはない。一方で、その利益を維持するために支出を抑えるというのは本末転倒だ。適切な収支を計画することによって決断のしやすさをあげていくことが必要で、その勇気の元手はスキルとかそういうものでなく、

自分達はどうしたいのか。

 

この問いにいつまでも答え続けること。

 

 

経営の勘所を抑え始めたという点で、この直近3年間はよくやっているんじゃないかと思う。机上の妄想でこうなんじゃないかと思っていた時間が重要ではなかったとは言い切らないが、少なくとも給与所得者時代の自分は貧弱だった。

 

また、自分達が身につけていることをスキルや能力といった安易なもので語ってしまうことはある意味で自分達を冒涜している。
自分達が真に身につけている力は、前を向き続けることだと思うし、内面に向き合い続けることだと思うし、何が起きても屈しない精神力だと思う。

 

精神力の高い人かどうかはもはや2~3言話せばわかる。この人が辛い経験を乗り越えたかどうかは、その人が紡ぐ言葉に顕れる。

 

自分達が辛い経験を乗り越えていくこと、振り返ってみるとこんなことは社会人になる前には想像もしていなかった。だけど自分はなんとか乗り越えていこうとしている。

今に耐えられなくなりそうな時は、向こう5年のことを考えてみる。10年後のことを考えてみる。10億の時の自分達について想像してみる。100億、1000億の自分を想像する。自分が死んだ後に残る自分達の会社のことを想う。次世代に何を遺していきたいのか。自分が死んだ後の世界にどうやって貢献していくのか。

 

その意味で、自分達はくるところまできたのだ。手応えならある。この3年間を足がかりに、もっと土台を強化して、来るべき飛躍に向けて、今まで以上に積み上げていくことができれば。