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世界の輪郭に溶ける

私という概念をいかに物語り、私を捨象していくか

無知からの解放と人類の未来について

信じていた人に信じてもらえていないことっていうのは悲しいことのように思う。
でも、大抵の場合において、信じている人に猜疑心を向けることというのは、信じていない人には疑いを向けることがないという点において、人を信じるというのはどうやら同時に疑いを持つということでもあるのかもしれないなと思うようになった。

 

そんな時、僕たちはどうしたらいいのだろうか。
僕の答えは「文章を書く」ということだった。

だから僕は今から文章を書こうと思う。なんのとりとめもない文章を書いてみようと思う。そこにどんな意味が込められることになるのかはわからない。今僕が純粋に言葉にしたいものを、意識してか意識しないでかを抜きにしたときにできる、感情の取り出しに挑戦してみたい。今の僕はどうしようもなく伝えたいことがある気がするし、しかし一方でどんなことを誰かに伝えたとしても全くもって意味がないんじゃないかと思うこともある。真昼のジョナサンで「よし今から文章を書いてやろう」と意気込んでみたけど、頭の中で紡いでいる文章をいざ文章に書き下ろしてみようとすると、途端にその手が止まる。道中、頭の中で考えていた時には革命的に思えた知的生産物も、文章が描くストーリーラインに沿わない限り、なにも響くことがないように思う。こうした知的生産物はCoccoが言ったような「私のうんち」と大体同じで、ずっと溜めておくことができない。どこかのタイミングを見計らって、出来る限り清潔感があって、ちゃんとトイレットペーパーが補充されているところでひっそりと排泄しない限り、病を患うんだろう。

Coccoは本当に秀逸だなって思う。確かに、僕の生産物は誰かにとってはうんちと同じか同じくらいだと思う。実を言えば、僕は間違いなく「なにか良いことを書いてやろう!」とおもって文章を書いているはずなのだ。なんだけどそこで生み出されたのは誰かにとっては僕のうんちでしかない。悲しい。でも仕方ない。だから僕は、牛の糞の化石が歴史的な価値をもたらすことと同じように、誰かに理解してもらえることで、もしかしたら世紀の大発見になるかもしれないことをどこかで期待することにしている。あるいは文章を読んだ誰かの人生にパラダイムシフトを起こすだけの衝撃を与えてみたい。でもやっぱり、専門家でない限り、牛の糞はただの牛の糞だと思う。

今日はホッブズが描いた理想社会が世紀の大発見と同じだった。今の僕たちが「政治経済学部ってなにが学べるんだろうね」などといってしこたま考えた結果「なんかホッブズが言ってたことと同じになったね」っていうようになって初めて価値が出るのと同じように、今はよくわからないけど100年後200年後になったらすげー大切なことだったみたいなことを僕はどうにかして言えるようになりたい。「やっぱホッブズつえーわ」みたいなことを200年後の日本で言われたい。特に12歳とかこれから中学生になる途中で「進撃の巨人・・・」とかやっちゃう年頃の君に「あいつやっぱつえーわ」って言われるようになれたらいい。でもホッブズのようなことが言えるようになるにはそれなり努力が必要だと思う。ホッブズが当時いっていたことを言えるようになるにはそれなりの努力が必要になると思う。ただ、ホッブズ現代社会にもたらしたインパクトを真似しようとすると、それなりなんかの努力じゃ到底足りない。それどころか、どこに生まれるかからやり直さないと難しい。となると、僕の生まれた場というのは、果たして僕の意志によって選択されただろうかということが気になってくる。2年前の僕は「僕だったらある程度恵まれた国なんだけど、恵まれすぎていない環境に身をおくことで自分の精神を高めたいと思うだろうな」と思った。そして僕は実際に"そういう"環境に生まれた。

僕は単純に思想家になりたいというわけじゃない。やっぱりそうだよねって思うことではあったんだけど、歴史を俯瞰してみる努力を始めてから、どうやらこの人類というのは、あるひとつの共通したゴールに向けて、血の絶えない壮絶な試行錯誤を繰り返しているらしいことがわかってきた。そしてその共通のゴールがどのようなものなのかもなんとなく認識するようになってきた。これは先人のおかげだ。
では今の時代というのはどういう時代なんだろう?っていうのを考えていくと面白いことがわかってくる。僕の見えている矮小な世界観を吐露するつもりでいるのだけど、それはケツの穴を見せるのと同じくらい、僕の底が知れる恥ずかしさがあるので、出来る限り遠回りして書きたい。経験したことはないが(多分)、排泄物を見られることよりも、ケツの穴を見られることの方がよほど恥ずかしいものなのだろう。

 

最近は特に、エマニュエルトッドに関心を寄せるようになった。いくら先人が偉大とはいえ、現代における知性の最高峰は相対的に存在するし、ヘーゲルがいった弁証法を僕は支持しているので、思想の歴史的反駁の流れを想定すると、常に現代の最先端で言われていることが最も進歩的であるように感じられるはずだ。これは先のホッブズの話と矛盾しているように聞こえるかもしれないが、実際にはこちらの方が実現頻度が高い。そして僕はなんとなく、現存する知性の最高峰はトッド先生なんじゃないかなって思うようになった。これは勿論、僕の知る限りでしかないのだけど。
というわけでトッドの言ったことに触れたい。なんでトッドに触れることができたかというと、それはひとつには尊敬する先輩のうちの一人の方が書かれていた文章の中でトッドの言ったことが引用されていたから。
「なぜ進学という道を選んだかというと、エマニュエル・トッドの言葉を借りるならば『もしかしたら存在するかもしれない治療薬を探すために、まずは発熱の元である病気の診断書』を書こうとしてみたいからです。」

もう一つは、大学の講義で受けている比較社会学の単位を取るためにレポートを提出する必要があったからだった。社会統合の特徴をそれぞれの地域性の違いに言及した上で、さらに「講義内容に即して」論述しなければならなかった。講義の半分くらいはまともに聞いていない中でインターネットをフル活用しながらたどり着いた結論が、講義内容の結論とほぼ同じだったことと、その結論を語っていたのがトッド先生だったことが僕には衝撃的に思えた。どうにかしてこのことはレポートに書かなくてはならないと駆り立てられる気持ちになった。そうして2000字程度の文章を提出すれば単位が来る所、3倍以上の文章を書いて提出することにしたのだった。

トッドの言ってることは乱暴にいえば、その人の家庭環境がどういうものかによってその人の価値観が形成されるよねっていうのを人類学的な普遍性として法則を抜き出したみたいなもので、衝撃的だった。親が厳しかったらその子供は規律を重んじる思想を信仰しやすいといったように。

イデオロギーの領野は、どこでも家族システムを知的な形式に転写したものであり、基礎的な人間関係を統御している根本的な価値——例えば自由、平等、そしてその反対物——を社会的レベルに転換したものである。」

 

「文化現象の優位性を明らかにし、ある種の経済政策の幻想性、もしくは有害性を明示したとしても、それは決して地球の未来に悲観的な姿勢をとることを意味しない。反対である。リズムの相違はあるとはいえ、識字率の上昇は普遍的な現象なのである。現在の統計学的なカーブによれば、あまり遠くない将来、完全に識字化された世界、つまり無知から解放された世界をかいま見ることができるのである。もちろんそのような状況は、識字化と完全な経済的テイクオフとの間にかなりの時間が必要であるとして

も、もっとも緊急を要す人口問題と、経済問題の解決につながるものであろう。世界の歴史で特権的な瞬間となるこの未来の瞬間は、文字の発明から人類全体がそれを習得するまでの数千年に及ぶ長期の学習の終了を意味する。それは人類の長い幼少期の終わりを印すものである。」

彼が⾔うように、人間の文明の発展は経済学で語られることが非常に多いが、それは一面的な見方でしかないし、経済が発展するという現象は、あくまで文化的な発展の後に結果として起きるものなのだ、というのが、人口学や人類学を研究している彼だからこそ出る発想であって、ユニークさがある。そしてデータを元に実証することを試みている点で、少なくともウェーバーの、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」よりはより適切に説明しているように感じる。このユニークさと納得感がとてもおもしろくて好きなのだけど、特に僕個人がとても好きなフレーズは
世界の歴史で特権的な瞬間となるこの未来の瞬間は、文字の発明から人類全体がそれを習得するまでの数千年に及ぶ長期の学習の終了を意味する。それは人類の長い幼少期の終わりを印すものである
というフレーズで、告白してしまうと、これを伝えたいが為に僕は1000字近くも遠回りしたことになる。

トッドがいうには、人類にとって文化的発展の第一フェーズは識字にあるという。どういうわけか、家族システムと識字率の向上は大きな相関性を占める。
次に、女性の識字率が向上すると晩婚化が生じる。晩婚化が生じると出生率の低下が起こる。識字率の向上を出生率の低下の大きく2つが、近代化の要因とトッドは言う。(そう言われて僕はやっぱりグーテンベルクの活字技術が宗教革命や産業革命をもたらした可能性を支持したいのだけど話がそれるのでおわり)

識字率の向上が何故近代化の要因になるかといったら、それに伴って労働効率が上がるからなのだが、それは確かに、知性の獲得によって労働生産性が上がることは僕達も実体験として納得がいく。

そして、この識字率の向上こそが無知からの解放であり、人類の長い幼少期の終わりを印すのだ。

無知からの解放というのは、自由を享受する上で非常に重要であるように思う。
文字を読み書きする行為を通して、自分で考えることを養うことができる。自分で考えることができるようになれば、権力者が扇動する際には一度立ち止まって考えることができるようになるし、相手の立場に立って考えることが出来るようになれば、意見対立も民族対立も起きるようにはならない。友達が卒論の中で「民主政治は大衆が自ら学ぶことによってのみ、専制君主などの他のどの体制よりもベターなのである」といっていたが、もしも本当に、僕達大衆に知性が備わったとしたらデモクラシー革命は終焉を迎えるのかもしれないなと思う。
悲しいのは、現状最善解の民主主義(僕達もこの制度の中で暮らしているのだがあまり実感がないのは日本人の政治関心の薄さにあるのは置いておいて)がBrexitやトランプ大統領の当選によって欠陥扱いされ始めているということだったりするのだが、こうした知的エリートの誤謬が今までの歴史の中でより大きな間違いを犯すことになってしまったことを鑑みると、やっぱりここは一度「民主主義ってどういう制度で、どういう風に扱うとなにができちゃうんだっけ?」と考えるところから立ち戻ってみるとなにか得られることがあるんじゃないかと思ってみたりする。知性の獲得というのはそういうことだと思う。もしもみんなが同じように、一度立ち止まってみることが出来たら、きっと僕たちは国家や思想から自立することができるのではないか。そこでようやく僕たちは自由を得ることができるのではないかと信じるようになった。

面白いのは、僕にとってそこが人類のターミナルだと思っていた場所が、トッドに言わせると幼少期の終焉となっている点だった。つまり人類には次のフェーズが待ち受けているらしい。僕にはそこがどうしても描けない。何が起きるのか。SF小説やSF映画にあるような話なのか、あるいはオカルトの世界観であるのか、人類が肉体を捨て、地球の安全保障役になる日が来るとするならば、それはヘブライ人が神様と接触していたと同じ構図を人類がたどることにでもなるのだろうか。人類に青年期があるとするならば、僕はそこを具体化していきたい。

 

さて、ここで思考を止めてしまっては勿体無い。
次に考えなくてはならないのは、識字率の向上をどうやって世界的に実現するか、を考えることになる。のだが、これは残念ながら、もう2段階進んでいる。
第一段階はパーソナルコンピューターの普及
スティーブ・ジョブズビルゲイツが大まかにその両翼となっている。
第二段階が検索エンジンの普及
ラリー・ペイジセルゲイ・ブリンが面白い研究をしてたら実現しちゃった的な感じ。

もしも情報非対称性を減らすことが世界にとって有益であると彼らがわかってやっていたとするならば、それを実現してしまった彼らは天才中の天才であるし、彼らは実際にそれを実現したから天才中の天才になったのかもしれない。(もうやだ)

現状によると、第三段階がこれから待ち受けているらしい、ということがわかる。様々な因子があるとはいえ、現在人類の課題となっている点はおそらく、これらのデバイスを適切に扱うことが出来ない点にある。

まず第一に、適切な情報を公開する能力が人間にはないという点。構造的に、インターネット上に公開されている文面に信憑性を求めることは難しい。これは公共事業ではなくビジネスだからだというのも要因として大きな影響がある。

第二に、情報を取捨選択する技術がどうやら乏しい。これは僕にも言えることだが、wikiに書いてあることを信じるなと言われても、知らない段階でその情報が正しいかどうかを判断することができない以上、まずはどう解釈されているかを知ることしかできない。

第三に、意見交換の場として扱うリテラシーが低い。
これは匿名性のたどる道だが、2chTwitterが炎上することのように、インターネットによって人間の負の感情が表面化する。この問題の解決には、人類に服を着る文化が出来たのと同じように文化発展をすることがないと難しいように思う。Twitterなどをみていると、日本社会においては特に、社会の構造的暴力に苦しみながら、また、自分の境遇を何かのせいにしたいと思いながら、日々我慢を強いられているっぽいことがわかってくる。みんな主役になりたかった。みんなアカレンジャーになりたかった。でも、みんながアカレンジャーになることはできない。キレンジャーになる必要がある人もいれば、アカレンジャーたちを支える博士になる必要がある人もいる。ときには敵役を演じなければならないかもしれない。夢が幻想のまま終わることは確かに健全ではないが、現実である。

 

また、スマホなどのようなデバイスが供給されたら途端に人類が賢者になる、といったことも起きなかった。これは使用者のリテラシーとともに、ニーズが多様である点が大きそうだ(そもそもiPhoneは電話だ)
この多様性は尊重されるべきだと思う。しかし一方で、能動的に、主体的に、人類は適切な情報にアクセスしなければならないと思う。という点において、情報の非対称性をなくすという目的がもしあったとしてもなかったとしても、効果がいまひとつであることは認めなければならないらしい。

 

僕が支持したい時代の系譜は、人類が次に到達する段階を加速させるところにある。
それは出来る限り確からしさが保障された情報にアクセスされ続けることができる状態になることであって、また、その情報が全人類的に知られている状態となることである。となると、究極の知性が個人のデバイス化もしくは一体化されることによって、人類が無知から解放されることを実現することになる。VR技術が現段階で実現可能性の高い次のデバイスのように感じられるが、あくまでこれらの技術は空間やコミュニケーションの拡張に留まると考えれば、次の覇権を担うところまでには至らないのではないかと思うし、しかし一方で五感の拡張という立場に立った時、人間の電脳化が終着点なため、記憶の移植は容易に行えるようになる点を踏まえると、VRが覇権を取るかもしれない。これは自分自身の無知によるものだが、現段階と電脳化の段階にはいくつかのステップが存在しているらしいことがわかる。今の僕の限界はここで、僕のケツの穴はここにある。

 

 

本当のところを言えば、僕が本当に関心を示していたのは資本主義VS社会主義の構図であり、特にこの資本主義という概念に対して怒りの鉄拳を加えてやりたかった。反駁の嵐を叩き込むことによって、どうにかしてこいつを倒してやろうと企てていたのだ。どうしてそう思ったかといったら僕の出自に関係する。そもそも大学受験をしようと思った理由というのは「この腐った社会で生きるためにはどうやら一旦社会のルールに従わないといけないらしい」ことがわかったからで、浪人中に「みんなが平等に暮らせる世界ないかな」って思っていたらマルクスが「やっほー呼んだ?」と言ってきたのであった。そんな平等主義の思想とマルクス主義が程よく共鳴して、資本主義批判をするようになった。だから僕が政治経済学部にいるのは偶然ではなく、僕の学問はマルクスによって開かれたと言ってよい。ただ、勉強していくうちにどうやら僕のこの出自に拘ることはちょっと器小さくないかということになったので、世界を救うため的なニュアンスに変更しようとしている(いい感じのフレーズがほしい)

そういえば、アジカンのゴッチが「出来れば世界を僕は塗り替えたい 戦争をなくすようなたいそれたことじゃない だけどちょっとそれもあるよな」って歌っていたように思うのだけど、多分同じことを僕も思っているらしい。青臭くて、だけどこの青臭さを大切にしたいと思う感覚は、僕の大学生活にルーツがあるように思う。余談だけど。

というわけで最近の僕は歪みをもたらすものだと思った自由至上主義の批判をひたすらしてやろうと思っていた。とくにハイエクを倒してやろうと思ったけどハイエクが強かった。というより、思想の根幹は割と似通っているものだったんだってことに気づいた。ハイエクは隷属の道から入ったのだけど、ファシズム批判が強すぎてもうこれはきついわってなってから嫌いだったのだけど、ハイエクの解説を読んでいくうちに「あれどうやらこのおっちゃんも知性の限界について言及しているし、致命的な思い上がり(まだ読んでない)っていってるし、意外とプラグマティカルだな・・」ってなったのが大きい。自由至上主義者はあかんやろっていう偏見がハイエクのおっちゃんを理解するのに妨げになっていたことは、自分のものの見方の一面性を疑い続ける契機になったし、コレは実社会でめっちゃんこ起きてることだなと思うようになった。

さてそうやってがむしゃらに考えてみていたのだけど、結論としては、まず人類がしなければならないのは社会的富の総生産量を増やし続けることとなったため、あえなくこの主義思想の前に撃沈し、僕の企ては失敗することとなった。

この結論に至った背景はまだハイエクを十分に理解していないよねっていう点からも、またいつかどこかで書くことにするとしても、まだこの結論を反駁する余地はあるはずだと思っている。決して諦めたわけではない。資本主義も社会主義も本質的には生産様式であることを踏まえると、富の集中が技術革新もたらしているがしかし一方で歪みを許容しないといけないこの資本主義を倒すためには資本主義に取って代わる新しい生産様式の制度設計する必要があるということになる。しかし、これはちょっと骨が折れる(と言うより僕の力ではまー無理だし、出来てしまったらノーベル賞もの)

理想を言えば、人類が公益の最大化を第一義的に目指すことが出来れば資本主義でなくても経済成長はできるよね。という話ではあるのだけど、資本主義の利己性を経済成長の原動力にしている現在に取って代わって利他性を原動力にする為にどうしたらいいかが全く思いつかない。それこそ知性の獲得以外に方法がないように思う。逆説的なのだけど、人類が公益の最大化を美徳とした社会が実現されていたら、それはもうすでにハッピーな社会なのだと思っているので、ハッピーな社会を実現する過程で実現されることは絶対にない。(こんな単純なロジックに気づかなかった半年前の僕)

 

そういうわけで僕の暫定解は
「社会的富の総生産量をテクノロジーによって増やしましょう」
ということになったのだが、これが僕達の生きる現代の使命のようなものなのだなと納得してみようかな、という気になったため、多分、思想家になるのとはまた違うのだろうということになった。勿論、思想家ではあるのだけど、目指すところがホッブズではなく、フォードとか、スティーブ・ジョブズとかその辺の人たちだったらしいということになった。ホッブズになることの難度を踏まえても、やっぱ結構難しい。それにやっぱりこうした反論を自分の中で生み出してしまう。これはトッドを教えてくれた先輩とのラインなのだけど、

「社会的富の生産量って、とりあえず個人が放置してても、社会の流れ的にこのまま増え続けそうだとは思わない?」

 

それに対して僕はこう答えた。


「その通りだと思うし、実際にそうだと思います。

僕個人がなにをどうこうしたとしても、今言っているレベルの例えばそれこそ資本主義から社会主義に制度変更しましょうっていうのは起こせないと思ってます。人生100回やりなおして2回成功するかしないかくらいな気がします笑
僕もその点において自覚的でありたいと思います。でもそれはややもすると、どこでなにをしていても同じだから無意味だよねってことになってしまうんですよね。諦念でもありますが。
でもどこでなにをしていたとしても、なにかの為に奔走し続けるのは意味のあることであってほしい。
例えば売れないバンドマンがジョンレノンになることは極たまにあるし、ヤクルトを応援していた村上春樹がいきなり小説を書こうと思い立ったら現代日本小説家の最高峰になっちゃいましたみたいなことも起こり得ます。
なにをどこでやっていても、なにかが起きる可能性があって、その可能性が存在する限り、自分はどこかでなにかをしていないといけないことはわかっているつもりです。」

 

 

客観的にこうだよねって言えるようになったものの、しかし自分の人生とその答えを結びつけることはとても難しい。だけど、僕が何故この暫定解を構築するのに必死だったかと言われれば、僕達がなぜそれをするのかをはっきりと、そしてありありと語る為に必要不可欠なものであると信じていたからだと思う。そうした絶対にブレない信念を自分の中に拠り所として用意しておかない限り、僕は自分のやっていることに疑いの目を向けてしまうことは明らかだと感じられた。だから、ぼくは就職する前にどうしてもその盤石な思想基盤を築いておく必要があった。それは就職するという不自由な環境の中で自由を享受するために必要な希望であった。方法はいくらでもある。ジョンレノンを目指してもいいし、村上春樹を目指してもいい。マルコムXも良いかもしれないし、麻原彰晃もワンチャンあるかもしれない。その中で暫定どれを取るのが誰かにとって、また、自分にとって最善で最短か、というのを、自分という人間に何ができるのか、という点から考えられるようになったことを示している。

ただ、就職するという結論は換えがたかった。それは自分の意志の弱さがそうさせていることはわかっている。でもそうした希望の中に生きることを決意してから、僕はやっと、ビジネスとはなにかという問いに進んでいくことが出来るようになった。
出来ればなるべく、ビジネスの話をするときは、この思想基盤の前提の上で話したい。そうでない限り、ビジネスのお金儲けにつきまとうイメージを払拭することが出来ない。でも、多分もう大丈夫なのだと思う。

 

 

先日ある先輩にこんなことを言われた。

「おれたちはお前の名前でお前のことを固有名詞としてイメージすることができる。お前というコンピテンシーは確かに、おれたちの共通言語として語ることができる。でもおれには俺という人間がお前みたいに形として存在していないから、何かを手に入れる必要があった。だから俺は今VRの業界にいるんだよね。」

 

僕にも実体なんてないと思う。でも最近思うのは、
中身のある人間というのは、いつだって自己を超越した利他心を原動力をしているような気がしているということで、出来れば僕はそうした生を全うしたい。
僕が今持っている思想基盤については、また次の機会にでも書けたら良いと思う。