世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

ラジオアプリで大阪の女の子と出会った話

 

同期の古澤がラジオ配信なるものを趣味ベースでやっているのを見て、楽しそうだなと思った。ならばいっそやってしまえばいいと思っていたのだが、なかなか踏み込む気持ちになれず、ぼーっと過ごしていた。そんな矢先に、ツイキャスのようなリアルタイム配信ができるアプリがyoutube広告から流れてきたので、思わずインストールしてみた。

 

美鈴という女の子がいた。彼女は今日はじめて配信を始めたのだと言っており、僕はたまたまその枠を覗いていたのだ。配信者であるDJにはリスナーの方からコメントが行えるので、リアルタイムでのやりとりはこのコメントと、DJの音声ですることができる。僕のコメントの何が彼女の琴線にヒットしたのかはわからないけど、そこからいたく気に入ってもらった。お互いの素性をなんも知ることなしに、お互い顔を合わせたこともなしに、彼女が「いまから凸するわ!(凸というのは配信者に対して電話をつなぎ、そのやりとりを配信すること。さながらラジオのような配信ができる)」と言うので、僕はlineのidを教えた。美鈴は4つもあるline idのうち、本アカのidを教えてくれた。

 

美鈴は大阪の高級住宅街に住む事務あがりの社長秘書だった。IT系のweb関係なので、同業に近い。

「秘書といってもパシリみたいなもんよ。あたしの席なんてないし。その辺で作業してんのよ。スケジュール管理とか、顧客対応とかさ。あとはもう、『カップ麺買ってこ〜い』っていう社長の言いなりよ。せやからそないなこと言われたらもう本気でチャリかっさばいて、近くのコンビニまで買いに行くのよ。自腹で。自腹よ?おかしない?なんで自腹ねんと。泣けてくるわほんま。まあいいんだけどさ」

地声が低いので、最初に声を聞いた時は男だと思った。関西弁で面白おかしく最近のエピソードを語るのは、なにかにつけて退屈しがちな僕にとって爽快だった。

 

美鈴がクリスマスプレゼントに買ってもらったらしいDL版のポケモン金銀を配信するのに僕は付き合っていた。最初にもらえるポケモンにはヒノアラシを選び、かきのたねというニックネームをつけた。ポッポにはやきとりと名前をつけ、ウパーにはマグロと名付けていた。ネーミングセンスはさすがといって良い。かきのたねはどんなインスピレーションが美鈴の脳内に働いたのかと不思議に思った。きっと彼女の脳内はマトリックスの世界のようになっているのだろう。笑いにおける最適解はマトリックスを通じて現実世界に具現化される。

ヒワダではロケット団ヤドンを捕まえているといい、コガネシティにはミルタンクに苦戦をしていた。美鈴一人ではコガネシティにたどり着くのも大苦戦で、ウバメの森すら突破できずにいた。スキあらばワカバタウンに帰ってお母さんからお小遣いをもらっているので、「ホームシックかよ」といって小馬鹿にした。その後も「変な木がいあいぎりで切れない」と言うので、「ウソッキーにはじょうろが必要」だとアドバイスをした。ウソッキーの手前の草むらでは塾帰りのマナブがユンゲラーを使っていた。ユンゲラーユリゲラーのパクリなのだと中学生になって気づいた。大学生になってネットでユリゲラーユンゲラーに対して訴訟を起こしたのを知った。任天堂の弁護士は「ユンゲラーは超能力が使えるので、もしユンゲラーユリゲラーが同じだというのなら、いまこの場で超能力を使ってください」といって勝訴してしまった。嘘か本当かはわからないが、僕は本当だった方が面白いと思う。

 

 

 

年末年始も仕事がたまっていた僕は、いつものポケモンラジオ配信に付き合いながら、六本木のスタバで作業をしていた。当然あまり捗るものではなかったのだけど、休日にダラダラと仕事をすること自体は好きなので、それもそれで良いなと思った。配信中に美鈴が「りういちくんあたしちょっとコンビニでタバコ買ってくるわ〜」と言うので、「んじゃ今のうち仕事進めておくわ」と言った。配信が終わるや否や、美鈴が電話をかけてきた。と思ったらすぐに切れてしまった。慌てて掛け直した。

「すまん取れなかったわ」

「せっかく"愛してるぜ"って囁いてあげようと思ったのに、電話にでなかったから台無しだわ」

「別に言ってくれてもいいんじゃないの、こんなにポケモンに付き合ってることだし笑」

 

僕はコートを手に取り、スタバの外に出た。真冬の夜空はいつにも増して寒かった。ヒーターに火をつけ、寒さを紛らわしながら電話をした。

 

 

「あんなあ、昨日あんまりに風邪を引いてたもんだから、迎えにきてもらったんよ友達に。車で来てたもんだから、運転してもろてな。熱出すぎて頭おかしなったんかしらんけど、日産の車指差して"ホンダァ!"言うとったらしいわ。アホみたいな声で笑 ほんでな、その友達があたしのプジョーちゃんこすりよったんよ。ミラーをバキバキにこすられてな。15万すんねんて。限定車をこうててん、部品を輸入せないかんねん。もうほんまに」

ちょうどけやき坂を眺めていた僕は、次々と通りかかる高級車から若い男と若い女が降りてくるので苦虫を噛みちぎったような気持ちになっていたところだ。

「いやなんだあのセダン。多分スカイラインなんだけど、若い。乗ってるやつが、なんか悪いことしとるんやろか。うあ、今度はランボルギーニかよ。やってられんわ」

「なんやりういちくん、車好きなんか」

「ああ、うん。あんまり詳しくはないんだけど、車好きだよ。ドライブが好きなんよ。よくカーシェアしてて」

「買ったろか?」

「え?」

「買ったろかって。プリウス。さすがにポルシェとか言われたら無理やけどな。プリウスが日本車で最高峰よ」

「えっ、いや、車いやほしいけど、あの、おねがいします!!!おねがいします!!!」

「ええで、私名義でMTにしてマフラー改造したるわ。そんかわし車庫証明とナンバーは自分でとりいや?」

「いやでも、美鈴、そんなお金どこからでんのよ。貯金が4桁でもあんのか」

「いやあ、まあそれくらい余裕よ」

「おいおいまじかよ」

 

彼女は元キャバ嬢だった。今は身体を壊して引退したというが、当時はバッコバコに売り上げていたらしい。ナンバーワンの売れっ子は億単位で稼ぐと姉が言っていた。さすがにそこまでではないと思うが、1日に200万も売り上げる彼女にとってはプリウスなんて造作もないことなのだろう。お金に余裕があると言うので、来年あたりに受験をして東京の大学に通いたいと言った。「モラトリアムを取り戻しにいくねん。自適悠々よ。こうみえてあたし、高校はそこそこいいところの出なのよ。数学が得意で、現役のときに明治は受かってたんだけど、うちのおかんが入学金払えないって言ったから行かんかったわ。だから高卒〜」

彼女はそのことについて、母親に怒ることもせず、社会に対してヘイトを向けるわけでもなく、ただあるがままにその事実を受け入れていた。僕にとっては不思議な光景だった。僕はそのヘイトを努力に昇華させることで、なんとかここまでやってこれたのだと思う。そしてその努力は日常化し、きっとこれからもこうして生きていくのだと思っている。村上龍の言うように、「コンプレックスは一生消えることのない歪みみたいなもの」なのだろう。その歪みを矯正するには多大なパワーがかかるし、残念ながら、一度虫歯になった歯は元どおりになることはない。いかれてしまった部分を削って、被せ物をするだけ。醜くなってしまったその銀歯が元に戻ることはない。セラミックにして醜さを隠し切ることが多少できるくらいだ。

美鈴にもきっとある種のコンプレックスが蝕んでおり、そいつが夜の世界へと駆り立てたのだろうと推察したが、それを彼女に問うのは筋が違うと思った。その後、いつかのラジオ配信者に向けて「あいつ、きっとお金に不自由もせずに甘やかされて育ったんだろう。そういうのをみると腹が立ってくる。私情だけどねこれは。」と言ったのを聞いて僕は安心した。

「美鈴はきっと俺のことそうは思わないかもしれないけど、それに関しては、"我々"だと思ってくれていいよ」

「我々だね。わかるよ。」

 

美鈴は社会へのヘイトや親に対する憎悪を自傷に向けていたのだろう。それはリスカみたいな低俗なものでなく、ファッションだった。高尚でえげつないファッションだった。僕はそう解釈した。男に生まれた僕は経済力で一発逆転をするしかなかった。というより、まだ僕にはラストチャンスが残されていたし、高校生の僕もそう言っていたはずだ。当時の僕にとってはその道のりは困難だったが、僕はその選択肢しか知らなかった。美鈴もその選択しか知らなかったのだと思う。

「背中はばっきばきだけど、太ももとか顔とかもやばかったのよあたし。がはは笑 今はもうレーザーで消したけどね、背中はまだ残ってる。なあ、綺麗に消えてるやろ?痕跡も残らんかってん」

 

 

後日、プリウスについては断りの電話を入れた。

 

 

 

一部の老獪は「若者の物欲が減った」などといって嘆いているが、確かにそうなのかもしれない。「プリウス買ったろか」を契機に、欲しいものがあるかどうかを自分に問いかけてみた。のだが、今欲しいものは車とバイクを除いてしまったらあとはせいぜい全自動洗濯機だけだった。悲しいことに、僕に物欲はなかったのだ。

 

糸井重里が「ほしいものが、ほしいわ」といった通り、人々は欲求を欲求している。

だけど僕はその欲求への欲求もそこまであるわけじゃない。今一番欲しいのは僕の物語をより豊かにしてくれる経験であり、自分の人生を面白おかしく物語るためだけに、生きているように思える。

 

全自動洗濯機だって、「干すのがめんどくさい」という怠惰だが、本質は可処分時間を増やすことだ。今一番必要なのは最低限生活ができる収入と、できる限り無駄な時間を削ぎ落とし、好きな事に時間を回す余裕だ。

そして、仕事以外の残りの時間を好きな人と出会い、話し、経験していく中で輪郭を掴んでくるその物語を僕は知りたい。

 

 

 

 

 

 

「美鈴が車買ってくれるっていうから、あれから自分の欲しいもの考えてたんだけど、広い家と広いベッドとあったかいお布団と多少の服と大量の本があれば、なんかべつに欲しいものなんてないことに気づいてしまったよ」

 

「おいそりゃお前、あたしが養ってやれば一瞬じゃんwwいくらでもこうたるわwww

うーん本を大量にっていうのは大変やな、どうやって搬入しようか・・・」

 

「え、ちょ、美鈴はうちに本屋でも作る気?笑」

 

数十年後、まるで本屋のような自宅の書斎を感慨深く眺めるたび、僕は美鈴のことを思い出すだろう。