世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

紫陽花を見に鎌倉まで行った時の話

 

人に関心を持つことについて、それなりの矜持がある。
なぜか。それは僕が胸に秘めている人生のテーマを明らかにするのに、最も重要な心持ちだと思っているからだと思う。

 

 

 

6月某日



その子は僕の会社に転職してきた。友達の友達だったので、同僚として紹介を受けた。
彼女はしきりに「人に興味があったから、今の仕事を選んだ」と言っていた。その心持ちはきっと仕事に活かされるだろうと思っていたのだけど、一抹の物足りなさを覚えた。

僕はコミュニケーションを通じて「目の前の人をより深く知ること」を志向していると思う。僕にとって質問をすることは、相手に対し、「私は今あなたに関心を寄せている」ことを示していることに他ならないし、それが人に興味を持つということでもあると思っている。

一方、彼女とのコミュニケーションでは、質問が一切されていないことに気づいた。だから、「人に興味があるって言ってるのに、○○や俺について知ろうとしないのは、どうして?」と聞いた。デートというには骨太すぎる内容かもしれないが、それは僕にとって重要なテーマだった。

彼女は「自分が聞かれたくないこともある側なので、開示されるまで自分から聞くことはないし、それは人とのコミュニケーションで大事なことだと思う」と言った。

だけど、それは詭弁だと思った。もし本当に大切にしているとしたら、きっとそれは相反する価値観を抱えていることになる。そうでないならば、興味の対象が異なるのだろう。

それよりも、「開示できないほどの大事にしている尊大な自分」に意識を奪われてしまったから、「どうして人に開示したくないと思うのか」を問うてしまった。

それに対する明確な回答は得られなかった。


帰宅してから、一通のLINEが届いた。

そこには、自分の弱さと向き合うことはしないし、そこそこ誤魔化して逃げ、社会のことも、他人のことも、なるべく考えずに生きていたいということが記されてあった。

 

 

 

7月某日

 

大学時代の友人からランチに誘われたので、最近の僕を悩ます問いについて聞くことにした。
彼女は「変わらないことへの恐怖心」を抱いていると言った。
僕もきっと、同じ思いを抱えて生きている。当然、生得的な部分もあれば、環境がそうさせてきたこともある。ただ常々、「変わらないことへの恐怖心」を抱くことはもしかしたら強欲なことなのかもしれないと思っていた。彼女は「強欲なことは悪いことなの?」と言った。
もしかしたら悪いのかもしれないし、もしかしたら悪くはないのかもしれないが、ただ、「執着をすること」の是非をまともに回答することができていないまま生きてしまっている。このブログのドメインにもしたくらい、執着は僕を悩ます関心事の一つだ。この社会の枠組みは、強欲=執着を持つ事によって成長していくように思えて仕方がないからだ。

変わりたいと願う事の動機が、瑣末な欲望から抱かれているとするならば、僕はその欲求を否定したい。 それを抱く動機が、数式上に落とされるような、純粋な成長を希求している限り、僕は僕の動機を高潔だと思う。だから、もし成長の志向が、瑣末な欲望によるものだとしたら、きっとそれが他者であっても、否定したくなってしまうのかもしれない。

問題は、この複雑化した社会が、内発的な動機が瑣末な欲望によるものであることも前提として仕組み作られているのではないかという疑問だ。そんなこと、知る由もないんだけど、ただ僕は僕なりの解釈によって、審美を判断したいと思う。

 

 

 

7月某日

 

僕はきっと、納得がしたいんだと思う。

暫定的に出している結論が、何かが明らかになることによって覆ろうとも、前に出した暫定解と同じに結論が出ようとも、一歩でも真実に近づいていることが、僕にとって、僕の人生にとって、重要な過程なのだと思う。

僕は社会や相対する人々を通して、自分を知ることを人生のテーマとして掲げている。
その意味で、自我の檻に囚われてしまったようにも感じるし、日本人にしてはひどく西洋的なアプローチだ。もしかしたら次のステージに、自我との決別がくるのかもしれない。あるいは明月院の紫陽花のように、土壌に影響を受けて咲く花びらの色を選べないのかもしれない。

 

 

 

7月某日

 

人のことを知りたいと欲望していながら、中高の同級生とろくに連絡を取らないまま、26歳になってしまった。
同級生に対して思いを馳せど、「彼らは僕に会いたくないのだと思っているに違いない」と思って、そっとiPhoneを置いてしまう。僕が浪人していた頃、東大に進学した同級生がディスられているのを目撃したからかもしれないし、僕自身が、嫉妬のような感情をぶつけられるのを経験してきたからかもしれない。僕にとっては名誉で、勲章とも言える傷跡も、見る人からみれば、唯一攻撃し得る間隙に映っている。その辛く長い道のりを乗り越えたから、多少の自由を手に入れているというのに。

自分が下に見ていた人間が努力して成り上がった時、人は「自分も頑張ろう」だなんて思わないという事を知ってしまった。19歳の僕は「自分が成り上がることで、光明たろう」としていた。きっと、周囲も活気付くに違いないと思った。
現実は、ただ周囲を惨めな思いにさせているだけだった。もちろん、地獄のような日々を知っている人は、尊敬の言葉をかけてくれることもあるけど、大多数はそうなのだ。

そして(高校生の時から啓蒙家のように振舞っていたが)事実上の強者となってしまった。考え方も、社会的にも。

僕にとってそれは酷い孤独だった。

 

 

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僕は彼女に、わかってほしかったのだと思う。なんの不幸も、不運もなく、恵まれた環境で生き続けてきた彼女と、社会的なつながりを求めたかったのだと思う。わかり合いたいと思ったのだと思う。環境が違ったり、考え方が違ったとしても、同じ会社に所属する以上、何かしらの共通点があるに違いないと思った。それを知ろうとする過程で痛みが伴うものだったとしても、それを乗り越えていきたいと思ってもらいたかった。

明月院から車に向かう道中、彼女は僕に「分かり合えないと思います」と言った。

僕の口から零れ落ちた「寂しい」の一言は、
彼女の耳に響くことなく、蒸し暑い雨と共にアスファルトを濡らした。