世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

創業社長の生き方は組織のあり方を基礎付ける。

11月が終わるので、そろそろブログを書こうと思う。
おかげさまで会社としては結構しっかりとした資金体力になってきた。
融資での資金調達が決まってきたからだ。1行は無事に着金し、残り2行の着金を待っている、という状態。ひとつは「創業融資でプロパー」なので、わかる人にはわかるだろう。

創業1期目かつこのコロナの景況感で都銀・地銀・信金・公庫から1行ずつ開けることができた、というのは一つ自分たちが誇っていい成果のように思うし、十分なんじゃないかと思う。これもしっかりと売上をつくれたからこその成果で、僕はその成果を最大化するおじさんという役割をしっかりと果たすことができた、というくらいだろうか。商工中金が残っているが、2期目以降に検討する。
調達総額もシード期のスタートアップかな?という金額になっているので、それはそれでよかったとすることにしよう。

ここからはしっかりと返済実績をつけ、借入できる金額をあげていくというのが重要だ。インタレストカバレッジレシオでいってしまえば、個人的には「まだまだ全然借入できるはずだ」という風に思っているが、2期終わるまでは創業期のため、贅沢は言えないのだろう。

これからはBSでマネジメントをしなくてはいけなくなってきた、という感じなので、自己資本比率をしっかりあげていくことに注力していきたい。・・・というのはポジショントークで、自己資本比率でみても、まだまだ全然ひっぱってきたい、という感じでしかないと思うんだが。
とはいえやっぱり売上。単黒が少なくとも半年は引っ張って来れると自分たちとしてもかなり価値のある会社になってくるのではないかと思う。
今期は利益が出せず、もともと想定していた1期目でしっかり黒字化する、という目標には着地しなかったけど、目標にこだわることなく、11月、12月を来期の飛躍に活用する、と決めたので、結構石橋を叩いて渡っている状態だ。(他意は全くないですw)
総論、順調に推移しているのではないかと思う。


そもそも資金調達は来期に行う予定だったのだけど、8月9月くらいに「ダメ元で融資動いてみるか〜」というところから今の状態になっているので、もっともっとダメ元で動いて「なんか全然いけた」という感じを増やしていきたいと思う。

他方、想定では決算が出たタイミングで融資に回れば、1行で数千万のしかもプロパーとか、JFCとかもいけんじゃね?という気持ちは残念ながら潰えた。
その点については「返済実績を作って事業進捗し、6~9ヶ月後に追加融資を目指す」という目線で着地した。

営業実績でいうと、アポ数こそそこまで伸びなかったが、反応をいただいたところについてはかなりニーズを感じてもらえているようで、しっかり名の通った会社でも価値提供できそうだ、という手応えと、商品設計の妥当性を感じている。

12月までと当初想定していた数値は早々に達成しちゃうんじゃないか、みたいな状態にも見えているが、まだまだ油断はできそうにない。

もう一点、想定を上振れた話でいうと、商談しに行った会社の社長さんからは「事業開発か商品企画で入って欲しい」というオーダーを丸っと投げられることもあった。
実際にそのように進捗するかどうかは別として、「自分たちは自分たちが思っている以上に提供できる価値が他にもありそうだ」という手触り感を持てたことはとてもよかったと思う。

案件を引き受けるかどうかは、その案件を請け負うことで得られるものと、失われるもののバランスでしかない。
できなくはないが、それを自分が行ってしまった時、再現性のある売上拡大に果たして寄与するだろうか、ということだ。

自分たちは一つ一つ丁寧に自社のアセットを蓄えながら、最終的にこんな感じになったらいいよね、ということが、「初手からいけるっぽい」という感じになってしまったので、とても困惑している。

いま自分が注力したかったのは組織づくりであって、「誰でも60点が出せるオペレーションの構築」ないしは「営業手法の開発」なのだ。

自分の属人性で売上を出すことができても、それを実現するだけの体制を構築し、ケーパビリティのある人材を採用し、継続して同じ目標を向いて働くことができるかどうか、というのは非常に難しくって、
その実現が遅くなってしまうのであれば、組織全体としてはマイナス、という話になってしまう。

その機会損失を起こさない提案を考えていく、というのは思っているよりも難しい。自分が足りないという気持ちになる。

 

また、今メインの商品にしたいと思っているものは、「自分がやるとめちゃくちゃ安いサービス」になっている。
これはどうしてそうなっているかでいうと、「自分じゃなくてもできる状態を目指しているから」の一言に尽きる。

「もうちょっと費用あげてもいけるんじゃないか」「もうちょっといくとしたらこういうところまでやらないといけないんじゃないか」などを考えていくと、一気に採用要件があがっていくし、採用できる人材要件があがっていくので、組織拡大の最大公約数が取れない。

短期でみると完全にやるべきなんだけど、中長期でみると微妙の可能性が高く、
一度走り出すと既存顧客とのハレーションを気にして安易に商品変更ができない、といった問題にもなり得るので、かなり慎重になっている。

暫定的な結論で言えば、組織のケーパビリティがあがっていくごとに提供できるサービスを増やしていけばいいので、その時にアップセルをしていく前提で、自分たちのペースで頑張ればいいんじゃないかということだった。

 

 

自分たちのペースとはなんなのか。

 

 

これは最近自分が悩んでいることなんだけど、
創業社長とその会社の人格的な切り分けっていうのは結構無理っぽいな、という気持ちが芽生えている。
自分としては「自分たちの会社」としてみなしたいけど、残念ながら、従業員にとっても、対外的にみても、創業者というのは「トクベツ」っぽいようなのだ。
これはまあ仕方ないという気持ちはある。確かに、零細企業だったとしても「社長」の絶対数はサラリーマンよりは少ないからという理由もあろう。

となると、自分個人が「ここまで行ってみたい」と思っている気持ちに共感してもらうことが重要で、そこに根拠とか理由とか、そういったものはもしかしたら不要なのかもしれない。

 

それでいうと自分はどう思っているのか。
以前のブログにも書いてある通り、僕は僕の人生に納得して死にたいのだ。
その方法はただ一つ、自分の可能性を最大限絞り切った後に、「自分はこういう人間だったんだ」と思う他にない。

僕は論理や理性で納得するまえに、直感的に「自分に秘められた可能性」にまだまだ期待している。むしろ、その手応えを日増しに感じているため、
その可能性を最大限感じられずに死ぬことができない、という感じなんだろう。
そして仮に僕が不慮の事故で全てを失ってしまったとしても、そこで諦めるほどヤワな人間ではないことは、今の自分をみていて思う、圧倒的な自己肯定感を持ち始めている。

 

非常におこがましい話なのかもしれないけど、僕は大学2年生の時に「今の生き方が自分の天職なんじゃないか」と直感した。
おそらくそれは正しい。僕が生きてきた全ての経験が血肉となっているどころか、僕はある種「今この時点のために、生きてきていたんじゃないか」とすら錯覚する瞬間が訪れる。これは自惚れているというのでもなんでもなく、本当にそう感じていて、確からしいのだ。

僕は会社を辞める際に、「自分は常に変わり続けられるだろうか」という問いかけを考え続けていた。
結果としてみれば、自分は変わり続けることができるんだと思う。
そしてそれこそが、僕が今の職業を自分に向いていると思える理由にもなっているんじゃないかと。


僕は明日も来年も10年後も、20年後も、死ぬ時も、「自分は今この時点のために生きてきたんだ」と言えるような人間になりたい。

「こんなことがしたかったんじゃない」という風に思ってしまったら、きっと僕はその瞬間に生きる理由を失ってしまう。



僕が明確に、「こう生きたいんだ」と示したものは社名だ。
もしかしたら赤っぽく聞こえるかもしれないが、自分自身が社会における1つのシステムとしてアンチパターンを形成し、そのあり方に共感していくこと人々が増えていくことで、次の社会の生産様式を基礎付ける、という母集団に属したいのだ。

その手段として、株式会社の創作という持ち場があり、文章という持ち場があり、研究という持ち場があると思っていて、僕個人としては、それぞれ有機的に作用して一つの答えとして遺っていくものになればいいと思っている。

経済学がオワコン化したことはもう否定できない。主流派経済学者には同情するが、生存バイアスで国家を運営されてしまっては困る。僕は実践的な立場から経済研究がしたいし、その研究は間違いなく僕たちが構想するビジネスに寄与する。落合陽一が文系学問にいたっていい。


社会はすでに次のシステムを望んでいるし、その答えはもうすでにでていると僕は信じる。その実現を1人の国民として待ち望んでいく。
銀行の預金残高は融資実行によって減ることはなく、預金の引き出しによって減少するわけだけど、マネーサプライの全体でみると増えていることは間違いない。僕の持ち場は「労働」と「資本」にある。

二つの異なる対立概念を統合的に捉え、その一つのあり方として存在するような生産物が遺るように生きていくことができれば、僕は満足だし、その過程がどれだけ長かろうと、自分が生きているうちに為しえなくてもきっといい。

僕は根本的にはたらくことがあまり好きではないので、自由な時間が増えていくことが人類における豊かさの総量が増えているといったん信じて、生産性をあげていくことができればと思う。


会社のメンバーや、ステークホルダーの自由な時間を増やす取り組みを行いながら、売上を伸ばしながら、信用創造によって社会全体のマネーサプライを漸増させていくことができればいい。それぞれが一見相反する事象のように思うけど、どれか一つが犠牲になってはいけない。そう思うと、そのバランスが僕たちの最高速度なんだろう。