世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

僕たちは起きているときに夢をみる

 

会社を設立してから半年が経った。(少しオーバーしてしまったが)

自分たちが何に取り組んでいるかについて、そろそろ書こう思う。


僕たちは株式会社を設立した。株式会社というのは
①出資者を募り、資金を調達し、
②その原資を元に利益を出し、
③その利益を配当として出資者に還元する(これは必ずしも行わなくても良い)
というスキームを持った営利企業だ。

当然営利企業なので、一般的に言えば「従業員にベーシックインカムを配給する福祉団体」とはまるで異なるし、重要な指標はROI・ROAであるし、経営能力を図る指標はROEである。

そして大原則として、その数値を下支えしているのは売上と利益である。つまり収支のバランスを整えながらできるだけ早く資本を拡大し、資本収益率を同時に上げていくのが経営者の最もすべきこと、ということになる。つまり、「一見すると相反していたり、禅問答のように矛盾しているように見える事物」 =「複雑なもの」をマネジメントする能力が高いことがいい経営者の必須条件ということだ。営利企業におけるアセットは「ヒトモノカネ」と言われているように、ヒトのマネジメントが他のアセットと比較してとりわけ重要だ。

 

これは本来的に言えば「アタリマエ」のことなのであるが、その原則を外した言論がしばしば流布している。

 

この一般論に対し、アンチテーゼのように切り込んでいったのが「スタートアップ」と呼ばれるものである。
スタートアップの特徴は「企業価値(株式の価格)を最短で期待する金額にまで持ち込んで売り切ることで大金を得る」という例外的なアプローチだ。

この限りにおいて、「必ずしも売上収益をバランスさせる必要がない」のである。

もう少し理解を促すために単純化するとするならば、スタートアップの一番本質的な商品は株式と言って良い。(だから高値で株式を販売することができたファウンダーは営業の才能があるし、それ自体は自慢できることだと思う)

当然IPOの場合は監査が入り、「売上収益をバランスさせる経営能力が備わっているか」を見るので、n-に入ってからはスタートアップというよりもむしろ「ベンチャー企業」である。

 

なので、僕個人の意見を言えば(ここから先は原則にのっとった解釈のみ記載している)「売上収益をバランスさせている企業」はベンチャー企業であって、スタートアップではないし、スタートアップは最短でのハックが目的なので、労働の対価として株式を保有していない限り、「働く環境としての選択肢」ということには絶対にならない(と僕は思う)。
短期間で大金を稼ぐことが存在意義になっている以上、スタートアップでビジョンを掲げるということに僕個人としては少し違和感が残る。そしてスタートアップを豪語している枠組みの多くがあらゆる従業員を巻き込んでいるが、先の通りその会社は商品なので、原則を理解した上で参画していない限り、おそらくあなたは何かしらの形で騙されている可能性が高い。あるいはもしくはその社長も自分たちのやっていることに気づいていないか、もしくは、自ら望んで商品化されていくことを期待しているという見え方を僕はする。

 

僕たちが何に取り組んでいるのかについて、改めて書こう。
「僕たちは株式会社であり、営利企業を運営している。」これ以上も以下でもない。

そして営利企業である限り、常に従業員の生み出した収益の一部を企業利益に勘定していく。株式会社で働くということはそういうことなので、その前提を双方が合意し、お約束が結ばれている限り、雇用-被雇用の関係が成立する。

 

また、僕たちは株式会社というメカニズムを利用して経済成長を促進することを目的としている。なぜならば、経済の発展が社会の発展に寄与すると信じているからだ。

 

ここまでは他のどの企業ともまるで同じ枠組みを持っている。
僕たちが自分たちをユニークなものとして捉えている理由は次の一言による。すなわち、「社会に向き合い続けることで内面的な自由を獲得することを目的として掲げている」ということだ。

 

僕たちは既存の枠組みから自由になるために、既存の枠組みに則った営利活動をしている。結果としての経済成長を目指しながらも、僕たちが真に価値を感じているのはその営み、プロセスそれ自体ということだ。

なぜなら、人は社会的な枠組みから絶対に逃れることができないから。

僕たちが本質的に取り組んでいることは「抗い」だと思う。
社会に点在するありとあらゆる常識、慣習、文化、歴史、他者・・・といった相対的な全てに対して自己と照らし、疑い、脱構築をするための問いかけを行い続ける。そしてその試みを通して自分自身の運命に抗っていきたいんだと。

 

もとも子もない話をしてしまえば、「この社会に問題が存在しているか否か」は当人の主観によるものでしかない。もっと言えば「あなたはなぜそのことを問題と捉えるのですか?」ということだ。そこにあなたのトラワレが存在しているんでは?というソクラテスのような嫌がらせを自分たちに問いかけ続けている。

 

僕たちはこの問いかけなしに生きることができなくなってしまった。それは知り過ぎたことが理由になっているかもしれないし、知らなすぎることが問題になっているかもしれない、そのことはよくわからない。


農耕社会が成立してから「富」の概念は暴力的なほど重要になった。略奪を生み出したからだ。狩猟採集の生物に「富の収奪」の概念は存在しないだろう。農耕社会における略奪は「できる限りカロリーを消費せずに生存する」という力学の究極的なもので、それが争いを生んでいるし、それは今日においても変わらないだろう。

 

その争いが少なくなった要因はいくつかあるが、ここで僕が信じているのは「生存するのに必要な富の貯蓄」を満たしたからだと思う。いま起きている争いの多くは「生存を脅かされた人々の抗い」もしくは「より多くの富を収奪する欲望」のどちらかもしくは両方を出発点としているという見方をする。

社会は農耕を通して争い続けたが、テクノロジーは良くも悪くも人間を発展させた。それ自体は真だ。社会の富は「お金」にとって代られたが、この「お金」の生産量を増やしていくことがひとまず世の中を良くするということは間違ってはなさそうだ。

資本主義というのはつまり株式会社のメカニズムと同じで、資本を投下して利益を得る運動の連続体ということだ。これが僕たちの則っている「ゲームルール」ということになる。

 

生存が満たされた今、先進国に住む我々が社会のどこに問題を置くのか。「富」の概念が存在しなかった頃にはまるで存在しなかった「格差」という問題は、なぜ問題と言えるのだろうか。ライオンやチーターは格差の問題について思いを巡らせたりするのだろうか。家畜は?

 

このどうしようもない禅問答に答えを出していくために活動を続けていきたいというふうに回答すれば、少しは僕たちが会社を設立した理由についてイメージが湧いてくれるだろうか。僕たちはこの種の問いと向き合い続けることによって、現代社会の枠組みから自由になることができる。というかそれ以外に方法はない。僕たちはその抗いを通して、僕たちを縛り散らした枠組みから一つ一つ逃れていくことができると信じているということだ。

故に、僕は会社にプロレという名前の重たい十字架を背負わせた。資本主義活動の矛盾に問いかけ続けるために。

 

そういうわけで、僕たちが取り組んでいるのは「既存のゲームルールに従った株式会社=営利活動」でありながら、「僕たち自身との闘争」である。
ユニークであるが故に「既存の枠組みに対する抵抗運動」を含蓄する。


その結果、僕たちにできることは青天井になると信じている。なぜなら、既存の枠組みから逃れ続けるメカニズムと創造性を獲得していくメカニズムはまるで同じだからだ。

人材業界というのはとても面白くって、「他者理解のために自己の脱皮をひたすら繰り返さなければ価値も売上もでない」というメカニズムになっている。そして業界や企業を横断的に見ているからこそ「機会に聡く、事業選定が可能になる」ということだ。
それがあらゆる業界に事業を展開し続けることのできる理由になる。故に機会が多く人材が育つという好循環を回すところまでいきたい。そして少しでも多くの企業が模倣したらいいと思うし、輩出されていく人材が多ければ良い。当然僕も後世に機会を明け渡すことを念頭に置いて生きている。それができないようであれば、既得権の仲間入りだ。そうなったら少なくとも僕は生存理由を失ってしまう。




僕たちが中心に据える価値観は「自己の内面と向き合い続ける」でしかなく、このたった一つのことに取り組み続けている限りにおいて、社会に対して価値を発揮し続けることができると信じる。そしてそれがそのまま採用要件となる。
時には過去の自分を否定しなければならないこともあるだろう、トラワレに気づいた時には酷く傷つくこともあるだろう。でもそういったことを一つ一つ乗り越えていくことでしか、僕たちは誰かに何かをとどけることができないはずだ。

僕たちはそういう集団でありたいし、その取り組みを続けていくと決める限り、名義上雇用主である僕とあなたとの関係は常にフラットだ。馴染みのいい言葉でいえばティールを目指していると言えるのかもしれない。

 

 

現状を書いておこう。コロナによって事業計画の80~90%は泡のように消えていった。
代わりに僕たちは生存することを第一目標に計画を修正した。
5月時点で立て、銀行に提出した売上計画は、発生ベースで見てみれば6月7月と順調に達成している。これはひとえに共同創業者のおかげである。(僕は売上を上げるといったことがどうも苦手のようだ)
それでも会社の存続は常にギリギリで、毎日資金繰りのことで頭を悩ませながらもがいている状態だ。

 

僕はマルクス主義者だろうか。ピケティ主義者だろうか。ケインズを信望しているのかそれともデービットアトキンソンか、小熊英二か。誰でもいい。

とにかくgが労働生産性×労働人口で計算される限り、今の日本において労働生産性のみがgのレバーだ。これを飛躍的に高めることができない限りおそらく死ぬ。

資本/所得率β=s/g で、gが伸びずにs(ストック=貯蓄)が増える限り、国民所得αは搾取され続ける運命にあるからだ。そうなると資本収益率rはどうなる?

 

僕は2020年のコロナを皮切りに、どちらかといえば慢性的な大不況になるという前提に立ちたいと思う。恐慌によってrが下がり続ける限り、ビジネスの主役はもっぱらgで、労働収益率である。


この未曾有の不景気をr > g の格差を広げるものとして捉えない。
rはg(生産性)が上がらない限り格差を拡大することができず(これは米と日の比較で明らかになる)、できているとしたら奇妙な再分配が起きているはずだ。もし仮に今の日本でβが伸び続けている限り国民所得αは10年でしぼみに萎むだろう。消費が死ぬことでrの収益率は絶対に下がる。それが2050年に起きるトレンドかもしれないが、僕は2020-2030に起きる最重要トレンドだと読む。

 

 

僕たちは内面的な自由を獲得するプロセスを通して創造性を獲得し、
その創造性があるからこそ夢を見続けることができる。ビジョンという夢を見続けることができる。大学生の時に見えてしまった共産資本主義の合流というブループリントに少しでも近づけるために、歴史の歯車のひとつになるために、バトンを落とさずしっかり後世につないでいくために。