世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

戦後の瓦礫を拾う

 

 

「・・それで、お前さんのやりたいことって本当のところ、なんなのよ」

 

「戦後の瓦礫を拾うのさ」

 

「本当に?」

 

「そうだよ。だって今自分たちが生きているこの社会に瓦礫なんて残ってないんだから。それは当時の日雇い労働者や、悪名高い暴力団が、人々をまとめ上げて、そうして今の社会を築き上げていったってことでしょ?そしたら自分も、戦後の瓦礫を拾う以外に仕方ないでしょ。」

 

 

 

半年ぶりに備忘録を書いておこうと思う。なにか節目のようなものを感じたからだ。
おそらく何事もなければ、今月に引っ越すことになる。キャバ嬢にピザを配っていた時に感じていたあの時の憧憬は、半ば必然のように吸い寄せられていった。それ自体は全く予想だにしていなかったのに。

 

 

 

「相田〜〜!つぎラトゥールね」

「はーい」

 

休学をしていた時は奨学金を生活費に回していたから、どうしても4年生の授業料を支払うことができずにいて、それで勉強の邪魔にならないバイトのうち、自分の興味に合うものということでピザ家のデリバリーのアルバイトをしていた。

「相田〜これいける?」
「いけます!ライオンズマンションですね」

 

 

そう、あのライオンズマンション。

 

 

 

西新宿という街は、1960年代にぽつんと建設された高層ビルの先駆け、京王プラザを皮切りに開発されていった。当時都心といえば丸の内周辺。その反対に位置する新宿エリアを副都心として位置付け、池袋・新宿・渋谷エリアをつないでいくことで、
新しい都心をデザインしていく。その当時の西新宿は、悠々とした土地が、今で言えば壮大に余っていたと言える。

再開発はおそらく大成功だった。西新宿のオフィスビルへのアクセスのよさから、
小田急線・京王線・中央線を中心に、都心に通勤するいまのライフスタイルが定着していったと言っていいだろう。小田急・京王といった百貨店が新宿西口にそびえ立ち並んでいくことも、都心のデザインはひょっとすると精巧だったのかもしれない。

そうして現在の都庁を誘致していくことになる。建築家は、丹下健三である。彼もまた、戦後の瓦礫を拾ったのだ。その思いは、日本の近代化。マルクス主義に挫折した丹下健三は次第に実存主義に傾倒していくらしい。見事に自分もそのような思想的な流れを踏むわけだが、その丹下は、都市計画をもって日本復興を企てていた。

当時の近代建築はこの地震の多い日本において、高層化は非常に難度の高いテーマだった。技術自体は戦前には確立しているが、エンパイアステートビルなどを中心に新しいライフスタイルがアメリカを中心に始まっていく中、日本がなぜ高度経済成長を迎えることができたのかといえば、複雑性の高い高層ビルの建設に成功し、しかもその都市デザインを確固たるものにしたこともまた、見逃してはならない点だと思う。

近代化の流れは今も変わらず、まず先に壮大な建築物があり、それに目掛けて人流がもたらされ、周辺に利便性が機能されていくという順番なのだろう。
人口が1つの都市に集中してしまうのは、超巨視的な計画の緻密に計画されたデザインが、他の都市には数々の思惑が生じてしまうであろうが故に合理性を欠いてしまったからなのかもしれない。歴史を踏まえてみても日本がまだ京都を中心にしていた頃、それがなぜ成立したのかと言えば、西は長州・薩摩、極東に武蔵国と、日本國自体の認識が成立しておらず、それが故にトランザクションの中心地がたまたま大阪を商業の中心としていたからといえる。尤も、米などの物流もまた西回航路を使うわけで、今でいう阪神湾はそのはしりだったといえよう。「美しきもののみが機能的である」という言葉を丹下健三は遺したが、当時の大阪、当時の新宿は人々を魅了する美しさがあったのかもしれない。

 

 

ところで、うちの母親は小田急のエレベーターガールとして働いていたらしい。それもあって、自分は西武新宿という比較的賃料の安い沿線で生まれ育つことになった。そこに働き口があったからだ。

 

そう思えば、もしかすると自分の出生に関わっていたかもしれない小田急の再開発と、自分がいま新宿エリアで仕事をしているのはなにかしらの因果関係があるのかもしれない。ひょっとしたらまったくないのかもしれないが、そう解釈することを否定する必要はない。もしそうだったと解釈したとして、これからの副都心はどのようにデザインされていくのかを考えてみるのはいいかもしれない。あるいはそんなことは京王や小田急、住友不動産に任せてしまってもいいのかもしれないが、自分としてはすみふのIRはしっかりとチェックしていくことにしたい。これからお世話になるんだったらば。

 

 

自分とはどんな存在なのか。最近はそんなことをよく考える。

今の自分の状況が、なにか夢を見ているかのようなそんな感覚になることもある。
今の自分になったのは、果たして本当に自分の努力によるものなのだろうか。
それとも、才能によるものなのだろうか。
それとも、本当に運が良くて、たまたま逆境を跳ね返せるだけのラッキーが続いていただけなのだろうか。

身も蓋もないことを言ってしまえば、そのどれもが欠けることなくそれなりに作用していて、その結果として今の自分が形成されていったのだろう。
だけど、そのたまたまの巡り合わせで生きてきてこれてしまった今の自分に対して、もはや自らの意志で、自らの可能性を切り開いてやろうといった野心的なお気持ちが残っていないことを白状しなければならない。

それはもしかしたら誰かにとっては失望のように映るかもしれないが、(そもそも自分はもう30歳だ)そうではなくて、自分はもうすでになにかの可能性の上に乗っかっていて、残りの人生はその運命のレールに運ばれていくだけになってしまったんだと捉えるようになった。そのレールの行方が仮に思い通りにならなかったとしても、それはその結果を受け入れるだけの心の器ができつつあるように思う。

今までは自分のことを「天才ぶりやがって」とか言われていたら、少しは怒っていたし、攻撃的になることもあったかもしれない。だけど、今それを言われてしまったとして、果たして自分はその言葉の表層を舐めて、激昂するのだろうか。むしろ、「そう思わせてしまって申し訳ない」とすら思うかもしれない。自分が求めていた環境や、自分が求めていた生活は、なにか窮屈な叩きつけられを受けずに済むように強くなることだった。僕はその一心で、もしくは、初恋の女の子への懺悔の気持ちとかもあるかもしれないが、なにか一つでも自分の弱点を知っていて、その弱点を巧妙に貫くことができれば、こいつの人生を全てなし崩しにできるかもしれないといったささやかな悪意から、完全に自分を守ってやりたいといった気持ちもあったかもしれない。でも今はそういうことをもし仮に思わせてしまっているとしたら、それはきっと「まだこいつには勝てる余地があるんだ、そうに違いない」といった一縷の可能性を相手に期待させてしまっている自らの未熟さを嘆くしかなく、その攻撃をもし受けてしまったとしても、それは自分の責任として甘んじて受け入れる必要がある。っていうか、もしそんなことを喰らってしまったら、従業員に申し訳ないかもしれない。まだこいつは俺と張り合えると思っているらしいって、思われてしまいました。すみませんでしたって。

それほど、自分がまず強者であること、そして極限までに強くならなければならないことを明確に自覚しなければならなかった。

 

 

社会人、新卒の時の自分はとにかく不安だった。不安は当時の文面からも滲み出ており、こいつの不安感の正体は、「なにか自分の人生や可能性は、これ以上好転することはないかもしれない」といった不安感で、「このまま行くと自分はなにかしら鬱屈とした自尊心を抱えたまま、惨めな人生を送るかもしれない」といった恐怖心が拭えなかった。自分の人生のコントロールを持てていないことに、極度な怯えを感じていた。

 

でも今は違う。今の自分は超人として生きていく基礎を養ってしまった。それは管理職が感じる憂鬱さに近いかもしれないが、さらに、今の僕は「これからどんなことが待ち受けようとも、自分は自分の力で、正しい道をきっと切り開いていけるはずだ」という経験からくる自信を備え始めている。どんなに辛い経験がこれから訪れようとも、その未来は憂鬱かもしれないが、きっと乗り越えていけるはずだと思う。

 

 

これからの未来は、未曾有のハードシングスが待ち受けていることは間違い無いだろう。もしそうだったとしても、それを理由に何かに屈服してしまったり、服従してしまったり、隷属してしまうことを選択して良いのだろうか。

むしろ今までの歴史的な偉人がそうしてきたように、私たちもまた未来を選択する権利を等しく与えられているのではないかと思う。

 

もしその権利が少しでも得られるならば、僕はその未曾有のパルプンテの先にある瓦礫を一つ一つ拾っていくことにする。みんながそうしてくれたように。

もしかしたらその仕事は特段おもしろみもないかもしれないし、つまらないかもしれない。自分らしく生きるなんてことは叶わないかもしれない。でも、それが未来の働かなくてもよくなった世界のインフラとして、どんな形であれ遺ってくれるならば、自分はそれだけで十分生きたと思える。

 

自分たちが卒業しなくてはならないのは「なにか20~30年生きてきたこの自分なりの特別な努力を、誰か才能のある存在が無条件で自分を見つけ出し、それによって幸運な人生を送ることが約束されているはずだ」という幻想から醒めることだと僕は思う。

パンチラインとしてはバキバキすぎて敵を作るように思われるかもしれないが、僕はずっと、そう思い続けている。

それ以外に特段やりたいことはない。強いていうならば、僕の報われてほしい人たちが報われるまで尽くすことだけで。このままだと日本、本当に終わっちゃうかもしれないから。