世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

インナージャーニー、そしてホワイトクリスマス


12月某日

久々に会った友人には「これからどうするの?なぜするの?」と聞かれる。もはや定型文と言って良い。僕もきっと同じことを聞くだろう。
「本当にクソみたいな社会で、どうしようもないと思うんだけど、もしかしたらちょっとクソまでは持っていけるかもしれない。本当にやりたいことかどうかなんて、僕にはどうにもわからない。仕方なく、やるしかないと思ってる。やるしかないんだと思う」

 

今まで、僕はだましだまし生きてきた。
もしかしたら僕が僕に対して騙していたことを以って、人を騙してしまったこともあるかもしれない。だけどそれでもきっとそうやっていかないことにはどうにも前に進まない。これからはそっと土と戯れながら生きるのも良いかもしれないと思えば、「抱いた欲望に責任を持てよ」という一言がゴツンと僕を殴って、そのたびに、やるしかないんだ。奮い立つような気持ちになる。


「自分を偽ること」
どうやら僕にはあまり向いていないと思う。大学生の頃は、自分の将来価値を現在価値に換算して、そのポテンシャルを含め現在の自分なのだという感覚がしていた。ところが、今の自分は将来価値的な自分に目を向けることは極力せず、等身大の、身の丈に合った自分をできる限り正確に眺めたいという欲求のほうが強くなっている。
その意味で、「向いていないと思う」というよりも、そのように変化をしていったと捉えるほうが正しい。その影響は、社会から受けたことかもしれないし、自分の気づきから生まれたものかもしれない。おそらく、社会を眺めていく中で自分の中にある欲望を取り出せたといったほうが正しそうだ。


どうして?僕はきっと、誤解をされることを極端に嫌がっているのだろう。

 


12月某日

大学3年生のころまでのほうが、今よりも割に生きやすかった。理由はおそらく。

自分の弱さと向き合うことをできる限り避けるよう生きてきたからだ。

 

 

 

12月某日

福岡に行く。理由は、ある人に会うために。東京に住んでいてくれたらと思うも、シンガポールではないだけマシだろうと思った。LCCでなるべく安くして、往復で20,000円。新幹線で大阪に行くよりも安いから良いことにしよう。

17日から20日まで滞在することにした。21日に予定があったので、それまでは福岡で過ごそうと思った。宿の予定なんてなんにも立っていないけど、なんとかなるだろう。満喫に泊まるでもいいし、車中泊でも・・相当寒いからやめた。

 

AirBnBで泊まれるところを探すと、天神・博多周辺には格安で泊まれる部屋ばかりだった。1DKの築浅マンションが2000円で泊まれる。清掃代と含めると4000円だったけど・・・・
平日オフシーズンの福岡はとにかく安く泊まれる事がわかり、ほっとした。これであれば、何泊でも居られるんじゃないか。


北千住の武蔵屋で昼食を済まし、鈍行に揺られながら成田へ向かう。その道中、「どんな話をしたらよかろうもんか・・・」と考え込む。iPhoneが笑うんじゃないかってくらいメモアプリとにらめっこした。


Q:あなたはどんな人間になりたいですか?

「できるだけ自由になりたい。その対象は、経済・文化・歴史・社会・生物・経験と多岐にわたる」

「その結果、社会的な価値観を微力ながらアップデートすることができるような人になりたい」

そう書いてある。

 

 

12月某日

ある人はPHと書かれた最上階のフロアに住んでいた。管理人のおじいちゃんが中庭の清掃から戻ってくるや、僕を見つけた。「これから◯◯さんのところでも行くのかね?」と言ったので少し驚いたのと同時に、やっぱりどんな人がどう住んでいるものか、知っているものなのかと思った。「そうなんです。・・・やっぱり、僕のような若い人間が訪ねてくるのは珍しくないことなのでしょうか?笑」と訪ねてみると「ええまあ、今日そのような予定があると聞いておりましてね、こちらで待っていると良いでしょう」と言ってロビーの椅子に座らせてくれた。


ある人の声が玄関から聞こえてくると、想像の割にしゃがれた声で、親しみやすい。歳の割に老成している印象だ。僕にとってはもはやおじいちゃんと言ったほうが正しい。

 

福岡に住んでいるのは子供の環境を思ってのことだと言っていた。

今回の面会は、僕が見ている世界について、質問をされ続ける機会となった。話していく中で、こんなフィードバックを頂いた。

「自分にとって居心地の良い環境を作ると、そこに甘んじて自己正当化を始めるでしょう。人のせいになんていくらでもできる。そのうち求心力を失っていき、長期で持続できなくなる」


図星だった。僕にもその懸念があったからこそ、「痛いところを突かれました」と言った。「相田さんはどうしたいのですか?」という問いの奥深さにはまったく、仕方がないなという気持ちになるばかりだった。

 



「所有と実行は明確に分離をする必要があります」 

これはそのとおりだと思った。簡単なことのように思えるかもしれないが、実際に実現できている会社は極めて稀なのだと僕は思う。それはまるで権力分立がうまく機能していない日本のように。権力分立の機構は、世俗的な価値観で利己主義な東アジア、日本において、腐敗を生み出しやすい。その話は一旦おいておくが、政治経済を専攻してしまった僕から見えている世界は要するにそういうことなのだ。

はっきり言えば、上場マーケットと未上場マーケットの調達ロジックがまるで違うことに無学だったのは僕の勉強不足だ。時価総額を300、600、1000と上げていく中で最もレバレッジの効くことは僕自身のアップデートをし続けることだ。必要であれば、適役に引き継いでいくことも視野に入れて。

「急成長には必ず痛みが伴います。僕は、V&Mの実現を前提としたときに、誰も割食わないことを目指したい。その実現のために時間軸を長く引くことと、実現スピードを上げること、金銭的な報酬を得ること、それらをバランスしていきたいと考えています。」

 

結局のところそれは非常に難しい。PMI統合時には必ず伴う痛みがあるし、ディスラプトの先には必ず、少なからぬ不幸がある。物事には適切な順序と、適切な時間軸というものがあることを僕はソ連から学んだ。マルクスのようにキレイなことを言うことはとても重要だが、その実現を急いではいけないのだと僕は思う。

 

「システムが倒されるとき、新しいシステムは新しい既得権ですよ、その問題にどう対処しますか」 

とても難しいイシューだと思う。そのことには自覚的だが、答えは見つけられていないのかもしれない。

罪深いと思うのは、僕自身が既得権化した組織に属し、一定の給料をもらっていたことだ。だましだましというのはその意味で、僕自身もまた、システムの一部であることを棚上げしているということを示しているようだ。

 
これはジョージ・オーウェル動物農場で語っている普遍的な構造だと思っている。もし仮に答えがあるとするならば、「神の見えざる手に身を委ねる」なんじゃないか。

100年続く持続可能なシステムを構築したかったら、常にそのシステムが改善し続けることを前提としていなければならないと思う。それが資本主義の美徳であり、僕が乗るべきゲームルールだと思っている。問題の本質は、その不健全な競争体制により不当な搾取が発生していることで、僕がかろうじてできることは、僕の改革的な精神を市場に持ち込んで競争を発生させることに他ならない。故に、競争の決着がついた市場は僕にとって魅力的な市場ではない。
そうして集まった資本を最も効率良く、新規市場創造もしくは既存市場の代謝に活用していくことができさえすれば、持続可能なシステムに足り得るのかもしれない。

 

「何がどういう状態になったら、相田さんはやったな!って思うのでしょうか?」

「市場規模が想定通りに伸びず、むしろ減少に転じたとき、僕は市場の構造変化を実感すると思います。」 


この限りにおいて、僕のエゴイスティックな欲望を正当化する唯一の手段だ。

そしてもっと言えば、合法的な現代のプロレタリア革命だ。

 

 

 

12月某日

「人を変えることはできないんです。変われるのは自分だけで、僕はつくづくそう思いますよ」
ある人との面会を調整してくれたその人が東京に帰るまでの時間で、福岡らしいご飯を食べに行ったとき、僕に向けて、とても哀しそうにそう言った。

人は自分の弱さを受け入れることができない。僕もそう思う。そのことに対して僕の感じる感想は「寂しい」だった。26年間生きてきた僕の孤独感の根源を、彼から僕は教えてもらっていると言っても良い。

僕が思うのは、かの偉大なカーネギー先輩がおっしゃっている通り、人は自分の弱さを指摘されたくないと思っているということだ。それで仮に信頼関係が崩れたとしても、それ自体、どちらが悪いなどと言うつもりはない。むしろ、僕たちのような正論パンチの使い手は「善いか悪いか」の判断に深く寄りかかってしまっている。そしてその価値基準をスパーキングのように自身に浴びせ続けているから、その痛みに慣れてしまっていて、サイヤ人が加減をできないように、軽く触れただけで関係が壊れてしまうのだろう。

僕たち人間はどこかで「確かに自分が悪いんだけど、それでも相手に問題があるのではないか」という慰めを抱えきらずにはいられない性分で、それは正論パンチャーの僕たちでさえも同じなのであるということを認めざるを得ないのだろう。

僕たちが傷つかないためにできるささやかな試みは、それでも相手の弱さを受け入れるということなのだろう。それがもし仮に自分たちの価値基準に照らして間違っていると感じてしまったとしても、「これから一緒に成長していけるのだ」という希望を胸に抱えていくことだけが、お互いを不幸にしない唯一の方法であると今は感じている。それは、ある人のエピソードを彼自身から聞くにつれて、より深くそう思うようになった。

だから、自分の欲求よりも、他者や社会を優先できたとき、僕は成長を実感できるはずだ、そうやって生きていくことを選択しようと思う。

 

「そろそろ恋人の一人や二人でも欲しいナァ」とかいうそれらしい言葉を発したとて、まったくそのつもりがないことについては自覚的で、その理由は上記に書いた通りだ。だけど本質的には瑣末な、部分的なことでしかなくって、問題の大部分は、おそらく、深い人間関係をまた新しく築いた時に見えてくる自分の弱さと向き合わなければならないこと、それによって自分が傷つくことを極端に恐れているだけにすぎない。

 一年前に書いたブログ(好きっていう気持ちは全くあてにならない話 - 世界の輪郭に溶ける)のその答え合わせとして。

 

 

 

12月某日

車内のスピーカーから春野の楽園が流れてくる。

「ねえこのままじゃあきっと、消えて忘れてしまうわ。ならこのままさ、いっそ、終わって仕舞えば?此処じゃとうに目を奪ってかなわないから。」
「じゃあこのままでずっと、確かめて腕を取って。かなしみには相応の救いを以って。
此処じゃない何処かへ連れ去ってあげるよ。ちゃんと聞かせて。」

 

途方もなく、太宰府天満宮に行ったり、行くアテもなく佐賀や長崎に行き、その道中で「僕が抱えてしまっているエゴとコンプレックス、その欲望の矛先」を眺め続けた。

 

「結局のところ、これは結婚でして、その基準は、時間軸の長さと成し遂げたいことに尽きるんです。」 

 

 

僕はどんな時間軸で、何をどうしたいと思っているのだろう、どうしてそう思うのだろうということをひたすら考え続ける必要があった。

僕は、人の持つ欲望というのは、濃淡の個人差はあれど、およそ同じものを持っていると思う。僕は人よりも「伝えたい」という気持ちが強いし、だからこうして定期的に文章に遺していると思う。

それは理解されたいというプリミティブな欲求から発露したものかもしれないし、過去の人生を振り返って、「誤解されている」と感じていることが多いからこそ、「自分は自分のことをこういうふうに思っていて、その通りに理解されたい」と思っていたと思う。
ところが、自分の理解されたい欲望を僕の駆動エンジンとして認めてしまえば、社会的な意義を度外視した、富の収奪を肯定してしまうように思った。時間軸のスケールをどんどん拡大していけばしていくほど、世界は弱肉強食のシステムで動いていることを認めなければならないし、拡大すればするほど、個人に集中した資産の意義など、誤差の範囲内でしかないと正当化できてしまうからだ。

とするならば、僕が感じているこの違和感の正体は、その原始的な欲求から生み出された動機づけではないと言えそうに思う。

つまり、僕が常々自分に対して懐疑的だった「僕はただ、自分のエゴやコンプレックスを正当化したいがために、大義を掲げようとしているにすぎないのではないか」という問いは、少なくともそうではないことを確かめられたと言える。

「自分ができる限り楽に、自由な環境を求める」という合理の通りにしたかったら、きっと「内面的な課題や弱さと向き合う」ということをわざわざしようとは思わないだろう。経済的な自由を得るための手段であれば、今の僕にとって、それなりに選択肢があると感じられていることも大きいだろう。

そういった漫然とした生を送ることを、最後の選択肢として取っておいている理由を考えると、その選択の意味するところは、死の忘却を避けているということなのだろう。

 

僕は僕が必ず経験しなければならない「死」という最期を、どう納得の行く形で迎えたいか、なんだったら「死」すらも手段として、どうしたいのか。という問いと向き合っているからこそ、時間軸を伸ばし、大義を掲げ、苦難を超えていく覚悟を拵えているのではないかということに気づき始めた。思えば19歳の頃に「自分の欲望に従っていくことには十分満足したから、死んでもいいんじゃないか」と本気で考えたときにでた結論とあまり変わっておらず、紆余曲折をしているのは、社会の現状を目の当たりにしたことによる影響を、知らず知らず受けていたからと言ってよさそうだ。


時々、そのことを忘れて漫然とした生を中心にしてしまうことがあり、そういうときに迷いが生まれているのだろう。「死」を意識するたびに、スゥっと自分のすべきことに集中できるような感覚がするのは、今に始まったことではない。

人は自分の弱さと向き合おうとはしない。だけど、死と弱さを天秤にかけると、弱さと向き合わざるを得ない。「死に対する納得を得る」というエゴイスティックな欲望ただ一点においてのみ、僕は僕らしく生きていくことに取り組み続けなければならない。

 

そしてその僕の納得や意味性を、できる限り整った形で、後世へのバトンとすること。
その手段の一つとして、僕は文章を書き続ける。