世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

会社を設立して一年が経った

1月16日に会社を登記してから、1期目が終わろうとしている。
大変だったんだと思う。自分が大変だったかどうかなんてわかりやしない。もっと自分のことをメタ的に捉えて、大変だったと言い切れればいいんだけど。
あいにく僕は自分の人生の中で「やり切った」と言えるだけの成功体験を積んだことがない。多分これからもないのだろう。いつも何か不安に駆られていて、そのどうしようもない不安感をどうにかするためにただひたすら考え続けているといったタイプで、
僕はきっと、たとえ100億円規模の資産があったところで何一つ安心するような人間ではないのだろう。

1月16日を登記日にしたのは、登記日というのは誕生日の次くらいに重要な日になるかもしれないという点、不可逆だと思ったので、願掛けも兼ねて1月の中でどこが一番良いかということを考えていってのことだった。僕がおそらく生涯でTOP3に掲げるであろう好きな漫画、あだち充のH2の主人公の誕生日になぞらえて、ヒーローの日に登記をしようということになった。今のところ社会的には完全に「お荷物」なので、名前負けしないように頑張っていきたい。


せっかくなのでこの一年について振り返っていきたい。

■2020年1~3月
この頃はまだ自分が会社を設立して、人材紹介事業のための書類作成や準備、資金調達や社名、会社の土台となるビジョンミッションの策定、オペレーション体制の想定という会社の準備に時間を充てていた。3ヶ月かけてすやすやと寝ているといったていたらくだ。根本的に僕は一人で何かをするというタイプではなく、誰かのお膳立てがなければまるで活躍ができないタイプなのだと思う。
そしてこの頃はまだ迫り来る脅威を何一つ感じることができていなかった。

■2020年4~6月
営業開始をしたのが5月からだったが、4月からはすでに活動を始めていた。
慣れないテレアポ業務は想像よりも捗らず、しかもコロナの影響で、まるでうまくいかないというような状態。
先が見えない中でJFCの否決。要因は、コロナ影響を加味した事業計画を引いていないことによる実現性のなさ。計画を提出したのはコロナ前だというのに。。。

スグキャリをリリースしてから、求職者は爆発的に集まり、捌き切れないといった状態が続いた。面談をドタキャンしてくれるとかえって安心する、といったくらい、
一人当たり月に70~100人ほどを対応していくという日々だった。

コロナであれば未経験層のマッチングは高回転できるのではないかというヨミを嘲笑うかのように、求人者は媒体にシフトしていき、求人がみるみる減っていく。
そんな疲弊感の漂うスタートだった。


■2020年7~9月
この時は融資が決まらなかったこともあり、残キャッシュは1ヶ月分、と倒産ギリギリの状態だった。
それでも可能性のひとつとして存在していたみずほ融資がのこっていたので、
そこまで到達できれば生き残ることができるのではないかということで
本当に最後まで持ち堪えた状態だった。おそらく、8月が最も精神的につらかったし、あの8月の追い込まれ以上のことをこれから経験することはないだろう、という風にいいたいが、外圧はなにが起こるかわからないという状態なので、なんともいえない。

売上自体は発生していたのだが、キャッシュフローが全然追いつかなかったため、キャッシュフローサイクルをマネジメントしようと考え始めたのが当時の自分で、
人間というのは追い込まれた時に真価を発揮するというのはその通りなのかもしれない。
創業社長として最もしんどかった時期だったが、最も一皮向けたタイミングでもあった。


■2020年10月~12月
マーケ活動にシフトし始めてから、大型の案件が決まったので、その案件の発生を以って融資活動や、マーケ事業に注力をし始めたのが9月下旬だったのだけど、
10月は新商品の設計とマーケットの選定、オペレーション設計
10月末から営業開始、事業性検証を開始し、
12月を以って受注が2件発生し、本格的に踏み込むことに決め、採用活動に奔走した。

売掛金を含め1年分の残キャッシュをしっかりと活用するべく、12月はインターンの採用に動いたが、それも年末にバタバタっと決まっていった。おかげさまで、事業の拡張性を検証するだけのツブ揃いな学生メンバーになってきた。

10月は自分にとって創業1期目におけるターニングポイントだったように思う。
事業計画をしっかりと策定することによって、事業・組織=会社の全体像をしっかり把握することができたことに加え、自分にしかできない仕事とはなにか。という点に答えを出すことができた。一言で言えばマーケットに向き合い続けるということでしかない。



1期目の実績は2期目に計上される売掛金も含めると3,000万円を超える売上の着地となった。決算としては2,200万円で〆ることになりそうだ。
これは本当に、悪くない成績だと思う。
また、融資は総額で2,500万円、悪くない。
僕は自分のことをコロナ世代の経営者だと自認しているのだけど、この最悪のタイミングでしっかりと生き残ることができた、ということだけで正直十分だ。

他方、今後どこをベンチマークに売上を追っていけばいいのか。
今の関心ごとはそこにある。

 

ベンチマーク先①エス・エム・エス

第一期
売上:50,000千円
利益:▲5,000千円
エスエムエスは合同会社として2年活動したのち、事業開始している側面があるので、5,000万円という数値が高いと言っていいのかどうかはわからない。
むしろ、2期目3.8億、3期目8.3億円ととんでもない成長率で倍増している点が凄まじい。


ベンチマーク先②レバレジーズ

第一期
売上:約1億円
利益:-

エスエムエスと同様に、2期目4億、3期目9億と、急成長している。
2,3期目の急加速がその後の成長率を規定していそうに見えているのが現状。
設立年数がエスエムエスとほぼ同じタイミングなのだけど、売上規模でいうと約560億円と、一気にエスエムエスよりも大きくなったのは、ストレッチオペレーションの徹底もあろうが、事業領域を特化させなかったことによるものが大きいんじゃないかと思う。特化させるということは、選択と集中によって一点突破をしていくことで、特化させないというのは、もしかするとフォロワーとして小さくまとまってしまう可能性を孕んだリスクのある選択だ。プレイヤーが蠢いている市場であえて領域を絞らない経営理念・ミッションを掲げたことで、ストレッチに市場獲得ができたという風にみえている。また、非上場企業ゆえに長期の投資に予算を回すガバナンスが整っていたということも影響しているだろう。中の人はめっちゃ忙しそうだけど。

 

ベンチマーク先③サイバーエージェント

第一期
売上:約20,000千円
利益:-

第二期
売上:4.5億円
利益:▲0.2億円
初年度売上は前者2社と比較して大きくはないが、その後22.5倍にするという異次元技。おそらく1期目の段階から上場見据えて仕込んでいたのだろう。

 


正直にいってしまえば、初期運転資金の金額に応じて、かかるレバレッジが違うので一概に比較検討することはできない。僕たちの場合、初期運転資金は本当に少なかったと思うし。

財務基盤が事業スピードの成否を大きく分けると気づいて、頑張って融資に奔走し始めたのが8月になってからだった。当時の自分の意思決定は本当に素晴らしかったと思うし、それ自体は本当に間違っていないと思う。
問題は、予算をつけることに躊躇しているという点だ。本来でいえば月々の支出をもっと増やしてもいいはずなのに、ビビりの自分は1年あってようやく安心するというタイプで、これも冷静に計画したら3ヶ月は踏み込んでもいいはずなのだ。
ということは、変動費であればお金を使っても良いということになるが、今一番使いたいお金は簡単に言えば人件費・採用費となる。
にもかかわらず、人に対する要求水準が高い割に、出すべき給与を出すことに躊躇してしまう自分にとっては人件費用が固定費のように見えてしまう。

ではどこにお金を使うべきか?
一つは広告宣伝費。売上拡大に直結するための販促に対してはもう少し予算をつけていいと思うし、積極的にやるべきだ。
もう一つは採用費。事業拡大のスピードを得るために、採用をリファラル以外で行っていく必要がある。

そしてもう一つが、変動費としてみなすことができる、
業務委託費用、外注費用。

ショットでかかるんであれば、いくらか心持ちが楽になるので、
できる限り戦艦の支出を減らし、衛生を増やしていく動きをしたほうがいいんじゃないか、というのが仮の答えだった。
また、新規売上がしっかりと受注さえしていれば、その売上を前提に踏み込んだっていい。そのことに気づいていったのは受注が確定し始めてからのことで、そこから1~3月は商談数をいかに増やすことができるか、という点に集中していくことになった。当たり前のことなんだけど、理解した上で意思決定しているのと、行動が先行しているのとだと得られる意味合いがまるで異なるので注意が必要だ。


 

来期の売上目標は、先にあげた3社と同じように推移していく想定ではない。会社としての事業スピードを求めるよりも、「間違えない」こと自分が重視しているのもある。どちらかと言えば、売上トップラインをどうあげるかというイシュー設定をするよりもシャープに解くべきだと想定しているのは、「マーケットニーズの結実性」と「売上拡張性」が見極められたと言える状態かどうかだ。

それが自分のやり方だと思うし、その結果事業が倍々で増えていくことを期待したい。
労働集約ビジネスにおける最も重要な点は採用活動にあって、メンバーの純増分に従って売上が拡大していくということが経営指標的に明らかになることができれば、
その事業はほぼ成功したといっていいように思う。
問題は、いかに人を増やし、組織し、マネジメントしていくかということに終始する。
やはり、そこが一番難しいことでもあるんだけど。

 

 

 

1期目を終えた感想戦として、自分の経営者として強みにしていくポイントは、「あらゆる職種をそれなりにこなすことのできるジェネラルさ」・・・といいたいところだけど、やってみて思ったのは「イシューの見極め」にあると思った。
意思決定力、と言ったら良いのだろうか。もちろん数々の失敗と数々の方向転換をしてきたが、僕はそれ自体を「評価できる点」と捉えている。それは検証と学習を繰り返す中で一つずつ前に進んでいることを確かめられているからだ。
なぜそれができるか、という点で言えば、自分は毎日欠かさず「今、自分の認識の範疇に囚われていることは何か」ということを内省し続けているからだと思う。今自分はどの点で変わる必要があるのか、それがどのような影響を及ぼしているのか、という点にできる限り自覚的になることで持続的な成長をしていくという動機付けがなされていることは、会社の停滞を防ぐ唯一の術のように感じられている。思えばこれ自体は去年の12月に福岡にいってから心に誓っていることで、これを繰り返していくことで自身の内面を磨き続けたいと思っているし、会社のバリューを「変容し続けること」の一本矢でやっていきたいとも思っているから、まず自分が体現しないといけないと考えているのだろう。今のところその進捗は悪くないように思う。

 

また、創業前と後では社会の見え方一気に変わっていった。今までは前職という組織の中に属している自分としてのみなし方を暗にしていたのだろう。株式会社の代表取締役になった途端、社会の情勢に対してただひたすらに明るくなっていくことを直感した。自分が一番、掲げているビジョンの達成について考えているからなんだと思う。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という格言が今の自分には染み込んでいるのだろう。おかげさまで、一段、二段と自分たちの目指していく方向性や、あるべき姿を描いていくことができた1年間だった。

 

 

失敗は数える程あるが、ヤボったい話になるので割愛しようと思う。
出会いもあれば別れもあって、それぞれに一喜一憂している暇がないんである。

プライベートも地殻変動が起きていて、そのおかげで自分の幸福度はどんどんとあがっていったし、2020年は辛いことも楽しいことも嬉しいこと悲しいことも、全てを経験することで、経営者としての一歩をしっかりと歩み始めたような感覚がある。

 

 

今の自分の課題は明確で、メンバーの活躍機会を最大化すること。このままいくとワンマン社長に陥ってしまうかもしれないという心地よい恐怖感を胸に、状況に応じて権限委譲をしていくことを来期の1Qは取り組んでみようと思う。

ここからの自分は寛容と忍耐がテーマになりそうだ。でも、しっかりとそれをやりきって、また一皮向けた自分と出会えることを楽しみにしていきたい。

 

最後に、今年1年間、いろんな人に感謝してもしきれない。
面と向かってお礼申し上げるのはいささか恥ずかしいので、こじんまりとしたこの場でお礼とさせていただけたらと思う。

特に会社のメンバーには、いろいろ迷惑をかけたり、うぜえなこいつと思わせるようなことをたくさんしてきてしまったかもしれない。日々至らぬことばかりでいろいろ申し訳ない。

これからも、長い目で変容を見届けてもらえると嬉しく思う。

1年間お疲れ様でした。また来期も頑張っていきましょう。