世界の輪郭に溶ける

社会とうまく馴染める距離を探しています

風の歌を思いながら

文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ  村上春樹 (1979年)『風の歌を聴け

 

文章を書くことは確かに僕にとっても、自己療養の手段にはならず、そのささやかな試みにしか過ぎない。

 

1ヶ月くらい前、大学の友人とラインをしていた時に卒論のテーマについて話すことがあった。彼は胸ポケットからセブンスターを取り出し、マッチで火をつけて吸うのと同じ様に村上春樹について取り上げていた。
彼は大学一年の秋頃からノルウェイの森を読み出した。それで僕たちは事あるたびに主人公の僕を真似して「やれやれ」といってみたり、「僕は射精した」とか言ってみたり、そんな冗談を言い合っていた。確かに実際、射精は頻繁にしていたのだが、ノルウェイの森を小馬鹿にしているような僕がまさか村上春樹にハマるなんて思いもしなかった。僕はハルキストに少しばかり蔑んだ目を向けていた。なんでかっていったら、高校2年生の頃僕の担任であった国語の先生が薦めてくれた「風の歌を聴け」が、ひどく退屈な男女の雑談にしかみえなかったからなのだろう。

冗談を言い合っていた例の友人達と大学2年生のときに北海道へ旅行に行った。そこで僕たちは例えば小樽で羊をめぐる冒険を始めてもよかったし、いるかホテルを巡って札幌市内を歩き回ってもよかった。羊男と出会って上手に踊り続けてもよかったし、『片思い』を4回ほど映画館で観たあとに、「どうしたっていうのよ」って言ってみてもよかった。別に僕がプリウスを海岸にぶち込んで砂浜から出られなくなって全員で途方に暮れる経験なんてしなくても良かった。でも当時の僕にはそんなことしか出来なかった。

つまり僕は、村上春樹の「羊をめぐる冒険」や、「ダンス・ダンス・ダンス」を読んでいなかったら北海道旅行に込められた誰かのストーリーを感じることができないように、物事の情緒を感じる為には僕の知性や教養といったものが非常に重要になるということに対してあまりにも無知だった。僕の冒険と主人公の僕がした冒険をリンクさせ、「この喫茶店で彼は味のしないコーヒーを飲み、プラスチックのようなサンドイッチを食べていたのだな」という風に感じることが出来ないのだ。僕が認識できる世界は、家の庭でせっせとセミの死骸を運んでいる働き蟻が認識できる世界の大きさと同じくらいだ。

 

大学1年生の僕というのは知性のちの字も知らないような人種であった。◯◯とは何か、という哲学的問いに対してアウフヘーベンしようなんて、そんな徒労に終わるだけのような事に魅力を感じられていなかった。大学4年生ともなると、知性とは何かという哲学的テーマについても少しは考える力がついているもので、知性というものが少しずつわかってくる。知性というものがわかってくると、他者の関心事に関心を示すことというのが重要性を帯びてくる。僕はその実践とも言える形式で、「風の歌を聴け」をもう一度読み返すことにした。僕がひどく退屈に思えた150ページの2時間半を、彼の目からはどのように映るのか。どのように読めるのか。僕は知性というものがそういうものだと思うにつれて、彼の関心事に好奇心が湧いていった。

働き蟻と同じくらいの世界を少しばかり広げようとすると、いくつかの扉が僕達の目の前に現れる。そのうちのひとつをノックし、押し開けると、そこには沢山の小説が並んでいる書斎と、イスに腰掛ける彼の姿があった。彼は僕に「やあ、待っていたよ」と言った。「やれやれ」と僕は言った。

 

2016年を振り返るとするならば、「僕は馬鹿だ」になるのだろう。この言葉は多分、僕が今でも恩師として感謝している国語科の先生が行っている授業で扱った近代文学を象徴する夏目漱石のこころに触れた当時の心象がいまだに残っているから出たのだと思う。先生とKとお嬢さんの三人と出会うことを通して、僕ははじめて文学と邂逅することになった。そのきっかけは錆びること無く、今の僕にも意味を示している。

振り返りという営みを通して僕は常に「僕は馬鹿だった」と言っている。でもそれはそれでいいのだ。振り返りというのは、後になって馬鹿に思えるようなものなのだと僕は思う。

 

 

風の歌を聴けを読んで思ったこと」と書くと、そこに含まれる言葉には少し語弊があるように感じられる。はっきり言うと、そのハルキストの友人が貸してくれた「謎とき 村上春樹 (光文社新書)」の方にこそ、僕は衝撃を受けていた。
高校2年生の時に僕が感じていた「なんだこれ男女がセックスについて語っているだけの物語かよ」というストーリーラインがコペルニクス的転回を見事なまでに引き起こした。経験と年齢を重ねることによって浮き上がってくる隠されたストーリーラインがあることを、この解説本を通して漸く理解できるようになった。僕は自分の読み方、感じ方というのを、読後に襲ってくるすっきりしない爽快感の中で考えるようになった。アンバランスなバランスの中でもう一度適当なページを開いてそのページを読み込んでいた。

風の歌を聴けに衝撃を受けることになった要因のひとつに、言葉の限界について悟ったことがある。
「文学というのは言語の限界を知ってはじめて、その隠された意味を読むことができる」
それが僕には新鮮で、知的に感じられた。僕は少しだけ、小説を読んでインテリぶっている連中を馬鹿にしている部分があったのだけど、それはひどく愚かな行為だったことを認めてしまった。要するにお手上げだった。僕は今までの自分の愚かさに懺悔をして「僕も仲間にしてください」って思うようになった。
僕が今まで読んだことのある文学作品の中でも特に衝撃を受けた一文は川端康成の雪国だった。「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった」
この一文だけで僕たちは川端康成の織り成すファンタジーの世界にぐっと引き込まれることになるのだけど、少なからず当時の自分は「ノーベル文学賞をとったくらいなんだから凄い一文なんだろう」くらいにしか思えていなかった。
風の歌を聴けもまた同じように完璧な一文で始まっていた。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
この一文に込められた哲学や教養が、今まさに僕が必要としている学問の全てを凝縮しているように思えた。

 

教養学部言語学を研究している内定先の同期は、言語学を「放っておけない友人」と評していた。
彼の言葉でいうと、「言語学を研究するというのは事象とか意味とか行為とか、そういう概念の定義をすっ飛ばしてしまうことのむず痒さ」というものがあるらしく、彼は最近それに耐えることが出来なくなっていたらしい。
「論文を書いてるうち、信じるものが死ぬことが二回ほどあったが、最終的には自分の立っている営みが丸ごと溶け落ちて行ってしまった」「人間が「知った」ことを「知らなく」なれるのはそれが認識に内在化された時だけだ。それが怖いことでもある。」 

言葉というのは完璧なまでに不完全だ。

そんな彼とラインをしていたときに、ウィトゲンシュタインに触れる機会があった。僕達の認識は言語が生み出す構造の限界を超えることが出来ないことについて、対話をしていた。目眩のする話なんだけど、結局のところ「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」
それでも尚、語り得ぬものを語ることの重要性を僕たちは感じていたし、後期ウィトゲンシュタインがそうしたように、僕たちは例え無駄に見えたとしても、語り得ないものを認識できるように問いを生み出し続けるし、歩みを進めていくんだよね、という風に思った。
そうして僕は自然と認識の限界を超える努力をするようになった。勿論、自分の認識できている世界の小ささに絶望することもあった。
しかし完璧な絶望が存在しないように、絶望の中に同時に存在する希望についても語りゆくことになる。


スプートニクの恋人を読んでから、人間の自死は現実の世界よりも夢の世界に存在する自分の側に生を感じたときに起こるのだと思うようになった。そこで僕は味のしないアイスティーを飲みながら「いまは生きる意味がわからないから生きているのだけど、死ぬ理由のひとつについてはちょっとわかるようになってきた」と思った。主人公の僕にとってそれは単なる絶望ではなく、複雑な希望だったのだと。
スプートニクを読む少し前、ちょうど友人に薦められたショーシャンクの空という映画も観ていたので、希望だけでなく自由とは何か、についても考えていた。希望というのは絶対に誰からも奪われない。故に希望であり、故に自由なのだと。

勿論、フランスの国旗が象徴するような自由や平等や博愛というものもあって良いのだけど、自由というのは革命によって勝ち取るものではなく、自己の内面に深く溶けていくことで解放されるものなのだと思った。なんだかユダヤ的だなってぼそっと言ってみた。誰かに聞かれたような気がした。
そういえば自己の内面に深く同化していくとそこに神の存在を感じることがあるのだと思ったことがある。神は外的に存在することはないのだとなんとなく悟ってみたんだけど、それについて考えていると怖くなったのでやめた。

 

 


文章を書くことは自己療養へのささやかな試みにしか過ぎない理由について、少しだけ書いてみようと思う。
言語の限界や認識の限界に気づきだしてから、この世の中に存在する認識に正しさや間違いというものが存在していないことに気づいていったのが結構最近の出来事で、アカデミックの一端をかじってみると、どうやら全ての事象は疑いうるということを理解してくる。そうなってくると信じることがとても難しいことのように感じられてくる。つまり正解がない中で如何に自分の中で答えを出すか。それだけでしかない。

社会人というのは自分が出した答えが果たして良かったのかどうか、みんな不安を抱いている。だから自分の答えがより正解らしく感じられるように、自分が答えを出すまでに綿密に組み立てたロジックを最大限に活かし、自分の意見が間違っているかもしれないと感じられる答えに対して問題点、要はその人の出した答えを否定する論理を組み立てる。そうすると当然、対立が生じ、議論が巻き起こる。実に不毛な議論だが、多分それはエンターテイメントとして成立しているのだろう。例えば学生起業VS就職、とかね。僕たちはこういう大人の都合に振り回されながら、いや、振り回されることを自ら望みながら生きている。振り回されていることに気づくことはとても難しい。

僕は何かを100%信じることがもはや出来なくなってしまった。これは同期が「知るということは知らなかった状態に戻れなくなる点がある」と言っていたのと同じように、全ての事象は疑いうることを知ってしまった僕の宿命だった。
そうして僕は信じる力を失ってしまったように感じた。自分の力強さのひとつだと思っていたリーダーシップのようなものがサイダーの泡となって消えていく感じがした。
よくアカデミックにいる人間のことを、ビジネスサイドの人間は頭でっかちだと揶揄することがある。それはどうしてそうなってしまうかというと、アカデミックの人間というのは決めるということがどうしても出来ないからなのだ。知性の究極は答えを出さないことにあるような気がする。正解も間違いも存在していないこの世界で、正解や間違いを決めると、その瞬間に間違いになってしまうことを彼らは知っている。それは複雑な絶望のように思う。
しかし何かコトを成す為には、コトを成し遂げたかったら、僕たちは何かを信じ続けなければならない。信じているものを疑ってしまった瞬間、その歩みが止まってしまう。なんだけど、僕たちはもう、信じ続けることができない。


信じることと疑うことを同時に行うことの難しさは、巷で言われているロマンとソロバンを両立することよりも難しいと思った。なぜなら、ロマンとソロバンは突き進む方法について疑うことがあっても、突き進む方向性について疑うことをせずに済むから。
でも多分新時代は信じながら疑うことのできる人材を求めているのではないか。いまこの世界の人々はブレない哲学を希求している。例えばトランプが大統領になったように、エリートからは間違っているようにみえるものでも、間違っていても信じる値するものを望んでいる。今この社会のほとんどの人が、大量消費社会を越えた新しい拠り所を探している。勿論、信じることに長けた成功者は例外的に存在すると思うのだけど彼らの論理は弱者に伝わりにくい。そんな世の中でより良く生きる為に、僕はしなやかな鉄になりたかった。

固いものというのは壊れやすい。例えばグラスのように。それは人間であっても同じだ。凝り固まった何か、例えばそれが正しさやプライドといったものを固持してしまうと、何かの拍子にパキンと折れてしまうことがある。修復不可能なほどに。
柔らかいものというのは変幻自在だ。例えばスライムのように。それは人間であっても同じだ。例えば自分の意見を持たないことによって角が立たないようにすること。また誰かに従い、自分の意見を捨象すること。そうすると流されてしまう。つまり柔らかすぎると自分の形を見失いやすいのだ。

しなやかな鉄というのは、日本刀のように美しいのだと思う。僕はその響きを2016年の2月に聞いたのだけど、その在り方を体現出来ている人間にひどく嫉妬した。その言葉に敵意を向けた。美しすぎるモノに恐怖を感じることがあるように。
日本刀というのは鍛錬を欠かさない。玉鋼と呼ばれる日本刀の材料を、たたら吹きという製法で低温で高速還元を行い、良質な鋼を生み出していく。鍛錬は心金で7回、棟金で9回、刃金では15回、側金では12回程度の折り返しが行なわれる。何十回も熱し、叩き、冷却する。この作業を繰り返していくことで、折れず、曲がらず、良く斬れるという3要素を実現していく。

つまりこれからの僕というのは、2016年までに生み出してきた僕という玉鋼を柔らかく、しなやかに美しくしていく為に、何回も、何十回も信じ、疑うプロセスを繰り返していく必要がある。そうして出来上がった、決してブレないが、しかし柔軟な自分が成し遂げることとその可能性に希望を見出したい。大きなことを成し遂げるためには、どうやらそういう人間にならないといけないらしい。

答えを出すというのは疑いうるものを信じることによって達成される。しかしそれはあくまで暫定解にしか過ぎないことを心に留めておく必要がある。そうでないと傲慢であるし、朝令暮改を繰り返すと信用も失ってしまう。だがしかしこの営みは全ての人間に必要かと言われると、僕は必ずしもそうは思わない。それが出来る人に任せてしまっても良いのではないか?と思う。
ではそれが出来る人の宿命はなんなのか。僕という人間はもしかしたら、この問いに答えていくことを必要としているのかもしれない。


僕達の認識できるものは言語によって削ぎ落とされる。
大切なもの程、表現しようとすればするほどその手からこぼれ落ちる感覚がある。
そういったときは、言葉にしなくて良いのだと思う。そういった大切なものは往々にして表現できる限界を超える。
僕ができるささやかな自己療養の試みは、そうした大切なものがそこに存在していることを示すことまでなのだと思う。

 

 

2016年というのは自分の心に従って生きることができた。それが24年近く生きた僕にとって最も重要なコトのひとつのように感じられる。しかし今の自分に至るまでに様々な苦悩があったことも忘れないようにしようと思う。
知るということが増えていくことや、自分の脳の処理速度が上がるのに伴って、感情が置いてけぼりになる。
思考というのはマグロのように止まることを知らず(止まると思考は死ぬ)脳というキャパシティから大量に漏れ出していく。
それぞれをひとつひとつ処理していくことに僕の感情が追いつかなくなり、ひどく落ち込んでいたときもあったし、時には現実逃避をしていたこともあった。でもそれは必要だった。僕が生きる為に必要だった。今年はとにかく必死に生きた。振り返ってみると今までどうやって生きてきたのかわからなくなることがあって、そんなときにどうにかなりそうになることがあったと思う。
でも今は穴が空いて溢れ出した思考の一つ一つに、対話や教養によって得られた暫定解を詰め込むことによって、正常を保つことができるようになった。再現無く湧いてくる思考に、バケツのようななにかが耐えきれずひっくり返った先に自分の死が存在していることを知ったし、その意味では死と隣合わせになる感覚を体験したようにも思う。暫定解を詰め込んでおくことを「それでいいのだ」と思えたとき、僕の心に広がっていた濃霧が晴れていった。それがどういうことなのか、今の自分にはわからないのだけど。

例えばウィトゲンシュタインや、ニーチェ三島由紀夫や、小林秀雄川端康成など、様々な物書きに出会い、そして僕は変わっていくことができた。(いや、彼らによって僕は困惑したのかもしれないが)村上春樹にも同様に感謝をしながら、2017年に向けて、ただひたすら踊っていくことにする。ひとまず今は読みかけのダンス・ダンス・ダンスを読み切っておきたい。