世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

2019/04/28_雑記

 

 

4月某日

マーケ担当になった。
自分のキャリアっていうものはどうにもあてにならないもので、サラリーマンとして生きている限り、偶発的に発生することを受け入れた方が何かと負荷が少なくて良いのだと思った。
マーケティングを担当すること自体にはとても前向きで、サービスグロースにおいてマーケティングは切っても切れないものだなということを痛感した。というより、自分の認識の甘さを恥じた。僕自身に言われたことではないのだけど、「マーケターたるもの、社長同等の権限を持ってるくらいの気持ちでいろよ」というフレーズがなかなかにヒットしている。営業さんが汗水垂らして稼いでくれているお金を経営戦略上、湯水のように使わなくてはならない局面に、肝を冷やすような気持ちになれど、それもあくまでファンクションの一つなのだと割り切らなければどうにもならない。もしくは、援護射撃を打つくらいの気持ちでいた方が良い。

とはいえ無益な競争を煽り、プラットフォーマーのみが潤う構造に対しては辟易としかしていなくて、戦いには常に乗り続けないと大敗し、戦いに乗り続けるとエンドユーザーが搾取される構造は健全ではないので、平和協定はすごく大事だなーと思う。

とにかく今はマーケティングのマの字からきちんと勉強せねば、ということで、
デジタルマーケティングに閉じずに理論と実践を高速で回していきたい。
多分だけど、入力したインプット量と入力速度を最大化することによって出力量を最大化することこそが、事業開発を一つの上級スペシャリティとしたい自分にとってもっとも重要な資質であり、ケーパビリティになるのだろうと思った。

UXとマーケはサッカーでいうところの点取り屋で、この二つのスペシャリティ(UXを自身の専門分野と呼ぶには経験が圧倒的に不足していると思うけど)としていくのがなんとなくいいんだろうなと思う。4月上旬にはまごまごしていた自身の方向性に対する認識も、1ヶ月経ってくると、じゃあこういう風に考えていこうかと視界がひらけてくるのはまあまあ良い。想定している成長角度をグイッと引っ張り上げてくれるのは、会社における育成方針によるところも大きい。だからこそ、今はその期待を打ち返すのに必死だ。

チームにはとても恵まれたと思う。意外というかやはりというか、新規事業部署にいる人たちはおそらくヒトクセある人たちなのだろう、既存事業ではうまく噛み合わない人たちが独立的に働きながらも、それで成立しているような印象を受けた。誤解のないように捕捉しておくと、これは最大の賞賛であって、自分を棚上げしているわけでもない。
僕は社内ではどうやら「ヤバい奴」という評判だが、自分としては「自分は世の中的にかなり真っ当な人間だ」と信じている。むしろ日本社会っていうのは慣習に従うことに心地よくなって、自分の意思で生きられなくなってしまったゾンビたちが跋扈している国だと思っているくらいなので、その意味で今の部署の人たちは真っ当だなと感じる。僕の場合、どこに属していたとしても、ゾンビたちの平和を脅かすアウトサイダーだっただけで。

自分が一番下っ端ということもあって、アゴで使われるようにタスクが積まれることもあるけど、「なんでもやります」と言ってしまった手前、後に引けない。でもそれもまた自分の限界を理解するという意味で一つ挑戦したいことでもあるので、限界までやってみようと思う。

心配なことといえば、運気がこの10年で最も悪いということだ。きっと辛い日々が待ち受けているんだろうけど、全部運気のせいと割り切って、穏やかに過ごしていきたい。

4月某日

引っ越しが決まった。八丁堀のシェアハウスには1年半お世話になった。そこは民間で運営されているところで、家賃がまあまあ高い。それでも初期費用がかからずに会社の近くに住めるのは、僕にとってとても魅力的だった。
会社から家まで歩けば40分くらいで帰れるし、タクシーを使えば1000円ちょっとだ。終電以降も働いていたかどうかについてはいろんな観点で回答を伏せるけど、自分は割とワーカホリックなタイプで、だけど休息もそれなりに必要なので、無理のない範囲でそういう生活を一定することがある。
家からもっとも近い繁華街がオフィスのある銀座という皮肉い感じだが、学生時代の習慣から、金曜日や土曜日にはちょっと夜更かしをしたい性分で、その度に六本木のスタバまで駆り出て、閉店をすぎたら始発までウェンディーズで過ごすという生活スタイルの変更を余儀なくされてしまうのは、少し寂しい。

最近そのシェアハウスに引っ越してきた22歳の女の子は、看護学校を休学して、1年分の学費を出稼ぎに上京したキャバ嬢だそうだ。僕の人生はなにかとキャバ嬢に縁がある。
その子から言われたことで学びが深かったのは、簡単にいえば「UXが良い」ということだった。僕はてっきり「そういう時のUXの話」だと思ったのだけど「サシで居る時のUX」が絶妙らしい。言語化され尽くされていないところに研究の余地があるが、そんなことを言われたのは初めてなので、少し嬉しい。
例えばもしかしたら、夜道を歩きながら飲んでいるビール缶を取り上げて少し振り、「まだ持ってたの?早く空けてよ」と言ってその中身を相手が飲み干そうとした時に「ああ、そっちじゃなくて、こっち」と言って手を握ってしまうくらいにはUXがいいのかもしれない。
会話の時の絶妙な間、と言われたこともある。独特のテンポがあるらしいのだけど、それが良いのか悪いのかはよくわかっていない。

 

 

 


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次に住むところは北千住の荒川付近の戸建で、3月からずっとルームシェアのできる物件を探し続けてようやく見つかったのだ。ほぼ会社の同期と4人で住むことになる。
全員の希望をとって日比谷線沿線で探していたのだけど、ほとんどの物件がルームシェア不可ということで断られ続けていたので、念願叶って最高の居住地だ。
六本木まではドアドアで1時間弱かかってしまうけど、始発で一本だし、僕の次のオフィスまでだったらドアドアで40分以内、エレベーターが混雑することを除けば最高に良い。今はドアドアで25分で、電車の中で本を読もうとしてもせいぜい10分くらいしか読めなかったのが何かと不都合だなぁと感じていた。通勤時間が短くなったからといって満足度が向上されるわけでもなかったので、僕にとっては街の面白さが重要なのだと思った。美味しい飯屋と商店街と、おしゃれなカフェと、土手沿いの豊かな風景。高架下にビニールシートの家を建てることが穏やかに許されていて、休日には本気でバンド練習をしている学生たちがいる。自転車で集団を作っている高校野球部とすれ違うと、今度はランニングをしているおっさんが僕を追い抜いていく。なんて平和で丁寧な生活なのだろう。夏の夜には花火をして、次の朝には君の実家の犬を連れて歩きたいと思う。



2.5年目になった僕の社会人生活は、年号が平成から令和に切り替わることに加え、オフィスの変更と住居の変更によって、アップデートされていくのだろう。気の良い友人と住むルームシェアも、前途多難なこともあるかもしれないけど、きっと楽しくなるに違いない。

GWはおそらく積読された本を読み潰しながら過ごす予定だ。
時間の都合があえば、たまには懐かしい人たちと近況報告に花を咲かせてみたい。