世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

叶わない夢

 

喪失とは、価値観のアップデートだ。

ポジティブに捉えるならそうなると思う。

 

 

僕は人よりも物事を悲観的に捉えやすいタイプだと思う。
人よりも答えを出すのに時間がかかるタイプだし、自分の認識に対して懐疑的な人間だ。いや、そうなってしまったと言った方が正しい。

 

 

僕にとって会社を大きくするということは、自己認識の誤りに気づいていくプロセスのように感じる。なぜならば組織は、会社は、社会との利害調整をどのように行ったかによって利潤の最大化が期待される。社会に求められる利害調整の最大公約数をシステムとして包括的に捉えたときに、会社は拡大する。大抵の場合、自己認識が間違っていたことを認めることによって拡大の兆しを捉える。

 

 

他方で、自己認識の誤りに気づくということと、創業した会社をどうしたかったのかという点、理想を追求するという点で矛盾が起こる。この矛盾こそが、意思決定の歪みをもたらし、悩み、苦しみ、間違った判断を招いている。

 

つまり、出発点が間違っていた場合、継続の意思をどのように保つのかという究極的な問いに戻りかねないのだ。

 

「左派は資本主義に向いてない」僕はそう思う。

学生時代から、自分は比較的左寄りの人間だったと思う。しかも、その左寄りの発想が稼ぎを生み出すという点で相応しくないかもしれないということもまた、おそらく大学生のうちからうっすらと気づいていたことなのかもしれない。

 

自身の持つ価値観そのものが、欲望との接合点になかった場合、もれなく葛藤に堕ちる。社会に適応することの難度が高くなっていることを実感する。

 

 

だけど自分は、今思えばその手の悩みを「生きるためには仕方ねえ部分もあるだろ。じゃあお前はもう一生社会構成員にはなれねえだろ」と一蹴できるタイプの人間でもあると思う。この社会そのものが悪意駆動ということに対して、しかたないで済ませられる程度には理解があると思う。でもそれは、なぜそう思えるかでいったら、「たまたま自分が能力的に言えば比較的上位レイヤーとして生まれ育つことができた」と自覚しているからだと思う。客観的に言えば自分は怖れられるタイプの人間だし、マッチョなことを言うタイプだと思う。そんな自分が「思想でいったら労働党寄りだし、保守層って感じでもない。」って言ったら驚かれるかもしれない。

 

これは自意識の問題なのだ。なぜそのような自意識のねじれが起きてしまうかで言えば、理由は一言で表される。つまり、

 

成熟した社会では、どんな能力を持つ若者ですら相対的な弱者であるから。

 

その構造を認識している。少なくともそう思う。

 

その中でも、「究極的な競争に身を置く」ことを決断したということでもある。これは正直普通の決断じゃない。よっぽど深刻な悪意を孕んでいるか、よっぽど誠実かつ相当自分の能力を過信していないとできないことだと思う。おそらく自分は後者だった。

 

高い能力から繰り出される成熟社会における付加価値へのこだわりは、組織拡大に悪影響を及ぼす。自己認識と社会認識のズレが引き起こす諸問題は従業員を困惑させる。

 

会社拡大は大まかにいって採用と事業二つのマーケットから価値を認められることが重要だ。正直うちらのようなサイズの会社が採用マーケットで選ばれることの難度は鬼高い。
労働集約ビジネスが個人の能力に依拠して成立するとするならば、その個人の能力が付加価値要素になると認められない限りは品質の維持ができないことを意味してしまうが、そもそもそのようなフィールドに品質で競争優位をもたらすことを兼ねてより企画してはいけないのだ。当然創業メンバーは気が狂っているので、その手のマーケットでトップオブトップの品質を出すことくらいできなければとても起業なんて博打を打ってでないだろう。だけど現実的に採用できる人員構成のことを鼻っから検討もしていないことも同時にある。

 

高い品質を維持することの難しさと、顧客定着の難しさを同時に学習する。理想論で言えば顧客定着のその割合が高ければ高い方がいいに決まっている。でもなぜ現実的にそうなっていないのかをもっと深刻に考えるべきだ。「自分であればその課題を克服できるのではないか」という安易な驕りが、成長を妨げる可能性を考慮していない浅はかさをまず呪うべきである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会の終わりとハードボイルドワンダーランド

未曾有のパルプンテに備えることが一個人や一法人にできるのかどうかわからないって状態が続いているので、この文章がある種の預言書となるように、備忘録として書いていこうと思う。

 

 

 

大学時代の同期が外銀に勤めていた。最近話を聞いたところによると、米ドルを中心とした第一世界は相当ミシミシ言っている*1らしい。その証拠に今日も今日とてレイオフが旺盛だ。

 

もちろん、彼らはそのような経済リスクがあることを承知でキャリア形成しているはずなわけだが、基本的には経済成長性があって、それから資本収益性*2があるというのが常だ。もし経済成長性よりも資本収益性の方が優位に収益率を改善することができるとするならば、それは将来の経済成長性をアービトラージをしている期間にすぎず、将来期待された経済成長性を下回った際に一気に不況に突入するのは推して知るべきだろう。

 

 

では、この経済成長性gはどのように成立しているのか、ということが重要になる。結論から言ってしまえば、自分はここに結局労働価値説が存在しており、人々の労働生産性が経済成長率を下支えしていると考える。

 

この労働価値自体が下がってしまう原因はいくつかあるが、代表的には「代替手段の台頭」と「勤労意欲の低下」によって簡単な説明がつくように思う。

代替手段の台頭は生産手段の進化と多様化である。これはソフトウェアによって巻き起こる業務効率化と自動化である。ことwebやIT系において言えば、単純業務であれば常に代替手段が存在する時代になっている。機械化や自動化について最も先に導入されるのは有形製品の生産においてだろう。

第一次産業と第二次産業の生産効率があがっていることがおそらく経済成長にとって特に重要なレバーであるはずだが、資本を中心に据えると短期的にその指標が意味を持たなくなる感触がしてくる。資本を生み出すという点において、お金がお金を生み出す資本収益rが重要になるが、それは「生産」と「貿易」が一定程度賄えている状態が保障されている点に限定される。

生産と貿易を支えるのは人口であるが、この人口にも生産年齢という奥行きが存在している。おそらく若手人員が多い健康的なピラミッド構成であれば、労働収益性を担保することができた、他方高齢人材が増えれば増えるほど、既存のビジネスモデルに対して、高い収益性を持たない限り労働収益性が落ちてしまうという人材版のジレンマ構造に陥っているのが現状だろう。ここから新しいものを生み出すのは文化的にとても難しい。この高齢社会+人口減によって、生産と貿易を下支えするメインプレイヤーがもはや「人手」ではなくなってくる、というのが2020年代を象徴する一つのテーマとなるだろう。

 

人手ではなくなってくるというのは、ダブルミーニングである。そもそも代替手段の優位性によって人手が不要になっていくと言う側面があるが、もう一つ、今の社会に巻き起こる人手がいらなくなることの意味合いに「業務の高度化」が挙げられる。おじさんたちが口を揃えて「お茶汲みをしているだけでお金がもらえる時代があった」ということを言っているが、まさにそれだ。

「先進技術を手段として学習していきながら、抽象度の高いコミュニケーションを取りながら定常業務を推進する」こと自体がホワイトカラーに生きる人々に余儀なくされていると言うのが、人手ではなくなってくるの真奥に見えている。
つまり、そんなやつは大量にはいないということだ。

おそらく全ての人々は来たるべきパルプンテを迎えたタイミングでドラスティックに人生が変動していくということにはならない。実際的には、ひょんな拍子で今の会社で務めていくことが難しくなった時に、緩慢なホワイト職への失業に見舞われることが確定しているといったところだろう。人生100年時代と言われ、年金生活が破綻している社会の中で、どうやったって50歳以降の仕事が今行っている業務の延長では絶望的に食えない状況の中で、僕たちはどう生きるのかという問いにぶち当たる。

先進技術を若者が学習する時、今までであればおっさんの圧力によって封殺できていた社会が、どうもそれでは通用しなくなるらしいという文化的要因から、世代間バトルが勃発し、我々の生きる道筋が潰えてしまうかもしれないといった心配事が今日も僕たちの脳裏を掠め、悩まし、これからの人生にぼんやりとした不安を残し続けるハメになるのだ。

そんな時に、人々は真剣に働くのかと言われ、「そりゃしゃかりきに働きますよ!!」という人間がいようもんなら、そいつらはなにか頭のネジがぶっとんでいるか、気が狂っているに違いない。僕たちのようなクソしゃかりきに生きてやろっかな♪の方こそが狂っているという事実は、自分には相当ダメージのでかい気づきだった。

 

とはいえ、これは国家の問題である。というより、割と限定的な世界の先進課題である。この問題に直面しているのはひょっとすると西側陣営だけだったのかもしれないし、ロシア中国を中心とした第二世界*3は、もう少しビビットにその課題に直面している可能性もある。

若年失業率が相当高い可能性があるという話は、中国人オーナーの社長さんが言っていた「ECは996で月10万円で働く」と言っていた本当にあった怖い話からも察することができる。9時-21時の勤労を週6勤務で月10万円で行っている中国人が本土には大量にいるらしい。
あの人口でそんな暴力的な労働が罷り通ってしまったら日本経済が大丈夫なわけなく、対処の可能性として存在するのは「それでもホワイト職で働きたいがために労基法的に違法な996を受け入れる」社会であるが、自分個人の見解として、日本はなんかそうはならない気がしている。
理由は、「自国の未来に希望があるかどうか」によってハードワークを許容できるかどうかが決まっているように思えているからだ。中国人がその働き方を許容できているのは「将来に月100万円以上の物販オーナーになれる可能性が高い」と踏んでいるからだ。日本にはあまりそのような未来は想像できない。

他方、日本人はとにかくフリーランスになりたがる。フリーランスはとにかく大変だし、社会的地位でいうとアルバイトパート領域と同じく相当低い位置になってしまうことは認識として間違ってはならない。
なぜ日本人の、特に男性がフリーランスになりたがるのかをよくよく考えてみると、自分の仮説としては「日本男子はそもそも他者と協働して何か新しい価値を生み出すということが根本的に苦手な民族だ」というふうに言えると思う。
自分たちはあまり馴染みのないことであるかもしれないが、百姓という身分は根本的に「村のコミュニティに順応して、その相互関係によって生産性を高めている」というわけでは決してなく、むしろ、個人個人が土地を所有もしくは借り上げて、家族ないし一族として農耕するというのが一般的であったということだ。

正社員という雇用制度が日本には存在しているが、そのようなメンバーシップ型の雇用形態がなぜ成立していたかと言えば、先に書いたように業務がもう少し簡単だったことに加えて、戦後の高度経済成長期において、製造業が生み出す雇用の裾の広さと、協働を必要としない業務工程に究極までに分業してきたがゆえに、気難しい日本人と特性を抑えた発展を迎えることができた可能性が非常に高い。和犬は本当に気難しい。いわんやである。

協働が必要とされているホワイト職が苦手なのは、そもそも協働を重視する民族では意外となく、世俗的で超個人主義的であるがゆえに、「責任を誰かに押し付けて生きていくことが生存戦略として至極有効に機能することを生得的に理解している」からという残念な結末となる。フリーランスが増えるのは、職人気質の人間が多く、利潤追求という会社の合目的にそぐわない人々が多数派であるからといえると自分は考えている。

 

 

これからの日本社会や世界を考える上で、「超個人化していく社会」という考え方はおそらく回避のしようがないと思う。生来的に日本人は宗教的なバックボーンがなく、個人の利益を第一義的に信仰しているので、超個人化する社会*4との相性がすこぶる良い。

 

社会民主主義のさきがけ的存在として日本が代表モデルを構築する可能性は否定できない。おそらく段階的であるが、今の自由民主的な経済を表層として残しながら、大多数の人間が社会民主的、もう少しいうと生産や貿易という経済の根幹を担う職業については政府主導で展開していくと予想できる。その場合の雇用は守られるが、労働時間は週休4日という相当限定的な形となるだろう。労働対価はベーシックインカムのような方式で配給されるようになり、時給換算すると労働階級よりも高いということが想定される。それがEUやアメリカよりも先に日本の方が先に確立するだろうと思う理由は、その発想に抵抗感の最も少ない民族だからと言えるだろうか。

 

社会はもっともっと分断されるだろう。むしろ、その分断をひょっとすると僕たちは望んているのかもしれない。SNSが発展することによって、相対的な序列がどこまでも可視化されることによってみんな鬱屈とした自尊心を抱えてしまった。それを皮切りに、間違いなく労働階級と消費階級は区分されるようになる。これはもしかすると2020年代には実現してしまうかもしれないが、消費階級は労働を撤廃されているかもしくは先のように単純かつ政府が管理している生産や土木インフラのような仕事に直雇されていき、かつ自由経済を信望する層に対しては税制優遇をするといった措置になっていく。そうなると根本的には法人税率は上げることなく、個人消費や消費税率が上がっていくのはやむを得ない形になっていく。

 

 

 

労働階級は基本的には自由経済を信仰するが、消費階級をバカにすることで溜飲を下げる存在となり、一番不憫な存在になる。この層のマジョリティに僕たちゆとり世代がフィットするのは免れられないが、僕たちの標語は「真面目に勉強して真面目に就活していい企業に就職することができれば、自分たちは社会的地位の高い安定した職業にありつけるはずだ」というパワーワードであり、最も搾取できるしされるとみなされてしまう存在である。彼らはどれだけ搾取されようと自分の信じた人生設計を信仰するので、夢から覚めることなく絶望することが確定している。彼らがどうしてそのような憂き目に遭ってしまうのは、「誰かの責任で生きていくことが最もコスパが良いと生得的に理解してしまっているから」ということになる。

 

新しい士農工商は投経労消*5だ。農工に携わる雇用者と被雇用者はいつの時代だって不憫な存在であることに変わりない。これでなぜ暴動が起きないのか、全くもって疑問にしかならないが、みんなで一斉に仕事をやめることが許されたら良いのに、とは常々思うところである。

ただし、これがベースな生き方に仮になるというのは、現行技術進歩がそこまで発展しなかった場合においてだと自分は思う、この多次元的な未来の存在が、予測を困難にしている。もう少し長い時間軸で、2040年以降はどうなるのかで言うと、テーマは二つだと思う。

・AGIによる労働の消滅

・エネルギー問題の解決

OpenAIの創業者であるサムアルトマンの見ている世界認識が、おそらく最も未来を予言しているだろうと自分は思う。

エネルギーの供給が解決されるというのは、生産にかかる原価が限りなくゼロに近づいていくということを指している。AGIやAI、ロボットによって生産効率が♾️に近づいていくとき、モノの価値は極限までに下がっていく。そうなると付加価値を生み出す要素が自然に消滅していくようになる。もちろん、趣味嗜好として残るには残るのだけど、大多数が湯水のように湧き出るエネルギーを元手に、AIが製造するという時代になるし、一家に一台の核融合発電装置といった時代や、アンドロイドが小型核融合装置を心臓に自走し、耐久年数も100年を超えるといった時代が、全然生きている間にしかもまあまあ高確率で訪れることが期待できる。*6

 

そのような社会において「増えすぎた人口を減らすべき」という意見が出てきても仕方ないと思うが、もし我々が粛清されずに済んだとするならば、もしそのような未来で過ごしていく上で新しい精神的な富を享受するために自分が言えることがあるとするならば、

「そうした新技術の個人所有が実現できるようになった際に、キャッシュで買えるくらいお金を貯めておきなよ」という暴論になる。

自分はフィジカルがほぼ人間に近く、知能が人間の100倍を超えるようなアンドロイドがアルファード一台分の料金体系になった時に社会が根本的に変わると思う。その未来の働き方を想像することは自分にはできず、働かなくても良くなった未来の新しい労働は何かよりも、大量の時間を何で消費するのかについて今から思いを張り巡らしていくのが良いんだろうと思う。そう考えれば考えるほど、今の限定的な社会の価値基準で生きていくこと自体が全く見当違いであり、子の教育においてできることでいえば教育をせずに柔軟な考え方を持たせてあげることまでであると思ってしまう。

 

そのような未来において、しかもおそらく自分は、子を産み育てるということよりも、自己複製が流行るように思う。子供を生み出すことよりも容易に自己複製ができるようになってしまった社会、それも、エリートを中心にそのようなことを仮にしでかすようになってしまった時に、いよいよ社会分断はまた別の次元での戦争状態になるが、おそらく能力を持たない弱者は淘汰されてしまうだろう。その可能性が否定できないんだとしたら、自分たちにできる準備は筋トレくらいかもしれないが、手からビームをだしてくるような連中に勝ち目はないので、泣きながら死ぬしかない。そうならないように準備をしておけることがあるとしたら、新技術をキャッシュで買える資産という結論になる。

正直、その先の未来においてどのように生きていくかとか、今の価値観をどの程度持続的に維持するかとかって、実際のところ超どうしようもなく考えても仕方ないことっぽくて、だけどひょっとしたらなにか準備がまかり通るんじゃないかって一縷の期待に想いを馳せたくて仕方なくなってしまうのは、浅はかな人間らしいなと自分でも思う。

 

 

できることとしたら、ファンタジーな未来が現実的にまじで到来するってことにわくわくしながら、その時代の訪れに備えて、どの道中の今をどのような時代にすると良いと考えられるかを考えることが、ある意味で自分の使命のようにも思っている。仮の答えは、モノの価格を下げることだと感じている。まあそりゃ、99%人間のアンドロイドをアルファード一台分で販売もしくはリースする事業ができれば、僕の人生は最高なんだけど。

 

ヘビロテしてた曲載せる。*7

 

 

 

 

*1:米ドルを基軸通貨とした西側諸国のこと。FRBの金利上昇と合わせて米銀行は破産の危機にあるように見えている

*2:ピケティのいうr>gを元に。資本収益率rの効率を資本収益性と語るそれに対して経済成長性は経済成長率gのことを指す

*3:ロシアは実はBRICSという第三世界との戦略的な結びつきが異常に強い。中国を別として、ロシアはこの第三世界を味方にするという点で西側への最終的な対抗手段とみなしているはずだ。歴史的な因果律でいえばもちろん第一世界VS第三世界の代理戦争をロシアウクライナで実現しているという点で相当次世界のリーダーシップをとっていると言えるかもしれないし、そのようなロシアに協調する国々があることに特段の驚きはない

*4:超個人化していく社会を悪しと捉えるかどうかは正直わからない。ただ組織を持続するという点で悪影響があるのは否定できないだろう。個人の所得や所有財産が仮にどんなに少なくなり、どんなに社会的地位がなくなったとしても、不自由で隷属した人生よりも超個人化することによって生存していくのだという発想の方を信じてみようと考えることが間違った考え方だといいたいのは、既存体制側の理屈だと自分は思っている

*5:投資家・経営者・労働者のさらに下層に消費のみを担う人員が増えていくと自分は想像する。

*6:多分、人間の寿命も相当伸びることになるから、今の自分たちにできることは、なるべく致命的な病気にかからずに健康に暮らして、寿命を伸ばすまで生き延びるって感じになる

*7:これ読んでた時もきいてたから印象ついちゃった

shogakukan-comic.jp

戦後の瓦礫を拾う

 

 

「・・それで、お前さんのやりたいことって本当のところ、なんなのよ」

 

「戦後の瓦礫を拾うのさ」

 

「本当に?」

 

「そうだよ。だって今自分たちが生きているこの社会に瓦礫なんて残ってないんだから。それは当時の日雇い労働者や、悪名高い暴力団が、人々をまとめ上げて、そうして今の社会を築き上げていったってことでしょ?そしたら自分も、戦後の瓦礫を拾う以外に仕方ないでしょ。」

 

 

 

半年ぶりに備忘録を書いておこうと思う。なにか節目のようなものを感じたからだ。
おそらく何事もなければ、今月に引っ越すことになる。キャバ嬢にピザを配っていた時に感じていたあの時の憧憬は、半ば必然のように吸い寄せられていった。それ自体は全く予想だにしていなかったのに。

 

 

 

「相田〜〜!つぎラトゥールね」

「はーい」

 

休学をしていた時は奨学金を生活費に回していたから、どうしても4年生の授業料を支払うことができずにいて、それで勉強の邪魔にならないバイトのうち、自分の興味に合うものということでピザ家のデリバリーのアルバイトをしていた。

「相田〜これいける?」
「いけます!ライオンズマンションですね」

 

 

そう、あのライオンズマンション。

 

 

 

西新宿という街は、1960年代にぽつんと建設された高層ビルの先駆け、京王プラザを皮切りに開発されていった。当時都心といえば丸の内周辺。その反対に位置する新宿エリアを副都心として位置付け、池袋・新宿・渋谷エリアをつないでいくことで、
新しい都心をデザインしていく。その当時の西新宿は、悠々とした土地が、今で言えば壮大に余っていたと言える。

再開発はおそらく大成功だった。西新宿のオフィスビルへのアクセスのよさから、
小田急線・京王線・中央線を中心に、都心に通勤するいまのライフスタイルが定着していったと言っていいだろう。小田急・京王といった百貨店が新宿西口にそびえ立ち並んでいくことも、都心のデザインはひょっとすると精巧だったのかもしれない。

そうして現在の都庁を誘致していくことになる。建築家は、丹下健三である。彼もまた、戦後の瓦礫を拾ったのだ。その思いは、日本の近代化。マルクス主義に挫折した丹下健三は次第に実存主義に傾倒していくらしい。見事に自分もそのような思想的な流れを踏むわけだが、その丹下は、都市計画をもって日本復興を企てていた。

当時の近代建築はこの地震の多い日本において、高層化は非常に難度の高いテーマだった。技術自体は戦前には確立しているが、エンパイアステートビルなどを中心に新しいライフスタイルがアメリカを中心に始まっていく中、日本がなぜ高度経済成長を迎えることができたのかといえば、複雑性の高い高層ビルの建設に成功し、しかもその都市デザインを確固たるものにしたこともまた、見逃してはならない点だと思う。

近代化の流れは今も変わらず、まず先に壮大な建築物があり、それに目掛けて人流がもたらされ、周辺に利便性が機能されていくという順番なのだろう。
人口が1つの都市に集中してしまうのは、超巨視的な計画の緻密に計画されたデザインが、他の都市には数々の思惑が生じてしまうであろうが故に合理性を欠いてしまったからなのかもしれない。歴史を踏まえてみても日本がまだ京都を中心にしていた頃、それがなぜ成立したのかと言えば、西は長州・薩摩、極東に武蔵国と、日本國自体の認識が成立しておらず、それが故にトランザクションの中心地がたまたま大阪を商業の中心としていたからといえる。尤も、米などの物流もまた西回航路を使うわけで、今でいう阪神湾はそのはしりだったといえよう。「美しきもののみが機能的である」という言葉を丹下健三は遺したが、当時の大阪、当時の新宿は人々を魅了する美しさがあったのかもしれない。

 

 

ところで、うちの母親は小田急のエレベーターガールとして働いていたらしい。それもあって、自分は西武新宿という比較的賃料の安い沿線で生まれ育つことになった。そこに働き口があったからだ。

 

そう思えば、もしかすると自分の出生に関わっていたかもしれない小田急の再開発と、自分がいま新宿エリアで仕事をしているのはなにかしらの因果関係があるのかもしれない。ひょっとしたらまったくないのかもしれないが、そう解釈することを否定する必要はない。もしそうだったと解釈したとして、これからの副都心はどのようにデザインされていくのかを考えてみるのはいいかもしれない。あるいはそんなことは京王や小田急、住友不動産に任せてしまってもいいのかもしれないが、自分としてはすみふのIRはしっかりとチェックしていくことにしたい。これからお世話になるんだったらば。

 

 

自分とはどんな存在なのか。最近はそんなことをよく考える。

今の自分の状況が、なにか夢を見ているかのようなそんな感覚になることもある。
今の自分になったのは、果たして本当に自分の努力によるものなのだろうか。
それとも、才能によるものなのだろうか。
それとも、本当に運が良くて、たまたま逆境を跳ね返せるだけのラッキーが続いていただけなのだろうか。

身も蓋もないことを言ってしまえば、そのどれもが欠けることなくそれなりに作用していて、その結果として今の自分が形成されていったのだろう。
だけど、そのたまたまの巡り合わせで生きてきてこれてしまった今の自分に対して、もはや自らの意志で、自らの可能性を切り開いてやろうといった野心的なお気持ちが残っていないことを白状しなければならない。

それはもしかしたら誰かにとっては失望のように映るかもしれないが、(そもそも自分はもう30歳だ)そうではなくて、自分はもうすでになにかの可能性の上に乗っかっていて、残りの人生はその運命のレールに運ばれていくだけになってしまったんだと捉えるようになった。そのレールの行方が仮に思い通りにならなかったとしても、それはその結果を受け入れるだけの心の器ができつつあるように思う。

今までは自分のことを「天才ぶりやがって」とか言われていたら、少しは怒っていたし、攻撃的になることもあったかもしれない。だけど、今それを言われてしまったとして、果たして自分はその言葉の表層を舐めて、激昂するのだろうか。むしろ、「そう思わせてしまって申し訳ない」とすら思うかもしれない。自分が求めていた環境や、自分が求めていた生活は、なにか窮屈な叩きつけられを受けずに済むように強くなることだった。僕はその一心で、もしくは、初恋の女の子への懺悔の気持ちとかもあるかもしれないが、なにか一つでも自分の弱点を知っていて、その弱点を巧妙に貫くことができれば、こいつの人生を全てなし崩しにできるかもしれないといったささやかな悪意から、完全に自分を守ってやりたいといった気持ちもあったかもしれない。でも今はそういうことをもし仮に思わせてしまっているとしたら、それはきっと「まだこいつには勝てる余地があるんだ、そうに違いない」といった一縷の可能性を相手に期待させてしまっている自らの未熟さを嘆くしかなく、その攻撃をもし受けてしまったとしても、それは自分の責任として甘んじて受け入れる必要がある。っていうか、もしそんなことを喰らってしまったら、従業員に申し訳ないかもしれない。まだこいつは俺と張り合えると思っているらしいって、思われてしまいました。すみませんでしたって。

それほど、自分がまず強者であること、そして極限までに強くならなければならないことを明確に自覚しなければならなかった。

 

 

社会人、新卒の時の自分はとにかく不安だった。不安は当時の文面からも滲み出ており、こいつの不安感の正体は、「なにか自分の人生や可能性は、これ以上好転することはないかもしれない」といった不安感で、「このまま行くと自分はなにかしら鬱屈とした自尊心を抱えたまま、惨めな人生を送るかもしれない」といった恐怖心が拭えなかった。自分の人生のコントロールを持てていないことに、極度な怯えを感じていた。

 

でも今は違う。今の自分は超人として生きていく基礎を養ってしまった。それは管理職が感じる憂鬱さに近いかもしれないが、さらに、今の僕は「これからどんなことが待ち受けようとも、自分は自分の力で、正しい道をきっと切り開いていけるはずだ」という経験からくる自信を備え始めている。どんなに辛い経験がこれから訪れようとも、その未来は憂鬱かもしれないが、きっと乗り越えていけるはずだと思う。

 

 

これからの未来は、未曾有のハードシングスが待ち受けていることは間違い無いだろう。もしそうだったとしても、それを理由に何かに屈服してしまったり、服従してしまったり、隷属してしまうことを選択して良いのだろうか。

むしろ今までの歴史的な偉人がそうしてきたように、私たちもまた未来を選択する権利を等しく与えられているのではないかと思う。

 

もしその権利が少しでも得られるならば、僕はその未曾有のパルプンテの先にある瓦礫を一つ一つ拾っていくことにする。みんながそうしてくれたように。

もしかしたらその仕事は特段おもしろみもないかもしれないし、つまらないかもしれない。自分らしく生きるなんてことは叶わないかもしれない。でも、それが未来の働かなくてもよくなった世界のインフラとして、どんな形であれ遺ってくれるならば、自分はそれだけで十分生きたと思える。

 

自分たちが卒業しなくてはならないのは「なにか20~30年生きてきたこの自分なりの特別な努力を、誰か才能のある存在が無条件で自分を見つけ出し、それによって幸運な人生を送ることが約束されているはずだ」という幻想から醒めることだと僕は思う。

パンチラインとしてはバキバキすぎて敵を作るように思われるかもしれないが、僕はずっと、そう思い続けている。

それ以外に特段やりたいことはない。強いていうならば、僕の報われてほしい人たちが報われるまで尽くすことだけで。このままだと日本、本当に終わっちゃうかもしれないから。

 

 

 

社会人になって5年が経った。

僕が新人の頃に想像した、未来の理想的な6年目に果たしてなれているだろうかと思うと、おそらく、想像していたよりも遠いところにいるような感覚がある。
会社は3期目。今年もあと3ヶ月を切っている。会社の状況はその自分達の手応えを反映させてくれるだろうか。

 

2017年9月

思ったよりも僕は自分の意志で自分の人生を切り拓いていないのかもしれない。そういう意味で、結局何が起きたとしても僕はその生活範囲に限定された思考をし、その限定的な生活範囲から出ようとするようなことはわざわざしないらしいことがわかってきた。だから少なくとも起きたこと、この生活範囲においては最善解を出すことに腐心していくべきだ。

あるいはそろそろ自分を崖から突き落とすような勇気を持つべきなのかもしれない。もしかしたら崖から突き落とされたとしてもケロッとした顔で「なんとかなったわ」とか言ってるのかもしれない。
結局、どっかでそうしないといけないことは薄々わかってきている。それが明日であるか、5年後であるかの違いにどれだけ差があるのかはわからない。ただ、まずはそれがいつになるかについて答えを出す必要があることだけはわかってきている。

 

 

2017年12月

こうして環境は僕の意志とは無関係に変動し続ける。一発留年してしまったら、今のこの状況が生まれてなかったように。
だからこそ、この後者の選択には覚悟が必要であり、その覚悟は明確な目的と強い意志が必要になる。僕は今、2016年の自分がそのための助走をしていたことを知った。自分が今何をしているのかということは、今その時点ではよくわからず、後になってここにつながったって言えるものなのはどうやら本当らしい。

 

 

2018年10月

目的から言えば、僕が今の会社に入った一番の理由は「大資本パンチを打つことができるから」だ。結論で言えば、「1年目で打つことはできなかった」ということになる。

 

2019年10月

僕は今も昔も、できる限り自由になることを望んでいる。能力開発や教養を身につけるということはおそらく、自由の切符の意味合いがあるのだろう。
そのひとつの具体的かつ簡単なイメージとして、「自然豊かだけど交通の便が良い」という贅沢な土地柄を求めていて、居住選択の自由を行使したいのだろう。もしかしたら国内でもないかもしれない。
30代後半と言ってるのは、それまでは冬の時代でも耐え忍ぶ覚悟を意味しているのだろう。

 

2019年12月

「本当にクソみたいな社会で、どうしようもないと思うんだけど、もしかしたらちょっとクソまでは持っていけるかもしれない。本当にやりたいことかどうかなんて、僕にはどうにもわからない。仕方なく、やるしかないと思ってる。やるしかないんだと思う」

人は自分の弱さと向き合おうとはしない。だけど、死と弱さを天秤にかけると、弱さと向き合わざるを得ない。「死に対する納得を得る」というエゴイスティックな欲望ただ一点においてのみ、僕は僕らしく生きていくことに取り組み続けなければならない。

 

2020年10月

一方で、サラリーマン時代に自分が受けていた恩恵を、同じ立場を経験することによって、自分が踏みにじってしまっていたことに対して自覚的になってきた。
当時の自分は一体何と戦っていたのか、まるでわからないのだけど、それでも自分は多分目の前の事業や市場をなんとかしたかったという気持ちは変わらない。

 

2021年8月

暫定的に出している自分の見解は鄧小平とだいたい同じ。「過程がどうであれ、結果が良ければそれに従うべきだ」と思う。
当人が間違った欲望をもっていたとしても、本人が無自覚であろうと、そのことに触れず、ビジネスのインテンティブ構造にハマるよう導くことができれば、それでいいんじゃないか。過程ではなく、結果を常に見続ける。それによって現実はどうだったのか。

 

2022年1月

キミはこれから降り起こる数々のことに傷ついたり、ひどく落ち込んだり、人間不信になることもあると思う。そしてその傷を癒すのに途方もない時間がかかるかもしれない。もしかしたら、どうしようもなくなるかもしれない。離婚するとわかっていて結婚するようなもんさ。でもそれは僕が選んだことなんだ。

 

 

 

 

 

2022年10月某日

会社を立ち上げてから2年と数ヶ月の間に、たくさんのことを経験してきた。本当にたくさんのことを経験してきた。その間、ビジネスを知った。より多くのビジネスということを体験してきた。感覚してきた。人を知った。人間を知った。人間を理解しようとしてきた。意味を理解してきた。構造を理解してきた。現実を理解してきた。

 

それは僕が選んだことだった。全て僕の選んだ選択の結果だった。

それでも僕が望んでいることは変わらなかった。今もこれからも変わることはない。


だけど僕は変わろうと思った。僕自身を変える必要があることを知った。

僕はあらゆる人々の敵として君臨するにふさわしい人間だった。

 

 

 

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社長というのは大抵、なんでもできる。
営業・採用・マーケティング・企画・デザイン
法務・労務・人事・総務・経理・会計・財務

 

僕は大抵のことであれば、ちょっとしたキャッチアップを挟めば大体のことができるようになってしまった。
ひょっとするとそれは元々そういうものを生まれ持っていたのかもしれないし、
自分が高校生の時からずっとアルバイトをし、10年にも及ぶ長い期間の中で、さまざまなことを経験してきたものがアナロジーとして利いているからかもしれないが、社会人になって2年が経ったタイミングで言語化したことがその象徴だと思う。

「専門性に依存しない働き方を僕が選択する限り、僕の専門性は能力開発スキルだ。」

これは、自分の専門性なのだと。

 

自分がすべきことは、ここに対して新たに学習するケーパビリティを決めていくこと。
そのそれぞれの各論をより深く理解しようとすること。その能力をもとに協働していくこと。その能力の外化によって法人のケーパを拡大していくわけだが、結局法人のケーパが増える前兆に社長の能力の上昇が必ず発生する。

 

どんなに自分がその一つの各論について、あらゆるものに劣後すると思ったとしても、
それが社会的に見て高い水準であるかもしれないことについては考慮が必要だ。

 

ただし、スキルなんてものをいくら磨き込んだとしても、我々のような人種にとって些末なことでしかない。

 

自分達が究極的に極めなければならないことは、不確実性の高いものを決断すること以外に存在していないから。

 

不確実性の高いものを決断する際に、リスクやダウンサイドを極力下げていくことは当然可能だし、その選択によってより安全な経営をすることは比較的容易だが、

 

それを自分達が望むのかというとそうではないし、むしろ、一見安全だと思われる選択をしてしまうことで長期的に見た時にそれが最も悪手な打ち手であったと明らかになる可能性もある。

 

あらゆる物事を統合的に踏まえた上で、わからないことを一つ一つ仮決めしながら前に進まなければならないことが前提となる中で、わからないからといって行動をしないことを選択してしまうと、会社が傾く可能性があるということを理解してほしい。

 

 

自分はどちらかというとリスクを嫌うタイプの人間だ。決断したことがうまくいかない可能性のことをリスクと呼ぶのか、あるいはその選択をし、それが失敗してしまった場合、会社に対してどのレベルの毀損を招いてしまうのかという点が明らかになっていないものに対して積極的にお金をかけることはしないということだと思うが、

これは産み出た利益の使い先として妥当性を感じられないものに対してはひどく警戒することも同時に孕んでいる。

 

うちの会社のお金の流れとプロセスの流れ、何かが行動されてからお金として現実的に受領できるまでの流れを自分は把握している。
キャッシュインとキャッシュアウトがあるが、ストックビジネス的でありながらキャッシュインが先行して、後からアウトがついてくるモデルであることを踏まえると、
ある程度のキャッシュがあれば十分リスク回避ができていると言えるはずなのに、
分厚く単月利益を持ちたがる。

 

これはもちろん2期目までに発生した繰越欠損金を打ち消して、自社の利益剰余金を蓄えてから踏み込みたいという気持ちの表れでもあり、現実的に受領されて期末でキャッシュがどれくらい残るのか、本当に現実的にキャッシュが残った上で来期以降はその資産を踏まえて積極的にキャッシュアウトを増やしていくということを実現したいからという至極合理的な感覚なのだが、経営の時間軸と自分の気持ちの面での時間軸が合っていないことによってストレスになるシチュエーションが続く。

 

スモールビジネスでありながら、急成長を目指したいが故にこのような感覚に陥っていることを理解していきながら、たとえば新規で入社した社員がオンボーディングされてから実際に活躍するまでに半年かかるとなった場合、その半年間は我慢を強いられるということになってしまうのか、と言ったように、

 

あらゆる物事を並行して処理しておかなければならない中で、並行的に処理をしていく中で、それぞれの成功失敗を評価し、次策につなげていかなければならないが、
その施策の結果に対する評価に主観が入ってしまうこともあるし、適切に評価ができないせいで意思決定を間違えてしまうことだってある。


本来であればうまくいっていたはずの施策を、なにか一つのインシデントによって全てがダメだったと評価してしまった場合、間違った選択を続けてしまうことだってある。

そうした物事に対してものすごくシビアな視点で、事実に基づいて、客観的に評価をしていかなければならないが、並行して走っている施策が増えれば増えるほど、その難度が跳ね上がっていくのだ。

 

 

となると自分にとって重要なのは、「その施策を客観的に評価し切るまでに必要な現実的なタイムラインを、施策を実施する前段階であたりをつけた上で、撤退基準を定量的に踏まえていく」ことになる。これもう少し全体性を持たせていくとするならば、
「今期着手することと着手しないこと」を決めることと「来期着手すること」を決めることになる。

 

現実的にはなにかしらの会社にとってテーマとなることが浮上した場合、そのテーマをクリアしない限り前に進めないといった意味で、今期や来期といった単元でそのテーマの締切を設けることがナンセンスになるケースが存在している。そうではなく、そのテーマをクリアした場合に次のテーマが存在しているが、そのテーマをクリアするまでに現実的にどの程度時間がかかるのか。そのテーマをクリアするまでにどの程度の収支がかかるのかを想定しながら、たとえ期限内にクリアできなかったとしても継続していく勇気を持つことが重要だった。

 

僕はこれを、利益が発生する力だと思っている。
むしろ、ここができないと会社に利益をもたらすことは難しい。
コストリターンを見極める力を養うことができれば、大規模な資金調達だってしたらいい。その際に金利がいくら高くなろうとも強気の姿勢を持つことができる。

 

 

自分達は創業一期目に2500万円の借入を引っ張ってきた。
創業3期目で4行と新規取引をしている実績だけでも年商50億レベルの社長に「すごい」って言われるのに、それを自分達は1期目で行ってきた。
会計士さんには「理想すぎる」と言われてきた。
当時の事業計画のような、2億の売上をだすところまでは到達していないが、
確実に「利益を生み出す力」を自分達は手にしている。

 

自分が今身につけなければならないのは調達したお金をどんな時間軸でどう支出していくことができればトップラインを底上げすることができるのかを考え抜く力だ。

利益を生み出す源泉は組織の仕組みに備わるので、利益を生み出す源泉を仕組み化できていることが条件になるが、それも合わせて現実的なタイムラインを設定していく。

 

日本はあらゆる諸外国の中でも最も金利が安いといっても過言ではない。
こんだけ金利が安い世界は他にないんじゃないかと思うが、他方で、借りにくさもあるだろう。創業融資は特に、難しかったのではないか。

自分が次の資金調達を行う際の目的は財政基盤強化とし、
ICRから考えて現実的な手元資金を準備しておくことでどんな想定外が起きても当座会社を潰れにくくすることが重要だと思っていた。

金利を下げ、利息を利益から払っていくことができれば、元金に手をつけさえしなければ良いという考え方だ。自分達は安心や保険にいくらお金をかけたいのか、ということになる。

 

これは返済実績を積む上でも重要な考えだと自分は思った。誰かにそう言われたわけではないのだが、自分は経営をしていく上でそれが安全なんだと思った。

 

それは現実的に必要だとしても、それだけを続けていては会社の急成長に資することはできない。リスクを減らす考え方とともに、適切なリスクを取る考え方を同時にしなければ、自分達の理想とする世界に到達することができない。

 

 

 

とにかく自分が思うのは、リスクリターンを勘案する全体性、マーケットや世界情勢を含めた時間軸の適切性、あらゆることを包含してアクションプランを並列させる同時性をどれほどまでに高次元に卓越させたかによって、会社の急成長は成り立っているということで、その決断までにかかるスピードを上げることができれば、倍々成長が実現できるといったところだろうか。

 

1000万円を支出した場合にその1000万円が1000万円以上の営業利益を持ってくるかどうかなど、考え抜くことによってそもそも実施しなくても良いことを検証するコストを支出しなくていいなど、シミュレーションが経営の効率性に寄与することもあるが、そのシミュレーションを行なって蓋然性を上げるまでの時間をトレードオフに、どっちが適切なアプローチかを考えていくことはそう簡単ではない。それを単純化して決断力という言葉で丸めていくことになるが、やはり会社に利益をもたらすのはその力であるかと思う。

 

利益が出ていさえすれば、あらゆる物事に対する交渉のカードが増えていくのであれば、それを最大化するに越したことはない。一方で、その利益を維持するために支出を抑えるというのは本末転倒だ。適切な収支を計画することによって決断のしやすさをあげていくことが必要で、その勇気の元手はスキルとかそういうものでなく、

自分達はどうしたいのか。

 

この問いにいつまでも答え続けること。

 

 

経営の勘所を抑え始めたという点で、この直近3年間はよくやっているんじゃないかと思う。机上の妄想でこうなんじゃないかと思っていた時間が重要ではなかったとは言い切らないが、少なくとも給与所得者時代の自分は貧弱だった。

 

また、自分達が身につけていることをスキルや能力といった安易なもので語ってしまうことはある意味で自分達を冒涜している。
自分達が真に身につけている力は、前を向き続けることだと思うし、内面に向き合い続けることだと思うし、何が起きても屈しない精神力だと思う。

 

精神力の高い人かどうかはもはや2~3言話せばわかる。この人が辛い経験を乗り越えたかどうかは、その人が紡ぐ言葉に顕れる。

 

自分達が辛い経験を乗り越えていくこと、振り返ってみるとこんなことは社会人になる前には想像もしていなかった。だけど自分はなんとか乗り越えていこうとしている。

今に耐えられなくなりそうな時は、向こう5年のことを考えてみる。10年後のことを考えてみる。10億の時の自分達について想像してみる。100億、1000億の自分を想像する。自分が死んだ後に残る自分達の会社のことを想う。次世代に何を遺していきたいのか。自分が死んだ後の世界にどうやって貢献していくのか。

 

その意味で、自分達はくるところまできたのだ。手応えならある。この3年間を足がかりに、もっと土台を強化して、来るべき飛躍に向けて、今まで以上に積み上げていくことができれば。

 

3期目上半期の振り返り

 

「いやてか何しにこんな田舎まできたの?w
 ほかに予定があって、そのついでにきたとかじゃないの?どうせ笑」

 

「いえ、この予定のためだけに朝イチで来ました。提案もなんにも持ってきてないです。挨拶をしにきました。元リクのよしみで、可愛がってもらいたくてきました」

 

「だっはっはっはっはwwwもういいよ、もう全部予算つけちゃおうよ笑
 しっかしえげつないことを考えているね。君たちみたいなのがいるから、世の中の中小企業は倒産しちゃうんだよ?こんなの、だれも受注しないでしょ笑」

 

「ええっと。。。」といって、微笑んだ。岩槻さんは相変わらず爆笑している。


「ちがうんです!これは、営業活動で試行錯誤していく過程で、これが最も喜ばれる形だってわかったので、このビジネスモデルになったんです!我々に目先の利益はでませんから、中長期にわたって関係構築をしようとした結果、こういうプランニングになりました」

 

「まあ、中小企業はね。。」

 

 

6月は出張続きだ。たくさんの得るものがあった。これからの展望も、今までの試行錯誤も、きついこともあった。今の自分がどう感じていたのかは残しておきたいと思った。

 

1月から6月まで、決して順調とは言えなかった。経営は、半年前の意思決定が、1年前の意思決定が、2年前の意思決定が、現在の結果に繋がってくるものだと感じる。今現時点で下した意思決定が、結果として顕れるまでに、タイムラグがある。

 

12月1月2月の自分はこう考えた。

1.収穫逓増のモデルにチェンジするために必要な条件を整え、そのモデル自体が損益分岐するまで、労働集約的な、線形的なビジネスでキャッシュフローを回すという形に切り替える。

2.いくつかの事業の箱を用意して、そのそれぞれのビジネスモデルを組み合わせることで、リスクを下げていく。

3.ストックビジネスで底堅く利益を生み出し、余剰利益でCCCをマイナスにし、経営を安定させた上で、大胆な投資を繰り広げていく。

こういったプランニングがいったんの実現性を以って結実しそうな渦中に到達した。

 

4月から6月にかけて、おそらくオペレーションを作りに行っている。それは残論点だった。3Qも、オペレーションの確立を目指している。

考え切った後の残論点は採用のみとなる。採用・分業体制・育成基盤・代謝
考え抜いたかどうかは今自分達が解いているお題が結局なんなのかということを見ればわかる。今の自分達は、「システマティックに生産体制が確立されているかどうか」を確認している。

結果としてそれは順調に推移しているように思う。ただ、問いは前に進んでも、売上に跳ね返ってこないことを不安に思う。

 

採用全般をよりうまくいかせるための変数があるとしたら、
求人方法×職務要件×採用基準×オンボーディング×オペレーションの簡素化
この5要素が必要になる。どれか一つでもマイナスを作ってしまうと、途端にうまくいかない歯車のようで、大変だ。残る要素はこうなる。

求人方法
職務要件
採用基準
オンボーディング
オペレーションの簡素化

 

考えてみれば自分は、アジェンダメイキング・アジェンダセッティングさえ終わってしまえば、順風満帆に進んでいくのだと思っていた。そんなはずはなくって、結局のところ自分がケツモチとして、そのアジェンダ設定から各論にまでブレイクダウンをして、そのそれぞれの細かい要件を決めていかないと、なんにも前に進まないことを知った。

未知や未経験に対して、答えを出す仕事を担う人材は、自分以外に存在していないと思った方が良い。各論を握るべきだ。そしてそれは物凄い希少性のある力ということをもっと自覚したほうが良い。当たり前の基準にしてしまった瞬間、なにも動かなくなる。

 

 

また、いくつかの構築した仮説が結実したタイミングであった。自分達の施策によってあるサイトの重要KWの検索結果1位を確立したり、SEO経由でのCV数を増やすことによって、O2O的な結果が得られたり、手応えを掴んで行った。

また、営業手法も更なる磨き込みをし、ビジネスモデルも併せてアポイント獲得に困ることは無くなってきた。小さな実績が積み上がることによって、引っ張りだこになっていく感覚がある。今はまさに、弊社争奪戦なのだ。

おかげさまで、取引先の規模がどんどん大きくなっていっている。それはさまざまな要因があるが、特に自分がいい判断だったと明確に言い切れるのは、「稟議制度に対するそもそも論と、それに対する営業方法の考えを磨く」ということだった。

今までの自分達は「決裁者にいかにはやく繋がるか」という点を重視していたが、それは「キャッシュフローを作るために短期でみると仕方ない」というのが前提としてあったが、
「一旦キャッシュフローが確立してしまった今、重要なのは受注リードタイムではない」という判断から、「決裁者にリーチできないのであれば稟議をいかに登っていくかを考えるべき」と決めた。これが功を奏した。

 

具体的なことはかけないけど、なにかうまくいく秘訣があるとしたら、それは永遠に「相手の状況をどこまで想像し切ったか」に尽きる。それはマーケティング的とも言えるし、営業的とも言える。とにかく、会社の業績を思うなら、営業的要素とマーケティング的要素とデザイン的要素は、すべて一つの基盤に集結する。それを習得する必要がある。自分がプロダクトアウト的な発想や、プロダクト型のビジネスに対してアンチな理由は、この一点にある。そして、その内面的課題もよく理解している。「自分達がいいと思っているものは、認められるに違いない」という驕りだ。そういうのは早々に諦めたほうが良いだろう。

 

 

全ての職能に対して「当初想定していたこととは異なるが、結果としてよくなっている」という意思決定を続けてきた。ファインプレーだったと思う。その結果として短期的な収益や実績は置き去りにしてしまったが、結果として得ている収穫逓増型のビジネスモデルに対するスイッチングは、ようやく始めることができそうだ。もちろん、そう簡単にうまくいくだなんてまるで思っていないし、始まってからが大変なこともよくわかっている。だけど、今までに比べたら、もっともっと簡単に、前に進んでいくんだろう。

 

ゼロから1を生み出していく過程と、この育ってきたイチがサンになり、10にする過程、10になってから30、40、50にする過程、そのそれぞれは本当に考え方が異なる。

 

その異なる考え方を一人の人間が補っていくというのは不可能ではないが、実現性は低い。また、10を100にする人間、100を101にする人間、それぞれの気性や価値観や性格はまるで違う。未知や曖昧さに対する耐性がある人間は、ものすごく希少だ。もはやそれはいないものとしたほうがいい。社長だけが、唯一その耐性を持っていると考えたほうが、うまくいく確度は上がるだろう。ただ、ゼロイチができる人間はその後のアジェンダもこなすことができる。考え方に応用が効くからだと思う。この根本的な資質は、おそらく後天的に育成できないものだと思った方が良いだろう。あるいは、そういうことができる人間のそばに張り付いて、真似することならできるかもしれない。

 

 

日本社会にゼロイチな環境がほとんど存在していない。ものすごく綿密な仮説と、思考実験と、実践結果、膨大な試行錯誤を乗り越えるメンタリティを、この社会は必要としていない。むしろ、そういう才覚を潰すようにシステムされていると考えた方が妥当だろう。

 

社会は、平準的な人々に最適化されて生きやすくなっている。そのことを思えば、生きにくさの正体が掴めるかもしれない。反逆者であろうが、海賊であろうが、そうした批判を受けてしまうことを恐れてはいけない。

 

 

なんとなく今の自分は、この日本社会でどうやったら新規事業が成立するのかを学習してしまったような感覚がある。何が必要で、何が不要なのか。誰が必要で、誰が不要なのか。何を考えるべきなのか。どのように進めるべきなのか。

 

上半期に得たものを、ビジネスモデル以外の形で語り得るとしたら、「再現性のある新規事業開発のエッセンスを学習してしまった」と言えるかもしれない。それが本当なのかどうかについてはよくわからないけど、たとえばサイバーエージェントや、ラクスルが新規事業を何本も確立していったことと、今自分が思っている確らしさは相当に似ていると思う。

 

また、収益性の高いビジネスモデルを構築してしまうと、利益額で単純な比較をしなくなってしまったり、そのビジネスがどれくらいの純利を生み出しているかだけで判断してしまい、オセロの四隅的要素のように、伏線的必要性を忘れてしまうことがある。自分も、創業当初から考えてきた資金繰りの計画と、現在考える資金繰りの観点がまるで異なることに困惑している。この複雑性が低く、一つの確立した考え方に従っていれば、事業は横展開可能であるという幻想から自立していくことが求められていると実感する。

 

多少時間がかかっても、その後の非連続な成長を思えば、ここでの足踏みは許容すべきだという決断も、結局すべて自分の判断に依る。会社の安定性がまだまだ確立していない中でとるべきリスクではないならば、急成長を追うことでかえって成長できなくなってしまうならば、それは避けるべきだ。

 

うまくいっていることと、うまくいかないこと、将来的なトップラインを期待させるイベントと、そういうものが指数関数的に積み上がって、複雑な状況が続いている。

今自分はなんのアジェンダに向き合い、外さない決定をするにはどうしたらいいのか。どれくらいの支出までならしてよくて、どこまではしてはいけないのかを考えたりとか、そういうことをしているうちに時間切れになってしまう。各論を見に行かないと事業は前に進まない。ならば、空中のことを一旦放置する勇気が必要になるのかもしれない。

 

ただとにかく言えることは、1月開始時点と、7月開始時点を比べると、それはそれで会社の進歩を感じる。自分達はまだ3期目で、今の事業でマネタイズが始まったのは2期目の3月で、それを思えば、十分なスピードが出ているのかもしれないし、多分それは実際としてはそうなんだと思う。営業活動で得られる確かな手応えが物凄いインパクトとして跳ね返ってくるのは、時間の問題なんだって思いたい。

 

 

 

 

「僕たちが欲しいのは確かに目先のキャッシュではありますが、今日こうして来た理由であるとは思いません。10年20年先の御社との関係を、自分達は今一番必要としています。だから、提案とかそういうのがないんです。東京バナナならあります。もし今なにかあるとしたら、そういうのは全部やる前提でどうやるかを考えたらいいでしょう。」

 

 

ジョイントアカウントだとか、シンジゲートローンだとか、貴賓室や接待用の会食スペースだとか、みなと銀行とか、クライアントからのお墨付きとか、かきたいことはいっぱいあるけど、とにかく、6月は本当に大変だった。。。

 

 

 

 

自我喪失と才能と暫定的な解。

 

先日、諸藤さんの記事を読んだ(きいた)ので、ちょっと書いてみたいと思う。

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この記事で書かれていることを一言で表現するのは難しいけれど、一旦書きたい内容と呼応するようにいうのであれば「世代を超えた社会課題を解決する起業家は自我喪失している」という点かと思う。
そして彼らのチャレンジは、「自我喪失を乗り越えるほどの執着できる領域を特定した起業家は、株式会社という形態で世代を超えた社会課題を解決するような産業リーダーになり得るのか」というところだろう。

 

 

 

ところで自我喪失とはなんだろうか。

したがって、自我喪失とは、“これまでの延長で築いてきた自我だと生きられない、と身体感覚も含めて感じていること”と捉えられます。

 

 

これまでの延長で築いてきた自我だととても生きられない。
このような感覚に陥ることは常人に存在するのだろうか。

 

というよりはむしろ、自分が抱いている感覚は、

「ある一部の人間だけでなく、大部分の日本人はこれまでの延長で築いてきた自我だと生きられないような時代に突入してしまうんじゃないか」
ということだ。

自分もそれに例外なく当てはまると直観しているので、「じゃあそうならないためにどうしたらいいのか」という点に執着しているんだ、と現在の自分では解釈している。

 

自分を例外としない大部分の日本人だと考えた時に、将来の自分がこれまで築いてきた自我だと生きられなくなることを直観することができるかどうかは、人を雇用する立場としてものすごく敏感に検討している。結論から言えば、「ほとんどの人間にそれは難しすぎる」になるのだけど。

 

 

いろんな過程をすっとばして、自分が創業してから、今現在感じている自分の価値観を書きたいと思う。

 

今までの自分は、何か世界通念として共有しあえる適切な価値観というものがあり、それが文化として根付いてくことができれば、なにか社会はポジティブな方向に進むのではないかと考えていた。「これはみんな異論ないだろう」ということを掲げることができれば、きっとそれに基づいて社会はよくなるはずだ。というような価値観だ。他方、それはもうすでに存在している。例えば憲法という形で。例えば政治経済といった形で。例えば常識といった形で。

そのため、そうした歴史的背景を踏まえ、世代を跨ぐことによってバージョンアップを図っていくことが大切なんじゃないか、と聞こえのいい言説を持つことができる。

 

ところが今の自分は、「もし人間がまともだったら、そんなものは必要なかった」と考えるようになった。性悪説を支持する高校生の自分のように、「永遠の愛が本当に存在しているなら、それを誰かに誓う必要なんてまるでなかったはずだ」といったように。

 

つまり、人間は最初っからまあまあダメで、これからも多分まあまあダメなんだと思う。それを正しいとか正しくないとかそういう二項対立やどちらがより優れているかとか、そういう軸にすぐに置きたがる性分であることも含めて、人間はまあまあダメな存在なんだということだと思う。生物が完璧な状態にならない理由があるのなら、自分はそれを知りたいと思う。

 

ただ一つ、自分の中にある謎の価値観として、誰に言われるまでもなく「人間がまあまあダメだとわかったからといって、お前はそれを言い訳になにもしないということにはならないだろう」と思ってしまう性分だと思う。

 

例えば最近、にわかに話題になったスタンフォード大合格の件。

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この内容やコメントの中に存在している「努力できない環境にいる人間だっている」という、弱い立場に立って弱い発言をする人間がいるが、僕はそういう人たちに対してこういうと思う。「努力ができない環境が仮にあったとして、その中でも努力をする人間だけがスタンフォード大に行く。そしてそのことにお前は永遠に気づくことはない。なぜなら、お前には才能がないからだ。」

 

大学生の時に、村上龍の「愛と幻想のファシズム」を読んだ。その本で自分が強烈に殴られた葛藤体験がある。
「結局才能があるやつはどこからでも這い上がってくる。」

 

自分はこの歳になって、才能とは「何か一つのことに一貫して打ち込み続ける継続力」のことだと思うようになった。まさに将棋の羽生さんが言わんとするようなことだ。

きっと、努力ができるとかできないとか、努力についてなにか評論しちゃったりする時点で、才能がないんだと思う。

 

才能とは1つのことに打ち込み続ける継続力といった。では、その動機はどこからくるのか。答えは簡単で「自分の才能を強く信じ続ける力」だ。そのため、自分に才能があると強く信じ続け、どんなに険しく長い環境が続いたとしても、自分はいつかそれを乗り越えることができる、といった自分に対する究極的な楽観性を持っていなければならない。ということだ。

つまり、才能がない人とは、「この世で一番、誰よりも信じてくれる可能性がある自分自身が、自分の可能性を最も誰よりも信じていない人」ということなんだと思う。

 

 

自分の才能を強く信じ続けているやつは、常人からするとものすごく歪んだ認知を持っている変人だろう。逆に言えば、そう感じてしまうほとんどの人に才能はない。共感できる人間だけに可能性がある。人間はそもそも最初っからまあまあダメなのだ。一部の超例外的な人たちが、「ひょっとすると自分は才能があるんじゃないか」と強く信じ込んで、行動に移し続けた時に、運良く結実して、それが何かしらの才能として社会から認められるというだけなんだろう。

 

 

自我喪失があるとした場合。自分は、「ひょっとすると自分にはなにか期待できる未来があるんじゃないか」という希望と「このままいくとその希望が叶いそうにない」という絶望の境界線のことなんじゃないかと思う。自我に対する希望は誰しも備わりうるものなんだと思う。その可能性が潰えてしまうかもしれない時に、行動を変容させ続けることによって打席数を増やし、経験学習を通してその精度を磨き、どこかしらに軟着陸することができるかどうかは、喪失寸前の葛藤を克服した時に勝負がきまるように思う。その時に自分が瞬間的に、どっちを選ぶかは本当に「性分」によって決まると思う。その再現性のない性分のことを、自分は才能の源泉と呼んでみたい。

 

 

そんな限られた人間であることがなんとなく自覚できるような人生なだけで、もう十分に幸せな人生を送ってきたと言っていいと思う。自分はまだ、自分の未来の可能性に期待できている。もちろん、日がな「もうダメかも」と思うようなエピソードは続く。だけど、このもうダメかもを何回も何回も乗り越え続けることによって、「自分を信じる力」が湧いてくる。「もうダメかも」が一度でも「もういいや」になってしまった時、自分の可能性はそこで終わってしまうんだっていう恐怖心を抱き抱えながら。

 

 

 

自分はものすごくマッチョな考え方をするようになったと思う。自分の内面には、ネオ永沢先輩がいるのだ。
このネオ永沢先輩が嫌いだった。嫌いというより、「そういうのはお前のやりたいこととちょっとズレてるんじゃないの?」言い続けてきた。19の秋に「人のために生きる」と決めたからだ。
自分は先天的には強く主張するリーダータイプというよりは、人の意見を聞いて融通を利かせるフォロワータイプだった。しかし、自我発達段階で後天的に、二つの人格を保有することになった。「ネオ永沢先輩」と「人のために生きたい善人」だ。

 

今年に入って、このネオ永沢先輩を主人格にしていくことを決めたと思う。その理由は上記の通りだ。

 

だからといってガチサイコ野郎になることが正当化されるわけではなく、キモピエロ野郎になることが正当化されるわけでもなく「善い人でありたい」というお気持ちが毀損されるわけでもない。もっと言えば、自分でもよくわからなくなっている。

 

 

自分がやりたいこととはなにか?という問いの答えに「そんなものはない」とくるのはすでにわかっている。
現社会の課題をなにか解決するようなことができるとしたら、どんな課題に取り組みたいの?という問いの答えに「そもそもそれは課題なのか?」という回答になってしまうのもわかっている。

じゃあなんのために会社を経営しているの?と聞かれたら「自分の才能をレバレッジに生きるため」と答える。


そうではなく、長い長いプラトーに突入してしまっているんじゃないかとも思う。
いままでは自分の無知によって行動がでていたように思うが、今の自分は
「いうて憲法ができてまだ75年とかしか経ってないのに、戦後日本から現在にかけて起きた事象や親やおじいちゃんとかいう1世代2世代程度の必勝法だけで物事を考えるのは早計すぎるだろ」と思っちゃっているし、
「2020年から2050年にかけて、急激に社会環境が変わっていく中で、何もかもが予測もつかない時に何か現在の価値基準に従って指針を決めきってしまうと、かえって危ない」と思っちゃっている。

「経済だって、資本主義だってそれっぽいのでいえば産業革命以降200年程度のファクトしかない状態で考えてるんだから、なんか間違えてるっしょ」とすら思う。

「まあまあダメだとしたら自分達になんらかの介在余地はあるのか。多分ないんじゃないか」と思ってしまうし、

「そもそも人間はぜんぜんだめだし、もしかしたらそもそも人間に重心を置いて考えている時点で根本的な間違いを犯しているかもしれない」とかいう極論まで考え始める。

 

ただ一つ思うのは、「この時代に生きた人間は自分達だけだ」ということ。
あとから誰かが自分たちの記憶を振り返った時に、「この時代に生きたこの人たちは、こんなことを見て、聞いて、体験して、感じて、それでこんな考えに至ったのか」
と自分達の違いだったり、未来にいきる誰かにとって、何かしらの受け継がれる意志があって欲しいと思う。自分達が過去の人々から受け継いだ意志が、何かしらの形で継承されていくことができるのであれば、それがいいんじゃないかと思う。それをするのに事業を経営するというのは何かと都合がいい。

 

自分たちはおそらく死ぬ。おそらく死ぬし、社会とか、課題とか、より優れるとか、国際問題とか、もしかしたら本当は結構どうでもいいことなのかもしれないし、働くとか働かないとか、才能があるとかないとか、全部どうでもいいことなのかもしれないんだけど、どうでもいいことで、人間はだめで、でも最後に残るのは、そんな自分達でもどんな歴史よりも比較的平和で豊かに暮らせている社会が今現実として現存しているのは、きっと数え切れないほど沢山の誰かの、何かの仕事が長い長い時間をかけてここまで辿り着いたことに対する感謝の気持ちと、できればそれが次の世代にも続いて欲しいという願いだけなのかなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

この世界は私たちの生まれる前から存在している。


「−ところで、秦野さんにとって円安というのは、ポジティブなニュースでしょうか。」

 

「どうなんでしょうね、ポジティブなニュースじゃないでしょうか。変化が起きるというのは私たちのような小回りの利く業者にとって、いいことだと思いますよ。いえ、いいことにする必要がある。といったところでしょうか。」

 

「まさに。私もそう思います。どちらかといえば、ニュートラルなニュースと呼ぶべきでしょうか。私たちが事業を始めてから、ようやっと、マイナスではないニュースです。」

 

ロックダウンから始まり、何一つうまくいかない営業活動。2年超におよぶ長期化に加えて、ウクライナ戦争。
ポジティブなニュースが何一つない創業フェーズだった。

そして円安。

 

円安とはなんだろうか。
そもそも、円安とはなぜ起きるのだろうか。
なぜ物価は上がるのだろうか。なぜ一律でこのタイミングで、値上げが行われるのだろうか。


私たちにとってそれはニュースだった。今自分たちの置かれているマーケットは、社会情勢に色濃く反映されるマーケットである。

 

そもそも市場とはなんだろうか。経済とは?業界とは?
そのそれぞれは果たして本当に独立採算で成立しているんだろうか。そうではないとわかっていたとしても、それぞれの業界の相互影響や因果関係を、どこまでの解像度で見通すことができているだろうか。どこまでの解像度で、国内-国外の市場を捉えることができているだろうか。円安によって、何が起きるだろうか。起きると思っていることは、本当に起きるのだろうか。円安がもし仮に操作可能だったとした場合、どんな目的があって円安にするのだろうか。

 

「そうじゃないんですよ、わかりますか。何かを知った気になるのは100年も1000年も早いんです。ではあの目の前に見えている新宿御苑がありますね?あれはいつからありますか?あれはどんな大義名分があってこの新宿という都心に今も残されているんでしょうか。あれを残すという決断をした背景には、どんな利害関係があって、どんな言い分があり、どんな合意形成によって今、残存しているんでしょうか。代々木公園も、昭和記念公園も一緒です。そういったものを私たちは何も知らない。ただ、その土台の上に生きることが許されている。そうですね、この建物は、あそこのビル群は、いつから存在しているんでしょう。誰が、どうやって作ったのでしょうか。どんな人が建築に携わったのでしょう。材料は?どこから調達しているのでしょうか。道路はいつ建設されたのでしょうか。なんの不便があって作られたのでしょうか。幹線道路はどのような設計思想に基づいて構築されたのでしょうか。私はなにも知らない。なにも知らないはずなんです。」

 

究極的にいえば、このコロナという騒動も、戦争も、誰のどんな立場だったらネガティブなニュースなんだろうか。戦争が無くなった試しがない。そもそも他国に戦争があってしまっては平和ではないんだろうか。平和である必要は本当にあるのだろうか。

 

「ただし、今自分たちの生活にいったんの不便がないということには、もう少し感謝をしてもいいんじゃないんでしょうか。暑かったら冷房が効いていて、寒かったら暖房が効いている。お腹が空いたらご飯が食べられる。道端に捨てられていたゴミはいつの間にか無くなっている。そういう当たり前のことに、もう少しだけ目を向けてもいいんじゃないんでしょうか。そういう当たり前を抜きに、自分の都合ばかりをピーピーピーピー言っていて、恥ずかしくないんですか」

 

私たちは、この世界ができあがった後に生まれている。
私たちの意思とは全く関係のない、歴史的な因果関係を社会は包み込んでいる。

そうした因果関係を全く無視するような言説は、はっきり言って綺麗事ですらない。

ただの自己都合ポエムだ。

 

「福岡の地域に私たちのターゲットとなるお客さんが多いかもしれない仮説が立つ理由は、博多という土地柄が中国朝鮮半島との交易が盛んになっていた地域だからみたいだね。そこに流通が存在しており、問屋・問丸といった商人が増えていった。戦後、そこに新幹線が開通したもんだから、人流ができ、結果として博多天神はコンパクトだけどものすごいサイズの商業施設が立ち並ぶような都市になっていき、小売・卸業のメッカになったみたい。」

 

東京・神奈川・阪神・北九州といったように、港湾は重要だ。
ただし、港湾と闇は密接に結びついている。

 

 

「今治タオルと有田焼、南部鉄器といった鍋物、伝統工芸と言われるような商材は、どこも大体同じような市場環境だ。国内市場に流通している商品の8割が中国産で、8:1:1の比率で、今治、泉州になっている。なぜそもそも今治や泉州がタオルの名産になったかっていったら、繊維素材が資源として産出しやすい気候環境だったからだね。肥沃な土地にはそうした名産物が存在する。鉄製品も、古くから鉱山が近くにある土地柄で、鋳造工場がその近くに建設される。そのような因果関係がその産業を支えているということを自分たちはどうやら無視できないみたいだね。地球資源を中心に、社会は土台作られている。農林水産・工業の土台には資源が必ず取り巻いており、それが自分たちの環境だ。それを全体として経済が成立している。」

 

 

私たちは今、EC業界に特化して事業開発をおこなっている。EC業界といえど、もう少し広義にいえば製造業界だ。製造業界・卸業界・小売業界・・・
古く長く、太いサプライチェーンマーケットは、製造業だけで国内GDPの1/4を占める。

 

 

たまたま奇跡的な生き残り方をして、webマーケティングの支援をおこなっていく過程で業界の事業検証を繰り返していくうちに、EC領域だけ有意に受注率が高かった。その要因を「マーケティング活動によるレバレッジがかかりやすい領域」とみなした。

ひょっとするとこの一連の流れも、歴史的な因果関係なのかもしれない。

 

 

 

自分たちは最初っから事業領域にこだわるようなことはしなかった。なぜならば、「強固なキャッシュフローを構築し、その事業単体で100億円以上のポテンシャルを持っていて、その生み出た利益を元手に資本集約的なビジネスモデルを再構築していく」という初期戦略にこだわっていたからだ。

 

「100億円までは下積みだから、頑張るよ。それに、10期で100億円に到達できれば自分はまだ37歳だ。そっからあと2回はチャレンジができる。」

10期で100億円。もしくは1億ドル。到達の難しい目標の中でも実現可能なゴールを考えた。

「時価総額になんかこだわってないよ。どうでもいいだろそんなこと。つまんねえよ、時価総額なんて。もう少し手触り感のある目標の方が、ずっと楽しい。そもそも意味わかんねえよ、マザーズ市場でPSRの10倍目指すよりPSR1倍で100億の方が遥かに実現性ある。そういう意味わかんないメカニズムに一喜一憂する時間が勿体無いわ。そもそも俺、キャピタルゲイン興味ないし。だから投資も、投機もやらない。自社の事業でない限りね。そんなことしてる暇があるんだったら自社の事業の業績に向き合えよって正論にどうやっっっても勝てない。それか、スプラトゥーンをやるかだね。」

 

 

焼け野原になった新宿の、幹線道路を耕す働き手を思いたかった。

 

「10期で100億、小気味いい目標感だよね。でもこれも10兆円企業とか1兆円企業とかのビッグマウスと一緒みたいな扱いになるのかな。自分は根本的に真面目で、堅実で、同じことに長く取り組むタフなタイプだと自覚しているんだけど、そういうふうに映らないとしたら心外だな。うちにはさ、15期分のBS計画があるじゃん?それの年率成長率をみていくとしたらさ、5期連続で倍々成長しないといけないわけだよね。その後も140%とか130%とかの急成長。めっちゃきつくない?だから3期目とかさ、なるべく早いタイミングで300%とか400%とか出しておかないとあとがきついよね。でも短期業績を追ってギリ300%になってもその後の倍々成長を毀損させるんだったら意味がないからね。ちゃんと、後続の数値に悪影響にならないような数値作りをしていかないといけないわけだ。ビハインドした分をあとになって巻き返すのは、今頑張るよりもきつそうだ。そうなると、どう考えてもビジネスモデルを工夫するしかなくない?」

「でも、計画はすでにある。モデルもある。チームも仕上がってきた。最強のチームだ。組織づくりの方針も決まっている。採用力もある、あとなにが足りない?やり切る?想定外に対処する?覚悟をすること?本当に足りないことはなんだろう。自分は今の計画が少しでも進捗しないとめちゃくちゃ焦るな。でも4月はだいぶ持ち直したんじゃないか。そういう経営の仕方をしている。しっかり地に足つけた経営をしていると思う。」

 

 

 

「どうしてみんな、プラットフォームがあるところにまた新しいプラットフォームを作ろうとするのでしょう。独占的であればあるほど利用価値が高まる性質を持つビジネスに対して、同様の力学で挑んでも返り討ちに遭うだけです。だけど、プラットフォーマーの外側にプラットフォームを生み出すことはできますよ。どうしてみんなそのことに心血を注がないのでしょうか。本気で考えてるんですか?」

−みんながあなたみたいに100億円の売上を作れるだなんて思っていないんですよ。

 

ええ、そうだったら掲げてることを今すぐ撤回しなさいよ。お金持ちになりたいとかにしたほうがいい。恥ずかしいな。

 

 

 

−どんな会社に転職するの?社長はどんな人なの?って聞かれた時は、「社会を変える集団の、台風の目になっている人」って答えてる。こういう人が社会を変えていくんだって思うって言うとよく、会ってみたい!って言われる笑

 

「儲からないことをやるために、儲かることをしないとね。従業員やみんなを守りたかったら、稼ぐことから逃げちゃだめだ。本当にやりたいことっていうのはなかなかすぐにはできないもんだね。」

 

「自分はこれから10年20年に降りかかる地獄のような痛みも、焦げ付くような裏切りも、誰かにとっては悪魔のような決断も、全部覚悟した。もうわかったんだ。もしかしたらそういうことをやらないといけないって。誰かがやらなきゃいけない時に、やる人がいるとしたら、自分なんだと思った。自分はもうそれを選んでいる。相当ウダウダしたけどね。だから、もう大丈夫。前に進むことができると思う。」 

 

きっとこの発言のことを言ってるんだと思う。

 

 

 

−この人にだったらついていきたいと思った。もしこの人がはちゃめちゃな魔王みたいになったとしても、この人が誰よりも考えて、誰よりも悩んで、そう言うんだったらそっちのほうが正しいんだろうなって思う。

困ったな、できればそうなりたくないんだけど。笑

 

 

−自分たちだったら楽天を超えられます。きっと。

それは無理だと思う笑

 

 

 

みんな僕に期待しすぎだ。そんなに強い人間じゃない。強くあろうとしているだけだ。
困ったことに、最近は自己評価よりも他者の評価の方が高い。

でもとてもありがたいことだと思う。これから拡大のフェーズに入る。長い長い拡大のフェーズに入る。そんな突入期に今のメンバーで迎えることができ、自分はもう満足している。この先どんなことがあっても、なにか後悔することなんかないし、自分は幸せだったといえる。何が起ころうとも、最も楽しく儚いフェーズを予感している。

 

「この世界は自分たちが生まれる前から存在していて、その歴史的な因果関係は、当時の最善を選択し続けているはず。そう考えると、歴史というのは過去の選択の連続と捉え直すこともできる。もしそれを理解することができれば、自分たちはもしかしたら歴史を選択することができるんじゃないだろうか。そうだとした時に、僕たちはどんな歴史を選ぶんだろうか。

ここから先の未来は、地理的条件による因果関係では成立しないような世界だ。そのような世界にあって、自分たちの生活環境や、事業環境は、有形商材の今後は、どのように変わっていくのか。きっと限界費用に近づいていく。物の価格が下がっていくというのは何も悪いことだけではない。見方を変えれば、それはモノの価値が下がっているんじゃなくって、お金の価値が下がっているということだ。

それがいいことなのか、悪いことなのかはよくわからない。それに、善いとか悪いとか、もうどうだっていいんじゃないかって思う。何かが前に進んでいるかどうかのほうが、自分にとっては大切になっちゃったよ。社会は今もなお、とても大きな方向に向かっている。その未来が善いか悪いかなんて、誰にも分かりようがない。変わりゆくことだけが決まっている。その未来を自分たちで選ぶことができるかもしれないんだったら、最も残り得るものが未来になるんだったら、それをしたいと思う。」

 

 

 

−この方も、結構な施設数を観ているはずなので、選んで頂き有り難いことです!!

 

「1つ1つの成果に愉快な報告を送ってくださる取引先に恵まれることができて、とても有り難いことです」

と僕は言った。

 

 

 

 

 

自分を好きでいられる意思決定

私は今、奇跡的なバランスで経営を続けられている。

多分、何か一つでも欠けてしまったら、結構やばいと思う。
奇跡的なバランスを前提として、一つ、また一つ「もしかしたらやばいかもしれない意思決定」を、一刻を争うかのように推進する。

もしかしたらどこかで躓くかもしれないのに。


この奇跡の連続の中で、さらなる奇跡を起こすために今自分が考えていることをまとめていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

二期目の業績は先期比で232%となった。
500%以上を目指していた計画と比較して、とんでもないビハインドをしてしまった。
累損が割に増えた。2期目時点での自己資本比率は、マイナスである。俗にいう債務超過というやつだ。
それでも会社は潰れない。バランスさえ保っていれば。

これはひとえに自分の経営力不足だろう。1年間という時間軸と、自分達の現在の能力値を過大に評価してしまっていた。

しかし、得るものも多かった。今の自分の手触り感のある事業計画には本当に、積極的な意思決定を可能にさせてくれていると思う。

事業計画を現実味のある数値に落とすのは簡単だ。しかし、マーケットのリアリティを反映していない計画は、本当にただの絵に描いた餅でしかない。ところが、絵に餅を描かないと、なにも始まらない。

餅は描き続けるべきだ。いつか食べられる日が来ると信じて。

 

 

単月の黒字化を達成したのは9月に入ってからのことだった。そこから、1期目2期目でブーストをかけてしまった(下手な意思決定をしてしまった)支出が徐々に収まり、損益分岐点を超えることになった。

 

支出をしなければ売上は増加できない。ただその支出が本当に売上を上げるものかどうかはわからない。それは永遠にそうなので、覚えておくべきだと思う。また、その蓋然性こそが経営力なのだ。

お金は減らすより使う方が難しい。

 

現状の資金繰りでいえば、ひとまず会社は死なない。
当然利益額の最大化を目的に動いており、業績は順調にもかかわらず、いくつかのビジネスモデル変更に着手した。その意思決定もまた、いくつかの葛藤と、いくつかの条件が複合して、ある意味背中を押されるように、あるいは、崖から突き落とされるかのように行なっていったものだった。

 

ただし、その意思決定が成立する条件が満たされた最大の要因は、奇跡的な採用状況と、配置転換の賜物だ。もし、このタイミングでこの人が入社していなかったら、おそらく今のフォーメーションは実現できなかっただろう、といったように。

 

今の見通しを支えているのは、奇跡的なチームに恵まれているからに他ならない。

 

自分達のビジネスモデルが成立する諸条件はいくつかのケーパビリティを複合的に備えている、創業フェーズの会社だったからとも言えるだろう。
1期目から営業の会社であるべきという意思決定は、2期目で舐めた辛酸のあとに、大きく跳ね返って資産となっている。
同様に、webのケーパビリティと、実現可能性の見通しが立つようになったのも、相当にでかい。ひとえに、キャッチアップの早いメンバーに報われているからだと本当に思う。

営業・広告・SEO・デザイン・開発・UIUX・・・

自分が経験してきたもののうちの、まだ経験していないものも含めて、各業務の担当者が大まかに決まることで、非連続な成長を実現するかもしれないビジネスモデルが企画された。

 

その新しいビジネスモデルの検証は順調で、今後も引き続き検証を行なっていくことになるが、組織の課題はどちらかというと実行力に移ってきている。さらに言えば、採用である。

 

先期までのビジネスモデルは、線形に労働集約的に伸びていくモデルだった。
このモデルは踏襲しながらも、業績の急成長を追うハコとして認識することを止めた。
理由は、拡大の実現性が低いとみなしたから。
自分が想定しているよりもはるかに、ビジネスとして成立しなければならない条件が厳しかった。この厳しい状況の中で採用をするか、しないか。採用がボトルネックになることで事業停滞が起きる問題をどう解決するか。

これが10月以降の自分に課されたミッションだった。


1.収穫逓増のモデルにチェンジするために必要な条件を整え、そのモデル自体が損益分岐するまで、労働集約的な、線形的なビジネスでキャッシュフローを回すという形に切り替える。

2.いくつかの事業の箱を用意して、そのそれぞれのビジネスモデルを組み合わせることで、リスクを下げていく。

3.ストックビジネスで底堅く利益を生み出し、余剰利益でCCCをマイナスにし、経営を安定させた上で、大胆な投資を繰り広げていく。

こういったプランニングがいったんの実現性を以って結実しそうな渦中に到達した。

 

そうすることで、今の自分が追うべき指標は自己資本比率となった。もっと言えば利益剰余金だ。BSを見るのはそう難しいことではない。それを使うのが難しいのであって。

当然期待値で考える。3~10期の間は50%を上回った際にギアリングしていくことを想定している。CCCの差額が存在しているため、40%でもいいかもしれないが、このあたりはまだ計算が済んでいない。いずれにせよ、再投資には積極的になれる。

また、残念ながら法人税が安い。もともとは40%の時代があったため、世の中の中小企業は内部留保を怠ってきたのだろう。今の法人税なら比較的内部留保しやすいと言って良い。

 

財務基盤の強化に対してとるべき打ち手は取っているが、結果として跳ね返るまでに時間がかかっている。今期中に自己資本比率を40~60%に持っていけるといい。あとから自己資本比率を改善するのは難しいだろう。

おおよその純利と営利のマネジメントラインをこしらえて、あとはその計画に従って事業KPIを推進し、ビハインドを潰していく作業となった。収穫逓増のモデルであれば、人を増やしていくということに積極的にならなくてもいいし、1人あたり利益が改善されれば、優秀な人材の中途採用もしやすくなる。各箱が赤字にならないように設計されていれば、リスク分散がされているし、それぞれの利益が最大化された際には、再投資先を臨機応変に切り替えていくことができるし、そのROIを割り出していけばよい。

 

あと少しで過酷な状況を抜けられる、一息つける段階までようやくきたといっていい。幸い、日本で最も大きいマーケットにセグメントをかけてビジネスを推進することができている。もし今自分達が描いていることが、本当に実現してしまったら、とんでもないことになるかもしれない。そんな淡い期待感を抱きながら。

 

二期目の通期赤字の主な要因は家賃比率が高いことだ。これは想定される売上を結実させることができなかった結果として積み上げてしまった費用とも言える。
馬鹿なのか、三期目もまた家賃比率が高い。これは将来的な売上を信じて起こしているが、2期目と比較して、売上の実現性が明らかになっているという信頼と、それによる赤字転落がないことが確かめられたので、かなりクイックに意思決定した。今期は変動費ではなく、固定費としてみなすことになった。




会社の利益がでるにつれて、生み出た利益をどこに使うのかについて、真剣に考えるようになる。事業の見通しがぐらつく可能性がある中で、自分がとった方法は、
「思いっきり任せる」ということだった。
これを漢気バトルと呼んでいるが、何が起きても、客観的に見て裏切られていると思われるようなことがあったとしても、自分は一生このやり方を変えないことを決めた。

信じて任せることの難しさは、扱える資金繰りの余力によって決まると思う。
資金繰りに余裕が出れば出るほど、信じて任せる決断をとりやすくなる。
自分が財務基盤を強化していく中で得たものの一番大きなところは、そういったところだと実感している。何が起きても動じない精神力。何が起きても対処できる自信と底力。その経験から裏打ちされた安心感を、人の可能性にフルベットする。
そういう目に見えないマインドセットこそが、本当の意味での経営力なのだと思う。自分は、それをしたいと思う。

また、これからの意思決定を「自分を好きでいられる意思決定」と「自分が好きでいられなくなる意思決定」とに分けることにした。

好きでいられる意思決定をとり続けているうちは、経営者冥利に尽きる生き方ができていると信じている。これからも、好きで居続けられると思う。

 

 

 

 

 

 

Good Bye My Teens

西武新宿のこの場所にくるのは、随分懐かしいね。アキちゃんは元気かな?

 

−懐かしいね。どうだろう。器用だからね。きっとうまくやっているんじゃないかな。

 

コーヒーなんて美味しくもなかったけど、一番安いからといって我慢して飲んでいるうちに、すっかり中毒だよ。

大学受験の時、独学で浪人をした。よく勉強をしに来たね。19時半に仕事が終わって、1時間かけて新宿まで戻ってくる。電車の中で問題を解いて、閉店23時までの2時間半を、答え合わせと復習の時間に充てる。古文が壊滅的だった。現代文ばかりに費やしたツケがきたね。偏差値はガクッと追い抜かれて、焦ってた。

平塚ではちゃんぽんを奢ってもらったね。当時、19歳なのに26歳だと思われてさ。相当くたびれた浪人生活だったんだろうね。応援してくれた。

仕事の先輩に山崎さんがいたね。当時はクソ舐め腐ったことを言ってしまったけど、すごく救われた。生き方を教えてもらったようなもんだ。本人は全く自覚がないだろうけど。山崎さんにも、奢ってもらった。お酒を飲んだ。

初めて飲んだお酒は地元の集まりで行ったはなのまいで、いちばん聞いたことがあるからっていって、カシスオレンジを頼んだ。ビールは全然飲めなかった。年確はなかったから、なんとか入れたんだっけ。

今では家にラフロイグやボウモアが常備されているし、魔王を水割りで飲んでいる。勇者よりも魔王が好きだからね。バーにいけば、ギムレットを飲む。マティーニもだっけ?マティーニは店員さんによって味が違うんだ。微妙にね。僕は辛いのよりも甘めのほうが好きだね。ギムレットを飲むようになったのは、小説の影響なんだっけ?

 


2年もかかった。今日のこの日は大雪だった。東京でも類を見ないほどの大雪で、2~3回しか履いたことのない革靴はすぐにぐちょぐちょになった。コートを持っていなかったから、ジャケットだけで、寒かった。高校の卒業式は東日本大震災で中止になった。僕たちはそういう代だった。としまえんは閉店したよ。この戦争の影響でね。もちろん、ずっと前から言われていたことだったけど。とにかく大変だった。社会はとてもつめたくて、残酷で、どうしてこんな思いをしなきゃいけないんだろう、って思ってた。それでも希望だけは忘れまいって、すごく大変だったけど、なんとか切り抜けることができたんじゃないかと思う。どうだろう?

 

−どうだろうね、結果なんて誰にもわからないというか。どの地点の結果を見るかによるしね。

 

今でも夢に見るよ。もう一回やり直す夢を。なんでそんな夢を見るのかわからないんだけど。多分、まだ終わってないんだと思う。

 

−なにが?

 

なんだろう、抗いが?
うん、きっとそれだと思う。自分が何と戦っているのかについて、戦っている本人がいまいちよくわかっていないっつーことはあるあるなんだ。昨日の晩御飯に何を食べたかわからなくなるくらいにはね。

同様に、自分が今までどうやって生きてきて、結果としてどうなって、今どうしているから、これからどうなるだろうかなんて、誰もよくわからないはずなんだ。
自分だって、まったく見当もつかなかった。そうでしょ?

 

−うん。

 

 

思うに、遠回りをしちゃったんだと思うんだよ。だけど、自分しか通れない道だったっぽくて。

 

−どんな道のりだったの?

 

 

話すとだいぶ長くなる。結論から言えば、仕方なかったんだ。

 

−仕方なかった。

 

そう、仕方なかった。
仕方なかった。

 

ただ、そう悲観的に捉えていたわけじゃないんだ。なんつうんだろう、ほかに方法がないかをずっと探していたんだ。普通そんなことしようとは思わないじゃん?でもさ、僕はずっと不思議だったんだよ。どうしてそんなに平気な顔をしていられるんだろう?って。自分がまだクソガキのままで、自分が考えなくていいようなことを、もしかしたらみんなは一度は考えたことがあったり、自分なりに答えを出していたり、なにかしら割りきったりしているんじゃないかって。

 

−言っていることはすごくわかるよ。

 

そうだよね。だから、時間がかかった。簡単に言えばね。答えがでたわけじゃないんだ。いや、答えなんて最初っからないんだと思う。答えがあるように感じてしまうのは、僕のよくないところなんだろうね。おかげで、前に進めるようになったんだ。

 

−それで、なにか教訓のようなものがあるとしたら、それはなんなの?

 

 

どうだろうね、あるのかないのか。たくさんありすぎて話しきれないかもしれないし、もしかしたらなんの一つもアテになることがないのかもしれない。

一つ言えることがあるとしたら、僕は僕の幸せのために生きているということだけかもしれないな。

 

−本当に?

 

多分ね。もし僕がそんなことを言い出したらびっくりするかもしれないけど、きっとそういうことなんだと思う。自分の幸せのために生きている。そのことをずっと忘れていた。そういうことだと思う。

 

 

−それじゃあ、あんまりじゃないか?

 

だから時間がかかったんだよ。自分だって、何を言っているのかよくわからないけど、そうとしか説明がつかないんだ。それに、もしそこにこだわってしまったら、うまくいくものもうまくいかなくなるかもしれない。こういうのにはきっと順番があるんだよ。

 

−そのことはどうでもいいって決めてたはずじゃん。

 

そう。そうだったはずなんだよ。でももし、自分が一番にこないといけないシチュエーションが仮にあるとしたら。それを10年も前から想像がついたと思う?想像がつかなかった。その手の生き方が存在していることに。自分はあまりに無知で無能で、世の中のコトワリに無頓着なまま、漫然と構造的な理不尽に対して敵意を向けたまま、ぼんやり暮らしていたんだよ。

 

−最悪だよ。そんなことが聞きたかったわけじゃない。

 

そう言うと思ったから時間をとったんだ。僕はバカで無知で、その割に調子に乗っていて、社会っていうのは自分を中心に回っていないと気が済まないとでも思っていたんだ。そうじゃないことを知ることがあまりに遅すぎると、なんにものこらない。

人に迷惑をかけるだけだよ。

 

・・・

 

でも、僕はどうして社会がこうなっているのか、知りたかったんだ。どうしても。
綺麗事を言いたいわけでも、なんでもない。根本的に僕は、自分の幸せのために生きている。その結果として誰かを不幸にしているわけではないんだ。それから、自分のために生きたからといって、誰かに不幸だと言われる筋合いもないんだ。

 

もう29になる。10年だよ。一瞬だったように思う。大学を卒業して5年だ。10年もあれば、それなりのことを考えられるようになる。社会がこれからどうなっていくのか。自分の人生がこれからどうなっていくのか。周囲の友人関係がどのように変わっていくのか。ライフスタイルがどのように変わっていくのか。その見通しを結実させるためにやらなくてはならないことをこなしていくこととか、その繰り返しから逃れられないこととか。その分、なんか大事なものを失っているんじゃないかって思うこともあった。どんどん汚れていってしまうんじゃないかと思うこともあった。そうやって僕が嫌っているような人間と同じような運命を辿ってしまうくらいだったら、いっそ全てを投げ出してやりたいとも思った。

 

でもね、違ったんだよ。僕が嫌っていた人たちは確かに悪魔のように見えたかもしれない。わかったんだ。まあ、本当のところはよくわからないけどね。本心ではもしかすると、人の心が本当にないのかもしれない。あるいは、失くしてしまって気付いてないのかもしれない。でもそれは必要だった。必要だったから、その現象は起きたんだ。

必要じゃないことは起こらない。

 

 

僕はその必要の意味を探っていったんだ。

 

 

あとね、自分なりに折り合いをつけたんだよ。自分の存在に折り合いをつけるのは大変だったし、自分の存在を一般化して語ることは間違っていると認められなかったんだ。
でも、多分もう大丈夫。また何回かやらかすとは思うけど、気をつけていこうと思う。

 

 

−さっきから何を言ってるのか全然わからないよ。

 

 

そうだよね。でもそれでいい。それでいいんだよ。わかっても、わからなくてもいい。そういうものなんだよ。

そうだね、たしかに僕は、僕がなにかしらのロールモデルになればいいと思っていた。でも、それは必要ないってことに気づいたんだ。なんせ世界はもっとえげつないスピードで進んでいるからね。僕が誰かのロールモデルになる必要はないし、将来の僕のような存在は、きっと僕のような存在を見たからといって、どうにかなるわけじゃない。そうじゃなくて、きっと僕のような存在は、僕と同じように、誰に言われるまでもなく、このどデカくてうすら寒い国境を越えてくるんだよ。

 

 

そうして気づくんだ。そうか、そういうことだったのかって。

誰かに言われて「はあ、そうだったんですか」と納得するような類のものじゃないんだ。こればっかりは、自分で越えるしかないんだ。

 

今のこの世界は必要に応じてしっかり動いているよ。そのことはよく覚えておくといい。必要に応じて変わっていく環境に、どう適応していくか。その程度のことしか僕にはできないよ。

 

 

−これからどうするつもりなの?

 

わからないよ。だけど、今のキミのようにまたわけのわからないことを言われることになるんだ。きっとね。僕は何か物事を理解するのに、人よりも時間がかかってしまうタイプだから、そのときになってみないとわからない。

 

決断には時間がかかるもんなんだ。そしてそれには時間をかけていい。

 

 

さて、そろそろいくよ。

 

−どこにいくの?

 

わからない。もしかしたら、羊をめぐる冒険をするのかもしれない。けど安心してほしい。キミはこれから降り起こる数々のことに傷ついたり、ひどく落ち込んだり、人間不信になることもあると思う。そしてその傷を癒すのに途方もない時間がかかるかもしれない。もしかしたら、どうしようもなくなるかもしれない。離婚するとわかっていて結婚するようなもんさ。でもそれは僕が選んだことなんだ。キミを失望させることにはならないよ。

 

だから泣かなくていい。

仕方ないさ。必要だったんだから。

 

 

 

 

 

痛みの伴う思想変容と、その遺書。

 

 

前回ブログをかいてから、しばらく時間が経ってしまった。
書きたいことが書けなくなってしまったからだ。

それは主に戦略の話にもなるだろうし、組織の話にもなるだろうし、人の話にもなる。
あらゆるものがアップデートされていく中で、「多分いまここで書いておくべきなんじゃないか」と思うことを書く。


事業状況について先に振り返っておこう。
8月中旬時点で、あらゆる事業計画はビハインドしてしまったが、
ようやくひとつの踊り場に足をかけている状態となった。
安定的な黒字が見え始めたのだ。不安定な黒字ではなく、組織として確立されつつある安定収益の兆しだ。

1月時点ではおそらく「このマーケットに入り込むことができれば、半永続的に事業拡大できるはずだ」と思っていたが、それはあえなく失敗し、3月時点でターゲットを一気に変えるという決断をとった。

そのかわり、重要な示唆を得ることになった。「自分たちの顧客はどこにいるのか」ということだった。それはある意味で当初想定していた計画の通りに特定しており、
そのアプローチ方法も確立しつつあり、その事業拡大に至るまでの採用計画がある一定の可能性までに到達し、発生した事業を運用する方法がある程度確立し、オペレーションの体制が構築され、人材の採用可能性を明らかにし、執行・改善を繰り返していくことで生存可能性が一気にあがる、というところまで到達した。

最も重要な施策は認知拡大だ。なので、はてブで記事を書くのは将来を見据えた趣味程度に抑え、本来注力すべき発信をいくらか増やしていくことで「我々のことを知ってもらう」という活動をもう少し本格的にやろう、ということになっている。

今まで発信をあまり力強くやってこなかったのにはある意味で理由がある。
事業の確立が強く確かめられていない状態で発信をしてしまうことは、一貫性の観点で疑問が残るようになってしまうと考えてしまっていたからだ。
正味影響ないといえばないのだが、影響力の武器にあるように、自分の場合は「一貫性とコミットメント」というものがある種自縄自縛的に作用してしまい、非合理な意思決定を続けてしまうことをあらかじめ避けたかったという意味合いの方が強い。

 

いくらかの失敗を繰り返してきたが、失敗を恐れることはなくなってきた。
何が失敗なのかが明確になっているからだ。それは、資金ショートすること。

損益分岐点に対して果敢にトライアンドエラーを起こし、その中で兆しを捉え、構造を理解し、新たな打ち手を想起し、想定していた仮説の適合度をチェックする。
その過程で「想定仮説を外す」ということは「別の新たな仮説のアイデアを思いつく」ことと同義である。失敗を恐れるというのは、その仮説を得ることをしていない、と解釈する方が正しいだろう。

だからといって自分は「やってみないとわからないからやるのが大事」という脳筋精神論おばけというわけではない。自分がそういう言説に対して批判的なのは、「やる意味のないことをやってしまった結果何も示唆が得られない無駄は徹底的に廃するべき」という強い信念を持っているからだ。それは創業まもない私たちにとって死活問題だ。なぜなら、1週間無駄な検証をしてしまうと、資金繰りが1ヶ月遅延するほどのインパクトになるからだ。

何を学習しなくてはならないのか。その学習効果を得ることができればどんなアクションを実行する根拠とすることができるのか。その検証が間違っていた場合、自分たちはどんな軌道修正を行う必要があるのか。そのコンティンジェンシープランはいくつ用意されているのか。
Aの施策とBの施策があるときに、そのどちらかを選択して実行しなければならないという理由はないので、検証目的が両方に存在する場合は、常に優先順位を論点とする。
優先順位はQCDによって決まるため、それぞれに制約がない場合は「できるだけ早くライトに検証し、示唆を得ることをどれだけ早めることができるか」がとにかく重要。

無目的の施策をやるくらいだったら何もしない方がマシだと思う。
無目的の施策からなんとなく兆しを感じてしまい、その兆しを確からしいと感じてしまうことは意思決定を大きく間違えるかもしれない。

 

上記は1年半かけて培ってきた学習ノウハウのうちの部分的なものだ。自分はひょっとしたら体系的な事業開発の意思決定ノウハウを備え始めているように思う。それがあると何が良いのか。
自分にとって今手応えとして確かにあるのは「再現性の確かめられる体系的な事業開発の意思決定プロセスに従うことができれば、およそマーケットの確立された環境での新規事業は、資本の制約がなければ連続して立ち上げることができるから」
と言い切ることができる。

 

また、自分は例に漏れずマーケットの外観から捉えて事業構築するタイプなので、
再現性のある売上収益が手触りを持つことができれば、よほどのことがない限り売上拡大は一定の規模で成長させていくことができると考える。当然組織拡大が最大のイシューになることは言うまでもないが。

 

1月から8月までの間で特に悩んだことは「縛りプレイを続けていくことによってマーケット制圧が先行されてしまい、その結果自社マーケットが想定通りに伸びなくなるのではないか」という恐怖心だが、自分たちのビジネスモデルはある意味でめんどくさいので、強固な堀を築いているということがなんとなく自社の共通見解になってきた。自社が本質的に提供している価値はなんなのか、ということをいくつもの事業開発を通して学習してきた。その総量と、自分という存在は、容易に真似できるものではないと自分は思うようになった。
また、その縛りプレイによって事業成長=売上の短期的な拡大を損ねてしまうと言うことに対しても、相当に悩んだ。事業成長のスピードというのは、結局自分で決めるしかない。何を優先するのか、何を失うのか。結果として得られるものはなんなのか。
これを複雑なプランを並列的に走らせシミュレーションし、ベストではないがベターといえる選択を続けていく。うちの会社がフロービジネスとストックビジネスが複合的になったビジネスモデルを構築したのは、自分の「焦らずに急ぎたい」という気持ちからきたものに思う。いくらかの成立条件を満たすことができれば、うちの場合は通年で毎月の受け入れ人数を計画する、というやり方よりも「半期に一回どかっと受け入れる」という進め方の方が適しているのではないかと考えるようになった。
短期売上を既存させて将来的な売上の倍々成長を期待するというフォーメーションなのだが、これを実現するために当然今期はしゃがまなくてはならない。自分もまだ28歳と若い中で、売上利益という成果を急がない意思決定をするのは相当に難しかった。
ただそれは、より確実に成果を出すために必要なことだし、いそいで拡大すると後で死ぬという事例が枚挙にいとまがないので、より強固で強いフォーメーションを確立することを先行する。人材紹介のようなフロービジネスだと単月の制約数を増やすためには人を増やし続けなければならないのだが、組織規模が数億規模にとどまってしまうのは、社員の離職やマーケットパラダイムの変容や需給バランスの縮小や競合性といったもので線形に伸ばし続けるのがほんとうにしんどい。LTVをみていくということが重要になるわけだが、果たしてどれほどの企業がLTVを重視した経営ができていると言えるのか、と言ったように。それができるのであれば営業コストはますます下がるだろうし、LTVも上がれば従業員も利益を出しやすくなる。
事業の安定成長および非連続成長はLTV、言い換えると顧客基盤をいかに作り切ったかによって決まる。その確立をなによりもまず急ぐべきだが、その確立にかかるコストを勘案すると「必要な売上」というのが求められるので、それを満たすことも成立条件のうちの一つだ。

事業の確立はある意味では簡単に思う。組織や採用の確立と比べれば。
7月以降の自分は「採用マーケットの構造を理解し、需給の歪みを捉える」という作業に勤しんだ。その結果「結局自分たちは労働収益をアービトラージしているだけにすぎない」という結論に悩むことになるが、それでもデマンドサイドの需要過多を考えれば、そうしたマーケットの歪みを10年単位に埋めるプレイヤーが出てきてもおかしくはないし、根本的にいえばそういうリボンモデルと言われる形態が究極最も収益を最大化するということだ。それは前職をある意味で知っていくことで理解したのかもしれない。

私たちが提供価値の根本としているものは、ある意味で時流とは真逆の方向に進んでいると思う。それを善いと思えるかどうかが焦点で、逆にいえば、ある意味でその兆しを理解することができなければ、それ以上を望むことができなくなる。

あるいは自分たちが行なっている事業の本質的にいいことが機会の再分配でもあるということに動機づくことができるのかどうか。逆にいえば、その分配を享受する側は、そのことに理解した上で価値貢献してもらわないと困るわけだ。

今の自分は、取引先の社長からいただくありがたい助言や、そういったもので慰められることとかによって、前向きに考え始めている。「絶対的な三方よしは実現しない。結局誰かしらが割りを食う。そのことを自分は悔しいと思う」

それを忘れなければいい。自分たちが本当に実現したいことを思えば。

 

非情になれ、というわけではない。ただ、自分が今まで考えていた思想レベルでの葛藤がずっとある。自分が労働者の側に立つことができなくなってきている。
ネオリベを許容するというわけでもない。自分が犯した過ちのうちの究極的なものは、「誰よりも難しい問いを創業時から持った状態でスタートしてしまったこと」なのかもしれない。

統合的なアプローチを自分は信じている。だけど、世の中が今の状態になっているのは、権力側の恣意的なものと自分は考えがちだったが、おそらくそうではないのだということ。つまり、今の社会はほとんど全ての人に望まれてこの様相をしているんだということ。

克服行動をとるくらいだったら、易きに依存する。その結果未来の自分にとても背負いきれないリスクが顕在したとしても、そのことを忘れて享楽的に生きることを望む。
それは各々が言語化しているわけではない。むしろ、誰もそんなことは考えていないと言った方が正しい。

 

現社会に起きているアービトラージを自分は理解しなければならない。それは、適法の範囲で正しく運用されていることももちろんある。それが原動力となってビジネスは推進されている。

ただし、日本というある意味で例外的な国が過去の資産を食い潰すかのように現在を生きてしまっていることや、そのことについて誰も責任をとらないからといって、絶望した顔になるのはもしかしたら自分くらいしかいないのかもしれない。全員が自己の合理のことだけを考えている。それはもしかしたら当たり前のことなのかもしれないが、肉屋の豚が喜んで手伝っているをみるにつけて、その本人たちが「自分がとんでもなく賢い選択を続けることができている」と思っているのをみるにつけて、クソ気持ち悪いと思うようになってしまった。


ただ、自分はそうやって生きていくことがどうしてもできないタイプなんだと思う。もう少し簡単に言ってしまえば「だれかのせいにして生きていくことができない」あるいは「だれかのせいにしたいから行動を続けている」
自分はやった側の人間だ。だから文句をいう権利がある。そういうふうに思いたいだけなのかもしれない。そう言い切れなくなってしまったならば、自分は北海道かなんかに隠居するか、ニュージーランドのような牧歌的な国に移住したいと思う。既存の経済システムとは無縁の生活を送るために、ある意味で自己利益を最大化するために務める。それ自体は、もはや至極簡単に実現できると思う。でも、少なくとも今の自分にはできない。

 

ああ、とんでもない問い立てをしてしまった。そのことについて論じる人はいるかもしれないが、実践的に解決の処方箋を導き出そうとしているのはひょっとしたら自分たちしかいないんじゃないか。その孤独感を自分が抱えて、被害者面している滑稽な自分を指差して笑ってやりたい。

 

「相田さんは尖り続けるべきだ。現実を知ったくらいで丸くならないでほしい。理想を語り続けるのが大事。一人でできないのであれば、もっと周囲の人を頼りなさい。相田さんの抱えている悩みは正しい。世の中が豊かになる過程には必ず負の側面がある。それを忘れなければいい。」

 

それが人間ということなんだ。それは普通のことなんだ。
暫定的に出している自分の見解は鄧小平とだいたい同じ。「過程がどうであれ、結果が良ければそれに従うべきだ」と思う。
当人が間違った欲望をもっていたとしても、本人が無自覚であろうと、そのことに触れず、ビジネスのインテンティブ構造にハマるよう導くことができれば、それでいいんじゃないか。過程ではなく、結果を常に見続ける。それによって現実はどうだったのか。

 

今の自分の葛藤していること、そのうちの大部分が主観的な倫理観だが、
現時点でどのような思想を掲げ直すのかについて、皆目検討がついていない。
ただ、前に進むために、そのことに悩んだということだけはどうにか遺しておきたかった。

 

 

 

 

 

開け続けることで生き残るサードドアの在処

一月は何もかもが進捗した月だったと思う。欲を言えば受注リードタイムの早いなにかしらの成果がでていたら、と思うこともあるけど、いろんなことを平行してやらないといけないだったので、まあよしとしよう。

 

なにより一番進捗したのは、プライベートでようやく犬を飼うことができるようになったことだった。黒豆柴のオス。名前はアルになった。
アルという名前、そういえばゼミの先生が娘さんにつけた名前だったことを思い出した。"在る"というのは先生がいうように、実存主義的でとても良い。思えば大学4年生の自分はとてもクヨクヨしていた。これから待ち受ける正真正銘の主体的な自分の人生に対して、思うような認識を持つことができなかったこと。あるいは、今後待ち受ける苦労や困難を前に「ちょっとやりたくね〜な」って思っていたこと。そういうものを想像しながら、「この目の前にいる大学の先生たちは、どうしてそんなに溌剌と生きていられるんだろう」と訝しがっていた。懇意にしていた大学の先生からもらったフーコーに対する現代思想の本は流し読んだまま、本棚で大切に保管されている。

サラリーマンをしていたときの自分もまた、クヨクヨしていた・・・というより、ずっとイライラしていた。どうにもならない「組織」というハコの中で、ずっと窮屈そうにしていた。当時の自分を振り返ると「いやそれお前じゃん」って突っ込みたくなるのは成長なのだろう。

今だったら、その先生たちの気持ちが少しだけわかるような気がする。
アル、という名前には「今、ここ」という仏教的なニュアンスを含めているわけではない。僕はまだそのことについてピンときているわけではなく、どちらかといえば「そうなれたらいいな〜」という風に思っている程度の人間なんだけど、
構造主義的なアプローチも、実存主義的なアプローチも一通り自分なりに考えたあとになって、「とはいえ、実存が本質に先立って主体的真理を追求していくことには代わりないか」という諦念と前向きさを手にしてからは、精神はゆとりをついに取り返して、自分だけの時間を大切にできるようになった気がする。TENETのニールがいうように「たとえ決定論的な運命がそこにあろうと、だからといってやらなくていいということじゃないんだよ」という気持ちが最近の自分には結構ぶっ刺さっていて、そういう生き方を自分が主体的に選択していくんだという強い意思を持ち続けられたら良いと思った。自分の人生が仮に森羅万象で決まっていたものだったとしても、それをなぞるような人生だったとしても、自分にできることを粛々とやっていこうという覚悟を持つことは、自分が特別であるという意識を心の内から開放していくような清々しさがあった。


今度ウチにくる黒豆柴のオスには、ポジティブな名前がつくといいな、という期待から、ダイキチという名前も検討していたのだけど、"アル"という名前もまた、自分が生きている経営のマスタリージャーニーを常に意識させてくれるという点で前向きな名前なんだと思った。


さて、1月はどんな1ヶ月だったか。
年末から採用活動に奔走していたこともあって、インターン生が3名新しく入ってきてくれた。
慣れない採用面接をやるのは本当に大変で、難しい。
今月はとにかく、「何をもって採用とするのか」ということの理解を深めていく月だった、とも言えるかもしれない。
採用活動自体は1月も継続して行っており、今後も拡大していく予定だが、今月の成果でいえば、ギリギリよい結果だったと言えそうだ。自分は最終選考を担当しているんだけど、本来であれば自分のところでは落とさないはずなんだけど、それでもちょっといったん見送ろうかということもあったりと、割と現場も大変だと思う。
それでも面接活動を通して、「ウチとしてはどういうパーソナリティを持った人にきて欲しいのか」というのが言語化されていったのは収穫として大きい。
結局のところ、採用要件はビジネスモデルに依存している。それでいうと「お気持ちに慮る力が強く」「数字に強い」といった二刀流人材がいるとベスト。後者が得意で前者は苦手な(自分のような)タイプだと結構しんどい気持ちになる。やはりというかなんというか・・・コーチャブルな人材であるかどうか=素直さっていうのはこの日本社会で生きていく上では最も重視して身につけていくべき力のような気がする。

他方、素直さだけでなく、意識構造がメタ的で、その結果学習能力が高い、といったタイプも「ウチに合ってる」と思う。「お気持ちに慮る」というのも「ロジカルにコミュニケーションが取れる」というのも、このメタ意識が身についているかどうかで変わってくる。マネージャーが低次の発達段階で自我暴走しかけている場合だとうまくまわらないのだろうけど、マネージャーの発達段階の方が高い場合は、一気にマネージャーの視座に追いついた思考様式を身につけてくれるかもしれない。

落とすべき人材要件、スキルとして優秀な人たちの中にも一定数混じっているので、ここの見極めこそがキモだな、と言う風に思うのだけど
「自分が持っている認識やトラワレに依存してしまっており、それのみが正しい」と思い込んでしまっているタイプは、結構「ウチに合っていないなあ」と感じることが多い。
あんまり偉そうにいうのも憚れるのだけど、あくまでウチに合っていないだろうという点で申し上げるとすると、視点が一人称視点になってしまっていて、「社会は自分に対して何をしてくれるのか」という潜在意識が言葉尻や過去の経験からうかがえてしまうと、結構これから苦労するだろうな〜という風に思ってしまう。
「自分が社会に対して今どうか」という視点を持っていると、さまざまなことに対して主体性を持ったアクションをとることができ、あらゆる物事の興味関心を持つことができると思う。これを成人発達理論の自我の発達段階(詳細についてはこちらのリンクを確認してもらえると)に区分けしていくとすると、「発達段階4:良心的段階」に到達してからが他者との協働を円滑にするだろうと思えてくる。

もちろん、発達段階が低いから一概に悪いという話がしたいのではないんだけど、視点の持ち方が一人称だと、マネジメントから見ると「この人のこなすことのできるミッションには限りがある」という評価になってしまう。例えば業務委託やフリーランスとして、定められた要件に対して納期通りに納品する、といったことであれば問題なくこなすことができたりと、職人的な気質が必要とされる仕事をこなしていくことが向いているという考え方もできる。

他方、異なる利害関係を持った人間と協働したり、信頼関係の構築ができていない段階から提案をして合意形成をする力というのは、その業務の難度と掛け合わせで難しくなっていくので、「うちのビジネスモデルでいうとソリューションを提供価値としたコミュニケーションはちょっと身につくのに時間がかかっちゃいそうだな・・・」という判断となる。

 

ハードスキルが求められているという社会的なトレンドとしてのプロパガンダが流布されているので、あらゆる学生が誤解していることであり、認知するのがとても難しいとは思うんだけど、
新卒の学生に一般的に求められていることは「ハードスキルがどんだけついているか」ではなくて、「リーダーシップがあるか」のほう。ソフトスキルのほうがよほど重要視されてみられていると僕は考えている。

今までの学生界隈だったら「ゼミ長としてグループをサマライズしてました」とか「サークル長としてチームをエンカレッジしてました」みたいな就活アピールが多かったのだろうけど、今の学生たちは機会が多様化しすぎてしまっているせいで、かえって「インターンをやってマーケティングを身につけたら就活に有利」なる謎理論を構築してしまっているようだ。

この話は長くなるので割愛するけども、就活のためにほげほげとか、そういうのよりも「業務を通じて主体的真理の探索を行いたい」という欲望を持った学生と出会いたいな〜といううっすらとした期待を持ちながら、「まあそんな子いないのか・・・」という青い鳥症候群になりながら、最終面接官を担当している。

 

今後の採用活動は実際のところ、お題を解いてもらうのが一番その人のパフォーマンスが見えてくるので、そういう方向性で動いていくんだろう。

採用したインターン生でいうと、おかげさまで獅子奮迅の活躍をしてくれ、4件のアポ獲得をし、中途の我々の支援を受けながら、実際に自分で商談に取り組む経験を積むことができた。PDCAのなかにもDが得意な人もいればCが得意な人もPが得意な人もいるが、Dが得意なタイプは切込隊長としてかなりいい仕事をしてくれる。


また今月の目標としては10件の新規商談を追っていたが、それもギリギリ13件の商談獲得で達成することができ、次回にしっかりとつながる成果が見えてきている段階だ。


細かいことは省くというか、そろそろ書けなくなってくることが増えてきたなという気持ちなのだけど、今月は表題の通り、「サードドア」の存在を発見し、そのためのアクションを閃いてから実際に起こすまでのリードタイムが1営業日という鬼速で検証をし、事業計画が大きく変動するといった事態が起きた。
これは1Qに追っている「マーケットニーズの結実性」と「売上拡張性」というテーマの中でも、特に後者のお題を解くのに影響を及ぼした。
現在の商品区画でももちろんマーケットニーズが結実していると言えるのだけど、それが結局属人的にそうなっているのかどうかを見極めるのが難しいという問題を孕んでいて、その解決までには「実際の案件数を増やしてみないことにはわからない」という状態だった。それが故に「中途採用要件は高くしないといけないのに、今の資金繰りでいうとこれくらいの給与水準の人が欲しい」という矛盾した状態が常に課題として付き纏っている状態だった。

この問題に対して自分たちのブレイクスルーが起きた2つのポイントがあるとするならば。
まず一つ目は、「今自分たちが採用したいと思っている人材は実際に市場の上位何%なのか」という問題。
これは急成長している営業会社から聞いた話なのだけど、ある媒体に登録しているユーザー240万人のうち、我々が採用したい条件で絞り込みを行うと、170人しかひっかからなかった、というノックアウトな感じがあり、某有名スカウトサービスなども同じような有様になっていそうだよね、ということで、労働集約のビジネスモデルにもかかわらず、方向転換はいずれにせよ必要そうだ、ということが見えつつあるような状態だった。
二つ目のポイントは、知り合いづてで紹介を受けた商談から、マーケット課題を伝授され、その解決策を個別に練っているうちに、マーケット全体に波及できるセグメントを特定することができ、かつそのキャッシュフロー構造が現在構築しようとしているビジネスモデルよりもイージーだった、ということだった。
ここにいくつかのブレイクスルーが起きた理由について、自分なりに振り返っていることを言語化しておくと、
まずそもそも自分は「自分が認識している範囲に限定して思考することは機会損失を招く最大要因だ」と認識しており、
「自分が持っていない視点や専門性を持っている人にいつでも話を聞ける状態にしておくことは、第三者視点を加えながら事業成長に大きく寄与させることができるのではないか」と直観していた。

そのために必要なヒアリングはしっかりと行っていくことで、パズルのピースがようやくハマってくれた、というブレイクスルーを起こすことができた。

もう一点、自分は「他の人がやっていないことの中に、ものすごい金脈が眠っているのではないか」という考えをすることが多い。
自分たちが競合としている会社が何をしていて、それはなぜなのか、ということをじっくり考察し、仮説を立て、そのヒアリングをしていくことで、
「そうであるならば、このマーケットはぽっかり空いてるんじゃないか?」ということが見えてくることがあるのだ。
僕はそれこそが事業成長のサードドアだと認識するようになり、第三者レビューも加えながら立てた仮説を実証していくことができたという点で、ものすごく事業成長の確信を持つことができるようになってきた。
それがたとえ第三者からのビューであったとしても、自分たちの初期構築した戦略が間違っていなかったと解釈することができる示唆が得られることは、検証の余地を減らすという意味でもものすごく価値のあることだと僕は思う。

 

上記に記載した思考様式は、自分が日頃から習慣にしていることでしかないんだけど、逆に言えば「自分がオリジナルで持っている思考習慣には価値があるんじゃないか?」ということを立証したという意味では、自己確信を強めていくきっかけになっているとも言えるだろう。開け続けることで生き残るサードドアの在処は、「自分が囚われている認識の常に外側」に在ることを意識し続けなければならない。


 

そういうわけで、1Q中に検証したかった「マーケットニーズの結実性」と「売上拡張性」というお題は、現在行っている商談の手触り感から、発生を残して90%を1月中に検証しきってしまったというマキマキ具合なので、事業計画を上方修正(1ヶ月ぶりn回目)し、オフィス移転を行うことにした。

今後自分が取り組んでいかないといけない最大課題は「採用」になった。
まだこれからとはいえ、とりあえず「試行錯誤しながら、人が増えれば売上も伸びる」という状態が見えてきている段階なので、事業スピード=採用というフェーズがそろそろ到来する。
そのフェーズに先駆けて、採用力を強化し、組織拡張性のあるスタイルで事業成長を支えていくという観点で、某コワーキングスペースに入居できると嬉しいなと思う。次のブログでは具体的に何をどうしたのかみたいなことが報告できると良い。






会社を設立して一年が経った

1月16日に会社を登記してから、1期目が終わろうとしている。
大変だったんだと思う。自分が大変だったかどうかなんてわかりやしない。もっと自分のことをメタ的に捉えて、大変だったと言い切れればいいんだけど。
あいにく僕は自分の人生の中で「やり切った」と言えるだけの成功体験を積んだことがない。多分これからもないのだろう。いつも何か不安に駆られていて、そのどうしようもない不安感をどうにかするためにただひたすら考え続けているといったタイプで、
僕はきっと、たとえ100億円規模の資産があったところで何一つ安心するような人間ではないのだろう。

1月16日を登記日にしたのは、登記日というのは誕生日の次くらいに重要な日になるかもしれないという点、不可逆だと思ったので、願掛けも兼ねて1月の中でどこが一番良いかということを考えていってのことだった。僕がおそらく生涯でTOP3に掲げるであろう好きな漫画、あだち充のH2の主人公の誕生日になぞらえて、ヒーローの日に登記をしようということになった。今のところ社会的には完全に「お荷物」なので、名前負けしないように頑張っていきたい。


せっかくなのでこの一年について振り返っていきたい。

■2020年1~3月
この頃はまだ自分が会社を設立して、人材紹介事業のための書類作成や準備、資金調達や社名、会社の土台となるビジョンミッションの策定、オペレーション体制の想定という会社の準備に時間を充てていた。3ヶ月かけてすやすやと寝ているといったていたらくだ。根本的に僕は一人で何かをするというタイプではなく、誰かのお膳立てがなければまるで活躍ができないタイプなのだと思う。
そしてこの頃はまだ迫り来る脅威を何一つ感じることができていなかった。

■2020年4~6月
営業開始をしたのが5月からだったが、4月からはすでに活動を始めていた。
慣れないテレアポ業務は想像よりも捗らず、しかもコロナの影響で、まるでうまくいかないというような状態。
先が見えない中でJFCの否決。要因は、コロナ影響を加味した事業計画を引いていないことによる実現性のなさ。計画を提出したのはコロナ前だというのに。。。

スグキャリをリリースしてから、求職者は爆発的に集まり、捌き切れないといった状態が続いた。面談をドタキャンしてくれるとかえって安心する、といったくらい、
一人当たり月に70~100人ほどを対応していくという日々だった。

コロナであれば未経験層のマッチングは高回転できるのではないかというヨミを嘲笑うかのように、求人者は媒体にシフトしていき、求人がみるみる減っていく。
そんな疲弊感の漂うスタートだった。


■2020年7~9月
この時は融資が決まらなかったこともあり、残キャッシュは1ヶ月分、と倒産ギリギリの状態だった。
それでも可能性のひとつとして存在していたみずほ融資がのこっていたので、
そこまで到達できれば生き残ることができるのではないかということで
本当に最後まで持ち堪えた状態だった。おそらく、8月が最も精神的につらかったし、あの8月の追い込まれ以上のことをこれから経験することはないだろう、という風にいいたいが、外圧はなにが起こるかわからないという状態なので、なんともいえない。

売上自体は発生していたのだが、キャッシュフローが全然追いつかなかったため、キャッシュフローサイクルをマネジメントしようと考え始めたのが当時の自分で、
人間というのは追い込まれた時に真価を発揮するというのはその通りなのかもしれない。
創業社長として最もしんどかった時期だったが、最も一皮向けたタイミングでもあった。


■2020年10月~12月
マーケ活動にシフトし始めてから、大型の案件が決まったので、その案件の発生を以って融資活動や、マーケ事業に注力をし始めたのが9月下旬だったのだけど、
10月は新商品の設計とマーケットの選定、オペレーション設計
10月末から営業開始、事業性検証を開始し、
12月を以って受注が2件発生し、本格的に踏み込むことに決め、採用活動に奔走した。

売掛金を含め1年分の残キャッシュをしっかりと活用するべく、12月はインターンの採用に動いたが、それも年末にバタバタっと決まっていった。おかげさまで、事業の拡張性を検証するだけのツブ揃いな学生メンバーになってきた。

10月は自分にとって創業1期目におけるターニングポイントだったように思う。
事業計画をしっかりと策定することによって、事業・組織=会社の全体像をしっかり把握することができたことに加え、自分にしかできない仕事とはなにか。という点に答えを出すことができた。一言で言えばマーケットに向き合い続けるということでしかない。



1期目の実績は2期目に計上される売掛金も含めると3,000万円を超える売上の着地となった。決算としては2,200万円で〆ることになりそうだ。
これは本当に、悪くない成績だと思う。
また、融資は総額で2,500万円、悪くない。
僕は自分のことをコロナ世代の経営者だと自認しているのだけど、この最悪のタイミングでしっかりと生き残ることができた、ということだけで正直十分だ。

他方、今後どこをベンチマークに売上を追っていけばいいのか。
今の関心ごとはそこにある。

 

ベンチマーク先①エス・エム・エス

第一期
売上:50,000千円
利益:▲5,000千円
エスエムエスは合同会社として2年活動したのち、事業開始している側面があるので、5,000万円という数値が高いと言っていいのかどうかはわからない。
むしろ、2期目3.8億、3期目8.3億円ととんでもない成長率で倍増している点が凄まじい。


ベンチマーク先②レバレジーズ

第一期
売上:約1億円
利益:-

エスエムエスと同様に、2期目4億、3期目9億と、急成長している。
2,3期目の急加速がその後の成長率を規定していそうに見えているのが現状。
設立年数がエスエムエスとほぼ同じタイミングなのだけど、売上規模でいうと約560億円と、一気にエスエムエスよりも大きくなったのは、ストレッチオペレーションの徹底もあろうが、事業領域を特化させなかったことによるものが大きいんじゃないかと思う。特化させるということは、選択と集中によって一点突破をしていくことで、特化させないというのは、もしかするとフォロワーとして小さくまとまってしまう可能性を孕んだリスクのある選択だ。プレイヤーが蠢いている市場であえて領域を絞らない経営理念・ミッションを掲げたことで、ストレッチに市場獲得ができたという風にみえている。また、非上場企業ゆえに長期の投資に予算を回すガバナンスが整っていたということも影響しているだろう。中の人はめっちゃ忙しそうだけど。

 

ベンチマーク先③サイバーエージェント

第一期
売上:約20,000千円
利益:-

第二期
売上:4.5億円
利益:▲0.2億円
初年度売上は前者2社と比較して大きくはないが、その後22.5倍にするという異次元技。おそらく1期目の段階から上場見据えて仕込んでいたのだろう。

 


正直にいってしまえば、初期運転資金の金額に応じて、かかるレバレッジが違うので一概に比較検討することはできない。僕たちの場合、初期運転資金は本当に少なかったと思うし。

財務基盤が事業スピードの成否を大きく分けると気づいて、頑張って融資に奔走し始めたのが8月になってからだった。当時の自分の意思決定は本当に素晴らしかったと思うし、それ自体は本当に間違っていないと思う。
問題は、予算をつけることに躊躇しているという点だ。本来でいえば月々の支出をもっと増やしてもいいはずなのに、ビビりの自分は1年あってようやく安心するというタイプで、これも冷静に計画したら3ヶ月は踏み込んでもいいはずなのだ。
ということは、変動費であればお金を使っても良いということになるが、今一番使いたいお金は簡単に言えば人件費・採用費となる。
にもかかわらず、人に対する要求水準が高い割に、出すべき給与を出すことに躊躇してしまう自分にとっては人件費用が固定費のように見えてしまう。

ではどこにお金を使うべきか?
一つは広告宣伝費。売上拡大に直結するための販促に対してはもう少し予算をつけていいと思うし、積極的にやるべきだ。
もう一つは採用費。事業拡大のスピードを得るために、採用をリファラル以外で行っていく必要がある。

そしてもう一つが、変動費としてみなすことができる、
業務委託費用、外注費用。

ショットでかかるんであれば、いくらか心持ちが楽になるので、
できる限り戦艦の支出を減らし、衛生を増やしていく動きをしたほうがいいんじゃないか、というのが仮の答えだった。
また、新規売上がしっかりと受注さえしていれば、その売上を前提に踏み込んだっていい。そのことに気づいていったのは受注が確定し始めてからのことで、そこから1~3月は商談数をいかに増やすことができるか、という点に集中していくことになった。当たり前のことなんだけど、理解した上で意思決定しているのと、行動が先行しているのとだと得られる意味合いがまるで異なるので注意が必要だ。


 

来期の売上目標は、先にあげた3社と同じように推移していく想定ではない。会社としての事業スピードを求めるよりも、「間違えない」こと自分が重視しているのもある。どちらかと言えば、売上トップラインをどうあげるかというイシュー設定をするよりもシャープに解くべきだと想定しているのは、「マーケットニーズの結実性」と「売上拡張性」が見極められたと言える状態かどうかだ。

それが自分のやり方だと思うし、その結果事業が倍々で増えていくことを期待したい。
労働集約ビジネスにおける最も重要な点は採用活動にあって、メンバーの純増分に従って売上が拡大していくということが経営指標的に明らかになることができれば、
その事業はほぼ成功したといっていいように思う。
問題は、いかに人を増やし、組織し、マネジメントしていくかということに終始する。
やはり、そこが一番難しいことでもあるんだけど。

 

 

 

1期目を終えた感想戦として、自分の経営者として強みにしていくポイントは、「あらゆる職種をそれなりにこなすことのできるジェネラルさ」・・・といいたいところだけど、やってみて思ったのは「イシューの見極め」にあると思った。
意思決定力、と言ったら良いのだろうか。もちろん数々の失敗と数々の方向転換をしてきたが、僕はそれ自体を「評価できる点」と捉えている。それは検証と学習を繰り返す中で一つずつ前に進んでいることを確かめられているからだ。
なぜそれができるか、という点で言えば、自分は毎日欠かさず「今、自分の認識の範疇に囚われていることは何か」ということを内省し続けているからだと思う。今自分はどの点で変わる必要があるのか、それがどのような影響を及ぼしているのか、という点にできる限り自覚的になることで持続的な成長をしていくという動機付けがなされていることは、会社の停滞を防ぐ唯一の術のように感じられている。思えばこれ自体は去年の12月に福岡にいってから心に誓っていることで、これを繰り返していくことで自身の内面を磨き続けたいと思っているし、会社のバリューを「変容し続けること」の一本矢でやっていきたいとも思っているから、まず自分が体現しないといけないと考えているのだろう。今のところその進捗は悪くないように思う。

 

また、創業前と後では社会の見え方一気に変わっていった。今までは前職という組織の中に属している自分としてのみなし方を暗にしていたのだろう。株式会社の代表取締役になった途端、社会の情勢に対してただひたすらに明るくなっていくことを直感した。自分が一番、掲げているビジョンの達成について考えているからなんだと思う。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という格言が今の自分には染み込んでいるのだろう。おかげさまで、一段、二段と自分たちの目指していく方向性や、あるべき姿を描いていくことができた1年間だった。

 

 

失敗は数える程あるが、ヤボったい話になるので割愛しようと思う。
出会いもあれば別れもあって、それぞれに一喜一憂している暇がないんである。

プライベートも地殻変動が起きていて、そのおかげで自分の幸福度はどんどんとあがっていったし、2020年は辛いことも楽しいことも嬉しいこと悲しいことも、全てを経験することで、経営者としての一歩をしっかりと歩み始めたような感覚がある。

 

 

今の自分の課題は明確で、メンバーの活躍機会を最大化すること。このままいくとワンマン社長に陥ってしまうかもしれないという心地よい恐怖感を胸に、状況に応じて権限委譲をしていくことを来期の1Qは取り組んでみようと思う。

ここからの自分は寛容と忍耐がテーマになりそうだ。でも、しっかりとそれをやりきって、また一皮向けた自分と出会えることを楽しみにしていきたい。

 

最後に、今年1年間、いろんな人に感謝してもしきれない。
面と向かってお礼申し上げるのはいささか恥ずかしいので、こじんまりとしたこの場でお礼とさせていただけたらと思う。

特に会社のメンバーには、いろいろ迷惑をかけたり、うぜえなこいつと思わせるようなことをたくさんしてきてしまったかもしれない。日々至らぬことばかりでいろいろ申し訳ない。

これからも、長い目で変容を見届けてもらえると嬉しく思う。

1年間お疲れ様でした。また来期も頑張っていきましょう。

 

創業社長の生き方は組織のあり方を基礎付ける。

11月が終わるので、そろそろブログを書こうと思う。
おかげさまで会社としては結構しっかりとした資金体力になってきた。
融資での資金調達が決まってきたからだ。1行は無事に着金し、残り2行の着金を待っている、という状態。ひとつは「創業融資でプロパー」なので、わかる人にはわかるだろう。

創業1期目かつこのコロナの景況感で都銀・地銀・信金・公庫から1行ずつ開けることができた、というのは一つ自分たちが誇っていい成果のように思うし、十分なんじゃないかと思う。これもしっかりと売上をつくれたからこその成果で、僕はその成果を最大化するおじさんという役割をしっかりと果たすことができた、というくらいだろうか。商工中金が残っているが、2期目以降に検討する。
調達総額もシード期のスタートアップかな?という金額になっているので、それはそれでよかったとすることにしよう。

ここからはしっかりと返済実績をつけ、借入できる金額をあげていくというのが重要だ。インタレストカバレッジレシオでいってしまえば、個人的には「まだまだ全然借入できるはずだ」という風に思っているが、2期終わるまでは創業期のため、贅沢は言えないのだろう。

これからはBSでマネジメントをしなくてはいけなくなってきた、という感じなので、自己資本比率をしっかりあげていくことに注力していきたい。・・・というのはポジショントークで、自己資本比率でみても、まだまだ全然ひっぱってきたい、という感じでしかないと思うんだが。
とはいえやっぱり売上。単黒が少なくとも半年は引っ張って来れると自分たちとしてもかなり価値のある会社になってくるのではないかと思う。
今期は利益が出せず、もともと想定していた1期目でしっかり黒字化する、という目標には着地しなかったけど、目標にこだわることなく、11月、12月を来期の飛躍に活用する、と決めたので、結構石橋を叩いて渡っている状態だ。(他意は全くないですw)
総論、順調に推移しているのではないかと思う。


そもそも資金調達は来期に行う予定だったのだけど、8月9月くらいに「ダメ元で融資動いてみるか〜」というところから今の状態になっているので、もっともっとダメ元で動いて「なんか全然いけた」という感じを増やしていきたいと思う。

他方、想定では決算が出たタイミングで融資に回れば、1行で数千万のしかもプロパーとか、JFCとかもいけんじゃね?という気持ちは残念ながら潰えた。
その点については「返済実績を作って事業進捗し、6~9ヶ月後に追加融資を目指す」という目線で着地した。

営業実績でいうと、アポ数こそそこまで伸びなかったが、反応をいただいたところについてはかなりニーズを感じてもらえているようで、しっかり名の通った会社でも価値提供できそうだ、という手応えと、商品設計の妥当性を感じている。

12月までと当初想定していた数値は早々に達成しちゃうんじゃないか、みたいな状態にも見えているが、まだまだ油断はできそうにない。

もう一点、想定を上振れた話でいうと、商談しに行った会社の社長さんからは「事業開発か商品企画で入って欲しい」というオーダーを丸っと投げられることもあった。
実際にそのように進捗するかどうかは別として、「自分たちは自分たちが思っている以上に提供できる価値が他にもありそうだ」という手触り感を持てたことはとてもよかったと思う。

案件を引き受けるかどうかは、その案件を請け負うことで得られるものと、失われるもののバランスでしかない。
できなくはないが、それを自分が行ってしまった時、再現性のある売上拡大に果たして寄与するだろうか、ということだ。

自分たちは一つ一つ丁寧に自社のアセットを蓄えながら、最終的にこんな感じになったらいいよね、ということが、「初手からいけるっぽい」という感じになってしまったので、とても困惑している。

いま自分が注力したかったのは組織づくりであって、「誰でも60点が出せるオペレーションの構築」ないしは「営業手法の開発」なのだ。

自分の属人性で売上を出すことができても、それを実現するだけの体制を構築し、ケーパビリティのある人材を採用し、継続して同じ目標を向いて働くことができるかどうか、というのは非常に難しくって、
その実現が遅くなってしまうのであれば、組織全体としてはマイナス、という話になってしまう。

その機会損失を起こさない提案を考えていく、というのは思っているよりも難しい。自分が足りないという気持ちになる。

 

また、今メインの商品にしたいと思っているものは、「自分がやるとめちゃくちゃ安いサービス」になっている。
これはどうしてそうなっているかでいうと、「自分じゃなくてもできる状態を目指しているから」の一言に尽きる。

「もうちょっと費用あげてもいけるんじゃないか」「もうちょっといくとしたらこういうところまでやらないといけないんじゃないか」などを考えていくと、一気に採用要件があがっていくし、採用できる人材要件があがっていくので、組織拡大の最大公約数が取れない。

短期でみると完全にやるべきなんだけど、中長期でみると微妙の可能性が高く、
一度走り出すと既存顧客とのハレーションを気にして安易に商品変更ができない、といった問題にもなり得るので、かなり慎重になっている。

暫定的な結論で言えば、組織のケーパビリティがあがっていくごとに提供できるサービスを増やしていけばいいので、その時にアップセルをしていく前提で、自分たちのペースで頑張ればいいんじゃないかということだった。

 

 

自分たちのペースとはなんなのか。

 

 

これは最近自分が悩んでいることなんだけど、
創業社長とその会社の人格的な切り分けっていうのは結構無理っぽいな、という気持ちが芽生えている。
自分としては「自分たちの会社」としてみなしたいけど、残念ながら、従業員にとっても、対外的にみても、創業者というのは「トクベツ」っぽいようなのだ。
これはまあ仕方ないという気持ちはある。確かに、零細企業だったとしても「社長」の絶対数はサラリーマンよりは少ないからという理由もあろう。

となると、自分個人が「ここまで行ってみたい」と思っている気持ちに共感してもらうことが重要で、そこに根拠とか理由とか、そういったものはもしかしたら不要なのかもしれない。

 

それでいうと自分はどう思っているのか。
以前のブログにも書いてある通り、僕は僕の人生に納得して死にたいのだ。
その方法はただ一つ、自分の可能性を最大限絞り切った後に、「自分はこういう人間だったんだ」と思う他にない。

僕は論理や理性で納得するまえに、直感的に「自分に秘められた可能性」にまだまだ期待している。むしろ、その手応えを日増しに感じているため、
その可能性を最大限感じられずに死ぬことができない、という感じなんだろう。
そして仮に僕が不慮の事故で全てを失ってしまったとしても、そこで諦めるほどヤワな人間ではないことは、今の自分をみていて思う、圧倒的な自己肯定感を持ち始めている。

 

非常におこがましい話なのかもしれないけど、僕は大学2年生の時に「今の生き方が自分の天職なんじゃないか」と直感した。
おそらくそれは正しい。僕が生きてきた全ての経験が血肉となっているどころか、僕はある種「今この時点のために、生きてきていたんじゃないか」とすら錯覚する瞬間が訪れる。これは自惚れているというのでもなんでもなく、本当にそう感じていて、確からしいのだ。

僕は会社を辞める際に、「自分は常に変わり続けられるだろうか」という問いかけを考え続けていた。
結果としてみれば、自分は変わり続けることができるんだと思う。
そしてそれこそが、僕が今の職業を自分に向いていると思える理由にもなっているんじゃないかと。


僕は明日も来年も10年後も、20年後も、死ぬ時も、「自分は今この時点のために生きてきたんだ」と言えるような人間になりたい。

「こんなことがしたかったんじゃない」という風に思ってしまったら、きっと僕はその瞬間に生きる理由を失ってしまう。



僕が明確に、「こう生きたいんだ」と示したものは社名だ。
もしかしたら赤っぽく聞こえるかもしれないが、自分自身が社会における1つのシステムとしてアンチパターンを形成し、そのあり方に共感していくこと人々が増えていくことで、次の社会の生産様式を基礎付ける、という母集団に属したいのだ。

その手段として、株式会社の創作という持ち場があり、文章という持ち場があり、研究という持ち場があると思っていて、僕個人としては、それぞれ有機的に作用して一つの答えとして遺っていくものになればいいと思っている。

経済学がオワコン化したことはもう否定できない。主流派経済学者には同情するが、生存バイアスで国家を運営されてしまっては困る。僕は実践的な立場から経済研究がしたいし、その研究は間違いなく僕たちが構想するビジネスに寄与する。落合陽一が文系学問にいたっていい。


社会はすでに次のシステムを望んでいるし、その答えはもうすでにでていると僕は信じる。その実現を1人の国民として待ち望んでいく。
銀行の預金残高は融資実行によって減ることはなく、預金の引き出しによって減少するわけだけど、マネーサプライの全体でみると増えていることは間違いない。僕の持ち場は「労働」と「資本」にある。

二つの異なる対立概念を統合的に捉え、その一つのあり方として存在するような生産物が遺るように生きていくことができれば、僕は満足だし、その過程がどれだけ長かろうと、自分が生きているうちに為しえなくてもきっといい。

僕は根本的にはたらくことがあまり好きではないので、自由な時間が増えていくことが人類における豊かさの総量が増えているといったん信じて、生産性をあげていくことができればと思う。


会社のメンバーや、ステークホルダーの自由な時間を増やす取り組みを行いながら、売上を伸ばしながら、信用創造によって社会全体のマネーサプライを漸増させていくことができればいい。それぞれが一見相反する事象のように思うけど、どれか一つが犠牲になってはいけない。そう思うと、そのバランスが僕たちの最高速度なんだろう。

 

 

 

 

 

 

ビジネスにスピードを求めるのは何故なのか。

僕はどちらかといえばかなり慎重派なんだけど、発言の大胆さや元々持っている性格が災いして、「リスクのある人間」とみなされることが多い。

 

僕にとってはかなり不本意な結果なんだけど、人によって感じるリスクの度合いが異なるので、それは仕方ないのかなと思ったりする。
リスクの許容度は、リスクマネジメントのための試行錯誤の総量でしか増やすことができないからだ。

 

 

今の自分の振る舞いが正しいのかどうか、正直わからないところがある。
だからこの1ヶ月で行ってきた考察を、ひとまずここで棚卸ししておく。



僕が今回悩んでいたのは、「今の自分が一度立ち止まってしっかりと計画を引き直す」という行動は果たして正しいのかどうか。

という問いだった。


僕は会社を作ってから、自分の取る一つ一つの選択の意味合いと、その適切さをものすごく注意深く観察するようになった。
採用しかり、資金調達しかり、事業しかり。。。


例えば僕は、創業初期の事業計画時、「借入額は多ければ多い方が良いのか?」
という問いかけについて「そんなことはない」というふうに捉えて、選択を誤ってしまった。

選択を誤ってしまうことは、会社の代表としては致命的だ。何故ならば、無駄な労力がかかってしまうからだ。

僕がなぜ今ここで立ち止まって考えているか、でいうとこの非効率かつ報われない労働を極力減らしたいと考えているから、ということももちろんある。
ただそれよりも、強い組織を作っていく上で、「自分の取るべき指針にしたがってついていけば、自ずと成果がでてくるのだ」という信頼関係をメンバーと築くことができなければ、まずそもそも事業の拡大というものは為し得ない、というふうに考えたからだった。



自分一人でビジネスをしていくのであれば、素早く行動して素早く失敗して、次の検証に進んでいけばいいかもしれないが、そうでない場合、失敗を繰り返すのは往々にして現場だ。
失敗から学習をしていくということが仮に重要だったとしても、それにしたがって「本当にこの方向に進んでいいのだろうか」「また失敗するのではないか」という疑念が一度でも浮かんでしまったら、なかなか一歩が踏み込みにくくなってしまうということもあるだろう。同様に、部下が誤った選択を繰り返している場合、その人のいう「こうしたほうがいい」を素直に信じることは難しいだろう。

 

 

どこまでの不確実性を許容して、どこからが検証なのか。
検証から得られるアップサイドリターンと、ダウンサイドリターン
起こり得るアップサイドリスクとミニマムのwinはなんなのか。
検証に必要な試行回数は何回で、何回(何時)までだったら検証し続けることができるのか。

ここを僕とメンバーの双方で合意し合うプロセスが僕にとっては非常に重要だった。


その点でいえば、学んだことが一点ある。
「事業をしっかりと計画することができれば、それ自体が信用を創造している」ということだ。

事業計画は信用創造の第一歩なのだ。

 

僕のような慎重派のタイプは、スタープレイヤーのきらびやかな経歴ときらびやかなプレゼンテーションで勝ち得る「成長の期待感」の演出はむしろ不得意であって、「確実に事業計画通りに進捗させる執念を持つ」という点で、信用創造=デットファイナンスの方が相性が良いらしい。

逆にいえば、そうしたプレイヤーは株主にとってはもしかしたら「面白くない」のかもしれない。

 

世の中の人々がギャンブルという射幸心を煽られながら生きているのと同様に、
「成果がでないかもしれないが、成果が出た時にリターンが大きいもの」
を一定の割合で好む性向があるなと感じる。

そうした連中をカモって売上を積み上げていくのが「○○投資」や「不労所得」という甘言をささやく営業会社なのだろう。

日本人に限ったことではないが、悪魔のような契約を巻いてしまう理由の一つに、「自分は選ばれた特別な人間なのだ」という肥大しすぎて暴走してしまった自己愛にあるように思う。

 

それに対して僕ができることといえば「できる限りそういう人種とは関わらないようにする」以外のなんでもなくって、もっといえば「できる限り李徴のような人間を採用しないように見極める」ということが重要。

 

彼らは常に自分がギャンブルのwinnerになれると信じている。

 

慎重派の僕は、絶対にそんなことはないと信じている。

 

さて、ビジネスにスピードを求める理由はなんだろうと考えていくと、二つの力学が見えてきた。

一つはキャピタルゲインを欲する投資家の利確。
投資というのは不確実性がとにかく高い。ひとたび行ってしまえば、その後にできることは「急かす」「煽る」「脅す」くらいでしかないのかもしれない。
不確実性を極力減らしたいとしたら、利確を早めたいと考えるだろう。
そうして「スピードこそが重要だ」という甘言をささやくようになる。

「手伝う」「支援する」「応援する」ということが起きればよかったのかもしれないが、それぞれにトラップが仕掛けられていないか、そういう慧眼を持ち得ないとなかなかに難しいように思う。

もし起業家も同様にキャピタルゲインによる利確を急いでいるとしたら、彼らは強烈にフィットしているのかもしれない。従業員が幸せになれるかは、僕にはわからないけど。

 

もう一つは経営者の自我暴走。

先述の通り、スピードをだしたがる経営者の誤謬については、自分にとっては理解不能だったりする。
例えば経営状況が悪化しており、なんとかしないといけないが、なんとかしようのないような状況に追い込まれていた場合、しのごの言わずにスピードだ、となる気持ちは共感できなくもないが、日常的にスピードを重視している理由にはならない。

たとえばビジョン・ミッションの達成であったり、そういったものを成し遂げたいと思っているのだとしても、そうだとしたら「いつまでにどうなっていたらそのビジョンミッションが達成されると言えるのか」という点を教えて欲しいと思ってしまうのは性格が悪いだろうか。

 

僕は企業経営というのはゴーイングコンサーンであるほうが原理原則だと思う。
その前提条件は、どれだけの速度で成長しているか、ではなく「どれだけ持続的に成長しているか」が求められているのだと。

とした場合になによりもまず重要なのは、事業計画の達成であって、
事業計画の達成によって信用創造が発生すると認識されるべきだ。


というふうに考えていく中で、ビジネスにおけるスピードとはなんなのか。
ビジネス特性として「参入障壁が低く、市場変化が激しいので、スピードをだし続けないといけない」も僕からすると詭弁だ。
なぜなら、参入障壁が低く、市場の変化が激しいとしたら、その会社が求めるべきものは「スピードではなく変容」だと思うからだ。

 

というふうに考えていくと、スピードをだしたい経営者の自我暴走というのはつまり「相対的な指標における優位性の実証」なのではないかという仮説が思いつく。

 

「10年で売上が1000億円に到達した」

「市場最年少での上場」
「時価総額1兆円の企業」

そういうものを目指しているというのは、自身の価値や優位性を相対的な指標の中に落とし込んでしまう認知の特性からきているんじゃないかと僕は思う。


なぜそもそも一番になりたいのか。気持ちはわからなくもないが、そういうもので動かされて許されるのはせいぜい大学生くらいまでなんじゃないか。

 

はっきりいって、ビジネスにおける事業成長のスピードは市場の需要供給にしたがっているとしか思えない。経営者の能力によってその介在価値が証明できるとしたら、「伸びる市場にだれよりも早く気付き、株式会社というオペレーションをどこよりも早く構築し、事業計画を達成し続けた」ということだけでしかなく、

そもそも事業のドメインや特性、参入のタイミング、市場環境の違い、時代背景、タレントの採用、再現性のない大型クライアントの受注、などなど・・・一個人が絶対的にマネジメント不能な複雑な変数の中で、偶発性の極みであるアップサイドを意図的に創出しようというのが僕にとっては「おこがましい話」だ。

 

僕たちが介在価値を出せるのは、市場選定とリスクマネジメントだけであって、計画の見通し通りに進捗をしたかどうか、つまるところダウンサイドのリターンだけだ。


その計画の上振れは複雑な変数の偶発的なアタリを引くことができたかどうかで、そのアタリどころに張っておくバッファを設けることがなによりも重要なのではないか。

もし、アップサイドリターンを究極的に再現することができてしまったら、それはGAFAでも実現し得ないようなことを実現しているというふうにみなすべきで、それは「世界で最もお金儲けのできる天才」ということになってしまう。

 

 

もちろん、ビジネスにおいてアジリティは確かになによりも重要だ。
しかし、「売上利益/事業成長のスピード」というものをストレッチ に追うべきかどうか、という点でいえば、それが「自分たちの成し遂げたいことからの逆算」で設定されているべきで、「組織全体で追いたくなるような納得感」が重要だ。
根拠のない状態ではかえって停滞する。そういう状態の組織は慢性的に離職率が高く、ブラック的だ。


一周して、生存バイアス的に「一度立ち止まって計画を引き直す」ということは
僕の今後の人生においては中核となる生き方になるのではないかと思う。
誰よりも「計画を立て」「その計画を達成する」能力に長けた人間になることによって生み出される「信用」はビジネスの要だと信じていこうと思うからだ。

 

 

社会人になってから3年が経った。

大学を半年間休学していたので、10月に新卒入社した僕にとって、10月は一つの節目になっている。多分皆が4月を節目としているのと同じように、僕の節目は10月になる。

 

社会人になって3年が経った。だけど今の僕にとってそのカウントアップはあまり意味を為さなくなってしまった。僕が勤め上げるという気持ちをより強く持っていたら、社会人生活をそうして節目ごとに振り返っていくことに価値があったのかもしれないんだけど、来年の僕がこの10月を節目としているのかは甚だ疑問だ。今の僕にとっての節目は会社の期が変わる1月となってしまった。でも、それでいい。

 

少々遅くなってしまったが、9月振り返りと現状についてちょっと書く。
こうして振り返るのも今年で最後だ。頑張ろう。

それと、融資について最近考えていることがあるので、それもまた書く。

 

 

マーケコンサルに注力していくという方針を定めてから、会社はどんどん好調になっていった。詳しいことはかけないけど、先日契約を締結した半年分の売上に何事もなく、今決まろうとしている融資が満額入れば、残キャッシュとしては「売上が一切上がらなくても事業を拡大させず、全てのコストをカットすれば2年は保つ」という状態になった。もちろん、そんなことにはせず、しっかりと攻めていく方向で事業の計画は引っ張っているのだけど。


これは結構大きな安心感で、今までは「3ヶ月後までになんとかしないと会社が倒産する」という状態でバランスをさせていたところから、「結構じっくりやっても大丈夫だし、試行回数をかなり踏んでもおつりくる」みたいな状態になった。

 

さらに、インターン(厳密には業務委託なんだけど)として入ってくれている子がハイパーな子で、行ったことをすぐにキャッチアップして習得していく力がすごく、
その子がDXコンサル的な案件を持ってきた。今は見積と提案書を送っているステータスなのだけど、向こうからは「できるだけ早く稼働開始してほしいし、金に糸目はつけない」というお声をいただいているので、是非、という感じだ。
これも友人などに「いくらで受注できそうだと思う?」と聞いた時に答えてくれた額の2~3倍の金額で提案している。うまくいけるのであればこれも事業化できたら面白いのではないかと思う。

 

 

 

僕がこの1ヶ月半で学んだことが本当にえぐかった。これから書く。
この学びはどこかに残さないといけないと思いながら、「やらなきゃなことがいい意味で多い」ので放置気味になってしまった。うまくいっていない時のほうがブログで内省するというのはいい傾向なんだと思うけど。

 

まず一つ目。
値付けこそが経営だと思う。

 

ある領域で値付けを行うと、それがポジショニングを意味する。当然ロープライシングをするとポジショニングはニッチやフォロワーに寄っていくので、チャレンジャーとしてポジションを取りたいのであれば、一番避けないといけない。

僕は人材紹介で、経営の基礎を踏み間違えた。ロープライシングをするということだ。

これは原則でいえばコストリーダーシップを発揮できる大企業のみがとれる選択肢といっていい。次にその実現の可能性があるのは「資本体力のある企業」だ。

スケールメリットがでるまでどれだけダイリューションを気にせずに踏み込みまくりながら生産性のみを追求してレガシーをブチ抜くか、これは本当に難しい所業で、ラクスルがそのビジネスケーパビリティを身に付けてしまったら多分止まらないんだろうという気持ちになる。あそこの強みは上場時の資料、今の資料でも語られてるけど、テックとマーケとオペレーションが三位一体で強いから強いという、かなりシンプルな感じ。お手本。

なんでまあ、初期事業でそんなことしたら採算合うわけないじゃん。だけどなんでみんな同じことをしてしまうのか、僕はこの理由を経験ベースで語れる。「自信がない」のだ。

 

ロープライシングで回転数を高めれば総額で勝てるやん、みたいなのは正しい。だけど、ガワだけ真似しても絶対にうまくいかない。これは声を大にしていいたい。

もちろん、僕たちの振り返りは外部要因のほうが大きかったから、そのまま続ける選択肢はあったのだけど、スケーラビリティを組織構築まで含めて計画を引いてみると「一体いつになったら会社として大きくなるんだよ・・・」という事態になる。これは計画を引くだけでわかる。

楽天がなぜ価格破壊を起こすプレイヤーとしてあらゆる産業に参入できるのか。それは楽天が楽天という経済圏の拡張を目指すプレイヤーだからで、「楽天の製品、商品、サービスを使っていると総額でお得」ということを実現するというシンプルな戦い方なのだ。そんなことはハナからみんなわかっているんだけど、なぜかそれをガワだけ真似したらうまくいく、と思い込んでしまう。これは本当に、knowing-doing gapというか、知っていることを目の前の答えのない問題にアナロジーを利かせる精度というか、そういうものがビジネスのために生まれてきたハイブリッド天才でない限り、根本的にはやりながら学ぶしかない。

 

情報が溢れかえるようになってから、「理論上はそうなんだけど」ということの価値が暴落したと僕は思う。「理論上はそう」によって満足した人たちが「ますます行動に起こさなくなった」ような気がしているし、「やったことのある人にしかわからない実体験」は絶対に真似できない。確信する。僕がそうだったからだ。
そして99%の人が「知っていてもやらない」ということを知ってしまった。これもまた、「やってみないと絶対にわからないこと」

 

僕はこの時代ほど、行動する貧乏人に優しい時代はないな、と思った。
内定時代に「いずれは海外でもビジネスできるようにならないといけないかもしれない」ということをお世話になっている人事の方に話したことがあるんだけど、
その時に言われたのは「出木場さんがいうには、日本で勝てない奴が海外で勝てるわけねえ、だそうよ」ということだった。


今ならわかる。日本はとにかくとんでもなく勝ちやすい。なぜなら、「ちょっと勉強すればわかるようなこと」を99%の人が学んでいないからだ。

市場をしっかりと見極め、そこで"今"必要とされているものを見つけ、それを提供するだけでいい。僕の仕事は、市場で起きている大きな流れと、ミクロな動きを観察し、何が必要なのかを考えているだけでいいと言っても過言ではない。そこに「適切な値付け」を行うことさえできればいい。

僕は「何に値段をつけるべきか」ということを考えていけばいい。人はみな、流通している価値に値段を付けようとするが、僕がしなければならないことは「まだ流通していない価値に値段をつけて販売すること」ただそれだけなんだと。

 

面白いことに、値付けに成功すると、全てが決まる。まず先にポジションが決まる。これはどうしてかっていうと、「この値段をいただくために、どんな価値を提供し続けるか」という思考が始まるからだ。値段を決めるとポジションがきまり、商品内容が決まる。そうすると何がきまるのか、単価×個数 がきまる。単価×個数=売上が決まる。そうすると、売上-支出で粗利がでる。粗利がでると利益率が見えてくる。
この粗利のうち、何にどれくらい払うかを考える。1人に支払うことのできる金額が見えてくる。そこからどの程度の人材が採用できるかが見えてくる。採用要件が決まってくる。LTVを見れば許容CPAがわかってくる。従業員数がわかれば、坪単価を入れればオフィス賃料もわかってくる。そうするとFCFがわかってくる。FCFが出てきたら何にどれくらい投資ができるのかが見えてくる。そこで残ってくるお金が役員報酬として「取っていい金額」がわかってくる。そして「自分の人生はこのままいくとどうなるか」が見えてくる。

そうしてターゲットセグメントがわかってきて、どこを中心にビジネスを展開していくことになるのか、がわかってくる。あとは営業計画とオペレーション体制を考えていけばいい。

逆説的なんだけど、僕の場合は値付けの根拠を「従業員にいくらお給料を支払いたいか」ということから考えた。簡単にいえば、x万円の単月給料を支払うために、1人のプレイヤーに最低いくら稼いでもらわないといけないのか、ということだった。
FCFで30%以上は残さないと事業が拡大していかない、というのは経営者のみなさまだと大体計算したことのある数値感なんじゃないかと思う。ミニマム30%残っている状態を実現するためには、1人あたり売上を計算する必要があった。
そうすると「単価×個数」をこうしないといけないよね、というのが必然的に決まるのだ。

僕はこの計算をしないで考えているプライシングは全部クソだと思う。これをするから「会社として回る状態にするために、どんな提供価値を生み出し続けるか」に従業員の介在価値が生まれる。これをしない人間は、何度でもいうが、「従業員や組織のことをまるで省みない邪魔者」なのだ。

 

これは手前味噌になってしまうのかもしれないけど、創業時の決算も締まっていないタイミングでセールスKPI、採用計画などなど、全て計画していて、悲観で売上利益まで計算が済んでいる状態は、結構いい仕上がりなんじゃないかなと思う。本当にその計画通りに進捗するかどうかはさておき、かなり悲観で読んでいることは間違いないので、「あとはお金があれば安心」みたいな状態で、そのお金も「いざという時の保険」という意味合い。故に融資も「是非是非」みたいなお気持ちになっているんだろうなと思う。

 

 

 

二つ目。

僕は銀行の融資は銀行にとって、「貸したお金」ではなく、「将来予定された売上」なんじゃないかと思うようになった。

銀行の売上は「支払い利息」と「支払い手数料」だとあらゆる人たちが考えていて、それ自体は間違っていないと思う。
だけど、現代貨幣理論を学び続けることによって、
信用創造によって預金が増えることを融資と呼ぶのなら、その融資のお金は僕からすると「予定された売上」にしか見えない。
おそらく、ニクソンショックの時にその力学が根本的に変わったのだろう。僕たちは将来の予定されたお金を返済することを約束することによって、現在キャッシュを持つことができるのだと。

お金は借りたら返さないといけない。それは当たり前だ。
売上はモノを売ったら回収しないといけない。これも、借りたお金を返すのと同じくらい当たり前のことしか言っていない。


果たして銀行の残キャッシュは融資実行によって減っているのかどうか、僕はそれだけが一番気になっている。もしそうなんだとしたら「だからなんなんだよ」って思われてしまうかもしれないが、僕にとっては大変重要な問題で、なぜなら「貸したお金をさらに貸す」行為はお金を増やす原理だからだ。この原理は仮想通貨や資産運用を始め、至る所で発生しているが、リアルタイムに同時多発的に起こるので、「気づかないだけ」なんだと思う。一般的な感覚からは追いつかないかもしれないが、借金を貸し続けることができたら、トランザクション量・回転数を上げ続けるだけでお金というのは無限に増殖していくのだ。
銀行が破綻するとき、というのは「将来予定された売上(融資)が回収されないとき」だけで、「信用創造が下手くそ」な銀行だけが潰れていくんじゃないかと思う。

 

もし仮に、融資によって、「将来の予定された売上を月々回収しているだけ」だったとしたら、銀行は売上+利息という超長期的なストックビジネスを運営していることになっていて、それもそれですごいなと思う(アホっぽい)

ただ僕もこのことについては、まだ理解が追いついていないのだ。これから勉強するとはいえ。

僕はこの仕組みにうまくのっかりながら、会社を大きくしていく秘訣が学べたらと思う。今のところ予定していることは「お金は借り続けることによって返済しなくてよくなる」ということくらいでしかないけど。

 

 

さて、最後に僕がいいたいことは一つだ。
「恩は買うと高くつく」
恩を売りにこられていたら、最善を尽くして警戒しないといけない。
もし買ってしまったとしたら、感謝はしても意地でも返そうとするべきではない。


この1年間、まだ3ヶ月残っているとはいえ、結構いろんなことを経験したし、それ自体は本当に財産のようだ。サラリーマンを続けていたら絶対に見えてこない景色が、本当に目の前にある。来年度が始まるころには「自然豊かな土地柄で犬を飼って暮らす」ということが実現するのだろう。

 

一方で、サラリーマン時代に自分が受けていた恩恵を、同じ立場を経験することによって、自分が踏みにじってしまっていたことに対して自覚的になってきた。
当時の自分は一体何と戦っていたのか、まるでわからないのだけど、それでも自分は多分目の前の事業や市場をなんとかしたかったという気持ちは変わらない。

 

今の自分だったらもっとうまくやれるのに、というふうに思うことはいっぱいあるし、
なんで自分は始めてしまったのだろう、というふうに思うこともいっぱいある。

つらいこともいっぱいあるし、どんどん人間不信になりそうな気配もあるし、これからどうやって生きていけばいいのかと途方に暮れることもあるんだけど、

そうした今までに経験したことがなかったような、社会のつらい部分をずっと克服しながら生きていくのだと決めてしまった以上、僕は前に進むほかに仕方がない。

 

 

順調だなんて口が裂けても言えない。なに一つ安心できることなんてないし、これからもない。ただ、今自分が計画した事業をどうにかして前に進めるために動き続けないといけない。それでも、自分たちのペースでやっていけたらいい。