世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

開け続けることで生き残るサードドアの在処

一月は何もかもが進捗した月だったと思う。欲を言えば受注リードタイムの早いなにかしらの成果がでていたら、と思うこともあるけど、いろんなことを平行してやらないといけないだったので、まあよしとしよう。

 

なにより一番進捗したのは、プライベートでようやく犬を飼うことができるようになったことだった。黒豆柴のオス。名前はアルになった。
アルという名前、そういえばゼミの先生が娘さんにつけた名前だったことを思い出した。"在る"というのは先生がいうように、実存主義的でとても良い。思えば大学4年生の自分はとてもクヨクヨしていた。これから待ち受ける正真正銘の主体的な自分の人生に対して、思うような認識を持つことができなかったこと。あるいは、今後待ち受ける苦労や困難を前に「ちょっとやりたくね〜な」って思っていたこと。そういうものを想像しながら、「この目の前にいる大学の先生たちは、どうしてそんなに溌剌と生きていられるんだろう」と訝しがっていた。懇意にしていた大学の先生からもらったフーコーに対する現代思想の本は流し読んだまま、本棚で大切に保管されている。

サラリーマンをしていたときの自分もまた、クヨクヨしていた・・・というより、ずっとイライラしていた。どうにもならない「組織」というハコの中で、ずっと窮屈そうにしていた。当時の自分を振り返ると「いやそれお前じゃん」って突っ込みたくなるのは成長なのだろう。

今だったら、その先生たちの気持ちが少しだけわかるような気がする。
アル、という名前には「今、ここ」という仏教的なニュアンスを含めているわけではない。僕はまだそのことについてピンときているわけではなく、どちらかといえば「そうなれたらいいな〜」という風に思っている程度の人間なんだけど、
構造主義的なアプローチも、実存主義的なアプローチも一通り自分なりに考えたあとになって、「とはいえ、実存が本質に先立って主体的真理を追求していくことには代わりないか」という諦念と前向きさを手にしてからは、精神はゆとりをついに取り返して、自分だけの時間を大切にできるようになった気がする。TENETのニールがいうように「たとえ決定論的な運命がそこにあろうと、だからといってやらなくていいということじゃないんだよ」という気持ちが最近の自分には結構ぶっ刺さっていて、そういう生き方を自分が主体的に選択していくんだという強い意思を持ち続けられたら良いと思った。自分の人生が仮に森羅万象で決まっていたものだったとしても、それをなぞるような人生だったとしても、自分にできることを粛々とやっていこうという覚悟を持つことは、自分が特別であるという意識を心の内から開放していくような清々しさがあった。


今度ウチにくる黒豆柴のオスには、ポジティブな名前がつくといいな、という期待から、ダイキチという名前も検討していたのだけど、"アル"という名前もまた、自分が生きている経営のマスタリージャーニーを常に意識させてくれるという点で前向きな名前なんだと思った。


さて、1月はどんな1ヶ月だったか。
年末から採用活動に奔走していたこともあって、インターン生が3名新しく入ってきてくれた。
慣れない採用面接をやるのは本当に大変で、難しい。
今月はとにかく、「何をもって採用とするのか」ということの理解を深めていく月だった、とも言えるかもしれない。
採用活動自体は1月も継続して行っており、今後も拡大していく予定だが、今月の成果でいえば、ギリギリよい結果だったと言えそうだ。自分は最終選考を担当しているんだけど、本来であれば自分のところでは落とさないはずなんだけど、それでもちょっといったん見送ろうかということもあったりと、割と現場も大変だと思う。
それでも面接活動を通して、「ウチとしてはどういうパーソナリティを持った人にきて欲しいのか」というのが言語化されていったのは収穫として大きい。
結局のところ、採用要件はビジネスモデルに依存している。それでいうと「お気持ちに慮る力が強く」「数字に強い」といった二刀流人材がいるとベスト。後者が得意で前者は苦手な(自分のような)タイプだと結構しんどい気持ちになる。やはりというかなんというか・・・コーチャブルな人材であるかどうか=素直さっていうのはこの日本社会で生きていく上では最も重視して身につけていくべき力のような気がする。

他方、素直さだけでなく、意識構造がメタ的で、その結果学習能力が高い、といったタイプも「ウチに合ってる」と思う。「お気持ちに慮る」というのも「ロジカルにコミュニケーションが取れる」というのも、このメタ意識が身についているかどうかで変わってくる。マネージャーが低次の発達段階で自我暴走しかけている場合だとうまくまわらないのだろうけど、マネージャーの発達段階の方が高い場合は、一気にマネージャーの視座に追いついた思考様式を身につけてくれるかもしれない。

落とすべき人材要件、スキルとして優秀な人たちの中にも一定数混じっているので、ここの見極めこそがキモだな、と言う風に思うのだけど
「自分が持っている認識やトラワレに依存してしまっており、それのみが正しい」と思い込んでしまっているタイプは、結構「ウチに合っていないなあ」と感じることが多い。
あんまり偉そうにいうのも憚れるのだけど、あくまでウチに合っていないだろうという点で申し上げるとすると、視点が一人称視点になってしまっていて、「社会は自分に対して何をしてくれるのか」という潜在意識が言葉尻や過去の経験からうかがえてしまうと、結構これから苦労するだろうな〜という風に思ってしまう。
「自分が社会に対して今どうか」という視点を持っていると、さまざまなことに対して主体性を持ったアクションをとることができ、あらゆる物事の興味関心を持つことができると思う。これを成人発達理論の自我の発達段階(詳細についてはこちらのリンクを確認してもらえると)に区分けしていくとすると、「発達段階4:良心的段階」に到達してからが他者との協働を円滑にするだろうと思えてくる。

もちろん、発達段階が低いから一概に悪いという話がしたいのではないんだけど、視点の持ち方が一人称だと、マネジメントから見ると「この人のこなすことのできるミッションには限りがある」という評価になってしまう。例えば業務委託やフリーランスとして、定められた要件に対して納期通りに納品する、といったことであれば問題なくこなすことができたりと、職人的な気質が必要とされる仕事をこなしていくことが向いているという考え方もできる。

他方、異なる利害関係を持った人間と協働したり、信頼関係の構築ができていない段階から提案をして合意形成をする力というのは、その業務の難度と掛け合わせで難しくなっていくので、「うちのビジネスモデルでいうとソリューションを提供価値としたコミュニケーションはちょっと身につくのに時間がかかっちゃいそうだな・・・」という判断となる。

 

ハードスキルが求められているという社会的なトレンドとしてのプロパガンダが流布されているので、あらゆる学生が誤解していることであり、認知するのがとても難しいとは思うんだけど、
新卒の学生に一般的に求められていることは「ハードスキルがどんだけついているか」ではなくて、「リーダーシップがあるか」のほう。ソフトスキルのほうがよほど重要視されてみられていると僕は考えている。

今までの学生界隈だったら「ゼミ長としてグループをサマライズしてました」とか「サークル長としてチームをエンカレッジしてました」みたいな就活アピールが多かったのだろうけど、今の学生たちは機会が多様化しすぎてしまっているせいで、かえって「インターンをやってマーケティングを身につけたら就活に有利」なる謎理論を構築してしまっているようだ。

この話は長くなるので割愛するけども、就活のためにほげほげとか、そういうのよりも「業務を通じて主体的真理の探索を行いたい」という欲望を持った学生と出会いたいな〜といううっすらとした期待を持ちながら、「まあそんな子いないのか・・・」という青い鳥症候群になりながら、最終面接官を担当している。

 

今後の採用活動は実際のところ、お題を解いてもらうのが一番その人のパフォーマンスが見えてくるので、そういう方向性で動いていくんだろう。

採用したインターン生でいうと、おかげさまで獅子奮迅の活躍をしてくれ、4件のアポ獲得をし、中途の我々の支援を受けながら、実際に自分で商談に取り組む経験を積むことができた。PDCAのなかにもDが得意な人もいればCが得意な人もPが得意な人もいるが、Dが得意なタイプは切込隊長としてかなりいい仕事をしてくれる。


また今月の目標としては10件の新規商談を追っていたが、それもギリギリ13件の商談獲得で達成することができ、次回にしっかりとつながる成果が見えてきている段階だ。


細かいことは省くというか、そろそろ書けなくなってくることが増えてきたなという気持ちなのだけど、今月は表題の通り、「サードドア」の存在を発見し、そのためのアクションを閃いてから実際に起こすまでのリードタイムが1営業日という鬼速で検証をし、事業計画が大きく変動するといった事態が起きた。
これは1Qに追っている「マーケットニーズの結実性」と「売上拡張性」というテーマの中でも、特に後者のお題を解くのに影響を及ぼした。
現在の商品区画でももちろんマーケットニーズが結実していると言えるのだけど、それが結局属人的にそうなっているのかどうかを見極めるのが難しいという問題を孕んでいて、その解決までには「実際の案件数を増やしてみないことにはわからない」という状態だった。それが故に「中途採用要件は高くしないといけないのに、今の資金繰りでいうとこれくらいの給与水準の人が欲しい」という矛盾した状態が常に課題として付き纏っている状態だった。

この問題に対して自分たちのブレイクスルーが起きた2つのポイントがあるとするならば。
まず一つ目は、「今自分たちが採用したいと思っている人材は実際に市場の上位何%なのか」という問題。
これは急成長している営業会社から聞いた話なのだけど、ある媒体に登録しているユーザー240万人のうち、我々が採用したい条件で絞り込みを行うと、170人しかひっかからなかった、というノックアウトな感じがあり、某有名スカウトサービスなども同じような有様になっていそうだよね、ということで、労働集約のビジネスモデルにもかかわらず、方向転換はいずれにせよ必要そうだ、ということが見えつつあるような状態だった。
二つ目のポイントは、知り合いづてで紹介を受けた商談から、マーケット課題を伝授され、その解決策を個別に練っているうちに、マーケット全体に波及できるセグメントを特定することができ、かつそのキャッシュフロー構造が現在構築しようとしているビジネスモデルよりもイージーだった、ということだった。
ここにいくつかのブレイクスルーが起きた理由について、自分なりに振り返っていることを言語化しておくと、
まずそもそも自分は「自分が認識している範囲に限定して思考することは機会損失を招く最大要因だ」と認識しており、
「自分が持っていない視点や専門性を持っている人にいつでも話を聞ける状態にしておくことは、第三者視点を加えながら事業成長に大きく寄与させることができるのではないか」と直観していた。

そのために必要なヒアリングはしっかりと行っていくことで、パズルのピースがようやくハマってくれた、というブレイクスルーを起こすことができた。

もう一点、自分は「他の人がやっていないことの中に、ものすごい金脈が眠っているのではないか」という考えをすることが多い。
自分たちが競合としている会社が何をしていて、それはなぜなのか、ということをじっくり考察し、仮説を立て、そのヒアリングをしていくことで、
「そうであるならば、このマーケットはぽっかり空いてるんじゃないか?」ということが見えてくることがあるのだ。
僕はそれこそが事業成長のサードドアだと認識するようになり、第三者レビューも加えながら立てた仮説を実証していくことができたという点で、ものすごく事業成長の確信を持つことができるようになってきた。
それがたとえ第三者からのビューであったとしても、自分たちの初期構築した戦略が間違っていなかったと解釈することができる示唆が得られることは、検証の余地を減らすという意味でもものすごく価値のあることだと僕は思う。

 

上記に記載した思考様式は、自分が日頃から習慣にしていることでしかないんだけど、逆に言えば「自分がオリジナルで持っている思考習慣には価値があるんじゃないか?」ということを立証したという意味では、自己確信を強めていくきっかけになっているとも言えるだろう。開け続けることで生き残るサードドアの在処は、「自分が囚われている認識の常に外側」に在ることを意識し続けなければならない。


 

そういうわけで、1Q中に検証したかった「マーケットニーズの結実性」と「売上拡張性」というお題は、現在行っている商談の手触り感から、発生を残して90%を1月中に検証しきってしまったというマキマキ具合なので、事業計画を上方修正(1ヶ月ぶりn回目)し、オフィス移転を行うことにした。

今後自分が取り組んでいかないといけない最大課題は「採用」になった。
まだこれからとはいえ、とりあえず「試行錯誤しながら、人が増えれば売上も伸びる」という状態が見えてきている段階なので、事業スピード=採用というフェーズがそろそろ到来する。
そのフェーズに先駆けて、採用力を強化し、組織拡張性のあるスタイルで事業成長を支えていくという観点で、某コワーキングスペースに入居できると嬉しいなと思う。次のブログでは具体的に何をどうしたのかみたいなことが報告できると良い。