世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

会社を辞めることについて語るときに僕の語ること

2016年の12月からこのブログを始めて、かれこれ4年目になる。おおよそ月に1度という更新ペースでここまでやってきた。これは僕自身が始める前に「自分がしんどくならないペースでやりたい」というふうに思っていたこともあり、心地よい頻度がそのペースであったのだろう。

僕は社会人という新しいステージに突入し、数々の選択をしてきた。
その選択の一つ一つに後悔したことは全くないし、これから選択することに対する不安があるというわけでもない。僕は「僕自身が何を感じ、どう考え、何を選び、何を選ばないのか」を眺める営みが好きだ。その営みをより円滑に、わかりやすくするために、一本の線を引く。こっち側とあちら側、という基準があれば、より理解しやすくなるといったように。
僕がしていることは記録だ。記録を通して、僕は変化を線的に捉えるということを試みている。ミームの死骸で語られている「記憶」の正体と図々しさに対して「記録」の必要性について自覚的になったことがその由来だろう。そして今のところ、その試みに成功している。変わらなかったものと、変わったものが明らかになっていくからだ。
そして今からここに書くことは「歴史修正主義のような見方によって記憶を改ざんし、できる限り明快かつ正確に記録をしていく文化的な雪かき」そのものだ。

 

僕が今までした決断の中でもより大きなものがあるとするならば、それは「就職すること」を選択したことだと思う。
そして、「会社を辞めること」という選択をもって、僕は「自分が下した決断の中で、より大きなもの」を更新した。

 

ところが、旧友と会うにつけて、「やっと辞めたのね」という反応をいただくことが多い。僕自身もそう思われているだろうことに違和感はないのだが、なにか不思議な感覚がするのだ。「自分が思っているよりも、自分よりも他者のほうが自分のことを正確に認知している」という風に感じるからだ。彼らはやっぱり「僕よりも、僕が今一番欲しい言葉を知っている」ように。

 

 

長々とした前置きをもって、退職した理由について書いていこうと思う。

「なぜ辞めたの?」という質問を受けたら、僕はこう答えるようにしている。
「だって、仕事が辛かったから」

何が辛かったのか。

調査兵団だと思って異動した先が憲兵団で、憲兵団だと思っていたそれが駐屯兵団だったから」だろう。

憲兵団で修行を積んでいたとしても、巨人は倒せるようにはならない。ましてや巨人の正体を掴むこともできない。もっと強大な敵が存在していることにも気づけないまま死んでしまうのかもしれない。

調査兵団に行くことは一般的に言って、悪手なのかもしれないし、なんの成果も得られないかもしれないが、 そんなことはどうでも良い。誰かのお膳立てでご飯を食べていくのは性に合わない。少なくとも今はそう思っている。  

 細かいことを書くことはしないでおこうと思う。今回僕が学んだことはたくさんあるが、それについて語ることはコンプラ的に避けたい。他方、仰々しく自分のした選択を正当化し、それ以外を悪しとするようなことはないように心がけたい。キラキラとした、他者から応援されるようなそういうきらびやかなキャリアを装うことに本質的な意味はないし、その内側にある気持ちは部分的にはドロドロと鬱屈としたものであると思うし、そういう感情をできるだけ隠そうと取り繕ったところで、それはもはや僕じゃない。できる限り素直に、等身大の自分でもって接したいという気持ちが本心だから、背伸びしない言い方として「仕事が辛かった」と表現しているし、これからもそう言い続けると思う。

 

 

では今回、自分が新しいステージに進んだと思っていた「社会人編」について、どうラップアップするかについて、書いていきたいと思う。

 

まずそもそも、僕は雇用されるということに対してものすごくネガティブな印象を抱いていることが見えてきた。加えて、そのフィールドで活躍できることは今の段階で言えばないと思う。「自分の能力が発揮されていない」というふうに感じてしまうことは、仕事が辛い理由にもなるだろう。しかし「雇用されたくない」というふうに言ってしまったら炎上してしまうかもしれない。それに対してどうして炎上するのか、よくわからないけど、それでも僕はそうらしいし、周りからもそう見えている。先輩に「僕、マーケティング向いていないと思うんです」という相談をランチ中にしたことがあるが、一緒に働いて数ヶ月の人でさえも、「相田くんはマーケティングが向いていないというより、社会人が向いていないからなー」と言っていた。

僕から見えている僕の認識で言えば、僕は対人関係において、「上下」や「立場」というものをあまり認識していないように思う。後輩からいじられたり、タメ口で話されたりすることに抵抗感を持つ人や、それが自分ではなく他者に向けられたものでも嫌悪感を示す人がいるが、僕は後輩からタメ口で話されようが、いじられようが、なんとも思っていない。度が過ぎたものは「人間として」アウトだと思うが、そういう矮小な自己顕示欲を持ち得たくはないのだ。同様に、「上司だから」という理由で態度を変えたり、媚を売ったり、評価されようとしたりはしなかった。これは僕の「変わらなかった」部分であり、「変えられなかった」部分である。

僕は僕が思う価値基準に従って生きている。それと社会的なものをうまく融合させながら、うまく塩梅をとっているつもりだ。当然、多様性を持ちたいと心がけているが、僕は「多様性は善。故に多様であることを認めなければならない」というふうには考えない。「双方にとってより善い状態になるために、どういう統合的なアプローチで合意形成をしていくか」こそが社会だと思っているし、そういう信条で生きているから「多様性故に、人は何をしても寛容的であらねばならない」というような傲慢さを赦したくないのだと思う。という点で言えば、だれよりも秩序を重んじているのかもしれないが、周りからはアナーキーアウトサイダーだと思われているだろう。

 

そもそも根本的に「目上の立場の人にはほげほげ」というような行動規範は「目下の人には不躾でも、無礼でも良い」という誤謬を生み出している。それがいわゆる「体育会系」という枠組みなのであれば、部活動という「日本人が古来もつ道の精神の教育」に失敗しているし、敗北すらしている。

翻って、「雇用」という枠組みにおいても、同様であるように思う。それに対して批判的な姿勢を取っていることは、社会的な規範に対する僕なりのアンチテーゼでもあるし、その枠組みで活躍できない自分の僻みなのかもしれない。その点で、サラリーマンとして失格だったのだ。僕は僕の入社した会社として、そういう力学が「日本の上場企業の中で言えば相当マシ」だと思っていたし、それ自体は間違っていなかったことが確かめられた。それでも「ウチの会社の実態は"政治的"な能力の有無のほうが、よほど重要であった」ということだと思う。それについて、「じゃあなんで入社してしまったのか」という点で言えば、別に実態について理解や仮説がなかったわけではないと答える。問題は、「それでも合理性があればうまくやっていけるのではないか」というふうに思っていたことだ。その仮説を僕は外したし、それが問題だったと思う。

 

就職した背景は、「大資本パンチを打つことができるから」という理由だった。

目的から言えば、僕が今の会社に入った一番の理由は「大資本パンチを打つことができるから」だ。結論で言えば、「1年目で打つことはできなかった」ということになる。

 

僕は今の時流を「大企業に有利な時代」と読んでいた。日本で言えば、アベノミクスに始まる金融政策によって資本力のある企業は内部留保を貯めやすくなっていたし、そのお金を使って投資活動を活発化していくことができる。銀行はマイナス金利のためにお金を貸したくて仕方がない状況だった。 

 

この会社で長く働くつもりはなかった。周囲がそう思う通り、自分が雇用され続けるということに耐えきれないシーンはきっとくるだろうという予見は常にあった。

あるいはそろそろ自分を崖から突き落とすような勇気を持つべきなのかもしれない。もしかしたら崖から突き落とされたとしてもケロッとした顔で「なんとかなったわ」とか言ってるのかもしれない。

結局、どっかでそうしないといけないことは薄々わかってきている。それが明日であるか、5年後であるかの違いにどれだけ差があるのかはわからない。ただ、まずはそれがいつになるかについて答えを出す必要があることだけはわかってきている。

2年目になって、この答えが明確に出た。2020年の4~9月の間に自分たちで始めようという仮の答えを立て、そこに向けて準備を進めることにした。その理由は「この会社で大資本パンチを打つよりも、自分たちでやったほうがその可能性とスピードが早い」と判断するに至ったからだった。おそらく、1000倍近い確率差だろうと僕は思った。

 

やりたいことは根本的に変わってしまったわけではない。グローバル資本主義競争下における国内経済成長の下げ止めと推進からはブレることはなかった。資本主義のプレイヤーは国家であり、国家間の競争により富の成長を実現するという見方をしているからだ。実態としては国よりも一企業のほうが権力が集中しているというふうにも言えるが、それでも立法や行政、もっと言えば通貨発行という機能は現段階では国家が保有しているし、その枠組みが「50年後はわからないが10年20年で抜本的には変わらんだろう」という仮説を信じて動いている。仮想通貨が国家権力に喧嘩を売っていると、不穏な動きが見え隠れするかのように、そう簡単に崩せる牙城ではどうやらなさそうだ。そしてそれは株式市場も同様だと思う。ただし、この泥舟と一緒に沈没していくかどうかについては、これからの自分が慎重に検討してくれるだろうと期待しておく必要がある。

そういうわけで僕の暫定解は

「社会的富の総生産量をテクノロジーによって増やしましょう」

ということになった

僕は、生を肯定する生き方を選択することにしました。僕は経験の奴隷であり、環境に依存した存在であることを認めながら、その要因を分析し、選択可能性を広げ、その中でも現存社会の課題を本質を明らかにし、実証主義的な解決を国家単位で実現するという歴史的な偉人の系譜を継承するという使命を選び、全うしようとすることにしました。

今はとてもいい時代です。思考実験でしか問題解決の方向性を示せなかった偉人たちは、今の時代をとてもうらやましく思うでしょう。

だからこそ、彼らが築きあげたこの豊かさの恩恵を被っている限りにおいて、偉人の歴史的な功績を後世へ繋ぐ歯車のひとつとなることを積極的に選択してみようと思うのです。

 

そのアプローチに従って生きていこうと思ったときに、簡単に言えば経済成長は労働生産性の向上によって実現されるのだから、労働者の生産性が向上されれば裾広くインパクトが出るだろう、それを実現したときの総量という安易な観点で、前職に入社した。

基本的な判断基準は、「インパクト総量の大きいところから始める」で、あとは「実現性とその実現スピード」を検討しているに過ぎない。あらゆる業界に展開している企業に入社することで、それぞれのプレイヤーの動向について知り得るきっかけがあったという点で、非常に恵まれたと思う。具体と抽象を行き来するかのように、様々な業界の様々なプレイヤーの様々なビジネスモデルを収集し、模倣し、シミュレーションをしていくうちに、「レガシー領域でのIT業務効率化」には白地がまだまだあるし、ケーパを活かした戦い方ができることが見えてきた。「労働者の生産性を向上する」というアプローチに対して「労働者の内的な能力開発」と「労働者の外的な能力発達」の2つのシステム化という着眼点があり、前者は前職でやるべきだが自分たちでやるべきではないと判断し、後者は前職がやりにくく、自分たちでも勝てる余地があると判断した。

 

ラクスルをベンチマークとした企業が、キャディというきらびやかなスタートアップを中心に乱立し始めていることも大きい。その点で言えば、ほんのり後発なのであるが、セグメントの切り方を変えれば直接競合はしないという点で、 ―大きいところから順に検討していくとしたら、自動車→医療→建設→不動産という順番になるのだろう― 僕たちは「製造」と「不動産」に着眼した。(本当のことを言えば、直近10年で成長することが見込まれる市場をすべて洗った。その結果見えてきた市場は3つしかなかった。当然、僕たちはそのうちの1つを狙っている)

製造に関しては「グローバル競争における勝ち目薄」「国内競合における勝ち目薄」「ケーパ不足による実現性低による勝ち目薄」が理由で、初手マネタイズ性がないと判断した。

不動産に関しては「レッドオーシャン化」「地域性や独自性の強い市場環境」「商慣習の独特さと資本集約による独占性」という点で難度が高く、そう簡単に参入できそうになさそうだったが、「集約し、解析しきれていない必要情報がある」ことが見えてきた。「このセグメントでニッチにIT化をし、情報集約・技術集約することができればその後の他事業展開で圧倒的な優位性が持続的に保有できる可能性がある」ので、上場後の資本集約型ゲームにおいても強烈なチャレンジャーになるための初手・二手目・三手目のおおよそのビジネスモデルを見立てることができた。当然、2手目が鬼門であり、仮説を外すと最も痛いところである。ダウンサイドリスクヘッジは検討済みだが、ここに最も精神を削がれるだろうと思う。

 

 故に、僕たちがなによりも重視するべきは「強固なキャッシュフローによるPMF確立までの延命」だった。仮説は洗い出しているとはいえ、複雑性が高い市場で業界課題とコアバリューをしっかり特定するためには、それなりに時間がかかるというのがその理由だ。

 

また、僕は人の働き方というのは経営と同じように、大雑把に4つの集約にしか分類されないのではないかと認識するようになった。「労働」「知識」「技術」「資本」の4分類である。
当然資本集約的な働き方が最もレバレッジが効くわけだが、プアな僕たちは取りうる選択肢が少なすぎる。故に、わらしべ長者のように集約すべきビジネスモデルをうまく組み合わせて登っていく他にないのだと思い始めた。その戦い方がうまく作用するかどうかはわからないが、これがもし正攻法として確立することができれば、他領域にも同様に展開するプレイヤーが増え、国内GDPの底上げにつながるだろうという夢が見られる。当然労働集約型のビジネスモデルから登っていくことになるのだが、それ自体は線形な成長しか望めないため、「いかにしてアセット化し、知識や技術を集約していくか」という戦略性が重要になると読んでいる。

 

僕はあくまで自身を「高尚な愛国の理想論者」であるよりも、「極めて実際的な未来想像者」であるとみなしたかった。結局のところ、近代国家の成立までに描かれてきたことを統合的に考えれば、人類はすでに青写真を手にしている。アカデミアという解釈者からのインプットを血肉に、僕個人としてはその青写真を実現あるいはその通りに近づける橋渡し的な存在でしかない。それに、今からその青写真のアップデートを試みたところで、時間切れになることは目に見えてる。だから、僕は「実践者」であることを通じて、歴史的な偉人たちのフィードバッカーになるべきだし、それによって少しでもアップデートに寄与することができれば本望なのである。
そういう観点で生きているから、僕はスタートアップを志向しない(スタートアップ的でありたいとは思うが)。長期で持続可能なシステムが「公器」として装着され、その器が対外的な発信手段になることを好む。当然日本国内の少子高齢化というボトルネックや、日本人のナルシズム的な病理に対して目を向けることはあるが、「評論家」や「思想家」として責任逃れや批判者になることなく、常に自分がプレイヤーであること、もっと言えば、国家における労働者足り得ることが、僕のすべき初志貫徹だと思う。その点で僕はかなりリベラルというラベルが似合うと思うが、それでもやっぱり「合法的な現代のプロレタリア革命」というラベルを期待し続けている。

 

 

というわけで、僕は「自分自身は雇用されるよりも雇用する側になったほうが自分の可能性が拓けるかもしれない」という可能性と「というよりも、自分はサラリーマン失格だから、ネガティブな理由で自営に回るしか他に手段がなさそうだ」という諦めが僕の実態だと思う。つまり、僕にとって社会人生活というのは、「自分のあらゆる可能性を限定的にするものでありながら、自分にしかない可能性を最大化する準備期間」であった。その点で、本当に前職に携わった人たちや会社に対して感謝してもしきれないし、迷惑をかけまくったことについて、改めて謝罪をしておかなければならない。

 

 

僕はおそらく、人よりもリスクに対する捉え方が異なる。もしかしたらそれが共通する自営人間の考え方なのもしれないが、僕は借金をすることに対する抵抗が他の人よりも薄いように思う。
大学時代に奨学金を借りていたが、「大学時代に労働を切り売りするようなアルバイトに精を出すよりも、自分の価値にレバレッジがかかるように過ごしたほうがよほど良い」という言い訳と「奨学金の返済期限の長さとその年利を考えたら、もはやノーリスク」という言い訳を活用し、大学時代の時間を"買った"。改めて、今、会社を興すという点で出資や融資について詳しくなっていけばなっていくほど"ノーリスク"だと思うようになった。

そしてリスクの感度が他の人と違う理由も、大学受験時に2年間もあくせく働きながら勉強をしていたこと、家庭環境の荒れ狂った状態で精神的な心労があったこと、それを乗り越えて今こうして生きているという自覚により、現実的かつ実際的に実現性を見極め、コツコツと実行していく"したたかさ"が養われているのだと思う。あれに比べたら、大学以後のどんな体験も虫刺されみたいなものだろう。

 

 

ある種の生活圏内で安定をバランスさせながら、世の中をゆっくりと見渡していくことで手触り感をもって見えてきたことが沢山あった。その感覚をフル活用して今回の選択をしたと思っているし、それ自体は不思議ではないことだと、「僕の記憶」はそう言っている。

「記録」を通して、内定者のころには全く予想もつかなかったことがいくらでも起きた。とするならば、「今、僕が見ている未来の記憶」はおそらくその通りにはならない。その学習により、僕が来年には中国で仕事をしていたとしても、もはや驚くべきことではない。できれば上振れて続けてほしいものだが、それは僕が今どうするかにかかっている。