世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

自分が代表取締役じゃないという選択肢

予め断っておきたいんだけど、僕はどちらかと言えば「納得のいかない指示に従えない」タイプの人間だ。逆に言えば、「納得の行く指示であれば従える」ということでもある。

納得のいかない指示に従ってほしい場合は、「ここは折れてほしい」っていうせきららなことを言えるかどうかだと個人的には思う。

 

自分がサラリーマンのときはその意味がよくわかっていなかったけど、雇用されている以上「上司の言うことには従わなくてはならない」のであって、それができないなら辞めるしかないし、サラリーマンとしては失格だ。社会人として失格かどうかはともかく。

そんなこんなで自分で決めて仕事をすることを余儀なくされている身分なので、
はっきりいって、ダメダメなのである。(従業員が意義申立てを行うことのできる前職のような会社というのは本当に寛容だなって思う)

 

そんな体たらくの自分が、お陰様で、「相手のハッピーはどうやったら実現できるか」という点に立って考えることがめちゃくちゃに増えた。


ポジショントークになると思うけど、仮に僕が自分の会社じゃないところで働くことを選択するとしたらどうするかについて、考えていきたいと思う。

 


まずそもそも僕個人のスタンスとしては「いかにクソみたいな社会を少しでも前に進められるか」という点に集約されると思っているし、世の中の人達もそう思ってもらわないとやべえんじゃねえのって思っているタイプなので、そこを中心にしか話さない。その方法として、結局お金が必要なのであって、そのお金を集める手段として、どうやるかだと僕は思ってる。


 

まず大企業でやるということについて。
これについては前職でうまく実現できなかったので、今となっては多分、よほどのことがない限りそうしようとはならないと思う。たとえば40くらいになって出戻りとか。そういうのはあるかもしれない。

20代後半としては機会も限られているし、国内事業売上成長率の維持がいよいよ厳しくなってきたので、一生懸命コストカットしたいのだろう、のらくらとしては高待遇、成長機会としてはいまいちだなーと思う。

特に、連結売上>時価総額みたいな会社に入ったら正直地獄だと思う。ていうか20年後ののらくら生活が保証されていないということだと思うんだけど、のらくら目的の就活生がそういう会社にバンバン押し込まれていくと「おいおい正気か?」ってなる。

 

次に、ベンチャー規模の会社。
未上場なら選択肢。上場後は完全に安定成長がメインになるので、よほどのことがない限り選択肢としては難しい。
経験として足りない身分としてはよさそうだが、正味、どんな経験があれば何が十分になるのかとかよくわからないのでスコープアウト。

 

次に、創業まもない会社。
これは超リスクあると思う。だけど今回はここに絞って会話していこうと思う。

 

まずみんなが気になる点として「株はもらえたほうがうれしいんじゃないの?」論争。この比率については諸説ある。スタートアップ的な場合、ストックオプションのプールは「10%が相場」「多くても15%だけど、まあ例外的」「20%は配りすぎ」
という感じなので、1%保有できるメンバーの上限値は10人程度だ。
当然、経営者としては「後から入ってくる超期待できる人材に株を残しておきたい」というふうにも思うだろう。一方、企業価値が高まっていれば比率が小さくても納得してくれる可能性もあるが。

というふうに考えていくと、できる限り創業期フェーズに入ったほうがキャピタルでのリターンは大きいということになる。理想は創業メンバーだ。株式会社設立にあたって生株を出資金含めノーリスクで取得できる。

 

 

 

まあでもはっきり単刀直入に言えば、僕が創業メンバーだったら「社長、本当にIPOしたいんすか?」って聞くはずだ。もっと言えば、「IPOしなくてもいいんじゃないんすか?」とも。

とした場合、「僕、別に株とかいいんで、インカムゲインでください」っていうことにもなる。だって、株なんてマジョリティ出ない限りいくらもってても売っぱらうほかに仕方ないし、ストックオプションだったらM&Aされたらおしまいなので、そんなに嬉しくない。

僕はもし社長がガンガンに「IPOすっぞ!」と言ってても、多分本音では信用してないと思う。なんですんの?ってところに明確に答えられるだけのファクターが語られていない以上、せいぜい「VCとそういう約束になってるから」とかそういう感じにもなるだろうけど、そんなんは投資契約の内容による。

 

なので、「いや〜〜絶対IPOしないほうが幸せになれると思うんスよね〜〜」って言う。

 

それでも(生)株をもらいたいとしたら、それは「自分もその会社の一員となって、社長の描いてる世界観を実現したい」と思えるとき。
僕はその限りにおいて、くださいっていうと思う。

 

ってなってくると、「自分が誰に使役するか」の論点は「自分のリターンがどの程度入ってくるか」ではなく、
①その社長の目指している世界観のデカさ
 →これはマーケット選定と市場規模の大きさが重要かもしれない。
  未成熟市場でポテンシャルあるところで戦うのは本当に難しい。資本体力が全てだなあと思う。
②社長の本気度と一貫性 
 →これについてはどう判断したらいいのかわからないので、割愛。一貫性についてはその人の生涯からなぜその結論に至ったのかを聞くしかないのかな〜。多分3時間あっても話足りないくらいの濃密な歴史が始まる。

③その実現可能性
 →これは僕は思うのは、少なくともキャッシュフローで判断するのがいんじゃないかと思う。キャッシュフローが黒である限り会社としては(ひとまず)死なないし、内部留保を蓄えつつ積極的にお金使えるかっていうバランスこそが経営だと思うので。
個人的には、古くから続いているビジネスモデルには市場から必要とされる理由があると思っている。新しいビジネスモデルが成立するかどうかはまじで博打。新しい市場を作れるかどうかも博打。博打が好きなら乗るべき。結局その博打が成功するかどうかは、「会社が存続し続けられるだけの時間」>「市場に受け入れられるまでの時間」で決まるし、その時間は燃やせる株とその価値で決まる。株が燃やせなくなるということも含めて。

 

一方、スケール構造を持っているかどうかも判断ポイントだと思う。
リクルートが看護人材紹介から撤退した点、エス・エム・エスがランチェスターとストレッチオペレーションでゴリゴリにぶち抜いたのを勘案すると、スケールメリットがあるかどうかやストックの収益かどうかはあくまで一つの攻め方でしかないんだなって思う。あそこは徹底されたオペレーションが強みだし、すごく悪い言い方をすれば従業員の徹底した機械化とも言える。かつ、表向きはフロービジネスだけど、きちんとアセット化すべき点を見極めて剥がしきれない状態を作っている点で、商才がやばい。

 

 

 

 

その3つを満たした結果として「株があるとなお嬉しい」の順序なのかな。でもなくてもいいとは言わないと思う。なので「これくらいはほしいな〜」は言う。
「目指している会社の規模そこなんすね、僕もそこ目指したいっす。とはいえ社長に株式寄ってたほうが100%いいし、自分が他の人よりもバリューでるかわかんないんで、一旦○%くらいで検討いただけるとうれしいです」

自分が世の中にいる社長たちよりもデカイ世界を描ききることができないのであれば、自分が「いやまじでそれは実現したほうがいい」って信じられるだけの世界観を描いてる社長およびそのメンバーたちと一緒に、その世界を作っていくことを目指すべきだ。

ただ「いやおれだってそれくらいできる」と思っている限り、それは難しいと思っていて、そう思っている限りは「じゃあ自分でやってみなよ」ってなると思っちゃうし「じゃあ自分でやるか」ってなると思う(し、なっている)

でも、ほとんどの人にそれは難しいだろう。特に、何事も順調に生きてきた人にそれは何もなかったところからいきなり打ち出の小槌を出すくらい難しい。結局、僕たちは経験の奴隷であることを忘れてはいけない。自分の中のストーリーを紡いできた結果でてくるなんかよくわからない無根拠の欲望の抽出作業だ。その辛く険しい試みの先にしか実現したい世界は現れてこない。

というわけで、自分では描けなかったけど、誰かの描いた世界は本当にそうだなと共感して、その世界の立役者として心からオーナーシップを持てるかどうかのみが、僕が創業メンバーに入る唯一の理由だ。その限りにおいて、堂々と「株ください」と言うし、そうでない限り、「別にいいや」となる。

 

 

 

 

 

創業者としてはオプションプールでやりくりしようと思うだろう。となると、「ベースライン(会社の価値)をあげ続ける」ことだけが全員でハッピーになる唯一の方法だし、それがこの資本主義の匠の技である。

ただし、そのベースラインは地に足がついていないと意味がなくって、そうでない限りは「株主からの搾取」もしくは「従業員からの搾取」「取引先からの搾取」になっていることに留意しなくてはならない。とはいえ、売上が上がり続ける限り、正当化されてしまうとも思う。ここは難しいんだけど。
目線として、株式のリターンの仕組みについて、そういうもんだっていうことを理解してもらいたいなとは思うと思う。とはいえ、当然証券取引である以上、全てが悪いとは言わないけど。

 

社長の目線で語らせてもらうとするならば「別にインカムでもいいわけじゃん。IPOするって決め込んでるわけでもないし。じゃあ、この貴重な株式をあなたに渡すとどんだけ社会よくなんすか?」っていう話だと思っている。こういうと「こいつは何を従業員に期待しているんだ」って話にも聞こえるかもしれないけど、「従業員に期待している」んではなくて「その会社のオーナーに期待していること」なので、妥当だと思う。


以前までは「キャピタルゲインで上がり決め込む気ないからこそ、その人が持っていると社会がよくなると思える人に渡したい」って思ってたけど、リスクとして「本当にその人にその株式を渡してもいいのか」という点、思っているよりも慎重に考えたほうが良さそうだというふうに思ってきた。これは組織カルチャーを破壊するだけの魔性を帯びている。

ってなってくると、会社に譲渡したほうがよっぽどマシだなみたいな気持ちになる。

 

いやていうかなんか株とか自分の利益とかどうでもいいから、「お前はこのどうしようもなくクソみたいな社会をどうしたいと思ってるのか」教えてほしい。「お前なりのアプローチが自社を大きくすることでもいいからさ」

その後に話すべきだと思った。株の話は。

 

本心、「従業員の退職支援を手厚く+部分的に出資」がいい。
でもそれでも社会をどうにかするっていう思いの中では「うちの会社で実現したほうが初速考えてもそうなんじゃないの?」になると思うので、わかんないんだけど、やっぱりなんか株を持っているかどうかってあんまり重要な論点じゃないんだと思う。
「あいだにはお世話になったけど、自分の城つくりてぇっす」みたいなときはある種「あいだのマネジメントだりい」ときだと思うので、「げぇ〜」ってなる。

 

アガリ系人材は5億ほしいってなると思う。5億ほしいって言われるとドキドキする。
そしたらストックオプションでいんじゃない?て気持ちになる。

創業初期から会社が大きくなるところまで経験した上で、自分でやるっていう人を僕は応援したいと思う。だけど、機会としての魅力さだけでいったら随分とギャップがあると思う。多分、「思ってたのと違う」ってなると思う。大企業の部分的なKPIだけを追っている部署でのらくらしているのとは勝手が違うので、「自分、社員番号若いからマネジメント〜」みたいなミスマッチが起きると悲惨だ。

最近、よく「今何人くらいいるの?」みたいなことを聞かれることが多い。それは「自分が何番目に声がかかっているのか」を表す指標にもなるし、「自分がどれくらい必要とされているのか」を測りたいのだと思うし、「自分が期待できる働き方ができるかどうか」を検討しているのかもしれない。

はっきりいって、何番目の社員かどうかはその後の裁量には間違いなく影響していないと思う。リーダーはリーダーたるべくしてリーダーになると思っているので、それはやっぱり現場にとって納得感のある登用したほうが良いと思う。そういう「創業初期からいる」っていう理由だけで既得権化するのを自分含めて許していないし、自分よりも良い人がいたら積極的に降格するっていうそういう緊張感があったほうがみんなにとって都合がいいと思う。なので、どのタイミングで入るかによって経験できる機会が変わるかもって思っている場合は「間違いなくそうではないので安心して活躍してほしい」というふうに言わせてもらえたらと思う。逆に「関係値に甘んじてだれてんじゃねえよ」っていうこともあると思うけど。


「何番目に声がかかっているか」については完全に「事業フェーズとその人のケーパビリティによる」し、「どれくらい必要とされているか」でいうと「そこに優劣はない」と答えると思う。ただ、双方にとって適切なタイミングっていうのは間違いなくあって、僕の場合はそのタイミングが1年後でも2年後でも5年後でも、一緒にやりたいと思っている人には一通り声をかけているつもりだし、継続してそうすると思う。
タイミングが今じゃないかもしれないっていう人には口説きが足りないかもしれないが、「なんでもやる」って決め込んでくれたら「創業メンバーの恩恵」を受け入れられると思う。

あと、メンバーが増えていくことによって起きる問題は、自分とメンバーの関係性よりも、全体の関係性と得意領域の全体最適が何よりも重要になるので、「誰と一緒にこの山を登るか」ということは逆に言えば「どうやったらカニバリを起こさずに経験の最大化を提供できるか」ということだ。それを毎日真剣に考えている。「この人と一緒にやりたいんだけど、ボランチは3人もいてもなあ〜」みたいなときに、どう折り合いをつけるか、の判断がまあまあむずかしいと思う。

 

 

 

まあ、というわけで、ものすごく真剣に考えているし、これからも真剣に考えるので、信頼してくれたらうれしい。

「人は経験の奴隷であり、その延長線にしか自分の人生は成長しえない」って話と、「そのポテンシャルに確変を起こしたかったらバグを起こすしかない」という話を最近しているんだけど、外部要因で確変を起こす唯一の方法が「確変が起こってるバグった人と出会うこと」だと僕は思う。青い鳥は至るところで飛んでいるが、あえて自分をバグった人間だと言わせてもらえるならば、「そういう機会はそんなにあるわけじゃないと思う」と言いたい。




本音で言えば、「この人に100億あったら社会変わりそうだな〜」って思えたら、そうなったら幸せだなって思う。その期待値で接されるのがだるいこともあると思うから、それは事前のすり合わせと、その後のすり合わせかなと思う。間違いなく、その覚悟と責任の限り、僕たちは間違いなくこの長く険しい修羅場を乗り越え続ける対等なパートナーだ。



とはいえ、現実としてその見極めができていない以上、
僕がこの問いを解くのはまだ早いのかもしれない。