世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

社会人になってから3年が経った。

大学を半年間休学していたので、10月に新卒入社した僕にとって、10月は一つの節目になっている。多分皆が4月を節目としているのと同じように、僕の節目は10月になる。

 

社会人になって3年が経った。だけど今の僕にとってそのカウントアップはあまり意味を為さなくなってしまった。僕が勤め上げるという気持ちをより強く持っていたら、社会人生活をそうして節目ごとに振り返っていくことに価値があったのかもしれないんだけど、来年の僕がこの10月を節目としているのかは甚だ疑問だ。今の僕にとっての節目は会社の期が変わる1月となってしまった。でも、それでいい。

 

少々遅くなってしまったが、9月振り返りと現状についてちょっと書く。
こうして振り返るのも今年で最後だ。頑張ろう。

それと、融資について最近考えていることがあるので、それもまた書く。

 

 

マーケコンサルに注力していくという方針を定めてから、会社はどんどん好調になっていった。詳しいことはかけないけど、先日契約を締結した半年分の売上に何事もなく、今決まろうとしている融資が満額入れば、残キャッシュとしては「売上が一切上がらなくても事業を拡大させず、全てのコストをカットすれば2年は保つ」という状態になった。もちろん、そんなことにはせず、しっかりと攻めていく方向で事業の計画は引っ張っているのだけど。


これは結構大きな安心感で、今までは「3ヶ月後までになんとかしないと会社が倒産する」という状態でバランスをさせていたところから、「結構じっくりやっても大丈夫だし、試行回数をかなり踏んでもおつりくる」みたいな状態になった。

 

さらに、インターン(厳密には業務委託なんだけど)として入ってくれている子がハイパーな子で、行ったことをすぐにキャッチアップして習得していく力がすごく、
その子がDXコンサル的な案件を持ってきた。今は見積と提案書を送っているステータスなのだけど、向こうからは「できるだけ早く稼働開始してほしいし、金に糸目はつけない」というお声をいただいているので、是非、という感じだ。
これも友人などに「いくらで受注できそうだと思う?」と聞いた時に答えてくれた額の2~3倍の金額で提案している。うまくいけるのであればこれも事業化できたら面白いのではないかと思う。

 

 

 

僕がこの1ヶ月半で学んだことが本当にえぐかった。これから書く。
この学びはどこかに残さないといけないと思いながら、「やらなきゃなことがいい意味で多い」ので放置気味になってしまった。うまくいっていない時のほうがブログで内省するというのはいい傾向なんだと思うけど。

 

まず一つ目。
値付けこそが経営だと思う。

 

ある領域で値付けを行うと、それがポジショニングを意味する。当然ロープライシングをするとポジショニングはニッチやフォロワーに寄っていくので、チャレンジャーとしてポジションを取りたいのであれば、一番避けないといけない。

僕は人材紹介で、経営の基礎を踏み間違えた。ロープライシングをするということだ。

これは原則でいえばコストリーダーシップを発揮できる大企業のみがとれる選択肢といっていい。次にその実現の可能性があるのは「資本体力のある企業」だ。

スケールメリットがでるまでどれだけダイリューションを気にせずに踏み込みまくりながら生産性のみを追求してレガシーをブチ抜くか、これは本当に難しい所業で、ラクスルがそのビジネスケーパビリティを身に付けてしまったら多分止まらないんだろうという気持ちになる。あそこの強みは上場時の資料、今の資料でも語られてるけど、テックとマーケとオペレーションが三位一体で強いから強いという、かなりシンプルな感じ。お手本。

なんでまあ、初期事業でそんなことしたら採算合うわけないじゃん。だけどなんでみんな同じことをしてしまうのか、僕はこの理由を経験ベースで語れる。「自信がない」のだ。

 

ロープライシングで回転数を高めれば総額で勝てるやん、みたいなのは正しい。だけど、ガワだけ真似しても絶対にうまくいかない。これは声を大にしていいたい。

もちろん、僕たちの振り返りは外部要因のほうが大きかったから、そのまま続ける選択肢はあったのだけど、スケーラビリティを組織構築まで含めて計画を引いてみると「一体いつになったら会社として大きくなるんだよ・・・」という事態になる。これは計画を引くだけでわかる。

楽天がなぜ価格破壊を起こすプレイヤーとしてあらゆる産業に参入できるのか。それは楽天が楽天という経済圏の拡張を目指すプレイヤーだからで、「楽天の製品、商品、サービスを使っていると総額でお得」ということを実現するというシンプルな戦い方なのだ。そんなことはハナからみんなわかっているんだけど、なぜかそれをガワだけ真似したらうまくいく、と思い込んでしまう。これは本当に、knowing-doing gapというか、知っていることを目の前の答えのない問題にアナロジーを利かせる精度というか、そういうものがビジネスのために生まれてきたハイブリッド天才でない限り、根本的にはやりながら学ぶしかない。

 

情報が溢れかえるようになってから、「理論上はそうなんだけど」ということの価値が暴落したと僕は思う。「理論上はそう」によって満足した人たちが「ますます行動に起こさなくなった」ような気がしているし、「やったことのある人にしかわからない実体験」は絶対に真似できない。確信する。僕がそうだったからだ。
そして99%の人が「知っていてもやらない」ということを知ってしまった。これもまた、「やってみないと絶対にわからないこと」

 

僕はこの時代ほど、行動する貧乏人に優しい時代はないな、と思った。
内定時代に「いずれは海外でもビジネスできるようにならないといけないかもしれない」ということをお世話になっている人事の方に話したことがあるんだけど、
その時に言われたのは「出木場さんがいうには、日本で勝てない奴が海外で勝てるわけねえ、だそうよ」ということだった。


今ならわかる。日本はとにかくとんでもなく勝ちやすい。なぜなら、「ちょっと勉強すればわかるようなこと」を99%の人が学んでいないからだ。

市場をしっかりと見極め、そこで"今"必要とされているものを見つけ、それを提供するだけでいい。僕の仕事は、市場で起きている大きな流れと、ミクロな動きを観察し、何が必要なのかを考えているだけでいいと言っても過言ではない。そこに「適切な値付け」を行うことさえできればいい。

僕は「何に値段をつけるべきか」ということを考えていけばいい。人はみな、流通している価値に値段を付けようとするが、僕がしなければならないことは「まだ流通していない価値に値段をつけて販売すること」ただそれだけなんだと。

 

面白いことに、値付けに成功すると、全てが決まる。まず先にポジションが決まる。これはどうしてかっていうと、「この値段をいただくために、どんな価値を提供し続けるか」という思考が始まるからだ。値段を決めるとポジションがきまり、商品内容が決まる。そうすると何がきまるのか、単価×個数 がきまる。単価×個数=売上が決まる。そうすると、売上-支出で粗利がでる。粗利がでると利益率が見えてくる。
この粗利のうち、何にどれくらい払うかを考える。1人に支払うことのできる金額が見えてくる。そこからどの程度の人材が採用できるかが見えてくる。採用要件が決まってくる。LTVを見れば許容CPAがわかってくる。従業員数がわかれば、坪単価を入れればオフィス賃料もわかってくる。そうするとFCFがわかってくる。FCFが出てきたら何にどれくらい投資ができるのかが見えてくる。そこで残ってくるお金が役員報酬として「取っていい金額」がわかってくる。そして「自分の人生はこのままいくとどうなるか」が見えてくる。

そうしてターゲットセグメントがわかってきて、どこを中心にビジネスを展開していくことになるのか、がわかってくる。あとは営業計画とオペレーション体制を考えていけばいい。

逆説的なんだけど、僕の場合は値付けの根拠を「従業員にいくらお給料を支払いたいか」ということから考えた。簡単にいえば、x万円の単月給料を支払うために、1人のプレイヤーに最低いくら稼いでもらわないといけないのか、ということだった。
FCFで30%以上は残さないと事業が拡大していかない、というのは経営者のみなさまだと大体計算したことのある数値感なんじゃないかと思う。ミニマム30%残っている状態を実現するためには、1人あたり売上を計算する必要があった。
そうすると「単価×個数」をこうしないといけないよね、というのが必然的に決まるのだ。

僕はこの計算をしないで考えているプライシングは全部クソだと思う。これをするから「会社として回る状態にするために、どんな提供価値を生み出し続けるか」に従業員の介在価値が生まれる。これをしない人間は、何度でもいうが、「従業員や組織のことをまるで省みない邪魔者」なのだ。

 

これは手前味噌になってしまうのかもしれないけど、創業時の決算も締まっていないタイミングでセールスKPI、採用計画などなど、全て計画していて、悲観で売上利益まで計算が済んでいる状態は、結構いい仕上がりなんじゃないかなと思う。本当にその計画通りに進捗するかどうかはさておき、かなり悲観で読んでいることは間違いないので、「あとはお金があれば安心」みたいな状態で、そのお金も「いざという時の保険」という意味合い。故に融資も「是非是非」みたいなお気持ちになっているんだろうなと思う。

 

 

 

二つ目。

僕は銀行の融資は銀行にとって、「貸したお金」ではなく、「将来予定された売上」なんじゃないかと思うようになった。

銀行の売上は「支払い利息」と「支払い手数料」だとあらゆる人たちが考えていて、それ自体は間違っていないと思う。
だけど、現代貨幣理論を学び続けることによって、
信用創造によって預金が増えることを融資と呼ぶのなら、その融資のお金は僕からすると「予定された売上」にしか見えない。
おそらく、ニクソンショックの時にその力学が根本的に変わったのだろう。僕たちは将来の予定されたお金を返済することを約束することによって、現在キャッシュを持つことができるのだと。

お金は借りたら返さないといけない。それは当たり前だ。
売上はモノを売ったら回収しないといけない。これも、借りたお金を返すのと同じくらい当たり前のことしか言っていない。


果たして銀行の残キャッシュは融資実行によって減っているのかどうか、僕はそれだけが一番気になっている。もしそうなんだとしたら「だからなんなんだよ」って思われてしまうかもしれないが、僕にとっては大変重要な問題で、なぜなら「貸したお金をさらに貸す」行為はお金を増やす原理だからだ。この原理は仮想通貨や資産運用を始め、至る所で発生しているが、リアルタイムに同時多発的に起こるので、「気づかないだけ」なんだと思う。一般的な感覚からは追いつかないかもしれないが、借金を貸し続けることができたら、トランザクション量・回転数を上げ続けるだけでお金というのは無限に増殖していくのだ。
銀行が破綻するとき、というのは「将来予定された売上(融資)が回収されないとき」だけで、「信用創造が下手くそ」な銀行だけが潰れていくんじゃないかと思う。

 

もし仮に、融資によって、「将来の予定された売上を月々回収しているだけ」だったとしたら、銀行は売上+利息という超長期的なストックビジネスを運営していることになっていて、それもそれですごいなと思う(アホっぽい)

ただ僕もこのことについては、まだ理解が追いついていないのだ。これから勉強するとはいえ。

僕はこの仕組みにうまくのっかりながら、会社を大きくしていく秘訣が学べたらと思う。今のところ予定していることは「お金は借り続けることによって返済しなくてよくなる」ということくらいでしかないけど。

 

 

さて、最後に僕がいいたいことは一つだ。
「恩は買うと高くつく」
恩を売りにこられていたら、最善を尽くして警戒しないといけない。
もし買ってしまったとしたら、感謝はしても意地でも返そうとするべきではない。


この1年間、まだ3ヶ月残っているとはいえ、結構いろんなことを経験したし、それ自体は本当に財産のようだ。サラリーマンを続けていたら絶対に見えてこない景色が、本当に目の前にある。来年度が始まるころには「自然豊かな土地柄で犬を飼って暮らす」ということが実現するのだろう。

 

一方で、サラリーマン時代に自分が受けていた恩恵を、同じ立場を経験することによって、自分が踏みにじってしまっていたことに対して自覚的になってきた。
当時の自分は一体何と戦っていたのか、まるでわからないのだけど、それでも自分は多分目の前の事業や市場をなんとかしたかったという気持ちは変わらない。

 

今の自分だったらもっとうまくやれるのに、というふうに思うことはいっぱいあるし、
なんで自分は始めてしまったのだろう、というふうに思うこともいっぱいある。

つらいこともいっぱいあるし、どんどん人間不信になりそうな気配もあるし、これからどうやって生きていけばいいのかと途方に暮れることもあるんだけど、

そうした今までに経験したことがなかったような、社会のつらい部分をずっと克服しながら生きていくのだと決めてしまった以上、僕は前に進むほかに仕方がない。

 

 

順調だなんて口が裂けても言えない。なに一つ安心できることなんてないし、これからもない。ただ、今自分が計画した事業をどうにかして前に進めるために動き続けないといけない。それでも、自分たちのペースでやっていけたらいい。